第五百七十九話『袋小路の導き手』
光と風、本来ならば実体を持たないはずのそれらがアネットの意志に束ねられ、群がる人形たちを一掃する暴威として完成する。堂々と掲げられた不退転の理想は、アネット・レーヴァテインと言う魔術師をまた一つ上の領域へと押し上げていた。
「はあ、はあ、はあ……ッ」
剣の柄を握り締め、顔を上げて目の前を睨みつける。弾けるような閃光の中でも瞼を閉じることなくこちらを観察し続けていた空っぽの瞳と、また視線が交錯した。
人間の肉体を使っているからなのか、それとも特別な保護魔術か何かがかけられているのか。理由は分からないが、光の嵐が目の前の人形に効いていないことだけが厳然とした事実だ。いくら身体が痛くて視界の淵が赤くとも、これだけに頼ってはいられない。
「……光魔術。面倒ナのね、やっぱリ」
「傷一つない状態でそんなことを言われても、嫌味にしか聞こえませんわね……!」
観察と分析に徹するその人形へと嫌味を返し、左手一本で魔剣を構え直す。その場しのぎを何度繰り返したとしても結局その先に待っているのは敗北で、真に探すべきなのはこの状況の前提自体を覆すような一手だ。人形たちを操る魔術を何らかの形で凌駕しなければアネットに勝利はあり得ない。その先の未来だって、きっと有り得はしないのだ。
やるしかない。やれなければここで終わるのみだ。考えて考えて、今までの全ての記憶をひっくり返す勢いで手がかりを探し出せ。何度も何度も再演される攻勢と反撃の中で、アネットは『何か』を見つけ出さなければならない。
人形たちはまた音を立て、歪な再生を始めている。部品同士の繋げ方も使っている物質も毎回のように違うのに、それでもやることは常に同じなのだから気持ち悪いことこの上ない。どんな魔術の究め方をすればこんな悍ましい境地にまで至れるというのだろう。
(それでも、魔術は魔術ですもの。……完全無欠なんて、あるはずもない)
少女への警戒は維持しつつ、眼だけを動かして人形たちを観察する。継ぎ接ぎのそれらに意志はなく、ただ命令を実行するのみだ。アネットが忌み嫌うその気持ち悪さこそこれらが生命を持たないことの証明であり、何かしらの魔術によって干渉されていることを決定づける根拠となる。
ここにリリスたちが居てくれたなら、その魔術についてもう少し細かい考察が出来ていたのかもしれない。ただ、生憎ここにいるのは愚直に進むしか手札のない一人の騎士だけだ。足りない知性は根性でカバーして、総当たりしてでも正解を拾っていくしかない。
「……倒れるその瞬間まで、前のめりで居てやりますわ」
自分自身に改めて宣言して、アネットは深く息を吐く。そんなありふれた行動にさえ付きまとう痛みは根性で噛み殺し、再び魔剣を地面へと突き立て――
「わたくしの悪あがき、とくと味わいなさいな‼」
再びの咆哮と共に、二度目の光の嵐が吹き荒れる。閃光と暴風に混じって人形たちの転がる音が響き、再生した軍勢はまた一瞬にして沈黙した。
嵐が晴れた後には少女とアネットだけが残り、お互いの視線がまたしても交錯する。満身創痍の中で同じ行動を続けるアネットに何を見出そうとしているかは毛ほども分からないが、こちらに手を出さないならそれはそれで好都合だ。……彼女が動かないのなら、まだしばらく猶予はある。
殲滅から再生までが大体四十五秒弱、それがそのままアネットに与えられたシンキングタイムだ。今までに積み重ねてきたなけなしの経験をひっくり返し、どうにか使えそうな情報だけを掬い上げようと試みる。戦いの中にないなら修練の中に、そこにもないなら会話の中に、そこにもないなら文献の中に。どこかにあるはずの勝機を拾い上げるために思考を回すものの、その成果は芳しくなかった。
何度殺しても再生する魔獣の話はマルクたちからも聞いたことがあるが、生憎それの決め手は修復術だ。アネットには逆立ちしても出来ないし、そもそも人形一体ずつに修復術を施して回るのはあまりにも悠長が過ぎる。この戦況を打破するならば少なくとも区画一帯をまとめて修復するような――すなわち、マルクにすら困難を極めるような術式の運用をしなくてはいけなくなるだろう。
