第五百七十話『今再びの証明を』
砕け散った氷の墓標を背にして、ネルードは二本の足で堂々と立つ。あれだけの総攻撃を食らっても立っていられること自体異常事態ではあるが、いち早くリリスの目を引いたのはそこではなかった。
角が伸びているのだ。右の側頭部から一本、弧を描いて湾曲する巨大な角が。両方ではなく右側からだけ生えているその歪さも相まって、リリスはどうしても魔兵隊の事を思い出さずにはいられなかった。
目の前から感じられる魔力の気配は今も膨れ上がり続け、目の前に立っている存在が只の人間でないことをこれでもかと主張してくる。……あそこに立っているのは、人でも魔物でもない『何か』だ。
「……クソ、最悪の気分だ。オレもアイツも頭捻ってあれこれ考え続けてきたってのに、最後の一押しは故郷の力を借りなくちゃいけないなんてよ」
ネルードが一歩こちらに近づくたびに、その姿が鮮明さを増していく。その体に起きた異変が角だけではないのだと、そう気づくまでにあまり時間はかからなかった。
「でもまあ、一応『ありがとう』って言っといてやるよ。オレの実験が成功するにしても失敗するにしても、お前たちぐらい強い奴が居てくれた方がいい。実験台が弱いせいで証明にケチが付いたらたまったものじゃねえしさ」
肩を竦め、ネルードは笑う。その身体が異形へ変わってもなお、瞳には知性の光が宿ったままだ。理性を失い本能のままに戦う魔兵隊たちとはまた一線を画す存在だと、内心リリスは確信する。
「後ろにいる影の嬢ちゃんも、離れて見てるそこの男子二人組も、せっかくだから立ち会ってくれよ。一人でも壁は多い方がいいし、実験体は沢山いるに越したことはない。オレの――オレたちの人生を賭けた証明なんだ、絶対失敗するわけにはいかねえからな」
「……ッ」
おどけた様子を見せながらも、その言葉に躊躇いはない。身体に起きた変化に苦しむ様子もなく、寧ろくるくると回りながらネルードはツバキたちに呼びかけていた。
「お断りさせてもらうわ。証明なんて小難しいものに付き合ってる暇はないの」
反射的にそう応え、分厚い氷の剣をもう一度構える。それと同時に武装たちも背後に充填され、ネルードを迎撃する準備は万端だ。これほどまでに膨張した魔力の気配を放置していいはずがないと、リリスの本能が吠えている。
ベルメウで感じた災害のような強大さから見れば格は落ちるが、その代わりに今のネルードには理性がある。荒ぶり膨れ上がる魔力に呑まれるのでなく、それを制御した上でリリスと相対して見せている。――遠くで見ているマルクたちをも巻き込むと、そう宣言した上で。
意志が介在してしまった以上、それは災害ではなく敵だ。打ち倒しうるものだ。それが害をなすものなのであれば、この剣を持って切り伏せるほかに方法はない。
「――氷の下に帰りなさい‼」
凍り付いた地面を蹴り飛ばし、極限まで姿勢を低くしてリリスはネルードへと肉薄する。魔道具は既に砕いたが、その代わりと言わんばかりに発達した両腕をかいくぐらなければ直撃させるのは難しいだろう。一度出し抜かれた身として、今度こそあらゆる手段を想定した上での力押しをしなければ――
「手荒なご参加ありがとよ。――それじゃあ、ここからは証明の時間だ」
回避もせず、迎撃の姿勢も取らず。ただ片手を胸に当ててネルードは軽く礼をする。これより始まる舞台の主演が、観客に向けてするように。これより先は己の時間だと、そう主張するかのように。
――そしてその直後、リリスの足元が一瞬にして爆ぜた。
「ぐ……あッ⁉」
突如襲った突き上げるような衝撃に跳ね上げられ、リリスの身体はくるくると宙を舞う。どうにか姿勢を整えて地面を見下ろせば、リリスが張り巡らせた氷の床が粉々に砕け散る光景が視界に飛び込んできた。
アレは石畳の操作を抑制するための一手、言うなれば巨大な蓋のようなものだ。先ほどまでの戦いではある程度の効果を発揮してくれていたが、今やもう力不足らしい。リリスの魔術を真似るかのように石畳は武装へと形を変え、広場全体からネルードの手元へと引き寄せられている。
