第五十八話『繋がりの中へ』
「クラウスを戦闘不能にまで追い込んだはいいけど、リリスも、そして影を貸していたボクも限界ギリギリのところにいた。そこでリリスが撤退を優先してくれたから、ボクたちはどうにか生きているというわけだ」
「影の刃と氷魔術の同時展開――そんなことをしたら、魔術神経がこんなに傷つくのも納得だよ」
というか、それでこの程度の損傷で済む方がどうかしていると言ってもいいくらいだ。俺が想像している以上に激しい戦いがあったことに、俺は思わず嘆息するしかなかった。
ツバキがここまでの経緯を語り終えるまでに俺の手による修復は完了し、リリスはグルグルと腕を回して体の調子を確認している。その姿を見る限り、体に不調が残っているなんてことはなさそうだ。
そのことにひとまずの安堵はあるが、それに頼り切ってばかりでもいられないというのも事実だ。治るからと言って無茶をすることが癖になるのは、いつか取り返しのつかない事態を招くような気がしてならなかった。……そんでもって、そのきっかけを作ったのは俺だ。ツバキから伝え聞いた話を消化することで、改めて重い責任が俺の背中にのしかかって来る。
「……リリス、ごめんな。俺が思っている以上にお前には負担をかけてたみたいだ」
「今更謝らなくてもいいわよ。というか、マルクが無茶しなくちゃいけなくなったのは私がヘマをしたせいでもあるし」
軽く飛び跳ねながら、リリスは澄ました口調で答える。さっきまでの感情の波はどこかへ過ぎ去ったのか、いつも通りのリリスがそこにはいた。どこか冷たくも思えるかもしれないが、その距離感が心地良い。そのクールさの中に熱い思いがある事は、初めてリリスを見つけたあの時からはっきりと感じられることだしな。
「無茶をしたっていう意味ではお互い様だしね。それを見守るしかできなかったボクは気が気じゃなかったこと、ちゃんとわかっているかい?」
そんな俺たちのやり取りを見守って、ツバキは肩を竦めながらため息を吐く。遥か年上の師匠から呆れられているようなその声色に、俺たちは揃って縮こまるしかなかった。
物腰は柔らかいはずなのに、しっかり抗議の意がこっちに伝わってくるから不思議なんだよな……。俺の師匠も大概怖い人だったが、感じる圧の質はツバキも引けを取らないかもしれない。
「……分かってるわよ。貴女にも迷惑をかけたわ」
「そうだな。もう少し、お前の知恵を借りれば良かった」
そうすればもっと魔道具を上手く使えていたかもしれないしな。今だから言えることではあるが、俺自身の独断と遠い記憶だけでカレンの守りを突破しようとするのはあまりにも無理難題が過ぎる。
少しうつむきがちに答えた俺たちを、ツバキはゆっくりと見まわす。その沈黙がしばらく続いたのち、ツバキから放たれていた圧力がふいに晴れた。
「……うん、しっかり身に染みてるみたいだね。今回は全部丸く収まりそうだし、リリスに倣ってボクのお説教もここまでにしておくよ。……また無茶をするのなら、今度こそボクを置き去りになんかしないでおくれ」
それに気づいて顔を上げると、そこには穏やかな微笑を浮かべるツバキがいる。そこには安堵の意だけがあって、ツバキがどれだけ心を鬼にして俺たちに語り掛けてくれていたのかを痛感させられる。……だからこそ、最後の一言が重かった。
「……分かった。今度命を懸ける時は、ツバキも一緒に行こう」
「もう二度と離れ離れは嫌だものね。……私たち三人は、いつだって運命共同体よ」
「勿論さ。ボクたちを繋いだ縁は、そう簡単に切れるものじゃないんだからね」
俺の頷きを踏まえて、リリスがそう断言する。運命共同体という表現が気にいったのか、それを聞いたツバキの表情は非常に柔和なものだった。
リリスとツバキのつながりの中に出会ってまだ二週間の俺が踏み込んでいくのはなんだか申し訳ない気もしたが、あれだけ懸命に守ってくれたのを知ってなおそれを言うのはむしろ失礼だろう。だから、声に出すべきはこっちの言葉だ。
「二人とも、改めてありがとうな。……お前たちがいてくれたから、俺は今も生きていられるよ」
ゆっくり頭を下げ、俺は精一杯の感謝の意を伝える。今更過ぎる感慨かもしれないが、二人がついてきてくれていることが俺にとっての一番の幸運だった。
「それこそ順序が逆よ。……あの時貴方がいたから、私たちの命運は繋がっているんだから」
