第五十五話『向かい合う最強』
――理不尽に体を縛り付けていた重さが消え、リリスの体が自由になる。……その瞬間、地面に力なく崩れ落ちるマルク・クライベットの姿がリリスの視界に映った。
「……マルクッ‼」
大地を強引に蹴り飛ばし、リリスは一足で一気に最高速度に自分を放り込む。マルクが狂おしいほどの駆け引きを弄して埋めた距離とほぼ同等の距離を、影を纏った天才少女は一瞬にして詰め切って見せた。
クラウスが扱っていたのは、おそらく重力を操作する系統の術式だろう。それを事前に読み切れていれば対策もできた物を、ここまで追い込まれることになってしまったのは間違いなくリリスのミスだ。そのせいで、安定していたはずの戦局は一気に不安定なものに早変わりしてしまったのだから。
だが、その反省をするのは後。……今は、そのミスによって生まれてしまった負傷者を救出することが最優先だ。――マルクを、ここで死なせるわけにはいかない。
「あれだけ攻撃されてもなお、魔力が尽きていないのか……‼」
カレンの目をもってしても捉えることが難しいほどの速度で近づいてくるリリスに、カレンは歯噛みするしかない。たった一瞬の油断と一つの無知が生んだ変化は、カレンにとってとても不愉快なものだった。
リリスがあのまま動けなければ、この戦闘は遠からず『双頭の獅子』の勝利で終わっていたはずだ。目前にまで手繰り寄せていた勝機は、見くびっていた男が見せた意地によってするりとカレンたちの手からすり抜けていってしまっていた。その責任を負うべきは、マルクの歩みを止められなかったカレンに他ならない。
だからこそ、カレンはもう一度勝機を掴み直さなければならない。眼前にいる存在がどんなものであろうとも、自分の失態で作戦が瓦解することだけは御免だ。『双頭の獅子』は、勝利しなければならない集団なのだ。
ありえない速度でかっ飛んで来た脅威を迎え撃つべく、カレンは返り血に濡れた細剣を構えなおす。ここから配置度の失敗も許されないと、カレンはその剣先に不退転の覚悟をにじませて――
「邪魔よ、そこをどいて」
――リリスが放った影の斬撃が、思いの宿った刀身を根元から両断する。目にもとまらぬ早業、反応すら不可能な超高速の一撃。リリスの虫の居所が悪ければ、両断されていたのは間違いなくカレンだった。手練れだからこそカレンはその事実を直視し、そして絶句する。
「……それでも立ちはだかるなら、次は貴方だけど」
――自分と打ち合っていた時のリリスは、そのポテンシャルの五割も発揮していなかったのだということに。
「ぐ……ッ‼」
カレンの脳内で命とプライドが天秤にかかり、命の方に傾く。マルクにとどめを刺すことを諦めて後退するカレンの瞳には、抑えきれない屈辱の意志が漏れ出していた。
『双頭の獅子』の副リーダーとして、積めるだけの修練は積んできたつもりだ。そうして上り詰めたその分野で、カレンは今圧倒された。自分が見下していた男にも一本取られ、どうやってその男と合流したかも知らぬ少女に自慢の剣術は一切通用せず。……これを、屈辱と言わずしてなんというのだ。
「……この、化け物が……ッッ‼」
その一言が機嫌を損ねることなんて顧みず、優しくマルクを抱え上げるリリスに向かってカレンは咆哮する。化け物だと、そう認識しなければ自分の誇りが死んでしまう。そう直感したが故の、ある種の防衛行動のようなものだった。
その言葉に、リリスの長い耳がピクリと揺れる。だらりと力なく頽れるマルクを両手で抱えて身を起こしたリリスは、ふっとカレンの方を一瞥した。
「化け物……化け物、ね」
投げかけられた言葉をかみしめるように、その言葉を消化するかのようにしばらくリリスは黙りこくる。……だが、その直後にリリスの表情を彩ったのは晴れやかな笑顔だった。