つまりこの案は却下、あくまで自分の出来ることの中で突破口を見出さなければならない。この身に宿った光魔術の適性と魔剣の持つ風の特性、後は根性だけが持ち札で、その中で正解の選択肢を作り出すしかないのだ。
時折浮上してくる胡乱な考えを即座に切り捨てながら、あるのかどうかも分からない正解を目指してアネットは思考を回し続ける。可能性があるとすれば光魔術なのだろうが、逆に言えば得られた手がかりと言えばそれぐらいだ。――自分の中に宿っていた物のはずなのに、アネットは驚く程に光魔術の事を知らなかった。
影魔術と同等かそれ以上に珍しく、大規模な運用となるとリリスですらも難しいような魔術。そんなものが特別でないはずもないが、その存在を認知したのはつい半年ほど前の事だ。馴染みと言う意味だけならば、魔剣の持つ風の特性の方がよっぽどあると言っていい。
(……こんなことなら、フェイさんにもう少し聞いておくべきでしたわね)
リリスでさえも一目置く程の魔術師ならばきっと光魔術にも触れる機会があっただろう。もっと突っ込んで話を聞けていればこの状況も変わっていたのかもしれないが、それを今嘆いたところで状況は変わらない。力づくだけではどうにも抜け出せない袋小路の中に、アネットは今囚われている。
空回りし続ける中でも人形たちの再生は進み、後十秒もすれば攻勢を開始するだろう。まだ迎撃するだけの余裕はあるが結局はその場しのぎ、あと何回保つかも分からない薄氷の道だ。単純な我慢比べ勝負に勝機がない事は、生憎もう分かり切っている。
(――ならば、どうすれば)
どれだけ意地と根性で意識を繋ぎとめたところで限界はあるし、『死』の足音は刻一刻と大きくなっている。『大魔征伐』と呼ばれるに至ったあの戦いでも感じるには至らなかった、体温を感じない足音。かつてバラックの古城で何度となく聞いたあの音が、もうすぐ近くにまで迫ってきている。
死ぬことは別に怖くない。最後の最後まで理想を目指して前のめりに死ねたならそれはそれで自分らしい終わり方だと胸を張れるし、今ここで逃げ出して生き延びてしまう方がよほど恐ろしい。一度でも理想から目を背けてしまった自分にいったい何が残るのかなんて、ちっとも想像が付かないのだから。
ただ、今ここで死ぬのだけは話が別だ。自分の姿形をした自分ではない何かが死後にこの世界を練り歩くなど認められない。戦場を死に場所にする覚悟自体はあっても、今ここで死ぬことだけは勘弁願いたかった。
逃げたくない、死にたくない。だからここを勝ち抜くしかない。けれどどうやって。堂々巡りする思考は一向に結論へたどり着かず、意識を繋ぎとめる根性にも少しずつ綻びが見え始める。――それでも、人形たちが向かってくるなら迎撃はしなくちゃならなくて。
「……魔剣、よ」
掠れた声で愛剣を呼び、再び地面へと突き立てるために軽く掲げる。古城での戦い以来沈黙を守るあの魔族は、今の自分を見て何を思うのだろうか。頭によぎったそんな戯言を、アネットはすぐさま振り払おうとして。
――ようやく私の事を思い出したか。名乗りも済ませず別れてしまった私にも責任はあるが、少し魔剣の所有者としての自覚が薄いのではないかね?
「……へ、えッ⁉」
三度目の光の嵐が解き放たれると同時、半年ぶりの低い声が脳内に響く。それが完全に予期せぬ者であったことは、これ以上ないほどに思い切り裏返った声がはっきりと示してくれていて。
――だがまあ、それ以上に価値あるものは見せてもらった。さて、そろそろ勝ちに行こうじゃないか。
そんな驚きも意に介することなく、その声はアネットの勝利を宣言する。――どこかから吹いた一陣の風が、すっかり土埃に塗れてしまった銀髪を大きく揺らした。
次回、対人形戦クライマックスです! まだまだ謎の多い魔剣とアネットの関係がこの戦いにどんな終止符を打ってくれるのか、ぜひお楽しみにしていただければ幸いです!
――では、また次回お会いしましょう!




