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第五百八十五話『百足のジレンマ』

 マルクたちと出会ってから半年、思えばリリスは色々と魔術の事を学んできた。研究院では魔術の基礎理論的な部分を、フェイからはそれの拡大解釈とも呼ぶべき部分を。学べば学ぶほど過去の自分は感覚だけで戦っていたことを思い知らされると同時に、育ての親が魔術に関してはいかに放任主義を貫いていたかもよく分かるというものだ。


 それでもリリスが強く在れたのは、いわばエルフとしての天賦のようなものなのだろう。魔力との親和性が抜きんでて高く、身体を動かすのとほぼ同じ感覚で魔力を操ることもできる。他のエルフの事はよく分からないが、自分でもこの感覚が抜きん出て優れたものであることぐらいは理解していた。


『感覚派』なんて言ってしまえば聞こえはいいが、その実リリスは無学だっただけだ。魔力の事は分かっていても、それを操る技術の結実ともいえる『魔術』への理解が致命的に欠けていた。単純な座学ならツバキにはもちろん、マルクにだって半年前の自分は劣っていたことだろう。


 それを補う機会に恵まれたのは幸運だと思うし、それもマルクのおかげであることを思うと本当に頭が上がらない。もらった恩には全力で報いなければならないと思うし、預けてくれる信頼にはそれ以上の結果で応えたくなるのが乙女心と言うやつだ。自分の在り方が『乙女』からほど遠いことなど、リリス自身が一番よく分かっていることではあるけれど。


 そんなこともあって、リリスは今でも絶賛魔術師として成長中だ。新しい理論を身に着け、魔術を体得し、生来の感覚だけで何度も修羅場を乗り越えてきた天才はもう一段階上の領域へと到達した。『夜明けの灯』の一員としてだけでなく一人の魔術師としてもそれは喜ぶべきことだ。感覚だけでは決して辿り着けない解法は、リリスが魔術師として成熟するには欠かせないものだった。


 そう、色々なことが分かったのだ。効率よく魔術を使うにはどうすればいいかとか、『式句』を通じて魔術の発動を簡略化するためのやり方とか。半年前の自分が見たら腰を抜かすぐらい、リリス・アーガストの手札は増えている。


 増えているの、だけれど――


「……その上でこういうやり方をするの、なんだか申し訳なくなっちゃうのよね……」


 視界の中心に怪物を捉え、軽やかに宙を駆けながらリリスは軽いため息を一つ。背後に引き連れた無数の弾丸によってその周囲には霜が降りていて、移動するたびに青白い軌跡を描くその様は絵画の題材となっても不思議でない程に幻想的な雰囲気を纏っている。


 しかし、そんな外見に反してやっていることは至極単純かつ暴力的だ。圧倒的なまでの物量と威力で、相手の小細工ごと全てを擦り潰す――リリスが敷いた布陣は、そのために必要な下準備でしかないのだから。


 色々と勉強をした。小細工を仕掛けてくる相手ともこの半年で何度も戦ってきた。実際に出し抜かれて唇を噛み切りたくなるほどに後悔したことだってある。けれど、リリスの結論はここに戻ってきてしまった。結局のところリリスにとって一番の武器は『これ(力押し)』なのだ。小細工に出し抜かれる暇も与えない程一瞬で勝負を終わらせられるのならば、それほど簡単な話はないだろう。


 不思議なぐらいに強い確信を抱きながら、目の前に迫る拳に合わせて氷の弾丸を三発ほど打ち放つ。その中に圧縮された魔力が炸裂するのと同時、大楯に変じた弾丸は大質量の一撃を易々と受け止めた。


 これもフェイの教えがあったからこそできるようになった芸当ではあるが、その本質を完全に引き出せていないことはツバキの『影渡し』を思えば明白だ。やろうと思えばもっと高度な使い方が出来るはずの物を、今のリリスはあくまで力押しを補助するためのオプションとして使い倒している。


 それを大雑把で強引だと思う自分がいる一方で、このやり方に心地よさを感じてしまっている自分もいるというのだから話がややこしい。状況の危険度で言えば今の方がずっと上のはずなのに、罠を張って物陰から人形を待ち構えていた時より不思議と気分は晴れやかだった。


「ちゃんと戦ってるって確信が持てるからかしら――ね‼」


 空中に生み出した氷の足場を無造作に蹴り飛ばし、盾の陰から飛び出すようにしてリリスは更に怪物へと詰め寄っていく。それ自体が精密な魔力制御によって実現されている代物であることは明らかだが、当のリリスにそれを自覚する様子は微塵もない。凡百の魔術師が突き当たり、乗り越えようと試行錯誤を重ねる壁を、リリスは壁とも思わぬままに悠々と突破してみせる。その在り方こそが、リリス・アーガストを天才たらしめる所以なのだ。


