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第五百三十八話『死と死と死と、御伽噺のような奇跡と』

 ――何回殺して、何回殺されただろうか。両手の指で収まらなくなった辺りから数えるのをやめて、もうずいぶんと時間が経っているように思える。殺し殺されの繰り返しに回数制限などないことは、摩耗し始めた思考回路でも理解できていた。


 何度心臓を刺されても首を切られても、その次の瞬間にはもう俺は二本の足で立っている。体は万全の状態へと戻されて、そんな俺にウォルターは容赦なく襲い掛かってくる。逃げることは勿論不可能、どんな魔術を使えばこの状況が作れるのかもまるで見当がつかない。そんな中で終わりの見えない殺し合いを続ければ、どうしたって気分は悪くなるというもので。


「おや、随分と顔色が青ざめておりますな。体の調子は常に万全なはずなのですが」


 せりあがってくる吐き気をこらえる俺をよそに、ウォルターは平然と笑みを浮かべている。俺だって何度かはこいつの腹を突き刺し心臓を抉っているはずなのだが、それが負担になっているようには一切見えなかった。


 ベガやクライヴ達と比べれば、俺とウォルターの間にある実力差はそう大きなものじゃない。仕掛けてくるパターンもそう数があるわけでもなく、実際読みが噛み合って優位を取ったこともある。……ただ、この状況において一度や二度の勝利などあまりに無意味だった。


 どれだけひどい負傷も命を落とす寸前になればリセットされ、また最初からやり直し。この空間において物理的なダメージなど何の意味もない。リセットと同時に疲労も解消される以上、俺たちはいつまでも全力を振るい続けることができるだろう。


「……うるせえ」


――リセットの過程で蓄積していく心理的な疲労を全て無視できるなら、の話だが。


 鼓動は乱れ、浅い呼吸は上手く俺の肺に空気を届けてくれない。万全なはずの身体機能は、しかしそこかしこで不調をきたし、前に踏み出すための一歩があまりにも重い。何回も何回も死んで来たことによって、俺の心は確かに擦り切れ始めていた。


 死ぬことはないと分かっていても、それで死の恐怖が急に拭えるわけじゃない。痛いものはいつまでも痛いし、血の塊がせりあがってくれば呼吸は苦しくなる。何度致命傷を負ったところで、それがもたらす苦痛に慣れるなんて夢のまた夢だった。


 今はまだ辛うじて意地を張っていられるが、そうしたところで苦痛を遠ざけられるわけじゃない。戦う姿勢を見せる限り殺されてしまうなら、強がるだけ苦痛がかさんでいくだけだと考えることもできるわけで。


――いっそのこと、ここで膝を折ったほうが楽になれるんじゃないのか?


「あ……ッ⁉」


 息を呑む。意識の隙間に滑り込むようにして現れた悍ましい選択肢に寒気が走る。何もかもを投げ出して足を止めるのも悪くないんじゃないかと考えた自分の事を、俺は否定することが出来なかった。


 首をぶんぶんと振って思考をリセットしようとするが、どれだけそうしたところで一度浮かんだ考えが消えてなくなるわけがない。その誘惑が悪魔のささやきだと分かっていても、死の連鎖から解放される可能性を求めずにはいられない自分が居た。


「血迷うんじゃねえぞ、マルク・クライベット……‼」


 頬を叩き、弱りかけた心に鞭を打つ。そうしなければすぐに折れてしまいそうで、それが恐ろしかった。まだここは通過点で、俺はまだ何もできていないのに。リリスとツバキとまた一緒にいたいと、そう願って俺はあの牢獄を抜け出したはずなのに――


「解放されたいと、そう願いましたね?」


 ウォルターの声が聞こえたのは、俺が心を再び奮い立たせようとしていたちょうどその時だった。こちらの心境を完全に見抜いたその言葉に思考が凍り付き、視線が自然と真っ黒なシルエットに固定される。それを一身に浴びながら、ウォルターは不気味に笑った。


 死神がこの世に実在するなら、さしずめこんな姿をしているのだろうか。どちらかと言えば細身なはずのウォルターの身体が、今はなぜか大きく見える。大きく見えるのは一緒のはずなのに、そこにリリスのような頼もしさはなかった。


 ただ趣味が悪いだけだと思っていた全身真っ黒な服装が、今は俺を呑み込む黒い闇のように思える。同じ黒のはずなのに、そこにツバキの影のような優しさはなかった。


 独りだ。俺は今どうしようもなく独りだ。リリスもツバキも、レイチェルもベガもここにはいない。俺は独りで死と向き合って、そして抜け出さなければならない。……一体、どうやって?


