第五百四十九話『四度目の交戦』
――リリス・アーガストは怒っていた。
今までかつてないほどに、生まれてから経験したことがないほどに。ヘラヘラと悪辣な笑みを浮かべながら迫ってくる魔術師に、死に損ないでしかない凡人に、リリスは果てしなく怒っていた。
(……あともう少しで、マルクからの答えが聞けたって言うのに)
この男が割り込んできたせいで、目の前にまで迫っていた答えは遠く遠くへと流れて行ってしまった。リリスの中にあった勘違いも取り払われて、マルクの素直な感情を受け止める準備は万全だったのに。
戦場で浮かれる方が悪いという主張には返す言葉もないが、今リリスが求めているのは表面上でしか納得することのできないような理屈ではない。リリスはただマルクの言葉が聞きたくて、そのために勇気を振り絞って問うたのだ。心の底にこびりつくかのように残っていた迷いを、あそこで完全に払い落とすために。
その結果がこんな形で搔き乱されているのだから、そりゃ不愉快になるのも仕方ないというものだ。これまで何度も何度も打ち破ってきたはずなのに、その度にこの男はどうしてか立ち上がってはリリスたちの背中に追いすがってくる。質の悪さだけで言えばクライヴとだっていい勝負が出来てしまうだろう。
だから気が合ったのかもしれないなんてことを思いながら、リリスは軽く足踏みをして影の槍を装填する。いくら死に損ないのストーカー擬きとは言え、奴の操る炎はそこそこ厄介だ。この先に待っているであろう戦いのためにも、出来る限り無傷でこの場は突破する必要がある。
相手との距離を慎重にはかりながら、リリスはさっきよりも少し強い足踏みを一つ。それを合図として影の槍は一斉に解き放たれ、魔剣が宿していた炎へと纏わりついた。
「うお、っと……⁉」
「私たちの影は魔術だって喰い尽くすわ。あなた如きの炎が輝けるなんて思わないことね」
炎の放つ光が徐々に殺されていくのを確認し、リリスは一転して距離を詰めにかかる。慎重にやる必要があるとは言っても、悠長に戦ってやるつもりなど微塵もない。一刻も早く決着をつけて、聞き損ねた答えの続きを聞かなければならないのだ。
(大好きな人からの告白なんて、どれだけ受け取ったって足りないものね……‼)
はっきりと自覚できるぐらい、今リリスは舞い上がっている。マルクと無事に再会できて、記憶を取り戻してもなお変わらずにいてくれて、自分の事を『大好きだ』とも言ってくれたのだ。それだけでもう全てが十分なぐらい嬉しかったはずなのに、もう次の言葉を求めている自分がいる。
きっと何度触れられても心臓は高鳴るし、何度声を聴いても飽きることなんてありはしない。生きている限りずっとリリスはマルクを想い続け、恋をしながら生きていくのだ。最高の相棒もずっと一緒にいてくれるのだから、つくづく自分は幸せ者だと思う。
だからこそ、掴んだ幸せを手放さないように努力を積み上げるのがリリスの義務だ。思い描いた生活を現実にするためにも、こんなところで躓いている暇などない。手早く片付けて、三人で王都に帰るのだ。
「氷よ、私に力を貸して‼」
吹き荒れる風に背中を押されて加速しながら、リリスは両手の先に氷の爪を作り上げる。剣の間合いよりもさらに内側で差しあう方が、今のクラウスを圧倒するためには都合がよかった。
影魔術への対策はどうやら学べなかったようで、魔剣を封じた影に対してまだまごついているのが視界に入ってくる。仕掛けるなら今しかないと、十数年もの間磨き続けた本能が吠えた。
「は……あああッ‼」
身を低くしてクラウスへの懐へと潜り込み、鳩尾を貫かんと正拳突きを放つ。躱されこそしたが相手の体勢は崩れ、とてもではないが反撃に移るほどの余裕はないだろう。そうと分かってしまえば、完全に崩れるまで押して押して押し続ければいいだけの話だった。
左右の手を惜しみなく使い、途切れることのなく前へと踏み込み続ける。徒手空拳の間合いで戦うのは久しぶりだが、どう動くべきかはちゃんと身体が覚えていた。野営の微かな火を頼りにツバキと積み上げた時間は無駄ではなかったのだと、反復練習のありがたみを改めて痛感させられる。
クラウスも剣を防御に回すなどして対抗を試みるが、影に絡みつかれて切れ味を失った剣など脅威でも何でもない。リリスの連打を遮ることは出来ず、影の爪は次第にクラウスの肉を抉り始めた。