「……あなたたちを打ち倒せるだけの力があるなら、化け物も存外悪くないわ」
化け物魔術師だなんて、護衛時代にさんざん言われ慣れている。何度言われてもいい気分にはならない言葉ではあったが、この時ばかりはその言葉が誇らしかった。……化け物であるからこそ、リリス・アーガストは大切な人を拾い上げることが出来たのだ。
「とはいえ、今このまま戦いを続ける意味はないわね。はやいとこ、命知らずの馬鹿を起き上がらせないと――」
今もなおマルクの脇腹からは血がこぼれているし、口元からわずかに感じられる息も不規則なものだ。ここで変に時間を使えば、マルクの命はその分だけ削れていってしまうだろう。
まずはツバキがいるところまで合流し、その後今まで来た道を引き返す。そうすれば、『双頭の獅子』を超える機会はまた回って来る――
「……ッ‼」
――本能的に感じ取った死の気配が、そんな考えを一瞬にして停止させた。
突如左方向から殺気が膨れ上がったのを感じ取って、リリスはとっさに身をかがめる。その直後、頭上を横薙ぎの斬撃が通り過ぎた。あと少しでも反応が遅れれば、間違いなく首が胴体と別れることになっていただろう。
「ここまでやらかしてくれやがったお前らをおめおめと見逃す? ――そんなうまい話、あるわけねえだろうが」
「そうでしょうね。……だけど、そうさせてもらうわ」
斬撃が放たれた方を見やれば、そこには愛剣を携えたクラウスがいる。目に濃密な殺意をたぎらせてこちらに歩み寄るその姿は、百戦錬磨のリリスをしてその背筋に冷たいものを走らせた。
このまま撤退をしようにも、クラウスがそれを悠々と見逃してくれるはずはない。ツバキと合流し、そのまま逃走経路を確保する……そこまでやると考えれば、かなりの距離をリリスはマルクを抱えた状態のままで受けきらなければならないわけだ。
厳しい条件ではある。だが、だから挑まないという選択肢はありえない。マルクがさっきそうしたように、リリスだってそれをやり抜かなければいけない時はあるのだ。
「……ここで死ね、お前ら全員な‼」
「そんな決着つまらないわ。……何が何でも、逃げさせてもらうわよ」
クラウスが突っ込んできたのを確認して、リリスは大きくバックステップ、振り切られた刃をすんでのところで回避する。斬撃の余韻が風となってリリスの髪を揺らし、その首筋を一筋の汗がたらりと伝った。
この斬撃をどうにか受け流しつつ、リリスはツバキと合流、そして撤退まで行かなければならない。それだけじゃなく、常にマルクを抱え、その容態を気遣わなければならないというおまけつきだ。
そこまで条件を縛られると、流石のリリスでも手段を選んでいる暇はない。既に防御面で酷使し続けた物ではあるが、ここでもそれを頼る以外の選択肢はなさそうだった。
「ツバキ、ごめんなさい。……貴方も、気張ってちょうだいね‼」
つま先をこんこんと地面に叩きつけ、リリスは借り物の影を何重にも展開する。今だけはリリスの随意で動くこの刃たちこそが、リリスに与えられた最上の抵抗手段だ。それを使った気の利いた打開策は……残念ながら、リリスの頭じゃ思いつけないけど。
「……これだけあれば、あなたの攻撃をかいくぐるには十分すぎるわ」
「へえ、それがお前の本気か。いいぜ、その思い上がった考えごと叩っ切ってやる」
影の衣を、そして刃を纏う少女に相対し、王都最強の男はその愛剣を不遜に構える。……このダンジョンでもっとも物騒な撤退戦が、幕を開けた。
次回、二人の全開戦闘がお目にかかれるかと思います! 激戦必至の撤退戦がどんな展開を見せるのか、楽しみにしていただければ幸いです!
――では、また次回お会いしましょう!