「どうやって、じゃねえよ……。どうにかするのが、俺のやるべきことだろうが……‼」


 歯を食いしばり、弱気な考えを噛み殺す。その様子を見つめるウォルターは、信じられない程悪辣に嗤っていた。


「恥じることはありません、ここに囚われた方々は遅かれ早かれその考えが頭をよぎる。むしろここまで耐え忍び、そして今もその誘惑を振り払おうとしているだけ大したものだ」


「……褒められても、嬉しくねえよ」


「いえいえ、ぜひ胸をお張りください。あなたに対する興味は今、過去に例を見ない程昂ぶっております。――朽ち果てるだけの身には不相応な衝動を、飼い馴らすことが出来ぬぐらいにはね」


 満面の笑みを浮かべ、拍手までしながらウォルターは賞賛の言葉を向けてくる。然しそれは対等な立場から送られるものではなく、貴族が道化の類を見下ろして送る賛辞だ。『立場の割にはよくやっている』と、そんな意味を含めた遠回しな嘲笑が俺に向けられている。


 しばらくすれば拍手は鳴りやむが、それでも顔に張り付いた嘲笑は消えてなくならない。せめてそれを睨み返そうと力を込めたその瞬間、黒いシルエットがゆらりとぼやけた。


「あなたの輝きは強く、そして尊い。――なればこそ、穢しがいもあるというものでしてね」


 気が付けば背後に立っていたウォルターが、くるくるとステッキを回転させながら口にする。真っ黒なそれに紅い液体が付着しているのが視界の端に映った次の瞬間、冷たい感覚とともに俺の身体はぐらりと崩れ落ちて。


「……あし、が」


 受け身も取れずに倒れ込んだことの痛みも忘れて、視界に映る光景に目を奪われる。右足の膝から下が切り落とされていると認識したその瞬間、冷たさはマグマを流し込まれたような熱へと変容した。


「が、あっ、ああああああああーーーーーーッ⁉」


 脳を焼き尽くすような痛みに、四肢が欠けたことへの衝撃に、俺はただ絶叫することしかできない。切り刻まれれば即座に致命傷となり得る太ももを切らずに、膝から下を狙ったのがまた悪趣味だ。――この短時間で死に過ぎた俺の本能は、これがまだ致命傷ではないと感覚で理解してしまっている。


 当然何の処置もしなければこのまま失血死して巻き戻されるわけだが、それが起こるまで俺はこの苦痛に苛まれ続けるというわけだ。三十秒か一分か、それとももっと長いのか。今まで即死級の傷ばかりを負わされてきたのは、ウォルターなりの温情でしかなかった。


――みしり、と。


 心の奥底が軋む音が、俺の耳元で確かに聞こえる。それはきっと俺の根幹、壊されてはいけない大切なものだ。……そこまで侵食してしまうほど、ウォルターの悪意は俺を蝕んできている。


「ああ、いいお顔だ。輝きが鈍り、穢れが顔を出す。その瞬間を見る時ほど心躍る時はそうそうありません。あなたのように強いお方のは特に、ね」


 唄うように言葉を紡ぎながら、恍惚とした表情のウォルターが動けないままの俺に歩み寄る。ぽたぽたと血が滴るステッキは、どうやら仕込み刀にもなっていたらしい。今までそれを隠しながら戦っていたとなると、太刀打ちできない相手じゃないという評価さえも俺の誤りと言う事になるのだろうか。……なんとまあ、無様な道化っぷりだろう。


 その間抜けさを罰するかのように振り上げられた細長い刃が、今度は俺の肩目がけて振り下ろされる。片足がなければ血も足りない俺に避ける術などなく、ズブリと鈍い音を立てて俺の右肩に穴が空いた。


 自分の物とは思えないほどの悲鳴とウォルターの笑い声が混ざり合い、不快な音になって俺の耳を殴りつける。人間の身体は案外頑丈なのだなと、現実逃避する思考はそんなことを考え始めていた。――片足が切れて肩に穴も開いて血が滝のように流れ出しているのに、まだ生きているなんておかしいじゃないか。


「即死も即死で味わい深いですが、このような死もまた乙な物でしょう? 痛みが容易に人を狂わせてしまえることを、わたくしは経験上よく心得ています故」


 ゆっくりと死に向かう俺を見つめて、ウォルターは滔々と語り続ける。今までに同じやり方で何人も追い込んできたのだろうと、そう確信させる物言いだった。悪趣味な人間は数いれど、これほど人の心を折ることに特化した人間は未だかつて見たことがない。


