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第五百八十話『知恵を食む』

「……一体、どうして今なんですの⁉」


 光の嵐が止んだ後、アネットの口をついて飛び出したのは抗議とも疑問ともつかない叫びだった。突如放たれたそれに人形はぎこちなく首をかしげているが、そんなものは意識の片隅でしか捉えられていない。


「あの古城で話したきりずっと返事もしてくれなくて、今だってこんなに追い込まれて! あの時も今も、どうしてこんな死にかけのときにやって来るんですの!」


 剣を強く握りしめ、喉の奥から絞り出すように叫ぶ。それが半ば八つ当たりでしかないと分かっていても、『もう少し早く現れてくれていたら』と思わずにはいられなかった。……もし仮にそうだったとしたら、人死にの二つや三つは防げていたかもしれないのに。


――正直、すまないとは思っているさ。ただ、わたくしにも中々に厄介な制約というものがある。――あの古城で仮契約までしか結べていなかったのが、ここまで尾を引くことになるとはわたくしもいささか予想外だったがね。


「……仮、契約?」


――ああ、何せわたくしは貴様の父親とも契約を交わしていた身だからな。あの古城でわたくしが現れたのは、あくまで父親との契約を履行する時が来たと判断したからに過ぎない。


 父親との契約。そう言われれば、アネットも明確に思い出せる。この身に宿っていた光魔術の才を封じ込めていたのは、アネットの身を案じた父親の行動の結果に他ならないのだから。


――予定ではあの時に本契約まで結んでおくつもりだったのだが、戦いが終わるや否や貴様は意識を失ってしまったからな。そうこうしているうちにわたくしは機を逃し、今に至るまで仮契約が続いていたというわけだ。


「……なんというか、やけに人間臭い事情ですわね」


 魔剣に宿る命と言うのはもう少し超常的で荘厳な物だと思っていたのだが、現実はどうもそうではない様だ。まだ戦場だというのに僅かに肩の力が抜けて、口の端からかすかなため息が漏れる。――そこにわずかな安堵の意が混じっていたことに気づくのは、もう少ししてからの事だろうが。


「でも、あなたは今こうしてここにやってきた。つまり、あなたの言う所の『機』ってやつが訪れたんですのね?」


――ああ、そういう事だ。……故に、少々堅苦しく問わせてもらおう。


 人形が壊れてから再生するまでのわずかな猶予の中、先を促すアネットの声に魔族の声ははっきりと応じる。……そこから僅かな間をおいて、低い声がいつにもましてはっきりとアネットの脳内に響いた。


――騎士として生きる者よ。宿命づけられた道を拒み、血と傷に塗れた道を進まんとする傾奇者よ。汝、我の力を欲するか?


「……つ、ッ」


 ぞわりと、言い知れない寒気が背筋を駆け抜ける。『我』『汝』と呼び名を変えて発されたその問いはやはり超常的で、相手にしているのが何者であるかをこの一瞬ではっきりと思い出させた。


 だが、不思議と恐ろしくはない。騎士叙勲を受けたあの広間でロアルグを前にしたときのような、張り詰めた緊張感だけがある。問いに乗せられた期待に応えられるだけの答えを返さなければならないと、そう思う。


「……それが、わたくしの理想に近づくためならば。既に偏見と噂話に塗れた身ですもの、今更称号が一つ増えたところで知ったことじゃありませんわ」


 息を吸いこみ、堂々と告げる。『箱入り姫騎士』だの『名家の恥』だのの称号に比べれば、『魔剣使い』と言う称号のなんと相応しい事か。理想へ至るための道は決して孤独な物ではないことを、アネットはもうとっくに理解しているのだ。


「悔しいですけれど、わたくしの力だけじゃこの戦場を切り抜けられませんわ。――今このタイミングを見計らって出てきたってことは、あなたは当然それを打開するきっかけを持っているという事でしょう?」


