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第五百四十三話『変わらないで居られたのは』

 要点をかいつまんで語られたここまでの道のりは、それでもあまりに濃厚だった。


 国境を越えた共同戦線の懸け橋になり、最前線で戦う事を選んで。クライヴの戦い方が魔術師の研鑽を嘲笑うようなものであることを目の当たりにしてもなお、二人は進むことをやめなかった。俺があの牢獄で何もできずにいる間に、二人はあまりにも多くの経験を積み上げていたというわけだ。


「……本当に、迷惑かけたな」


「そんなこと言うものじゃないわよ、私たちは自分の意志でここまで来てるんだから。それに、貴方が経験したことだって大変なことだったでしょう?」


 軽くうなだれる俺の肩に手を置いて、リリスはゆるゆると首を横に振る。きっとここまで多くの壁を乗り越えてきただろうに、その苦労を一切感じさせないその振る舞いが眩しかった。この輝きの傍にいることが今は一番大切だと、俺は改めてそう実感する。


「むしろボクたちからしたらマルクの精神状態の方が心配だったからね。もちろんあっさり折れるような人じゃないってのは信じてるけど――その、今回は事情が事情だろう?」


「……え?」


 少し言いよどむ様なツバキの表現に、俺は思わず間の抜けた声を上げる。クライヴが俺の事を知ってることぐらいは分かっていてもおかしくないだろうが、クライヴも修復術師であることまでは知らないはずだ。俺とクライヴの縁がどんなものだったのか、リリスたちが知る手段はないに等しい。


 頭ではそう分かっていても、俺を見つめる二人の視線には単純な心配以上の感情があるように思えてならない。何かを心配するような恐れているような、そんな感じの――


「――ねえ、マルク。修復術の事、全部思い出したんでしょう?」


 俺が答え合わせをするまでもなく、答えはリリスの方からやってきた。綺麗な緑色をした瞳を微かに震わせながら、それでも視線は俺から逸らすことなくまっすぐに向けられ続けている。その口が紡いだ言葉は、明らかに俺の事情を知っているとしか思えないものだった。


 とっさに『なんで』が口をついて出そうになって、それを必死に喉の奥へと押し戻す。俺からも聞きたいことはたくさんあるが、それは全部後回しだ。そうじゃなきゃきっと、リリスの不安が拭えることはないだろうからな。


「……ああ、思い出してるよ。修復術は魔術神経だけに使える物じゃなくて、魔力に直接干渉できるとんでもない代物だ。ちょっと昔色々あって、俺はそれを忘れさせられてたんだけどさ」


 クライヴに出会う前からきっと、思い出すきっかけはたくさんあったのだろう。夢の中での風景がいつも靄がかったものだったこと、ベルメウに向かう馬車の中で不可解な目覚め方をしたこと。そして、時折襲ってきた激しい頭痛も、今思えば全部、修復術に関連するところで症状は現れていた。


 やろうと思えば大体の事を実現できる可能性がある、それが修復術の恐ろしさだ。それを思い出した今、修復術への理解度は以前の何百倍にも深まっていると言っていい。


「ついでに白状しとくと、思い出したことがきっかけでそういう修復術もある程度使えるようになってる。……まあ、出来るならクライヴみたいな使い方はしたくないけどさ」


 それを破った瞬間、俺はクライヴやあの子を殺した奴らと同じになっちまうからな。やるとしても魔術の無力化まで、乗っ取りとか模倣はしない。少し基準はあいまいかもしれないが、それが俺の中で引かれた一線だった。


「確かに俺は色々と思い出したけど、それで今までの俺がひっくり返るなんてことはあり得ないからな。どこまで行っても俺は俺だし、今さらお前たちと距離を取ることなんて出来ねえよ」


 二人からの視線に正面から応え、俺は迷うことなく断言する。その結論に辿り着けたことだけが、あの牢獄で過ごした日々の成果だった。

 

「……そう。それが貴方の結論なのね」


 俺をじいっと見つめたまま、リリスは小さく唇を動かす。具体的に何を考えているかまでは読み取れなかったが、どうやら二人にとって悪い答えではなかったようだ。震えのなくなった瞳を見れば、それぐらいは簡単に分かった。


 そのやり取りを最後に、しばらく俺たちの間に沈黙が流れる。今の話題に関しては俺からも聞きたいことはたくさんあるのだが、時折何か言いたげに口をパクパクさせるリリスを見ているとそうもいかない。きっとまた何か言おうと頑張っているのに、それを遮るのは野暮ってものだ。


 相棒の心境なら手に取るように分かるのか、ツバキは俺とリリスの間で視線を行ったり来たりさせながらほんのりと笑みを浮かべている。何も口出ししないあたり、どうやら傍観者の立場を徹底的に貫くつもりらしい。


 基本的にはリリスに甘いけど、そういう所はしっかり厳しいんだよな。リリスが言うべきことはきっちり本人の口から言わせるし、するとしても最低限のサポートに留めている。リリスもそれをちゃんと理解しているからこそ、二人は最高のコンビなのだろうけど――


「――お、わ?」


 そんなことを考えていると、軽い衝撃がぽすんと俺の懐に飛び込んでくる。きめ細やかな金色の髪が首筋を撫で、くすぐったいやら心地よいやらで変な気分だ。背中に回された華奢な腕は、まるで壊れ物に触れるかのように優しく俺を引き寄せていた。


