第五百六十話『迷えるキミへの忠告』
「――とまあ、手順はこんなところかな。後は実行あるのみだよ」
君たちならできるだろうなんて付け加えて、アールは片目を瞑って見せる。魔兵隊の弱点とともに語られた作戦は、確かに決まれば一瞬で戦線を楽にできるだけのリターンを伴っていた。
「……まあ、合理的な作戦ではあるわね。アレにも弱点があるって分かった後ならなおさら」
「だね、筋が通ってる。効果のほどはやって見なきゃ分かんないってのが不安要素だけど」
「それに関しては受け入れてもらうしかないかなあ。この世界にやる前からリターンが確約されてる作戦なんてそうそうないし、作戦の効力を正確に予測できる軍師なんてそれ以上に現れる物じゃない。クライヴとやらも策士としてはまだ不完全な部分があると思ってるからね」
肩を竦め、二人の反応に苦笑する。どことなく余裕を漂わせているアールだからこそ、時折見せるドライな反応に俺はザラつく様な違和感を覚えずにはいられなかった。
自分に不可能はないと思っているような不遜さを持っているのに、その根底には冷徹なほどの現実主義があるように思えてならない。どちらがアールの本質なのか、あるいは『どちらが』なんて考えを抱いている時点で間違いなのか。
考えても結論は出ないが、直接尋ねたところで有意義な答えは得られないだろう。ただそういう人間なのだろうと受け入れることしか、俺たちには出来ることがない。
「戦場に立ったらやれることをやるしかないんだ。その先にどんな結果があろうとも、自分たちがやろうとしている作戦よりよっぽど効率のいい正解があったんだとしても。それに想いを馳せて迷いを見せることの方が戦場ではよっぽど死に近づくんだよ」
考えている間にも、妙にドライなアールの忠告は続く。俺たち三人を順繰りに見つめていた視線が唐突に俺の方へと向けられて、僅かに鳥肌が立った。
「特にキミだ、マルクって言うんだっけ? 君はずば抜けて頭がいいとかじゃないし、戦う力も二人に比べたらいいとこ平凡としか言えない。ピー君の内側から見てる感じ、その分だけ考え続けるのが君の仕事だーとかそんなことを思ってる節がありそうだけどさ」
一歩、また一歩と距離を詰めながら、アールは俺だけに向けた忠告を続けていく。やがてその両手が俺の頬に触れて、そのまま両側から軽く挟み込まれた。
鏡がないから分からないが、今の俺の顔は小さい頃にしたにらめっこの定番みたいな顔になっているのだろう。仕掛け人のアールがくすりと笑うと、そのままの状態で言葉を続けた。
「ぼくの仲間にもいたんだよ、そういう奴が。魔術も体術も平均ちょっと上で、いわゆる器用貧乏って奴だ。だからあいつは考える力を伸ばして、いろんな作戦を考え出せるようになった。どんな状況でもいくつかのルートを思いついて、自分で比較検討までできるぐらいには優秀だったんだ。――それが原因で早死にすることになったんだから本当に皮肉としか言えないけどさ」
俺の変顔を見つめていたはずのアールの目が曇り、どこか遠くを見つめるように焦点を取らなくなる。その辛さを自分から引き出してもなお、アールは俺たちにアドバイスをしてくれているようだ。
「時々さ、お上からの指示ってくるんだよ。ぼくたちの都合とか関係ない、ただお偉いさんたちの身を守るための作戦が。当然それに従うのも兵士としての仕事だし、それで飯を食ってる身として反旗を翻すなんて出来るはずもない。けどね、そいつは分かっちゃったんだ。下された指示よりももっといい作戦があって、そっちの方がぼくたちの負担もお上の危険性が減るってことが」
最初の評価からすると随分俺たちの事を気に入ってくれたようだが、一体何がそこまで認められたのだろうか。色々と分からないことだらけだが、今はこの助言を一言一句漏らさずに聞くべきだ。自分の過去を掘り起こす行為が痛みを伴うのは、俺もよく知っていることだから。
「結論から言うと、あいつはそれをお上に言わなかった。言えなかった、の方がいいのかな。ぼくたちの雇い主は頭が固くてさ、お世辞にも上に立つ人間の器じゃなかったんだよ。力量次第でそういう人間が上に立てちゃうのが帝国で、寧ろその状態がシステム的に健全だってのはさっきも言った通りだけど。……だけど、その時代に生きる一個人としてはそうじゃないんだ」
「……迷ってたのか、その仲間は」