「相変わらず、容赦も遠慮もねえ女だこった……‼」
「あなたに容赦する義理なんてないもの。一秒でも早く消え失せなさい」
冷たい言葉と鋭い踏み込みが、クラウスの漏らした悪態に対する答えだった。クラウスはどうせ自分が何をやらかしたのかも、何なら今リリスがかつてないほどに激怒していることも気付いていないだろう。そんなだから恐怖以外で人を従えられず、マルクの才能も見逃してしまうのだ。
全部全部因果応報で、クラウスに同情する余地などどこにもない。――ここまで死に損なってきたというのなら、今ここであるべき場所に叩き返してやろうじゃないか。
流れるように二発拳を繰り出し、それをすんでのところで回避したことによってクラウスの姿勢が大きく崩れる。それを見て、リリスは躊躇なく地面を蹴り飛ばした。
半ば体を投げ出すようにして反動をつけ、足先に氷の刃を生み出す。鋭く研ぎあげられたそれが伴う事によって、首筋を狙った蹴りは必殺の一撃に変じた。
クラウスはまだ腰が引けたまま、防ぐにも回避するにも姿勢は不十分だ。ましてこれは初見の一手、完全に防ぐことは難しい。それでもなお諦めないというのならば、クラウスは相応の手でリリスの殺意に対応しなくてはいけないわけで――
「ははッ、前とは違って殺す気満々ってとこか。……いいぜ、そう来なくっちゃあ面白くねえ‼」
紅い光が妖しい煌めきを放つと同時、クライヴの纏っていた気配が一気に膨れ上がる。それが蒼い炎へと変わって剣に纏わりついた影を焼き払うのが視界に入った瞬間、リリスは思い描いていた計画を一つ先へと進めた。
足元で風を起こし、仕留めにかかるべく投げ出した体を強引な形で元の姿勢に戻す。着地した後にもう一度視線を投げてみれば、クラウスは蒼い炎を纏って堂々と立っていた。
何が起こってそうなっているのかは知らないが、あの紅い光が強くなるのとクラウスの魔力が膨れ上がるタイミングは一致している。それと同じタイミングで紅から蒼へと炎の色が変わっているあたり、断定はできないが魔術の質も多少なり変化しているのだろう。……何にせよ、その状態の方が厄介な相手であることは間違いない。
「あら、案外早いお出ましね。また体を壊しても知らないわよ?」
「ご丁寧な忠告どうも。生憎こっちにも腕利きな修復術師って奴が居るもんでな、あの時みたいな間抜けは晒さずに済むんだわ」
魔剣を構え直すクラウスを見て、リリスは改めて氷の剣を作り直す。近接格闘に頼るのはここまで、ここからの戦いこそが本番だ。今まで培ってきた全ての手を尽くして、リリスはクラウスを圧倒しなくてはならない。
バラックの時とは違い、自滅狙いの立ち回りも現実的じゃない。もっと圧倒してクラウスの全てを否定しない限り、きっとこいつはどこまでも死に損なってリリスたちの平和に影を落としてくる。
クラウス・アブソートはここで殺す。彼が積み上げてきた全てを叩き折り、『最強』への道筋を悉く断ち切った上で。それがリリスの掲げた誓いであり、マルクとの会話を遮った罪への罰だ。その決定に私情が挟まっていないと言えば嘘になるが、ここまでの計画は順調に進んでいる。
(……後は、詰めを間違えなければ)
ギアの上がったクラウスを冷静に観察し、深呼吸を一つ。初めてクラウスの全力を見た時は驚きもあったが、今はもう恐れの感情もない。ここまで積み重ねてきたことを信じれば負けることはないと、そう確信できている。
「へえ、それは残念ね。……それじゃあ、ちゃんと白黒着くまで殺し合うとしましょうか」
心にもない感想を口にして、意識を影と氷に集中する。初見ではないとはいえクラウスの火力は脅威、一発喰らえばそのまま死に直行することだってあり得る相手だ。決して楽な相手ではないし、何も仕掛けずに勝たせてくれるほど性格のいい相手ではないことは分かっている。
――それでもなお、リリスの口元には微かな笑みが浮かんでいた。
お互いに戦意を滾らせつつ、戦いは次の局面へと動いていきます。果たしてリリスの怒りはどんな形で現れるのか、それに気づけないクラウスを待つ宿命やいかに! ぜひお楽しみにしていただければ幸いです!
――では、また次回お会いしましょう!




