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第五百六十九話『バトンタッチ』

 地面はリリスの張り巡らせた氷におおわれており、石畳を操ろうとしてもとっさには反応できない。それ故ネルードの落下を受け止める物はなく、派手な音を立ててその体は墜落した。


 それだけで常人には十分すぎるダメージではあるが、ネルードが常人の域を外れたところにいるのは自明の理だ。第二第三のクラウスを生み出さないためにも、確実に命まで摘み取っておく必要がある。


「氷よ」


 装填しておいた無数の武装に命じ、ネルードが落下した地点を追撃させる。様々な武器に形を変えた殺意は一瞬でネルードへと着弾し、広場に氷の墓標を作り上げた。


「……次は」


 その様を見届けるや否や、リリスは視線を背後へと向ける。その視線の先にいたのは、この戦いに立ち会いながら傍観を貫く白衣の研究者だった。


 見たところ戦線に出るタイプには見えないが、ベルメウの一件で転移魔術を使える手合いであることは字確定している。加えてあの厄介な魔道具の製作者ともなれば、特に慈悲をかける理由も思い当たらなかった。


「……これは、ちょっと想定の範囲を超えてるわね」


 リリスの殺意を正面から浴びる少女の口調は、しかしどこか達観したようなものだ。余裕を失っているようにも諦めているようにも見えず、ただ状況を淡々と受け止めているかのような。ある種研究者らしい態度、とも言えるだろうか。


 それを見て無性にイラついてしまうあたり、やっぱり研究者と言う生き方をリリスは受け入れられないのだろう。この世界の全てを解き明かされるための謎としてしか見ていないような在り方を否定したくて、打ち砕きたくて仕方がない。


 そんな研究に人生を捧げなければ、どこかで諦めを付けることが出来ていたなら。そんなことを想像すらせずに己の使命に殉じた人間の最後をリリスは知っている。……不老不死なんていいから、ただ少しでも長く、育ての親らしく出来る限り一緒にいてくれるだけでリリスは十分救われたのに。


(……なんて、ね)


 その在り方を『自分勝手』だなんて糾弾しようとして、その口からかすかな笑みが代わりに漏れる。たった一人を救い出すために帝国にまで乗りこんだ挙句大量の犠牲が出たってかまわないようなリリスだって他から見れば自分勝手で、それを振りかざされる側から見ればたまったものではない。自分が正しいと思った事以外をどうでもいいと切り捨てているのだから、リリスがやっていることはあの親と、もっと言えば研究者とだって同じだ。


 なら、そうと分かってなお不快感が消えないのはどうしてか。ここまで色々と御託を並べてはみたが、最終的には簡単な言葉に収束した。そう、すなわち――


「――気に入らないのよ、その態度」


 単純な話だった。きっとリリスの在り方と研究者の在り方は違いすぎて、それを受け容れることをリリスは本能的に拒んでいた。……研究院に出入りするようになった今でも、それは多分変わっていない。


 受け入れられない、認められない。リリスにとって大切なものでさえも研究対象としてみるようなその眼が。生きてきて積み重ねてきたものを、全て己の好奇心と言うフィルターを通してみようとするその姿勢が。ただエルフであるというだけで、数々の研究者が目の色を変えてきた事実が。


 全部全部、気に入らない――


「氷よ」


 腹の底から突き上げてくるような衝動に身を委ね、リリスは虚空に氷の武装を編み上げる。一緒に転移してきた者同士お揃いの墓標を作ってやろうと、そんな皮肉に塗れた趣向を凝らしながら。


 白衣の少女はただ茫然とそれを見つめているばかりだ。それが諦めに拠るものなのか、何かしらの好奇心を刺激した結果なのかは分からない。どちらにせよ、避けずに大人しく喰らってくれるならそれだけで十分だった。


 腕を振るい、装填された武装を一斉に発射する。形も大きさも違う様々な殺意が降り注いで、あらゆる抵抗を否定しようと襲い掛かる。それらの後を追うようにしてリリスも宙を蹴って加速しており、追撃の準備も万端だ。