 それに気づいて、また心が軋む。そんな手練れを相手にして、俺は何が出来るというのだろう。抗えない死を叩き続けられた先で、俺はどうなってしまうのだろう。……これ以上、壊されたくない。


「……てくれ」


 気が付けば、血塗れの口が無意識に言葉を紡いでいた。それが完膚なきまでの敗北宣言だと分かっていても、もう制止する気力が残っていない。死んで死んで死んで殺して死んで、その挙句に今はじわじわと死へと向かわされている。今この苦しみが終わったところでまた片足をぶった切られれば同じことが繰り返されるだけ、なんならもっと苦しめて殺す方法をウォルターが知っていたっておかしくはないわけで。


「おや、どうかなさいましたか?」


 心底嬉しそうな声が頭上から降ってくる。何が言いたいかを分かったうえで、それでも俺自身の口から言わせたくて仕方がないのだろう。――その方が、入念に心を砕くことが出来るから。


 狙いは分かっている、その策通りに踊らされている自覚もある。ただ、それと俺の口が止まらないのは別問題だ。……もう、許してほしかった。 


「……く、……してくれよ」


 この狂った空間から抜け出したい、その目標は今も変わらないままだ。ただちょっとそのやり方が変わるだけで。――どんな苦しみが最期に訪れるのだとしても、ここで延々と死を繰り返すことに比べれば天国のように思える。


 今なら本当の死すら救いとして受け入れられそうな自分が居て、それを拒むことは出来ない自分に嫌気がさす。だけど、そんな感情だってもう許されていいと思う自分も居るのだ。死の経験なんて、誰だって本当は一度しか出来ないし出来ちゃいけないものだ。こちとら数十回それを耐え忍んだんだ、寧ろ褒められなくちゃおかしいじゃないか。


「声が小さいですな。自らの願いを声高に叫ぶことは若者の特権、同時に義務でもありますぞ?」


 奈落を見下ろす俺を焚きつけるかのように、ウォルターは願いを促してくる。それが真っ当な救いじゃないことが分かっていても、この地獄から抜け出せるかもしれないという誘惑に抗えない。この空間にいる限り、俺の命は玩具の様に弄ばれることしかできないのだ。ウォルターが作り上げたウォルターの為だけの舞台に引きずり込まれてしまった時点で、俺は既に負けていたのかもしれない。


 その気づきが、最後の一押しになった。硬いものが圧し折れるような音が聞こえて、何か大切なものがあっけなく砕け散る。実在する身体じゃなく、もっと奥底にあるもの。――マルク・クライベットを定義するうえで大切なものがばらばらと崩れ落ちて、取り返しのつかない場所へと堕ちて行こうとしている。

 

 崩壊を止める力は俺にはなく、吸い込んだ息は敗北宣言を思い切り叫ぶためだけに用いられる。涙も鼻水もボロボロに垂れ流した惨めな姿で、けれど俺にとっては何よりも切実な願い事――


「……俺の願いが分かってるなら、早く一思いに――‼」


 殺してくれ、と。


 口いっぱいに広がる血を吐き出しながら叫ぼうとしたその最中、突如胸元を襲った冷たい感覚がすんでのところで俺の言葉を引き留める。針で刺されているかのように容赦なく冷たいのに、それが俺の命を侵していく気配はない。体中にじんわりと広がる冷たさは、まるでバラバラになっていく俺を繋ぎとめようとしているみたいで。


――その源がネックレスに着けられた宝石なのだと気づいたのは、それから少ししてからの事だった。


「……なんだよ、それ」


 半ば無意識に声が零れる。涙が頬を伝い、石畳にぽろぽろと落ちていく。だけど、それが持つ意味はもう百八十度変わっていた。……この涙は、ウォルターのせいで流れた物なんかじゃない。


「……こんなになってもまだ、生きててほしいって思ってくれるのかよ……?」


 声が聞こえたわけじゃない。ただ冷たい感触が走っただけだ。まるで氷のような、鋭いのにどこか心地いい冷たさが。ずっと後ろから見守ってきたそれを間違えることなんて、こんな状況の中だとしてもあり得るもんか。


 俺の力だけじゃ拾い上げられない俺の心を、宝石に籠められたリリスの願いがギリギリのところで繋ぎとめてくれている。……まるで御伽話のような奇跡が、『諦めるな』と俺の手を握り締めていた。