しかし、そこまではまだいいのだ。それと並行して怒っていることに比べれば、剣や槍が何本生えて来ようと知ったことではなかった。街の石畳程度でリリスの氷が撃ち負けるはずもなく、精度勝負に持ち込めれば一つ残らず撃墜することも可能だろう。
今こうしている間にも増殖している石造りの人形を無視すれば、の話だが。
石畳の欠片が、戦いの中で破損した建物の破片が、あるいは店先に置かれていた売り物や家具の類が。果てには今砕かれた氷すらも原材料として、噴水広場のあちこちに人を模したシルエットが形成されていく。その体の中には魔力が流され、人そのものかのように手足を動かしている。
「魔兵隊の死体が残ってたらもう少しマシな体も作れたんだろうけどな。お前が粉々にしちまったせいでこれぐらいの身体しか作ってやれねえんだわ」
広場のあちこちで立ち上がる人形たちを見つめていたネルードの視線は、最終的にリリスの全身を捉える。子供ほどの大きさの人形を何体も従えて、ネルードは凶悪な笑みを浮かべた。
「不老不死の証明、ラウンド2だ。……相手すんのに疲れたら、自分から素材になってくれたっていいんだぜ?」
「……相変わらず、趣味の悪い魔術ね……‼」
とことん自分は不老不死と縁があるのだと、リリスは改めて再確認させられる。どれだけ否定しても生まれ続ける欲求こそが不老不死なのではないかと、そう吐き捨ててやりたい気分だった。
だが、そんな謎かけで奴らが満足するはずもない。奴らが満足する瞬間があるとすれば研究が成果を伴った時だけ、すなわち不老不死が叶った時だけだ。……逆説的に言えば、不老不死を目指す研究者は決して満足することがないという事になるだろうか。
数多の素材でできた仮の肉体は歪な物で、人形たちは自らの性能を確かめるかのようにカタカタ音を立てて体を動かしている。その歪さまで含め、人形は今のネルードそっくりだ。
「んな失礼な事言ってくれるなよ。これはオレの人生の証、積み重ねてきた研究の成果だ。何の事情も知らねえお前に文句を付けられる筋合いはねえ」
「あらそう。……なら、また氷漬けにしてあげるわ」
売り言葉に買い言葉、お互いの主張をぶつけ合いながら両者は戦闘態勢に入る。ネルードは口元でぶつぶつと言葉を紡ぎ、リリスは手にした氷の剣を投げ捨てた。
物理的な衝撃に強いのならば、剣などただの重りでしかない。前よりも戦場は広く、展開されている人形の量も倍以上はあるだろう。それでいてマルクたちもいるとなれば、考えることはベルメウよりもよっぽど多くなる。……いざとなれば、逃走だって視野に入れなければならないだろう。
(……優先順位、間違えちゃいけないものね)
まず第一に三人での生存、ネルードの撃破は二の次だ。不老不死など馬鹿馬鹿しいにも程があるが、三人で生きている限り否定の機会は巡ってくる。あくまでこの舞台は身勝手に作り上げられたもの、最後まで見届けてやる義理などどこにもない。
「――命無き者に、不死の祝福があらんことを」
大事なことを再確認したと同時、ネルードがひときわ大きな声で最後のフレーズを口にする。――それを待ちわびていたかのように、広場に生まれた人形たちは音を立てて動き出して。
「……皆、危なくなったらすぐに私を呼んで頂戴!」
その標的がリリス以外にも向いていることを悟り、声を張り上げながらリリスは迎撃態勢へと移行する。第二幕となる噴水広場での戦いは、人形の身体が擦れ合う乾いた音とともに幕を上げた。
不老不死と縁が深いリリスですが、それに対するスタンスも少しずつですが変化しているようです。まあ肯定していないことには変わり在りませんし、これからもそれが揺らぐことはないのでしょうが。異形へと変じたネルードとの闘い、ぜひお楽しみいただければ幸いです!
――では、また次回お会いしましょう!




