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第五百三十三話『歪曲の摂理』

「あの時リリス・アーガストから貰ってきたんだけどさ、なにぶん試し打ちの機会に恵まれない身でね。光栄に思っておくれよ?」


 口元に微笑を浮かべ、話しかける余裕すら残しながらクライヴは氷の武装を容赦なく差し向ける。修復術を悪用した間接的な再現であるのにもかかわらず、その精度は並の魔術師を鼻で笑って飛び越えるほどの物だ。他人の魔術を模倣するだけではなく、その背景にある研鑽さえも糧としてクライヴの強さは成立している。


 一度敵対してみて改めて分かったことだが、クライヴの在り方はベガと全くの反対に位置するものだ。磨き上げた技術への敬意もなく、ただその先にある結果だけに意味を求める。指揮官としては正しい在り方なのかもしれないが、全力で死合う一人の戦士の姿勢としては間違っているとしか思えなかった。


(……気に入らぬな)


 クライヴを再評価していくたびに、ベガの中に芽生えた感情はその勢力を拡大していく。これほど才能に溢れている人間が、それを全て投げ捨てるような生き方をしていることが気に入らなかった。そんな人間が今まで出会ってきた中でも上位に食い込むほどに強いことを、出来るなら認めたくはなかった。


 この力を操っていたのがマルクならば、敗北したとしても悔いはないと素直に言えただろう。あの純粋な想いには、それだけの強さが伴って然るべきだ。気高い意志を押し通せるだけの力が伴う世界で合ったらいいと、そう思う。


 ここで死ねば、クライヴの進む道を肯定するための糧がまた一つ増えるだけだ。その歩みは止まることを知らず、やがて世界を急速に侵すだろう。たとえ自分の在り方に背くことになっても、それだけは御免被るところだ。


「う、おおおッ‼」


 手を伸ばし、視野全体に意識を集中する。遠くに覗く景色と手のひらを一本の視線で貫き、そこを下り目に世界の摂理を捻じ曲げる。次の瞬間、ベガは数十メートル離れた位置へと一瞬にして移動していた。


 ベガを追い詰めていた包囲網は既に遠く、喫緊の危機は去ったように見える。しかし、クライヴがこちらを補足している限り安全地帯などここには皆無だ。それを証明するかのように、一呼吸の間をおいてクライヴはベガの背後へと姿を現した。


「なるほど、思った以上に融通が利くんだ。不完全な転移ではあるけど、どうやら侮っちゃいけないみたいだね」


 少しばかり驚いたような口ぶりを完全に無視し、次の移動の準備を整える。一言も発することなく手を伸ばしたベガの姿は、一瞬にしてまたはるか遠くへと消えた。


 クライヴも言った通りこれではイタチごっこにしかならないが、それで消耗戦に持ち込めるならこっちの物だ。たとえ転移擬きでしかない魔術だとしても、身体にかかる負担や魔力の消費量はこちらの方が遥かに少ない。ならば、勝機は持久戦の先に見えてきてもおかしくはない――


「――ああ、もう大丈夫だ。完全に理解したよ、ベガ」


 やっと見えた道筋を塞ぐかのように、クライヴの冷たい声色が耳元で響く。またしても一瞬で距離を詰めてきたその右腕は。ベガを見習ったかの如くピンとまっすぐ伸ばされていて。


「ぱっと見だけじゃ何をやってるのか理解できなかったけど、間近で見れば案外単純だったね。文字通り空間を『折りたたむ』ことで、君は『転移擬き』を実現してたってわけだ」


「……ッ‼」


 言葉が出ない。今の指摘は、ベガの魔術の根幹を完璧に言い当てている。『弱者の論理』を掲げるマルクでさえも理解できなかった強みをクライヴは完璧に読み切り、挙句の果てに模倣するにまで至っていた。


「『曲げる』って概念自体は単純なものだけど。それを空間に適用するとこんなこともできるのか。確かに魔力の燃費もいいし、見えてるところに動くならこっちの方が便利かもね」


 流れるような動きで掌底を繰り出しながら、クライヴはさらに理解を深めていく。いつの間にか生み出されていた氷の包囲網が背後へと迫り、その逃げ道は徐々に塞がれつつあった。