――当然だろう、契約とは利害関係でもあるのだからな。……せっかくだ、この知識は契約祝いとしてくれてやる。


 不敵に笑むアネットに、愉しげな低い声が応える。契約と言うからにはそれなりの代償があり、後々アネットも何かを差し出すことになるのだろう。その時になって何がアネットから失われることになるのか――考えてみると、少しだけ不安ではあるが。


(……でも、きっと大丈夫ですわよね)


 そんな不安はすぐさま拭い去られ、アネットの笑みに曇りが差すことはない。魔族であるという事しか分からない存在をそれでも信じられるだけの理由を、今のアネットは確かに握り締めている。


『――よし、これで契約は成立した。細部はおいおい詰めるとして、今は知識の提供を優先しなければならないだろうな』


 声の調子と呼び方を元に戻し、魔族は上機嫌な様子で続ける。本契約に至ったからなのか、どこか靄がかっていた声がやけに鮮明な調子で聞こえ始めていた。


「ええ、あと十秒もしたら性懲りもなく蘇ってくるんですもの。……それで、あなたの言う知識ってやつは何なんですの?」


『そう焦るな、特段難しいことを要求するつもりはない。ただ魔術に対する理解を少しばかり深めてもらうだけだ』


 徐々に人の形を取り戻し始める人形たちに囲まれながら、しかし聞こえる声に焦りの色は欠片もない。アネットには決して見えない勝機を見据えるその様子は、まさしく魔族と呼ぶに相応しい在り方で。


「……その感じ、安心して頼ってよさそうですわね」


『当然だろう、わたくしの力を借りるために貴様は契約を結んだのだからな』


 もっとも、あんまり頼りすぎるのも契約的にはお勧めしないが――と。


 思わせぶりな言葉を付け加えながらも、アネットの信頼に対して力強い答えが返ってくる。視界の縁は未だに真っ赤なままだったが、それでもやるべきことはだんだんと見え始めていた。


『貴様が操る光魔術は、この世界の長い歴史を紐解いてもなお珍しい者だ。ただの光源として扱うならばともかく、光魔術をここまで暴力的に扱えるものとなると話は大きく変わってくる。そして、その才能こそがこの窮状を脱するための鍵だ』


「光魔術が……? でも、それ自体は今まで何度も使ってきてますわよ?」


 人形は何度となく光の嵐に呑み込まれ、その度に粉々に砕かれている。曰く『だんだんと再生が遅れ始めてきている』だなんてことをあの人形は口にしているが、こっちからしたらそんな実感は毛ほどもないから困ったものだ。よしんばそれが事実だったんだとして、体中からごっそり力が抜けていくあの感覚とせいぜい数秒にも満たない遅延がトレードオフだなんてあまりにも割に合わなすぎる。


『それも見ているさ、実際魔術師としての筋は悪くない。……足りないのは明確なイメージ、そしてそれを思い描くために必要な前提知識。それを補うために、『知恵を食む者』としてのわたくしがいる』


 堂々とそう宣言して、魔族――『知恵を食む者』は一呼吸の間を取る。その響きに聞き覚えはないが、どうも彼自身はその二つ名に満足しているらしい。これ以上ないほどに、頭の中に聞こえる声は弾んでいる。


『そもそもの話、疑問に思ったことはなかったか? 代々続く文官の家、戦いなど無縁のまま過ごすことが正しいと規定されるレーヴァテインの血筋。――なぜそのような家が、『魔剣』などといういかにも戦いにしか使い道がないようなものを所有し続けてきたのか』


「…………そう、いえば」


 言われて初めて、その違和感に気づく。アネットと言う特異点が現れない限り、この魔剣は振るわれないままであの家に置かれたままだったはずだ。何故そんなことをしたのか、そしてなぜそのような待遇を魔族は受け入れるに至ったのか。……いつか見た推理小説の探偵にでもなったかの如く、頭に響く声はさらに続けた。


『それ即ち、わたくしが『知恵を食む者』故だ。知識を求むるが故に自らの身体を捨て、一振りの剣に身をやつして永らえることを選んだ故だ。代々続く文官の家は、喰えども喰えども知恵の尽きぬ天国のような場所であったからな』


