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第五百七十三話『マルクの修復術』

皆様、長らくお待たせいたしました……! ここから投稿ペースを上げていきますので、ぜひお楽しみいただければ幸いです!

 影が消え、開けた視界の先には見覚えのある一室の風景が広がっている。人でも魔獣でもない怪物を観察するために作り上げた、簡易的な俺たちの要塞。――そういや、一応の退避場所としてツバキが準備をしていたっけか。


 そんなことを考えている間にもふくらはぎからは血がとめどなくこぼれ、身体の芯がじりじりと冷えていくのが分かる。急所を撃ち抜かれなかっただけでも十分幸運だとはいえ、完全に回避できない自分の身体能力を恨めしく思うばかりだ。


 ただ、それでもどうにか喫緊の危機は去った。状況は芳しくないが、それでもまだ立て直せるだけの余地はリリスたちが作ってくれた。今やるべきことは自分の無力を嘆く事なんかじゃなく、リリスたちと一緒にこの状況を打破するための糸口を見つけ出すこと、で――


「……え?」


 そう考えて視線を上げて、俺はようやく気付く。リリスがぐったりと宿の床に横たわる、明らかに異常な光景に。……その傍に屈みこむツバキの表情が、見たことないほどに険しいものへ変わっていることに。


「リ、リス……?」


 頭によぎった最悪の可能性を必死に振り払いながら、俺は這うようにして二人の下へと向かう。リリスに限ってそんなことがあるわけはないと頭では分かっていても、胸のざわめきは収まるばかりかどんどんと大きくなるばかりだ。


 嫌だ、そんなことがあっていいわけがない。だって最後に見たリリスの表情はとても誇らしげで、五日の焼き直しのような問いを堂々と否定したその後ろ姿は何よりも大きく見えて。……だからこそ、今目の前にある弱々しい姿が無性に不安を駆り立ててくる。


「大丈夫、大丈夫だよな……?」


 呪文のように繰り返しつつ、俺はリリスの顔を恐る恐る覗き込む。見てしまえば最悪の未来が確定してしまうかもしれないけれど、かと言っていつまでも目を背けるわけにはいかない。どこまで行っても、俺にできることは信じることだけなのだから。

 

 覚悟とも割り切りとも言い切れないものにそんな結論を促されて、俺はやけに小さく見えるシルエットをまじまじと見つめ続ける。……それに対して反応が返ってきたのは、十秒ほどの間をおいてからの事だった。


「……マルク?」


 床の方を向けられていた視線が俺を捉え、小さく開いた口がか細いながらも俺の名前を呼ぶ。明らかにいつも通りではないが、それでもリリスは確かに生きている。――ただそれだけで、俺の胸の底に溜まっていた濁りは嘘のように解けていった。


「……良かった、ちゃんとここまでこれたのね。それなら、ちょっとばかり無茶をした甲斐があるわ」


 舌足らずな言葉を紡いで、リリスはどこか儚げな笑みを浮かべる。何かあっただけでふっと消えてしまいそうな、弱々しい表情だった。その変化こそが、リリスがしたという『無茶』の代償をこれ以上なく物語っているように思えて。


「ちょっと?……その物言いは聞き捨てならないよ、リリス」


 心臓を強く握られるような痛みを覚える俺の隣で、ここまで無言を貫いてきたツバキが剣呑な声を上げる。何かを訴えるかのように両肩を掴んだその両手は、少し霞む視界の中でも分かるぐらいはっきりと震えた。


「確かにとてつもない危機だったさ、多少なり無茶をしなくちゃあの状況を切り抜けるのは無理だった。……だからと言って、それは明らかにやりすぎだと思うんだよ」


「……そうね、それは否定できないわ。だけど、それ以外の方法を思いつけなかったの」


「だ……っ、だからと言って君がこうなるんじゃ意味がないだろう⁉ 今こうして話せているからいいけど、マルクも助けられたから結果的に良かったけれど! もし一つでもズレてたらボクは、ボクは……‼」


 そこで言葉を詰まらせ、ツバキは何かをこらえるように俯く。リリスの服の上にぽたぽたと水滴が零れて、たくさんの小さなシミを作った。


「ごめんね、ツバキ。……不安にさせてしまったわよね」


「ああ、不安だったさ。キミと離れ離れになった時の事件の事を思い出したよ」


 お互いに視線を合わせないまま、しかし柔らかい口調で二人は言葉を交わす。きっとそれは『夜明けの灯』のメンバーとしてではなく、長く一緒に戦ってきたコンビとしての会話だ。俺が割って入る余地はしばらくないし、スピリオもそれをくみ取って静かに見守ってくれている。……リリスとツバキの間に結ばれた関係の全てを知ることは、二人以外の誰にだってできないことだ。


「約束するわ、もう二度と同じ無茶はしない。……正直、こんな短距離でここまで負荷がかかるとは思ってなかったし」


「ぜひともそうしてくれ。……二度も相棒と別れるなんて、そんなことは死んでも御免だからね」


 そんなやり取りを決着として、ツバキはゆっくりと顔を上げる。その視線がまっすぐ俺を捉えた時、出番が来たのだと俺は本能的に感じ取っていた。


 結局のところ、リリスが何をやったのか俺にはまだ理解しきれていない。ただ、リリスの魔術神経が致命的に損傷していることだけは分かる。後で詳しく事情を聴かなくちゃいけないにしろ、今はそこがはっきりしていれば十分だ。