「二人がいなきゃボクはあの大獄で野垂れ死ぬしかなかったわけだしね。……そういう意味では、ボク達はとっくに運命共同体だったのかもしれないな」
俺の礼に応えるようにしながら、二人もゆっくりと頭を下げる。その姿はきっと対等で、誰がリーダーかと聞かれても正しく答えられる人は少ないだろう。……クラウスとは違う道を、俺たちは歩めているんだ。
「皆の無事を祝ってこのまま宴会でもしたいところだけど、せっかくやるなら安全な場所でパーっとやりたいよな。……まだ、ここはダンジョンの中なんだろ?」
頭を上げながらツバキに視線を向けると、それを受けたツバキの表情がにわかに真剣なものへと変わる。俺の問いかけにこくりと小さく頷いて、ツバキは口を開いた。
「そうだね。このまま手を繋いで王都を練り歩いてもいいのだけれど、そこまでの距離がやたらと遠いのが問題だ。……そろそろ、全員の無事を喜ぶ段階は終わりにしようか」
「そうね。……ここから抜け出して、初めて私たちはこの作戦を成功させたと言えるんだから」
ツバキの認識に同調しながら、屈みこんだリリスは小さな氷の棒を創り出す。それを使って地面にカリカリと刻まれていくそれは、見る限りこの近辺の地図の様だった。
その姿に倣ってツバキが屈みこんだのを見て、俺も地面に腰を下ろす。腹の傷はリリスによって塞がれていたが、こぼれた血の分のダメージはまだ俺の体に残っているからな。少しはしたない姿勢ではあるが、今は体力を温存するのが優先事項だろう。
「クラウスを撃破してから、ボクたちは元来た道を引き返すようにして撤退した。本当は出口に向かいたかったところだけど、そこは『双頭の獅子』の後衛術師が封鎖していたからね。振り出しに戻る、なんて表現が一番適切さ」
「普段ならなんて事のない相手だけど、あの時の私には荷が重かったのよね。……取り逃がしたのが本当に癪だわ」
その瞬間のいら立ちを思い出すかのように、リリスはダンジョンの床をより強めに引っかく。クラウス達と戦闘した場所を示すであろう四角の中に、たくさんの傷が刻まれていった。
「回復したリリスとボク手にかかれば突破は可能だろうけど、クラウスも回復を終えている可能性があるというのが少し気がかりなところではあるね。あまりリスクを伴う行動をしてくるとは思えないけど、何らかの妨害をしてくることは間違いなさそうだ」
「何らかの、妨害……」
その言葉を聞いて思い出すのは、俺が『情報屋』から買い付けたとある情報だ。それはクラウスの悪辣さと勢力の大きさを同時に示す、何とも気分がよくないもので、それを聞いたときには思わず顔をしかめたものだが――
「『実質クラウスの傘下と言ってもよいパーティが、この王都には少なからずいる』――聞くだけで吐き気がするような情報だけど、マルクが買い付けてくれて正解だったわね」
「……リリスも同じことを考えてたか。正直信じたくない話だけど、妨害って言ったらやっぱりそうなるよな……」
俺の思考を先読みしたようなリリスの指摘に、俺は思わず苦笑を浮かべるしかない。俺の直感はともかく、リリスまで同じことを考えていたとなればもう無視することはできないだろう。
「そうだね、ボクが指摘したかったリスクも多分同じところだ。……このダンジョンには、クラウスの息がかかったパーティがいくつか存在する。もし仮に『双頭の獅子』からボクたちのことが通達されていれば、ボク達を敵だと認識していても何もおかしくはないだろうさ」
「……それは、穏やかじゃない話だな」
俺の脳裏に一瞬よぎっただけの予感は、リリスとツバキによって完全に肯定される。今示された現状は、ツバキをして『難局』と呼ばしめるに相応しいものだ。
「ああ、とても厄介な状況だよ。いつ遭遇するかも分からない、かつ何組いるのかもわからないが現地にいるかも不明なクラウス傘下のパーティの襲撃を躱しつつ、ボクたちはこの深いところからダンジョンの出口に向かわなくてはならないのだからね」
苦々しい表情を浮かべながら、ツバキは俺たちが置かれた状況を改めて総括する。――大きすぎるくらいの山場を乗り越えてもなお、戦いはすんなりと終わってはくれないようだった。
まだまだダンジョン開きは終わりません! また一つ強いつながりを得た彼らがどのように次の難題と向き合っていくのか、お楽しみにしていただければ幸いです!
ーーでは、また次回お会いしましょう!