「そうよね。……貴方ほど頑固な人が、簡単に変わるわけないわよね」


 俺の肩に顔を埋めるリリスの声は、泣きじゃくる子供のように震えている。あの瞳の震えは不安を必死に押し隠していた結果なのだと、肌に伝わる熱い感触で俺はようやく気付いた。


「フェイからね、話を聞いたの。クライヴが使ってるのも修復術で、マルクはどういうわけかそれを忘れさせられてるって。……記憶を思い出したことで貴方の人柄が変わっちゃうこともあり得る、って」


 触れ合った肌を通じて感じる体の震えが、リリスの抱く感情をより直接的な形で俺に伝えてくる。これほど強く怯えているリリスを、今まで俺は見たことがない。


「マルクなら大丈夫だって信じてたし、周りの人たちもそう言ってくれてた。けど、それでも怖くて仕方なかったの。私たちの惹かれたマルクが居なくなっちゃってたらどうしたらいいのか、考えても考えても分からなかった」


 一度堰を切った感情はとめどなくあふれ、流れ出した涙が大きなしみを作る。その不安を全部受け止めるのが、今の俺にできる唯一の事だった。


「……そっか、フェイから全部聞いてたんだな。ごめん、たくさん心配かけた」


 もし俺がリリスの立場だったら、きっと同じような不安を抱き続けていただろう。それでも助けることを選んでくれたことが嬉しかったし、出来る限りの形でそれに報いたいと思った。リリスの中の不安を拭うための特効薬は、変わらない俺の姿を見せ続けることしかないような気がするし。


 それにしても、修復術師の事をフェイが知ってるとは予想外だったな……。記憶に関する警告もあながち的外れな物じゃなかったし、五百年の時を過ごして得た知識量は伊達じゃないってことか。


 実際にあの子との日々とその結末を思い出した時、俺は一度殺意に呑まれかけている。今ある物全部かなぐり捨てて、あの子の仇を取ることだけが目的になりかけた。あの感情に完全に流されていたら、フェイの警告は現実のものになっていただろう。


 そうならなかったのは、あの時に聞こえた声のおかげだ。里で過ごした日々にも負けないぐらいに眩しい記憶が、俺に致命的な一線を跨がせなかった。夢のような空間での出来事だったのに、俺はその時のことをはっきりと憶えていて――


「リリスのおかげだよ。お前がくれた想いがあったから俺は俺のままで居られたんだ」


 リリスの背中に腕を回して、小さな体を思い切り引き寄せる。耳元でかすかに息を呑む音が聞こえたその直後には、俺の身体はさらに強く引き寄せられていた。


 圧迫されて少しだけ息が苦しいが、それもどういうわけか心地いい。それがリリスの想いの表れならば、少しぐらい苦しくても幸せだと思えた。


「ネックレス、ありがとうな。これが無かったらきっとどっかで心が折れてた。……多分、そうなっちまった先にはろくでもない結末しか待ってなかったはずだ」


 記憶に呑まれて復讐ばかりを考える人間になっていたかもしれないし、ウォルターの作り上げた夢に囚われて廃人になっていたかもしれない。その先の俺がどうなってしまうのか、想像するだけで寒気がした。


「そうならなかったのは、俺が一人じゃないってことを教えてくれたからなんだよ。折れてなんかいられない理由をギリギリのところで思い出せたから、俺は今ここにいる」


 傍から見れば奇跡にも思えるような現象の原動力になった『想い』が一体どんなものなのか、俺はもう分かっている――はずだ。これが知ったかぶりだったら恥ずかしいにも程があるが、それを理由に日和って答えない方がずっとずっと失礼だろう。ただのネックレスが魔力を帯びるほどの強い想いを向けてくれているのに、不誠実な態度なんて取りたくなかった。


 今から口にする言葉を思い浮かべるだけで火が出そうなほどに顔が熱い。たった少しの言葉を発するのにこんなにも気力を必要とするのなら、ネックレスを贈った時のリリスはどれだけ勇気を出してくれたのだろう。その受け取りてが俺でいいのかとも思ってしまうけれど、そんな考えは一旦心の奥底へしまっておくことにして――



「――大好きだ、リリス」


 

 声が裏返らないように必死に気を張って、目一杯格好つけて口にする。こんな短い言葉じゃ足りないことはわかり切っているけれど、これが今の俺にできる精一杯だった。


 俺の抱く想いのどれだけがリリスに伝わったのか、それは正直よく分からない。だが、少なくとも俺が勘違いをしていたわけではない様だ。リリスがくれた想いを、俺はちゃんと受け取れている。


「お礼を言うのは私の方よ。貴方が思ってるよりずっとずっと、私も貴方の事が大好きなんだから」


 さらに強く俺を抱き寄せながら返してくれた答えは、これ以上ないほどの証明だった。震える声が、腕の中に感じる熱が、伝わってくる感覚の一つ一つが俺の考えは間違っていないのだと力強く肯定してくれている。俺たちの想いは間違いなく通じ合っているのだと、そう確信出来て。


 叶うならずっとその熱を手放したくないと、心からそう思った。

 随分ともどかしい距離感の時もありましたが、ついに決定的な瞬間を迎えることが出来ました。それがこの先にどんな変化を生むのか、はたまた意外と変わらないのか(リリスとマルクならそれもあり得る気がしてなりませんが)。想いが通じ合ってもまだまだ続く『夜明けの灯』の物語、ぜひともお楽しみいただければ幸いです!

――では、また次回お会いしましょう!

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