 手心を加える気は一切ない。目の前に敵として現れた以上、抵抗する気がなかろうがここで殺す。ウーシェライトの時の過ちを繰り返さないよう、周囲の警戒だって欠かさずに。大丈夫だ、この周辺に援軍の気配は見えない。この二人さえ完全に殺しきってしまえば、噴水広場の戦いはそこで終結する。


「ほんっと実践って何が起こるか分かったもんじゃないわね。そりゃまああーしとしても、失敗の可能性は一応予測してたわけだけど」


 距離が詰まっていくと同時、少女の気怠げな呟きが聞こえる。相変わらず真意の見えない、不気味な呟きだ。目の前にまで死が迫っているというのに、その声には恐怖の欠片一つ見えなくて。


 不気味だと思った。きっと己よりも年若いこの少女は、死を前にして一体何を考えているのか。きっと尋ねても答えは返ってこないし、研究者の理想なんて大体リリスには理解しがたいものだ。……だから、出来ることと言えば一刻も早くその命を終わらせることしかないわけで――


「せ、やああああッ‼」


 雨の如く降り注ぐ氷の武装に混じり、リリスは研ぎ澄ませた一撃を心臓目がけてまっすぐに突き込む。回避行動など当然間に合うわけもなく、いっそ拍子抜けするほどあっさりと剣は少女の身体を貫通した。


「か、ふ」


 口から血が零れ、きゃしゃな体が歪に折れ曲がる。骨が折れる鈍い音とともに、小さなシルエットが地面に崩れ落ちた。


 この少女に戦いの経験など微塵もないのだろうと、この瞬間リリスはようやく確信する。びっくりするほど無抵抗なのは策があったからではない、照準を合わせられた時点でそれを回避する手段が一つもなかったからだ。今貫いたこの体は、びっくりするぐらいに脆かった。


 この少女は生粋の研究者だ。戦う事なんてきっと考えたこともない、あまりにも弱い存在だ。ベルメウで交戦せずに転移したのも、単純にそれ以外の余地がなかったからに過ぎない。マルクですら御せてしまうほどに、その在り方は戦う事に向いていなかった。


 だが、その事実は同時に別の事実も導き出す。とても戦場に出してはいけないような存在がどうしてここに立ち、リリスたちとの戦いをただ見守っていたのか。色々と理屈を捏ねることは出来るだろうが、どんな経路をたどろうと最終的な結論はただ一つだ。


「……まさかあーし自ら実験体になる日が来るとは思わなかったわよ、心からね」


――そうでもしなければ研究できないものがそこにあるから、それだけだろう。


 血とともに微かな呟きが零れ、その右腕が僅かに動く。それが伴なう微弱な魔力の気配に、リリスの背筋がゾワリと震えた。


 すでに致命傷を負った体に追い打ちをかけるかの如く、氷の武装は容赦なく少女の身体を穿っていく。だが、それでも少女の身体から白衣が離れることはなかった。それこそが己の証明なのだと、そう言い張って止まないかのように。


「……この天才を、糧にするんだから。……あーたの理想、叶えて見せなさいよ」


 氷の雨が少女を埋め尽くしていく中で、少女は最期の言葉を残す。悔恨でもなく絶望でもなく、誰かの背中を押すかのような言葉を。ただ未来だけを――己の命を材料にした研究の結末を見据えた、毅然とした言葉を。


 少女が想いをたくした『あーた』が誰なのかは考えるまでもなくすぐに分かる。十分な追撃をしたという自負があっても、それ以外の候補はいない。なぜなら、少女は『彼』と共にこの地へと降り立ったわけで――


「……イディアルの嬰児、ネルードが告げる」


「……まあ、そうなるわよね」


 リリスの背後、氷の墓標の内部から爆発的に広がる魔力の気配を感じ取り、リリスは小さく息を吐く。最後に放った魔術が何だったのかは分からないが、アレがネルードに向けられたものなのは間違いない。その事実を確認した瞬間、氷が砕ける音が噴水広場に響き渡って。


「言われなくてもやってやるよ。……それだけが、オレの存在意義だ」


 口の中に溜まった血を吐き捨てて、ネルードは乱暴に少女からのバトンを受け取った。

 と言う事で、対ネルード戦もここからがクライマックスです! お互いに背負うものがある戦い、ぜひお楽しみにしていただければと思います!

――では、また次回お会いしましょう!

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