 そう言い切ると同時、魔剣の刀身が仄かに光を放つ。青色のそれはやがて魔剣全体を包み込み、一秒もせずにアネットの全身をも呑み込んだ。……瞬間、身体が僅かに軽くなったような気がした。


『貴様の持つ光もわたくしはよく知っている。影と対を成すもので在りながら本質を同じくする奇妙なモノ、全てを塗り潰す残虐性を持ちながら聖なる側面を有する歪なモノ。今から着様に引き出してもらうのは、その矛盾の中心点だ』


 ようやく具体的な方針が示されたのと同時、再生を完了した人形たちがアネットたちを包囲する。こちらを物量で擦り潰さんとにじり寄るそれはやはり凶悪で、厄介さで言えば今まで見てきた何よりも上だ。死や疲労などとは無縁の相手と我慢比べなど、分かってはいたがやはり無茶が過ぎる。


 それでもその無茶を通さざるを得ない状況があって、意地と根性だけでここまで踏ん張って。そうしてやっと今、目の前にチャンスが転がり込んできた。ならば、後はそれに縋りついて見せるだけだ。


『お前がやるべきは人形の破壊ではない。人形共に付与された魔力同士が惹かれ合っている以上、物理的な破壊は何の意味も成さない。あえて言葉を選ぶなら――ああ、『封印』と呼ぶのが相応しいだろう』


「なるほど……よく分かりませんけど、やってみるしかないようですわね」


『好ましい姿勢だな。何、難しい事ではない。細切れにした人形の破片どもを光の檻で閉じ込め、一つ一つ隔離するイメージさえ持っていればいいのだからな』


 一つ工程が増えるだけだ、と魔族は笑う。よくもまあそんなさらりと言ってくれたものだが、それでもやってやろうじゃないか。ここまで気力を絞りに絞ってやってきたのだ、もうひと絞りしたってきっと罰は当たらない。


『光とは本来暴力的なモノであるが、聖なる側面、優しさと呼んでもいい性質をを排して語ることも不可能だ。その二面性を忘れるな、絶えず意識に置き続けろ。本質を知り受け入れることこそ、魔術師の成熟に他ならないのだから』


「ええ、分かりましたわ。――あなたが見込んだわたくしの魔術、とくとご覧くださいな」


 答え、魔剣を地面に突き立てる。こちらに迫る人形の足音を聞きながら、自分の内側を流れる魔力に意識を集中する。少し意識を切らせば暴れ出しそうなそれを抑え込んで、アネットは顔を上げた。


 分からないことも聞かなければならないこともたくさんある。だから生き延びなければならないし、ちゃんと契約した責任を果たさなければならない。そう簡単にポイと投げ捨てられてしまうほど、アネット・レーヴァテインの命は軽くない。……死を大前提に設計された人形たちとは、根っこからして違うのだ。


「光、よ――‼」


 正面に立つ人形の作り物めいた眼を睨みつけ、アネットはあらんばかりの声で吠える。それを合図としてあふれ出した光は四方八方に拡散し人形の身体を砕き、粉々のままで宙に舞わせて――


「一切合切、封じ込めなさいませ‼」


 血を吐きながら発したその言葉が、イメージを確定させる最後の一押しだった。

何とか連載二周年に間に合いました……! ここ半年ほど更新ペースが落ちてしまい誠に申し訳ない気持ちでいっぱいですが、それでも読んでいただける方々には感謝しかありません! これからもプライベートと相談しつつ出来る限りハイペースで更新していければと思いますので、どうか最後までお付き合いいただければ幸いです!

そしてXの方でもお伝えした告知についてですが、ツバキの弟メリアが主役のスピンオフ、『東国剣影譚』が近日連載開始いたします!現在ストック作りの真っ最中ですので、本編と同時にそちらもぜひご期待ください!

――では、また次回お会いしましょう!

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