第六十一話『絡みつく視線』
先制攻撃は不可能だ。あくまで警戒は解かないようにしつつ、俺たちはこの大部屋を通り抜けなければならない。その前提があるだけで、状況はひどく難しいものになる。……大部屋に踏み込んだ瞬間に浴びせられた大量の視線が、その事実を再び突き付けて来た。
「やっぱり、視線は向けられるか。あまり人が来ていない方向からってのもあるし、それだけじゃ何とも言えない感じではあるんだけどね」
「新しく踏み込んで来たのを警戒するのは冒険者として正しい本能でもあるしね。本当、厄介な仕掛けをしてくれたものだわ」
十は優に超える人からの視線を受けつつ、リリスとツバキは軽く息をつく。あくまでいつものペースを見失っていないその口調が、どことなく逸っていた俺の心を落ち着けてくれるような気がした。
この部屋に入る前から、二人はこの部屋の中がどうなっているかはある程度把握できてるんだもんな。そう思えば余裕を感じられるのにも納得がいくが、かといってそれが油断に繋がっているわけじゃないのが凄いところだった。
部屋の中心には血痕が未だに残っており、この大部屋が激戦の後であったことを物語っている。……その戦いが冒険者同士のものであるだなんて真実を知るのは、クラウスの関係者と俺たち、そしてあの場にいた五人組にしかありえないわけだが。
「剥ぎ取り残した魔物の骨も綺麗に解体されているね……。武具の骨格として十分すぎる強度はあると思うし、、そこそこの値段が付くんだろうな」
「いっそそれに群がってくれてた方が冒険者らしくていいんだけどね……。それ以外の場所にいる冒険者は何を探してるのよ」
まだわずかに残る魔物の亡骸を見つめながら、リリスは軽くため息を吐く。こんなやり取りをしている間にも、俺たちへの視線はやむことがなかった。
それは俺たちの来た方向が他の輩と違うこともあるだろうが、その人数が少ない事も影響しているのかもしれない。今のところこの部屋の中に確認できるパーティは三組、そのすべてが五人以上で構成されているからな。『双頭の獅子』もそこそこ大所帯で来ている中で、三人組の俺たちというのはそういう意味でも異質な存在なのだろう。
いろんなことへの不可解と、それと同じくらいの警戒。いろんな感情がないまぜになった視線は長く浴びていたいものでもないが、今はこっちに直接攻撃を仕掛けてこないなら十分だ。そのまま警戒し続けて、俺たちを見送ってくれればよかったのだが――
「……僕たちが来た方向とは違う入り口から入ってきた、男一人女二人のパーティ」
「……っ、と!」
そんな呟きが左から聞こえて、俺は思わず逆方向へと跳び退る。当然リリスたちもそれには気づいていた様子で、俺よりもワンテンポ早く同じ方向へと退避していた。
突然の運動にふらつく体を抑え込みながら声がした方向を見やると、そこには一人の男が立っている。冒険者と名乗るにはあまりに華奢で貧相な体格だが、その右手に握られた短剣が彼の殺意を雄弁に表明していた。後一瞬でも気づくのが遅れていれば、俺の脇腹は再び血を垂れ流していたことだろう。
「……あれ、おかしいな。不意打ちならどれだけの実力差があろうとも上手く行くと思ったんだけど……まさか警戒されてた?」
ボサボサの髪をさらにかき乱しながら、不可解の感情を隠せないような様子で男は俺たちを見つめている。それに対して何かを感じ取ったのか、リリスとツバキはふっと姿勢を落とした。
「ご生憎様ね、こっちには隠密のプロフェッショナルがいるの。……あなたごときじゃ、私たちの体に傷をつけることすら敵わないわ」
「それに、君たちの情報はもう漏れているからね。……ここで深追いするのをやめてくれるなら、ボクたちも見なかった振りをしてもいいんだけど?」
襲撃者の立ち姿を見つめながら、リリスたちは低い声で警告する。これ以上踏み込めば身の安全は保障しないと、そう言外に告げているかのようだった。
