第五百八十一話『不死殺しの光』
頭が焼き切れそうなほどに痛い。ただでさえ身体の限界も近いのに思考を活性化させればそれも当然というもので、瞬きの度に意識を取り落としそうになる。だが、それも裏を返せば一つの成果だ。
『全てを包みきるまで油断するなよ、僅かにでも綻びがあればそこから魔力は漏れ出してくる』
「わ、かって……ます、わよ‼」
頭の中に響く声に血を吐きながらの咆哮で応え、四方八方に広がっていく光を意識的に制御する。放ちっぱなしにしていた光を繋ぎ留め、粉々に砕いた人形たちの破片の周囲にまとわりつかせる。全てはあの悍ましい魔術を停止させ、この戦いに終止符を打つために。
光が溢れてから収まるまでほんの数秒、しかしアネットからすれば気が遠くなるような長い時間だった。生死を掛けた鉄火場で今まで知りもしなかった概念に挑むなど到底正気の沙汰でなく、傍から見れば溺れる人間が藁に縋るのに等しい悪足掻きの類だ。
少なくともアイン――アネットはその名を知らないが――は、目の前で溢れた光をそう分析していた。妙で面倒な物であれ、その本質を引き出すには未だ至らない。負荷をかけ続けていればいずれ自滅する哀れな魔術師に過ぎないと判断した故に、彼女は光魔術の観察に徹していた。
ここで死に果てる魔術師たちの一人でしかないとはいえ、光魔術をここまで暴力的に扱える人間は貴重だ。セイカが積み重ねた記憶を参照できるアインにはそれが理解できるし、それを観察することで得られる情報が自分たちにとって有益なことも分かっていた。
籠の中に囚われた虫が珍しい生態を見せたなら、その末路はともあれ観察して記録を付けるぐらいのことはするだろう。魔銃の引き金を引かずにいたのは、アインにとってその程度の理由でしかない。
――その感情を『油断』と呼ぶことに気づけなかったのが、アインにとって致命的な失策だった。
「……は、あ、はあっ」
光が止んだ後、アインの視界にアネットの姿が映る。魔剣の柄に両手を触れさせ、それを支えにどうにか立っているような弱り切った姿だ。全身に無数のかすり傷を刻んだ痛々しい姿は不死に抗った末路に相応しく、人形たちの勝利をより強く確信させた。
これほどの死力を尽くして刈り取った命はすぐに再生をはじめ、傷ついたアネットをまた取り囲む。後何度光魔術を行使できるかは知らないが、人形が不滅である以上待っているのは同じ結末だ。全ての命あるものは不死の人形に呑み込まれ、やがて新たな命の形を得て再臨する。それがネルードの目指す未来、人形たちが目指すべき新たな世界だ。彼から指揮権を与えられた特別な人形として、アインにはその未来を少しでも早く実現させる義務がある。
叶うならあと三度、いいや四度はその光を見せてくれ。未完成とはいえ不死を阻み得るその魔術、対策理論は一秒でも早く構築しておくに限る――
「……あ、ラ?」
そう期待しながら状況を見守って、やがて気付く。人形が再生しない。地面に転がった人形の破片たちは淡い光を放つばかりで、結びついて再臨する姿勢を少したりとも見せやしない。……不死が、阻まれている?
「あら、ようやくいい表情をしましたわね。普段からその顔をしていてくれた方が、偽物の質としては何十倍もマシですわよ」
もっとも、それでも酷い出来なことに変わりはありませんけど――と。
口の端から血を垂らしながら、アネットは挑発的な笑みを浮かべる。曇りなき金色の瞳には、驚愕に表情を歪めるアインの顔がありありと映し出されていた。
痛みはある。意識も遠い。今はまだ高揚感で誤魔化せているから良いものの、それが収まった瞬間すぐにでも倒れ伏してしまいそうだ。限界を超えるとはこういう事なのだろうかと、アネットはノイズだらけの思考の中でふと思った。
カタカタとうるさかった人形たちは黙り込み、この場にはアネットと少女だけだ。……どれだけ苦しかろうと、この好機を逃す手はない。
「……さて、次はあなたですわよ。不死だかなんだか知りませんけど、私が全て叩き潰して差し上げましょう」
不老不死などない、常識だ。常識のままでいいことだ。不老不死など叶ったところで、その先に幸せな世界があるとは思えないのだ。
やけに重たく感じる魔剣を持ち上げ、一二歩ふらつきながらも構えを作る。少女は未だに動揺の中におり、こちらに突きつけられたままの銃口は微かに震えていた。もっとも、それを彼女が理解できているかどうか分かったものではないが。
「……あなタ、何をしタっていうノ。タだ壊すダけの光魔術デ、人形が潰えルはずないのニ」
「ええ、そうみたいですわね。なので少し工夫をした、それだけの事ですわ」
「とぼケなイで。死にかケの人間ガ理由モなく不死ヲ破る糸口ニたどり着クなンて都合のいイ話があッてイい訳が――」
