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第五百七十二話『拮抗の破れる音』

 

 だが、都合のいい奇跡は底で打ち止めだ。仮に敵の動きに気づけたところで、放たれる弾丸を完璧に捌くには奇跡がもう一つは必要になる。……そしてまあ、ここまで散々幸運に恵まれてきた俺にそんな贅沢を言う権利などないわけで。


「あ、ぐあ……ッ」

 

 スピリオもろとも転がるようにして回避を試みるが足りず、俺のふくらはぎを銃弾が派手に抉り取る。視界の縁が赤く明滅し、焼けつくような痛みが思考を揺らした。


 散々痛みは味わってきたはずなのに、いつまで経っても俺はそれに慣れられないままだ。痛みを噛み殺して思考を回せれば、今この時だって拾える情報は色々あるはずなのに。――取り込んだ全ての情報が、『痛い』と叫ぶ本能に塗りつぶされる。


「マルクさん……っ‼」


 そのまま倒れ込みそうになるところをスピリオに助けられ、どうにか最悪の状況は回避する。一度倒れ込めば最後無数の人形に蹂躙され、そのまま二度と立ち上がることは出来なかっただろう。綺麗にかわしきるには足りなかったとしても、俺に舞い込んだ奇跡のおかげで首の皮一枚はどうにか繋がっているようだ。


 だが、それも言ってしまえば一時しのぎに過ぎない。この足じゃ俺は荷物になるだけ、あと数秒もすれば俺たちは揃って人形の行進に呑み込まれる。一難去ってまた一難とはよく言ったものだが、それにしたって難の密度が半端な物ではない。


 だが、それよりも問題なのは白衣の少女を元にした人形がまだ健在なことだ。道具を使う上に言葉も話す以上、アレには最低限の知識がある。……つまり、今の膠着した状況の中で自分の頭を使う手駒がネルードの側には生まれたわけで。


「やっ、ばいな、これは……」


 痛みのピークが終わり、ノイズが晴れていくたびに厳しい状況が露わになっていく。リリスやツバキが劣っているのではなく、ただネルードが常識も倫理も飛び越えた領域にいるが故に起きてしまった状況だ。――確かに少し前まで並び立っていたはずの仲間を人形として起き上がらせたネルードの内心は、きっと俺たちに理解できるものじゃない。


 狂気と、そう呼ぶべきだ。たとえそこに崇高で重大な事情があったところで、それを知らない俺たちからすればネルードの行いは狂っていると言わずにいられない。……踏み越えてはいけない線を、ネルードはきっと何本も踏み越えている。


 一歩、また一歩と迫りくる人形たちを視界に捉えながら、俺は必死に思考を回す。一度止めれば足元の激痛に意識が流れてしまいそうで、そうなったら再起動には時間がかかる。たとえどれだけ疲労を伴うものであろうと、意識がある限り考えることをやめたらダメだ。


 ノイズがかかっても、途切れ途切れになっても。もう痛みのピークは越えたはずだ。なら俺の役割を果たせ、考えて考えて考え続けろ。たとえそれが空転に終わるのだとしても、自分の役割を忘れることさえなければ――


「――消えなさい」


 俺の仲間たちも同じように役割を果たしてくれると、俺はそう信じているからだ。


 リリスの冷たい声と同時、目の前に迫っていた人形の悉くが砕け散る。突如地面から伸びた氷の茨が人形を搦め取り、そして握りつぶしていた。


「ひとまず、命拾いしたか……」


「あんまり喋らないでください、とりあえずあの女から距離を取らないと!」


 深く息を吐く俺の身体を引きずり、俺たち二人は氷の茨によって生み出された簡易的な物陰に潜り込む。仮に銃弾の二発目が飛んでくるんだとしても、ここにいれば直撃は避けられるだろう。


 問題があるとすれば、それもまた一時しのぎに過ぎないことか。破壊された人形は再生を開始し、白衣の少女は未だにこちらを見つめている。破壊の規模が規模だけに再生にも時間がかかっているが、それで稼げる時間にだって限界はあるわけで。


「仲間思いだな。そういうのは嫌いじゃねえよ」


「付き添いを人形にしたあなたに共感されても迷惑よ。――生憎と、私はあなたに少しも共感できないんだから」


 言葉と殺意が同時に交換され、また二人の魔術がぶつかり合う。氷と岩が衝突し、砕けた両者の破片がはらはらと広場に降り積もった。


「――ねエ、このカラだ少シ動イただけで脱臼したのだけれド。思イ当たル原因ヲ頂戴」


「少し待っとけ、フィードバックは後回しだ。……まずは、この状況にカタを付けねえとな」


 どこかぎこちないながらもはっきりとした人形からの問いかけをスルーし、ネルードはリリスへと視線を戻す。一見拮抗しているように見える状況がとても危ういものであることを、あの二人はきっと誰よりもよく知っていた。


 俺の理解はきっとあの二人の二割にも満たない浅い物だろうが、それでも分かることはある。――お互いの魔術が常軌を逸しているからこそ、きっと決着は一瞬だ。


 今はお互いの出力が相殺し合っているからいいものの、どちらかが受け止めきれなかった瞬間にとてつもない規模の魔術が直撃する。どれだけ才能があったとしても、それと肉体の強度は無関係だ。魔術が直撃することすなわち戦いの決着だと言ってもここでは何ら過言ではない、それぐらいの戦いが俺の目の前で展開されている。