事実男からは威圧感を感じないし、正面からやり合えばリリスたちが負けるとは考えられない。だからこそ、この交渉は双方にとって価値がある物なのだ。俺たちだってむやみやたらに血を流したいわけじゃない。
「……ふうん、君たちは優しいんだね。……僕の雇い主とは大違いだ」
しかし、男はゆらゆらと体を揺らすだけだ。どこまでも飄々としたその態度は人間味が無くて、何かが抜け落ちているようで。冷たい何かに触れられたときのような怖気が、俺の背中に走った。
「そんな人たちに標的にされるなんて、あの雇い主は何をやってるんだかね……。ま、僕にそれを咎める権利はないんだけどさ」
ケタケタと笑いながら、男はさらに大きく体を揺らす。それはなぜか楽し気で、その表情はなぜか笑っているようにも見えて――
「……ついでに言えば、任務不履行の権利もないんだよ」
「……っ、消えた⁉」
その言葉を最後に、ゆらりと男の輪郭がぼやける。不可解に消えたその姿を、俺はとっさに目で探した。
姿を見失うことで生まれる隙は、戦闘の中で最も危険なものだ。だからこそ、一刻も早くその姿を見つけ出さなければならない。そうでなければ、何が起こったって不思議じゃないのだから――
「マルク、下がって‼」
そんな思考を遮るかのように、リリスの鋭い声が俺の体を突き動かす。そうして生まれたスペースにリリスが滑り込むと、即座に生成された氷の刃が虚空に衝突した。何かとぶつかり合って生まれた火花が無ければ、それはまるで現実味のない光景だ。ただ、間違いなくリリスはそこにいる『何か』を受け止めていた。
「……光魔術の応用ね。そんな小細工で私の目を欺こうなんて、中々に傲慢なことをやってくれるじゃない」
誰もいないはずの空間に向かって、リリスは不愉快の感情を押し殺した声を投げかける。……次の瞬間、何もない所から溶け出すかのようにして男の姿が現れた。
「これでも謙虚に生きてるつもりなんだけどねえ。……『男の方を狙え』って指示、ちゃんと守ってるんだからさ」
「へえ、それは良い事を聞いたわ。……ますます、あなたたちに手加減する理由がなくなった」
肩を竦める男に対して、リリスは氷の槍を背後に装填する。最早交渉は不可能だと、そう確信したかのような戦意がその小さな体から立ち上っていた。
俺を狙えという指示は、クラウス達の目的を達成するならば確かに手っ取り早くて的確なものになるだろう。……だが、だからと言ってそれが正解になるわけじゃない。ある意味では邪道や外道の類ともいえるその作戦は、間違いなくリリスたちの怒りに触れた。
「……ツバキ、いつも通りに行きましょ」
「うん、あくまで冷静にね。……殺しちゃダメだよ?」
言葉に反して普段より数段低いトーンでの呼びかけに応えて、ツバキの足元からぬるりと影が伸びる。二人して一切の容赦を感じさせない臨戦態勢を前に、男はがりがりと頭を掻いた。
「あんまり音を立てて無関係の人間を呼び込むのも困るし、出来れば僕一人で仕留めたかったんだけどね……。どうやら、それも無理そうだ」
そういうと、男は軽やかに手を叩く。その音が大部屋に反響するのと連動しているかのように、今まで傍観を貫いていた他の冒険者たちの視線が一気に敵意を帯びた物へと変わった。……この部屋の中にいる俺たち以外の全てが、俺たち三人を標的としている。
「……僕たちには僕達の事情があるからさ。できればさっさと、かつ穏やかに死んでくれ」
「御免被るわよ。……まとめて気絶させてでも、私たちはここを押し通るわ」
男の宣戦布告に、リリスが氷の剣を形作りながら答える。途轍もない人数的な不利を前にしても、その戦意に一切の揺らぎはなかった。
次回、三人にとって初の集団戦が幕を開けます! とは言っても負ける気などさらさらないリリスとツバキの躍動っぷりにぜひご期待いただければ幸いです!
ーーでは、また次回お会いしましょう!