「ごめんねマルク、君もキツい状況なのは分かってるんだけど――」


「分かってる、今はリリスの修復が最優先だ。それが出来ないことには俺の傷も塞がらねえからな」


 首を横に振ってツバキの言葉を遮りながら、俺はリリスの手を取る。傷は今も痛むし耳鳴りは毎秒酷くなるばかり、視界が霞むばかりか少しずつ眩暈もしてきている。ただ、それでも修復術を使うには十分だ。リリスに触れることができたなら、それ以外の五感は一切必要ないのだから。


 目を瞑り、意識をリリスの体内に走らせた魔力へと集中させる。記憶が戻ったことによる変化のほとんどは俺に悪影響しか与えてこなかったが、修復術の精度が上がったことだけはせめてもの救いだ。……こんな状況にあっても、修復術はしっかりリリスの置かれた状況を俺に教えてくれている。


 はっきり言って、『酷い』という言葉でも不十分なぐらいの大惨事だ。体中の魔術神経が寸断され、魔力の巡りが極端に悪くなっている。リリスと初めて会った時……いや、それ以上の損傷と言っても何も大げさじゃないし、これを『少しばかりの無茶』だなんて言っていいわけがない。


 本来ならば魔術師引退、それどころか一般人として暮らすことすら難しいほどの損傷だ。循環できずにとどまり始める魔力はいずれ毒となり、リリスの身体を今以上に蝕んでいくだろう。……このままの状態じゃ、きっと長くは生きられない。


「……繋げ、繋げ」


 そんなことを考えながら、俺はありったけの魔力をリリスへと回す。たとえいずれ死に至るほどの損傷なのだとしても、それを捻じ曲げることが出来るのが俺の魔術だ。千切れたものを一つ一つ繋いで、結い合わせて、馴染ませて。そうやって、俺はリリスを修復する。


 血も魔力も体から抜けて、だんだんと自分が空っぽになっていく感覚が強まっていく。ただ、そんな状況さえもリリスの現状と比較したら可愛いものだ。まだ魔力は操れて、何をするべきかははっきりと分かる。……そんな状況で、どうして俺が泣き言なんて言える物か。


「もっと、もっとだ……!」


 魔力を通じて伝えられる損傷具合の一つ一つを把握して、適切な量の魔力をそこへ送り込む。出来る限りのスピードで、けれども決して見落としの一つもないように。魔術を振るうとき、いつかの傷が脳裏によぎることがないように。これからもリリスが全力で『魔術師』で在れるように、技術のありったけを尽くす。


 そんな時間が、一体どれだけ続いただろうか。キンキンとうるさい音が耳元で鳴り、嗅覚は足から零れ落ちた血の匂いを当てつけの様に届けてくる。無意識に漏れる呼吸はいつの間にか不規則になっているし、一度力を抜いたら再び起き上がれる保証はなかった。


 ただ、それでも修復術の大部分は完了した。後は最後の総仕上げ、修復が体に馴染むための最後の一押しだけだ。……後言葉一つを正しく紡ぐだけで、リリスの損傷は完全に回復する。


 それはきっと想像以上の横紙破りで、だからこそ師匠たちはあの里の中でとどまらせることを選んだのだろう。あの時は理解できなかったししたくもなかった考え方も、今なら少しは理解できる。……それと納得することはまた別問題だし、里の人間を許すつもりは毛頭ないのだが。


 だから、これは一つの反抗だ。俺の行為が里の考えを台無しにするものだと分かった上で、俺はこれからも修復術を振るい続ける。どこかの誰かが言い出し始めた理想論なんかより、今目の前で苦しんでる仲間の力になる方がよっぽど大切に決まっているのだから。


「……お前らみたいには、なってたまるかよ」


 クライヴや里の奴らの姿を瞼の浦に思い浮かべて、俺は小さくそう言い捨てる。育ててもらった恩はあるし楽しい思い出だってないわけじゃないが、それは『今の』俺にとってはどうでもいいものだ。……『あの子』には、もしかしたら謝らないといけないかもしれないけれど。


 だからせめて、あの時と同じ間違いだけはしない。もう手放さない。絶対に、最後まで一緒に歩み切って見せる。……その道中で、多少なりの代償を払う事があるのだとしても。


「……これで、どうだ‼」


「…………ッッ、あ……‼」


 万感の思いを込めて叫び、俺は修復の仕上げを完了させる。それに呼応するかのようにリリスの口から呻き声が零れたその瞬間、俺の身体がぐらりと傾いていくのが分かった。


 リリスが身震いしているのが繋いだ手を通じて分かるが、そこに意識を回すだけの余裕はもう残っていない。魔力も血も流し続けた身体が『さすがにもう限界だ』と声高に訴えている。


 だが、不思議と不安はなかった。やるべきことはやったのだと、そんな満足感だけがあった。二人には心配をかけてしまうかもしれないけれど、死の経験だけはやたらと豊富になった俺には分かる。……これはただ、身体が休息を求めているだけなのだ。


 繋いだ手からも力が抜けて、俺は宿の床に倒れ込む。ツバキたちの声が聞こえてはくるが、その中身を理解するだけの頭はもう残っていない。張り詰めた集中の糸がほどけていくのに従い、俺の意識は穏やかな満足感を伴って暗闇の中へと落ちていく。


――こんな経験も久しぶりだなと、ふと思った。

 お久しぶりです、紅葉紅羽です! 改稿以外の投稿を行うのは久しぶりと言う事でかなり緊張しているのですが、楽しめていただけたでしょうか? 一つの難局を抜けたリリスたちにいったい何が待ち受けているのか、次回もぜひともお楽しみにしていただければ幸いです!

――では、また次回お会いしましょう!

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