「そういうこと。当人はバレてないって思ってたのかもしれないけど、「こっちの方が」とか「どうして上は」とか聞こえてたら作戦に不備があったことぐらいわかるさ。……そんな迷いをずっと抱えてたから、伏兵の動きに気づくのが遅れた」
話が核心に近づいていくたび、アールの表情は険しさを増していく。それが痛恨の記憶なのだと、言葉を介さずに伝えるかのように。……それは、俺にとっても他人事ではないように思えてならない。
「心臓を一突き、致命傷だったよ。あっちもあっちでプロだったんだろうね、最短距離での攻撃だったから助けの手も間に合わなかった。そのあとすぐにそいつは殺したけど、それで壊れた心臓が治るなんてことはないわけだし」
歯を食いしばり、頬を挟む手に力がこもる。俺の輪郭はさらに縦長になるが、それを面白がる余裕はアールにない。今目の前で起きていることかのように、アールは過去の記憶を噛み締めている。
「あいつは頭が良かった。だから迷った。自分を信じ切ることも、お上に対して盲目的になることもできなかった。どちらか一つを信じて突き進むことが出来れば、きっとそれだけで死ぬことはなかったんだ」
だから、と。
過去に対して結論を出したアールがこちらを向き直り、俺の顔を映し出す。そこでようやく俺の顔がとんでもないことになっていると気づいたようで、頬に当てられた手がゆっくりと離れた。
そうして元通りになった俺の顔と、アールの瞳を通じて俺は対面する。今の俺は一切の迷いなく、何か一つだけを信じているだろうか。自身を持って頷くことは、今はまだできそうになかった。
「なんでもいい、なんでもいいんだよ。ぼくの作戦を信じてもいいし、それ以外の何かを信じてくれたっていい。ぼくはそれで怒るほど器の小さな人間じゃないからね。――ただ、一度信じると決めたなら貫き通せ。その判断が正しかったかどうかを考えるのは戦いの後であって、戦場はくよくよ迷いながら進む場所じゃないんだ」
小さな体を目一杯伸ばし、俺の目を出来る限り至近距離で見つめてアールは再度忠告する。かつて散っていった自分の仲間のようにはなるなと、自分に跳ね返ってくる痛みのことなど何も厭わずに。
「……分かった。魔兵隊の動きにカタがつくまでは、お前の作戦を信じることにするよ」
「うん、それでいい。別のやり方があるんじゃないかとか、もし浮かんできたんだとしてもあれこれ考えるんじゃないぞ?」
ふっと表情を緩め、アールは最期の念押しを一つ。その後リリスたちに視線を戻すと、二人の顔を順繰りに見つめながらさらに付け加えた。
「キミたち二人にその心配はなさそうだけど、一応覚えておいてくれよ。一度信じると決めたのなら、せめて戦場では盲目的にそれを信じることだ。少なくとも戦場において、君たちの一途さは揺るがない武器になる」
「ええ、分かってるわ。私が何を信じるかなんてとっくのとうに決まってるもの」
「右に同じく、だね。誰のために生きて死ぬのか、ボクはもう心に決めてるんだ」
忠告にリリスが即答し、それにやや被せるような形でツバキも同意を示す。迷いの欠片もなさそうないい返事に、「こりゃ野暮だったかな」とアールは笑った。
「それじゃあ、後の事はキミたちとピー君に任せるよ。……キミたちが互いを最優先してることは分かってるけど、できればピー君の事も助けてあげてくれ」
「ええ、見殺しにするような真似はしないわ。出来る限りって条件は付くけど」
「ああ、それでいい。……キミたちが信じた道がどこに繋がるのか、ぼくも見守らせてもらうよ」
そう言ってアールが目を瞑ると、糸の切れた人形のようにその体が床に崩れ落ちる。明らかに普通ではない倒れ方だったが、口からはすうすうと規則的な呼吸が漏れていて。
しばらく無言の時間が続いたのち、その瞼がゆっくりと開かれる。まるで眠りから覚めたかのように目を擦った後、小柄な体を囲むように立つ俺たちの顔を一人一人じいっと見つめると、
「……アールさん、随分皆さんの事を気に入ったみたいですね。おかげで体が重いったらないですよ」
困ったような笑みとともに立ち上がり、身体を点検するかのようにスピリオはぐるぐると両腕を回す。同調の時間は終わり、逆転に向けて動き出すための時間が迫り始めていた。
アールとの最後の会話も終え、提示された作戦に向かってマルクたちは進んでいきます。果たしてその先に臨む結末はあるのか、迷わずにマルクは作戦を信じ切れるのか。同調がもたらした情報が輝くこれからの展開、ぜひお楽しみいただければ幸いです!
――では、また次回お会いしましょう!