 接近を阻もうと怪物も拳を構えるが、前もって仕込まれた氷の弾丸は自在に形を変えてリリスの進軍を援護する。術者の意志一つで如何様にも変化する氷の可能性を読み切って動くことなど、怪物には天地がひっくり返ってもなお不可能だ。


「体が大きいってのも考え物ね。もう少しスリムになることをお勧めするわよ?」


 八つの拳を瞬く間に叩き切り、リリスの視界がついに二振りの大剣へ定められる。ここまではある意味予定調和と言ってもいい展開だが、流石のリリスもここから先を楽観視することは出来ない。あの剣がいったい何なのか、どれほどの切れ味を誇るのか。ここまでの戦いで当然のように浮かんだその疑問は、『予測する事さえも無理かつ無駄だ』という結論と共に脳の片隅に押し込められているのだから。


 ただものではないことだけははっきりしているが、それが分かったところで具体的な対処法が浮かぶわけでもない。言ってしまえばアレは怪物側の切り札、フェイが語ったところの『初見殺し』に当たり得るものだ。どんな事象も起こしうるし、その内容によっては戦況がひっくり返ることだって大いにあり得るだろう。


(――そんな中で、私はどうするべきか)


 複雑に絡まっていた思考は単純化され、一つの命題となってリリスの目の前に現れる。加速する思考に引きずられるようにして時間感覚は緩やかになり、怪物に向けて落下する自分とそれを待ち構える怪物の動きがはっきりと捉えられた。


 あの剣が隠している本質を読み切るなど土台不可能、一度本領を発揮されてしまえば後手に回ることは避けられない。『後の先を取りに行く』なんて言ってしまえば聞こえはいいが、要は一度怪物に自由に動く隙を与えてしまっているのとほぼ同義だ。こと籠城戦において、その一度が致命打にならない保証などどこにもない。楽観視の代償を代わりに支払ってくれる人などいやしない。この戦場の責任は、全てリリスの背中に乗っている。


 それを自覚してしまっている以上、問いに対する答えは一つだった。最善とは到底言えない、何なら次善と呼ぶことすらおこがましい。フェイなら、ツバキなら、マルクならもっといい策を即興ではじき出していただろう。それに比べてこの策のなんとまあ単純で大雑把な事か。自分でも情けない話だけれど、つくづくリリスは小細工を張り巡らせるのに向いていない。


「でも、それでいいのよね?」


 心臓が脈打つ場所の少し下、鳩尾の少し上に意識を向け、リリスは誰に問うでもなく呟く。色々なことを学んだ、知らなかった世界が見えた。その上で、この答えを選び取ったのだ。ならばきっとそれはリリスにとって一番向いているやり方で、今更それと袂を分かつことなどできやしないのだろう。駆け引きなんてガラじゃない、もっと言うなら必要もない。ただ単純に、そして明快に、積み上げてきた研鑽の全てをぶつければいいだけの話だ。


 自分の内側、一番深い部分から魔力を引き上げる。一切の遠慮なく、しかし体に支障を来すことのないようにコントロールするその技術は最早天性のそれ、真似しようと思う事すらおこがましい程の超絶技巧だ。それもまた、リリスが天才であることを証明する一助となっている。


 普段無意識に温存されている魔力が制御下に置かれると同時、リリスの周囲を漂っていた霜がよりその色を深くする。硬い音を立てながら空気が凍り付き、ここにたどり着くまでに消費された氷の弾丸たちが過剰なほどに再装填された。


 自分でも想定していなかったほどの出力だが、しかしそれが心地いい。久しぶりにご馳走にありつけた時の様な、数週間振りに洗濯をして綺麗になった服を身に着けたその瞬間のような。冒険者となってからは久しく感じていなかった開放感が、リリスを包んでいる。


 極限まで単純化するのであれば、それはきっと『吹っ切れた』という事なのだろう。この半年で経験した敗北や苦戦の記憶、そして学んだ魔術への知識。それらがリリスの視野を広げてくれるものだったことは否定しようがないが、それによって生まれた魔術を制御する意識が天才を委縮させてしまっていたことも一方ではまた事実なわけで。 

『歩行とはどのように行うのか』『呼吸とはどのような手順を踏むのか』と聞かれたとき、その大半は答えに窮する。そして戸惑う。無意識のうちにやっていることだからだ。『どうやってそれを行っているか』なんて考えたこともないからだ。考え、疑問を抱く思考力が見に着く前にその技術は既に習得されているからだ。