「あったんですのよ、残念ながら。わたくし、しぶとさには定評がありますの」
語気を強める少女を遮り、アネットは笑った。その指摘は至極当然、この戦いは傍から見れば理不尽にも程がある逆転劇だ。普段から知恵を巡らせ思考を止めぬマルクやツバキのような人間ならいざ知らず、元来手札の少ないアネットのような人間が窮地で発揮するひらめきなど不発に終わるのが関の山だろう。
ただ、アネットには名参謀が着いていた。文官の家に居ついた変わり者、知恵を食らい蓄え続けた魔族が。魔剣使いと分かっていながらそこに宿る魔族に警戒できなかったのであれば、それこそ慢心であると言わざるを得ない。
「わたくしが銃弾を受けて地面に倒れた時、さっさともう一度引き金を引いておくべきでしたわね。そうすればそこでおしまい、今頃あなたたちの仲間入りですわ。……考えるだけで反吐が出る」
そう言い捨てて剣を引き、地面を蹴って少女へと肉薄する。未だ混乱する少女にそれを躱せる道理などなく、剣戟は銃を握っていた右腕を肩口から切り飛ばした。
本来ならばあるはずの出血がないせいか、右腕が不規則に回転しながら宙を舞う様はやけに作り物めいて見える。苦痛に呻くわけでも絶叫するわけでもなく、上体を起こした少女は理解できないと言った様子でこちらを見つめていた。
「……あなタ、どウシてまだ立ッていラれルの?」
「どうして、ですか。……そう聞かれると回答に困りますわね」
地面に転がった魔道具を入念に踏み潰しながら、アネットは芝居がかった様子で首を捻る。戦闘の高揚感であると説明するのは簡単だが、敵にわざわざ答えを渡してやる必要もないだろう。さっきの光魔術を再現できるだけの気力が残っていない以上、どれだけ醜く切り刻もうとこの少女の息の根を止めることは出来ないのだから。
「強いて言うなら――そうですわね、わたくしが人形じゃないからですわ」
しばらく考えた末にそう答えると同時、倒れ伏す少女の喉に剣を突き立てる。これ以上期の狂った会話に付き合ってやる必要はない。……少なくとも、この裏路地での戦いはもう終わりだ。
「……もう少しだけ保ってくださいませ、わたくしの身体」
少女の右腕を思い切り遠くへ蹴り飛ばした後、アネットは視線を少女へ移す。致命傷を与えられて一時的にその動きを止めてはいるが、放っておけばすぐに活動を再開するだろう。だから、そうなる前に退場してもらう必要がある。
「せっかく本契約したのですから、今までより強めの風をお願いしますわよ?」
『……ああ、そういう事か。一本気な君にしては考えたじゃないか』
魔族遣いが荒いのは親譲りなのかね、と。
魔剣を地面に突き立てながら呼びかけると、賞賛とも皮肉ともつかない言葉が返ってくる。契約の事も含め、この魔族とはもう少し深く話し合う必要があるだろう。理想の道を歩む道中で、きっと何度も助けられることになるだろうから。
小柄な少女の亡骸を素体にしているだけあり、魔剣から生まれた風によって人形はあっけなく浮かび上がる。それを確認したアネットは剣を握る手に力を籠め、勝利宣言となる言葉を高らかに叫んだ。
「――遠く遠く、吹き飛ばされてしまいなさい‼」
爆ぜるように吹き荒れた風が人形を高く高く打ち上げ、放物線を描いて建物の向こう側へと消えていく。帝都の外にまで吹き飛ばしてしまうのが理想だったが、銅もそこまでの余力は残されていなかったらしい。……ただまあ、この戦いにケリを付けるには十分だ。
「……少し、休憩してもいいですわよね」
『当然だろう。私からしても目を見張りたくなるほど、君の粘りは想像を超えるものだった』
壁にもたれかかって座り込んだアネットの脳内に、魔族から送られた称賛の言葉が響く。誰に認められるものでもないと覚悟していたのだが、その歩みを見てくれる存在は想像以上に身近なところに居たらしい。……そう思うと、存外気分がいいもので。
「……意地を張ってよかったと思える理由が、一つ増えてしまいましたわね」
そう呟くアネットの口の端は、穏やかに綻んでいた。
と言う事で、路地裏での戦いはこれにて決着です! 掲げた理想のために命を賭けて吠えられるアネットの隣に立つ魔族がどんな役割を果たしてくれるのか、そして彼女は魔族にちゃんと名前を付けてくれるのか! 彼自身名前にこだわりがない性質故、どうなるか僕自身も非常に心配しております!
次回はリリスたちに視点を戻し、宿を舞台とした籠城戦が展開されていきます。果たしてリリスたちは眠るマルクを守り切れるのか、光魔術無き彼女らは人形の『不死』を打ち破れるのかなどなど、ぜひお楽しみにしていただければ幸いです!
――では、また次回お会いしましょう!




