第五百六十八話『悪意を呑み込むモノ』
二つの軍勢に挟まれるマルクの姿を上空から発見した時、リリスは思わず怒りに呑まれそうになった。それが敵であろうと味方であろうとマルク以外消し飛ばして、それから話を進めればいいなんて考えが頭をよぎった。最後の最後で理性がブレーキを掛けたのか、帝国の面々には脅しをかけるだけにとどまってしまったが。
今ふつふつと湧き上がる衝動は、ちょうどその時の物と似ていた。それが命じるままに生み出される氷の剣は普段より分厚く、装填される弾丸は最早砲弾かと思えるほどだ。撃ち抜くではなく吹き飛ばす、そんな表現を使った方がよほど正確に武装の持つ暴力性を表現できるだろう。
口を開いてから0.5秒、ネルードが引き金を引くよりも早くリリスの武装は完成した。浸透よりも『侵食』と呼んだ方がよほど相応しいその広がりは、今までのリリスと一線を画している。
その変化が持つ異様な気配を感じ取ったのか、ネルードは無言のままで魔弾を打ち放つ。しかし、その僅かな遅れが致命的だった。――今のリリスにとって、魔弾など回避に値しないのだから。
ガラスが割れるような音が響き、空中に浮かぶ一枚の氷にヒビが入る。しかしいつまで経ってもそれが砕ける様子はなく、盾となった氷は宙に浮き続けていた。
「……受け止め、られた?」
「そうよ。理解が遅いわね、あなた」
ネルードの推測に迷いなく肯定を返し、リリスは地面を思い切り踏みつける。瞬間、リリスを中心に薄く広がった氷の波が噴水広場を覆い尽くした。
並大抵の魔術師が見れば卒倒しそうな規模のそれに見向きもせず、リリスは地面を蹴り飛ばす。当然のように炸裂した風がその背中を押し、瞬きの間もなくネルードの懐へと飛び込んでいった。
「く、お……ッ⁉」
咄嗟に変形した魔銃が大剣の一撃をどうにか受け止めるも、衝撃を殺し切れず後方へと吹き飛ばされる。それを確認するや否やリリスも跳躍し、クルクルと回転するネルード目がけて追撃を放った。
高速回転している状態では当然盾など扱えるはずもないが、主を守るかのように飛び込んできた巨人の腕がすんでのところで剣戟を受け止める。背後ではもう一体の巨人も拳を構え、結果的には挟み撃ちの形だ。
あれほど回転しながらでも正確に巨人を扱えるのは想定外、素直に魔術師としてのネルードの優秀さには舌を巻かずにはいられない。魔術そのものが複雑なことも含め、そのポテンシャルはリリスたちと比較しても大差ないと言ったところか。
――だが、それがどうした。
背後に迫る拳を察知しながらも黙殺し、リリスは巨人との打ち合いに意識を集中させる。あっちにどんな狙いがあろうとも、リリスの出来ることなんて最初から一つだけだった。
「邪魔よ」
巨人を正面から睨み、敵意に満ちた言葉を叩きつける。……変化が訪れたのは、その瞬間のことだ。
剣を受け止めていた腕が音を立てて凍り付き、その直後に破砕音を伴って打ち砕かれる。それによって挟撃体制は崩壊し、背後から迫っていた拳はリリスの後頭部スレスレで空を切った。
空中に氷の足場を築き、ゆっくりと落下し始めたネルード目がけてリリスは再度加速する。剣こそ携えているが、その在り方は獣と呼ぶのが相応しいものだ。
「んだよお前、いきなり人が変わったみたいに……‼」
「気にしなくていいわ。あなたには何一つ関係のないことだもの」
驚愕の表情を隠し切れないネルードに対し、リリスの振る舞いは淡々としている。リリスたちを傷つけんとする敵がどんな反応を見せたところで、それは今のリリスを揺らがせるものではなかった。
怒っている――と、そう表現するのもいささか不適切だ。頭に血は登っていないし、寧ろ視界が開けて晴れやかな気分だ。きっかけになったネルードには少しばかり感謝しなければならないだろうと、そんな考えまで頭をよぎっている。
だが、感謝するのは全部終わった後だ。命を奪い、ネルードが『敵』でなくなった後の事だ。その時が来るまで、感謝の念は頭の片隅にでも置いておけばいい。
相手の事情がどうであれ、今のネルードはリリスたちの敵だ。どのみち殺し合うしか道がないならば、それが見せる反応にいちいち注意を払う必要がどこにあるというのだろう。
体を捻り、巨大な剣を大上段に構える。影魔術による疑似的な筋力増強までもを利用し尽くして、目の前の命を二等分するための準備が整えられた。
別にこの一刀で決まらなくても構わない。仮にこれが防がれようが次で仕留めればいい、それもダメなら次の次で仕留めればいい。急がば回れなどどこまで行っても妥協の選択肢、まっすぐに突き進むのが結局一番手っ取り早いのが真理なのだ。
『お前さんは少し直情的すぎるな』