 戸惑いを抱いてもなお考え続けようとすれば、熟練されていたはずの行動は次第にぎこちなくなっていく。思考の挟まる余地もなく染み付いた行動においては、理論や言語化はかえってそれらの枷にすらなり得る。リリスにとっては、『魔術』ですらもそのカテゴリの中に含まれるものだったというだけの話だ。感性で魔術を操ってきたリリスにとって、魔術理論は新鮮で清々しい風味のする毒でしかなかった。理論によって統制された魔術に、以前のような荒々しさは影も形もなかった。


 だから、リリスは一度理屈を忘れる。反復練習によって体に染みついた感覚だけを都合よく引き継いで、それに至るまでに積み上げられてきた理論や付随知識の類は全部削ぎ落す。その理論が、知識が何を成しえたかなど覚えたところで、リリスの魔術にはきっと何の成長ももたらしやしないのだから。


「――だって、それが私だもの」


 笑う。視界がすうっと開けていく感覚に身を任せて、リリスは獰猛に頬を吊り上げる。切り落とされた八本の腕の行方も、氷の侵食に抗うかの如く動き続ける怪物の気味悪い挙動もよりはっきりと見える。今自分がどんな状況に置かれていて、何をすべきなのか。思考が最適化されつつある中、その問いに対する答えは寸分の迷いもなくはっきりとはじき出されていた。


 初見殺しの可能性がある切り札を相手が有していて、一度発動してしまえば否応なしに後手に回らされる。その状況下で、リリスアーガストは何をすべきか。……その答えなど、『先の先』で叩き潰す以外にあり得ない。


 それはリリスにとって原点回帰でありながら、本質を全く異にするものだ。リリスにとって魔術理論は無駄もいいところ、付随する知識など天才の世界を狭める障害物以外の何物でもない。けれどそれを身に着け、無意識の領域に落とし込もうとする修練の時間は確かにリリスの糧となっている。


 結果としてただでさえ高かった魔術の腕は大幅に向上し、魔力を捉える感覚はより鋭敏な物へと進化した。そんな状態で同じことをやろうとしたところで、生まれる成果が同じになるわけではない。凡人が、秀才が紡いだ理論によって異なる世界を垣間見た天才は、その理論を忘れることで真に次の領域へと足を踏み入れようとしている。


 喩えるならば原点回帰、冒険者として成長していくうちに忘れかけていた護衛としてのスタイルのリバイバルだ。魔術の制御は単純に、それでいて物量は圧倒的に。――あの時のリリスが意識していたことなんて、大概そんなぐらいだった。


「ここまでの感じ、あなたも大概ゴリ押しが好きそうだし。力試しの相手にはちょうどいいわね」


 抱いた疑問に決着をつけて、リリスは改めて怪物に視線を投げる。一秒が数十秒にも数分にも感じられるような感覚の中で、怪物の構える大剣の照準が落下してくるリリスへと合わせられたのが分かる。きっともう、この戦いは一分もしないうちに決着を迎えるのだろう。


 肌を刺す魔力の気配は収まらず、むしろ鋭さを強めていく。怪物が携えた『初見殺し』は解き放たれる時を今か今かと待っているはずだ。一度それを許してしまえば苦戦は必至、この宿にいる全員に危険が及びかねなくなる。当然、そんなことは許されていいはずがないわけで。


「……ここで潰すわ。跡形もなく、徹底的にね」


 崩壊一歩手前の怪物を真っ向から睨みつけ、掲げた左腕を堂々と振り下ろす。……瞬間、所在なさげに浮いていた弾丸たちが一斉に怪物へと打ち放たれた。

 タイトルはこの話を書く時に参考にした寓話からお借りしました。色々諸説ある話のようなので、『そんなものもあるのかー』ぐらいに思っていただければ幸いです。

 さて、このエピソードでは『天才』としてのリリスを今一度捉え直すこととなりました。とある問題を解決する時、普通の人が辿るスタートからゴールまでの過程を努力や慣れ、効率化などによって極限まで迅速に辿れるのが『秀才』、そもそもスタートからゴールに直接ワープしてしまうが故に迅速に見えるのが『天才』だと僕は思っています。足が速いかそもそも瞬間移動の能力を持っているかの差、みたいな感じですね。訳のわからない速さでスタートからゴールへ移動したという事象自体は同じでも、そこに至るまでのバックボーンやら辿った経路やらがあまりにも違うわけです。

 その点で言うとリリスは『天才』のカテゴリーに入るわけで、彼女にとって普通の人が辿る魔術の使用過程なんて必要がなかったってことです。ただ、本編でも触れたようにその理論を身に着けるために費やした時間までもが無駄になったというわけではありません。これは言うなれば覚醒回、リリスが真の意味で次の段階へと進んでいくための第一歩となります。溜めに溜めた分次回は爽快に行きますので、ぜひお楽しみにしていただければ幸いです! どうにか年内には投稿したい……‼

――では、また次回お会いしましょう!

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