 自分事ながら都合の良すぎる話だと、自分でもそう思う。これまでだって助けてくれたのに、まだ俺に力を貸してくれるのか。いくらいいネックレスを選んでくれたとはいえ、『精霊の心臓』ほどに質のいい装飾とはいかなかったはずなのに。奇跡なんか起こせないと、そう言ってはにかんでいたはずなのに。


「どんだけ強く俺の事を想ってくれたんだよ――なあ、リリス」


 辛うじて動く左手で、胸元に提げられたネックレスを服の上から握り締める。手から伝わるひんやりとした感覚が、この瞬間も全身を駆け抜ける苦痛を少しだけ楽にしてくれていた。


 本当に、リリスには助けられてばかりだ。一緒に過ごした半年間だけでもそうなのに、遠く離れても変わらないのだから本当に頭が上がらない。……そして今もきっと、リリスはツバキとともに戦場になった帝都を駆け抜けているわけで。


「……だってのに、俺は今諦めようとしてたってのかよ」


 情けない、情けないもいいところだ。俺はリリスたちよりもずっと弱くて出来ることも少ないのに、その少ないことすら今俺は手放そうとしていた。俺を助けるためだけにリリスたちは帝国に乗り込んで、本来巻き込まれなくてもいいはずの戦いに身を投じてるって言うのに。


「――そんなことも忘れて、俺は一人で勝手に楽になろうとしてたってのかよ……‼」


 目が覚めるような感覚とともに巡るのは、炎のような怒りだ。高々死に続けたぐらいの苦しみで、自分はたった独りだと、この苦しみは誰にも理解されない物だと思い込んで。……何にも代えがたいはずの大切な仲間の事を、在ろうことか俺は忘れかけていたというわけだ。


 一秒ごとに勢力を増す怒りの矛先はウォルターではなく、俺自身に向けられている。小細工如きで敵の思い通りに踊らされ、その果てに『殺してくれ』などと嘆願しようとしていた自分が許せなかった。そんな弱気なことを言うぐらいなら、いっそ自分の手で殺してしまいたくなるぐらいに――


「――ん、あ?」


 電流が弾けるような感覚があった。リリスたちを悲しませることになるから出来るわけもないと思っていたが、出来るじゃないか。……悪趣味な男が作った、この空間なら。


 思わず笑みがこぼれる。乾いた物じゃなく、どこか清々しい気もするような笑みが。それは決して解決策ではないけれど、ウォルターの悪意に抗うには十分すぎる一手だった。


 血は今もとめどなく流れ出し、死は着々と近づいている。死の連鎖を抜け出す手掛かりは皆無、ウォルターの手の内は未だ見えないまま。俺を取り巻く現状は何も進展していないのに、不思議と視界は開けていた。なんでこんなことにも気が付けなかったのだろうと、突如目の前に現れた選択肢を前にそう思う。


「悪いな、ウォルター。さっき言おうとしたことだけどさ、綺麗さっぱり忘れてくれ」


 ここで何回死ぬことになろうとも、足を止められない理由を思い出してしまった。それすら忘れて折れかけた心を、それでも支えてくれるものがあった。だから、『夜明けの灯』のリーダーとして俺はそれに応えなければならない。……たとえここで、何度死を繰り返すことになろうともだ。


 左手をネックレスから離し、手探りで目的の物を探す。恐怖心は消えないが、それを黙らせられるだけの目的があった。死にかけの身体を動かすのに十分な気力も、全身に満ち溢れている。


「――まさか……ッ」


 剣を握った俺を見てようやくウォルターも察したようだが、気づいた時にはもう手遅れだ。血が抜けて力が入らなくても、重力が手伝ってくれる。たとえ貫通できなくたって、半ばぐらいまで突き刺さってくれればそれで十分だ。


「ああ、そのまさかだよ。……じゃ、そういうことで」


 最後の気力を振り絞って挑発的に笑い、改めてウォルターに宣戦布告を叩きつける。――その直後、今できる目一杯の力で振り下ろした剣が俺の喉を貫いた。

 次回、マルクの反撃開始です! ちょっとネガティブなシーンを含む事もあって立ち直るまでをセットにまとめようとした結果こんなサイズになってしまいましたが、いかがでしたでしょうか! 恐怖に打ち勝ち死が連鎖する空間と改めて対峙するマルクは突破口を見つけ出せるのか、ぜひお楽しみにしていただければ幸いです!

――では、また次回お会いしましょう!

追記:改稿した結果さらに文量が伸びることになりました。ですがその分濃さも増したと思いますので、こちらのバージョンもぜひお楽しみいただければ幸いです!

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