 クライヴが理解した通り、ベガの魔術の根幹にあるのは『歪曲』だ。力を加えて折り曲げるのではなく、魔力を通すことによって概念的に歪曲している状態を作り上げる。理論上の話でしかないが、ベガの手に触れられて折り曲げられないものなどないと言ってよかった。


 その証明の副産物こそが、空間を捻じ曲げることによる高速移動だ。大きな紙でも半分に折ることで簡単に両端が触れ合うように、始点と終点の間にある距離を概念的に『折り曲げる』ことでその間の移動を省略する。これがある事によって、ベガは視界に映るすべてを射程距離にすることを可能としていた。


 だがしかし、それは所詮転移の下位互換的な存在でしかない。体への負担が大きいこと以外目立った欠点のない転移魔術と比較すれば、否が応でも脆弱さは露わになってしまうのだ。


「うん、それじゃあ次の検証だ。君が積み上げてきた魔術の事、もっと僕に教えておくれよ」


 掌底を交わされたことを残念がる様子もないまま、クライヴは強く地面を踏みしめる。次の瞬間、突如現れた砂嵐がベガの視界を薄茶色に染め上げた。


 その一手を見て、自分の手札が一枚使い物にならなくなったことを確信する。歪曲魔術の特性も、転移擬きの弱点もすべて見破られた。今晒している手札だけでは、到底クライヴの策を突破することは出来ない。


 かといって別の魔術を使おうにも待つのはジリ貧、敗北のタイミングを少々遅らせるぐらいがせいぜいだ。『歪曲』が対策されつつある今、戦況を動かせる手は一つしか残されていなかった。


(晒すのもやむなし、か)


 思索するうちにも氷の包囲網は体に風穴を開けんと迫り、クライヴも命を奪うための一手を思索し続けている。一度期を逃せば、後に残るのは老骨の無様な死に様だけだ。


「……迷惑をかけるな、友よ」


 意を決し、誰にも聞こえないように謝罪の言葉を一つ。この剣を贈ってくれたのは、何故戦いの傍にいるのか分からないほどに温厚な男だった。いつも体中に傷を負って帰ってくるのを直視することすら苦手だったはずなのに、それでも逃げようとはしない強い男だった。


 別れてからずいぶん経つが、その記憶は今でも色褪せることなく息づいている。柄を握るたびに、その美しい刀身が顔を覗かせる度に。遠い過去の美しい思い出を、ベガは何度だって昨日のことのように思い出すのだ。


「目覚めよ」


 剣を握る手に力を籠め、軸足に体重を乗せる。一度抜き放ってしまえば、後は全てが終わるまで我武者羅に刃を振るい続けるだけだ。それだけで戦いを終わらせてしまえるだけの力をこの刀身は確かに宿している。


 その原動力となっているのは、かつて死線を駆け抜けた男の意志だ。戦いを憂いながらも離れず、嫌いながらも逃げることはせず。最期の一瞬まで強く在ろうとした男が遺した想いの具現がこの刃だ。悪意に満ちた意志如きで、友の想いが止められるものか。


「う……おおおおおおおッ‼」


 剣に導かれるようにして体を捻り、持てる限りの全力を賭して周囲を薙ぎ払う。それはベガの掌に何度も硬い衝撃をもたらしながら泊まることなく進み続け、やがて包囲網の全てを完璧に打ち破った。


 氷の武装たちは結晶も残さず消滅し、視界を奪っていた砂嵐も最初からなかったかのように吹き飛ばされている。その向こう側に立つクライヴの表情に、初めて焦りの色が浮かんでいるのをクライヴは見た。


「……驚いたな。只の剣じゃないとは思ってたけど、まさかそんな無茶苦茶をしてくる剣だったとはね」


「ああ、何せ自慢の愛剣じゃからの。儂らの積み重ねてきた年月、小童如きが容易く打ち破れるほどちゃちな物ではないわい」


 いつの間に距離を取ったのか、クライヴは十メートル以上離れた位置から称賛の声を上げる。それに軽く刀身を掲げて答えつつ、ベガは久々に獰猛な笑みを浮かべた。――その視線の先に、狩るべき標的をはっきりと捉えながら。

 ベガが今まで見せてきたあれやこれやのタネも割れたところで、戦いは一つの山場を迎えることになります。ついに愛剣を抜き放ったベガの実力は、そして相対するクライヴに策はあるのか! 次回、おそらく決着です!

――では、また次回お会いしましょう!

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