 ふくらはぎにできた傷からは今も血が零れ、だんだんと貧血気味になった身体が視界を霞ませてくる。だが、それでも顔を上げることをやめたくなかった。……リリスたちの戦いを見ておかなければならないと、俺は強引に倒れ込みそうになる身体に鞭を打っている。


 歯を食いしばり、気を抜けば遠のいていきそうな意識の糸を目一杯の力で手繰り寄せる。そうやっている間にも魔術は二、三と衝突を繰り返し、それでもなお戦況は互角のままだった。


 だが、かと言って噴水広場の戦い自体が停滞しているかと言われれば答えは否だ。二人が魔術をぶつけ合う間にも状況は変化している。俺たちにとって、都合の悪い方に。


「……人形、が」


 微かに震えたスピリオの声が聞こえ、俺は決定的な瞬間が来たことを悟る。いつかは来るものだと思っていたし、今までを考えればむしろ遅すぎるぐらいだ。……だが、それも限界があるという事なのだろう。


 再び人の形を成した石人形は二本の足で立ち、茨を掻き分けながらこちらへと迫ってくる。力を籠めすぎて腕がもげようと構うことなく力づくで進むその姿は、到底人間のそれではなかった。――仮に不老不死が実現したとして、茨を躊躇なく引きちぎって前進できる人間がそう何人もいてたまるものか。


 パキパキとガラスが砕けるような音を立て、一歩ずつ確実に人形の群れは俺たちに迫ってくる。もう一度砕くこともリリスなら容易いのだろうが、事この拮抗した状況でそれをするのはあまりに大きすぎるリスクになり得る。……俺の方に意識を割いたその一瞬、ネルードへ割ける警戒が薄くなるのはどうしようもないことなのだから。


「さあ、そろそろ終わらせようぜ。お仲間の命か自分の命か、好きな方を選んでくれよ」


 そしてそれはネルードも理解するところで、リリスに投げかけられた問いには悪意が満ちている。やはり同じ組織にいると考え方の質も似てくるのか、その問いは古城でアグニが投げかけた物にも似ていた。


 突き付けられた両天秤、一つを選べばもう一つは取り落とすことになる。その問いは確かに一度リリスを答えに詰まらせ、ままならない状況の中に陥れた。仮に問いに答えが返されなかったところで、それがもたらす迷い自体がこの戦いの中では致命的だ。思考に一瞬の間隙を作れれば、それに付け込んで押し通るだけの力をネルードは持っている。


 ただ趣味が悪いだけの問いに見えて、その裏には確かな打算がある。それは決して間違ってもいないし、事実リリスだって頭を悩ませたことのある問題だった。――ただ、ネルードは少し不運だったのだ。


「選ぶ? ――何馬鹿なことを言ってるのよ」


――あの古城の戦いから既に六か月が経過していること。たったそれだけが、ネルードの問いが不発に終わる原因になってしまうんだからな。


 不遜に笑い、リリスはネルードの問いを撥ねつけるように手をまっすぐ伸ばす。その手を天高く掲げながら、足元に作り上げた氷の足場が思い切り踏みつけられた、その直後。



「私たち全員が揃って『夜明けの灯』よ。――どちらか一つしか選べないって前提からして、その質問は間違ってるわ」



 堂々としたリリスの返答が、俺のすぐ隣から聞こえてきた。


「……は、あッ⁉」


 そう答えるのは最初から信じていた、だがそれに伴って起きた現象への理解が追いつかない。ついさっきまでリリスはネルードの正面にいたはずで、そこから俺のところまでは決して短くない距離があって、それで。……それで、何が起きた?


 俺が状況を呑み込むよりも早く、リリスの両手が俺とスピリオに触れる。――その次の瞬間、俺たちの目の前にはツバキが居た。


「リリス、まさか君……‼」


「話は後よ! ツバキ、影をお願い‼」


 何かに気付いたらしきツバキの言葉を遮り、リリスは絞り出すように言葉を紡ぐ。その額には玉のような汗が浮かび、眉間には深いシワが刻まれていた。


「……分かった。後でしっかり話はさせてもらうからね」


「ええ、それでいいわ。――これが私の答えよ、ネルード」


 ツバキに頷きを返し、リリスは激戦を演じた敵へと向き直る。不敵に、不遜に、そして誇らしげに。影の球体が周囲を覆っていた中、最後まで視線を外すことのないまま。


「それじゃあ、少し後に会いましょう。あなたが間違ってるってこと、また教えに来てあげるわ」


「――『影渡し』」


 リリスの宣戦布告と、ツバキの式句が重なって響く。――その直後、俺たちを包み込んだ影は音もなく噴水広場を離脱した。

 次回、第六章は新展開に突入します! だんだん極まり始めた戦況の中、それぞれの陣営はどの様に動いていくのか! ぜひお楽しみにしていただければ幸いです!

――では、また次回お会いしましょう!

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