さっきも響いた嫌な声が、剣を受け止められたときの嫌な感触がフラッシュバックし、どこまでも強引に突き進もうとするリリスを引き留めようとする。いわばそれは失敗の記憶、まっすぐに突き進んだ結果落とし穴に落ちた時の痛みを繰り返さないためのブレーキだった。
ある意味それは正論だし、力押しを選択した結果失敗した過去は間違いなく存在している。だから一時期は搦め手もできるようになろうと勉強したし、それが魔力や魔術そのものへの理解を深めるきっかけにもなった。
だが、あくまでそれはそれだ。知識を身に着けたことが無駄ではなかったことと、ここで力づくの選択肢を躊躇することはイコールで繋がらない。搦め手の選択肢をはっきり視認した上で、それでもリリスは持って生まれた才能と資質に物を云わせて正面突破することを選択する。
そう、すなわち――
「――ぐだぐだぐだぐだ、まどろっこしいのよ‼」
あの日古城で返し損ねた答えを思い切り叫んで、リリスは氷の剣を思い切り振り下ろす。それは目の前のネルードを撃破するだけでなく、その裏にある悪意すらも切り伏せるための一撃だった。
「何を言ってんだよ、テメエは……ッ‼」
甲高い音が響き、差し出された盾がすんでのところでネルードを直撃から救い出す。然しそれは攻撃を見切ったというわけではなく、ただ直感的な防御が間に合っただけの事だ。どこまでもまっすぐな狙いがネルードの生存本能と噛み合ったことで、奇跡的な防御が成立している。
だが、奇跡だけでリリスの才能から逃れるのは至難の業だ。重力の恩恵も受けて徐々に剣は盾を押し込み始め、その度に魔道具の核が軋むような音を立て始める。魔道具の寿命が迫っているかのようなその光景に、リリスは妙な既視感を覚えた。――さて、どこで見たのだったか。
(……ああ、そういえば)
そうだ、あの時だ。古城でアグニにやり込められて、挙句の果てに吹き飛ばされて。骨も折れて全身に傷を負って、正直意識を失わないで居られたのが奇跡的なぐらいの状況まで追い込まれた。
気を緩めれば今にも切れそうな意識の糸を手繰り寄せられたのは、ツバキが戦っているのが分かったからだ。体術も話術も影魔術も惜しみなく使った相棒の奮闘が何を目的にしたものか、朦朧とした意識の中でもリリスにははっきりと理解できて。
半ば本能的に治癒魔術を自分に施す間にも、ツバキはじりじりと追いつめられていった。その様子は部屋の外からもはっきり見えたから、倒れ込むツバキに銃口を突き付けるアグニの悪辣な表情までリリスは明確に憶えている。
ただ、その後の記憶は曖昧だ。はっきり覚えているのはプツリと何かが切れるような感覚があったことと、その状態で振るった魔術がアグニの魔道具にヒビを入れたことだけ。あの時の意識は『ツバキを助ける』ことだけに集中していて、それ以外のことなど眼中になかった。
どんな魔術の使い方をしたのかもよく覚えていないが、それがアグニを退かせるきっかけになったのは事実だ。その当時の自分が搦め手なんかを使える状態だったかと言われれば、まあそんなことは全然ないわけで。
(なあんだ、最初から答えは出てたんじゃない)
随分回り道をしてしまったことに気づき、リリスは内心で思わず苦笑いを一つ。リリスを窮地に追い込んだことばかりを気にしてしまっていたけれど、そこから脱出するきっかけになったのも結局は力押しだった。
まっすぐ進んだ先に落とし穴が待っていようとも、その穴すら凍らせてその上を駆け抜けてしまえば問題ない。リリスがやるべきはきっとそういう力押し、悪意も策略もすべてねじ伏せるほどに圧倒的な才能の暴力だ。
物事を難しく考えるのは頼れる仲間たちに任せることにしよう。それに申し訳なさを覚えるのならば、二人には出来ないほどの力押しを身に着けて自分だけの役割を果たせばいい。傍には支えてくれる仲間がいるのだから、無理をしてまで弱点を克服する必要なんてどこにもなかったのだ。
ふと浮かんだ既視感はリリスの背中を後押しし、剣に籠められた力をさらに加速させる。まるで悲鳴のような音が魔道具から響いた瞬間、リリスは迷うことなく背後に風の球体を展開して――
「――せ、ええええええッ‼」
風によって加速した刀身が魔道具の核を両断し、渾身の一撃が決死の抵抗を貫通する。その衝撃をもろに受けたネルードの身体が凄まじい速度で墜落していくのを、リリスは視界の真ん中に捉えていた。
回り道の末に原点に帰り着いたリリスの戦い、いかがでしょうか! 最近は色々と器用な振る舞いも増えていましたが、やっぱりこういうのがリリスの魅力なのかなーとか個人的には思っています。真っ直ぐなリリスの力押しは全ての悪意を凌駕できるのか、ぜひご期待いただければ幸いです!
――では、また次回お会いしましょう!




