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第五百三十一話『後始末』

 我ながららしくないほどに肩入れしていると、客観的に見ればそう思う。


 望と臨まないとに関わらず、年を取れば自然と自分を俯瞰視点で見る技能は身についていく。それを決して悪いことだとは考えていなかったが、今だけはその気づきが鬱陶しく思えた。


(……私情だけで動くことの代償など、とっくのとうに理解しておるわ)


 強くなれば自由になれるなんて考え方が幻想でしかないことは、五十年ほど生きた時点で気付いていた。それどころか強くなればなるほどそれは『責任』と言う言葉に形を変え、より厳密にベガの事を縛り付けようとしてくる。それが嫌で仕方なかったから、ベガは誰かに仕えることを長い間良しとして来なかった。


 そんな中で出会ったクライヴは、五百年余りの生涯の中でも特異な人物だったと言えるだろう。力を求めながらもそれを縛ることはせず、責任をこちらに求めようとはしなかった。その歩みに付き従ってやってもいいと思えるぐらいには、ベガもあの男を高く買っていたはずなのだ。


「その末路がこれなのじゃから、つくづく儂は群れるのに向かぬという事なんじゃろうな」

 

 自嘲気味に笑みを浮かべ、目の前にある無骨な作りのドアを見つめる。それは今まで何度となく訪れてきた組織――『落日の天』の指令室だった。


『夜明けの灯』に対する『落日の天』。これほど名付け親の悪意が滲み、それが誰に向けられているかが分かりやすい名前もないだろう。これでマルクがクライヴの側についていたら、その名前は最上級の皮肉となって残された仲間たちの胸を貫いたはずだ。


 ただ、現実はそう思い通りにいく物ではない。マルクの意志が揺らぐことはなく、後にはただクライヴの悪意だけが残っていた。敬意の欠片もない、濁った悪意だ。


 もう少しでも戦いに敬意を払える人間だったなら、戦いに目的を果たすこと以外の意味を見出せる人間だったなら、きっとベガはクライヴを嫌わずに済んだはずだ。こんなことにもならず、彼が歩まんとする道の果てを共に見据えることができたはずだ。


 だが、現実はやはりそうではなかった。クライヴにとって戦いとは手段でしかなく、戦場で向かい合う敵は憎むべき障害でしかなかった。だというのに、あの男は憎たらしいほどに戦いのセンスに溢れていて。


 背筋が震えている。今から起こるであろう衝突に、高揚を感じている自分がいる。きっと戦場をただ駆けるよりも熾烈な死線が待ち受けていると、本能が直感している。


「悪く思うでないぞ、マルク。この戦いは儂が一人で臨むべき物じゃ」


 たとえこの手がクライヴの心臓を抉り出す結果になったのだとしても、ベガは不遜な笑みを絶やすことはないだろう。もしそれが叶えば、マルク・クライベットはさらなる強者になって立ちはだかってくれる。――ああ、良いことづくめじゃないか。


 部屋の中の気配は一つ、邪魔が入る心配はない。……柄にもなく一度呼吸を整えてから、ベガは扉へ手を伸ばした。


「邪魔するぞ、小童」


 イスに深く腰掛ける後ろ姿に、平静を装って声をかける。ほどなくして椅子が回転し、クライヴの視線がベガを捉えた。


 その瞳に、感情の揺らぎはない。まさかマルクの脱出に気付いていないわけではないだろうが、その下手人がベガであることまではたどり着けていなくてもおかしくはないだろう。さて、ここからどう話を進めていくべきか――


「ベガか、いいタイミングで来てくれたね。……ちょうど今、君と話さなきゃいけないと思ってたんだよ」


 そんな思考に滑り込むような声が、一瞬にして濃い敵意を帯びる。まだ二十年も生きていないような人間がここまで完璧に殺意を押し殺していたことに、ベガは戦慄を隠せなかった。


 どれだけの憎悪を殺し続ければその領域に至れるのか、五百年の記憶を漁っても到底見当を付けることは出来ない。ただ一つ確かなのは、ベガは確かにクライヴの逆鱗を鷲掴みにしたという事だ。冷え切った氷のような怒りが、それだけでベガを刺し殺さんと迫ってきている。


「裏切り者がわざわざ自首してくれるとは、最後の誠意でも見せてるつもりかい? 悪いけど、どんな言い訳も聞くつもりはないからね」


「儂が言い訳などするように見えるか? もし命乞いの言葉でも期待していたのなら、お主は少々他人を見る目がないと結論付けられるのじゃが」


 露わにした感情を余すことなくぶつけてくるクライヴに、ベガはあえて挑発で返すことを選ぶ。言い訳も後ずさりも、強者に相応しい姿とは到底言えないからだ。一度気に入らないと思ったのならば、躊躇なくそれらを壊しにかかる。……それこそが、かつて憧れた自由な生き方だからだ。


「いいや、初めて会った時から君はずっと危険人物だったよ。けど、もう少しは爆発せずにいてくれると思ってた。まだまだ僕の計画で役に立つ部分があったからさ、こんなことになっちゃったのが残念でならないんだ」


 あくまで笑みを浮かべたままで、少し前まで主だった男は裏切り者への憤りを滾らせる。感情の全てを露わにしようとしないその在り方が逆に子供の強がりのように見えて、ベガの口元が思わずほころんだ。


 いっそのこと腹の内を全てぶちまけて接してくれたのならば、もう少しこの男の事も好きになれたのかもしれないが。残念なことにその姿を見ることは叶わず、クライヴとベガの道はここで分かたれる。どれだけ言葉を交わしても通じ合えないならば、その先に待つのは殺し合いだけだ。


「そういうわけだからさ、自白するぐらいだったらどこか知らないところで勝手に死んどいておくれよ。君の死に様になんて興味はないし、裏切り者に割く時間なんて後々無駄になるだけだ。これ以上僕の手を煩わせないでくれ」


 どうやらあちらも分かり合えないと悟ったようで、乾ききった声は無慈悲にも話し合いを打ちきりにかかる。ここで指示に従って大人しく姿を消せば、きっとクライヴは追手の一人も寄越さないだろう。計画の邪魔にさえならなければ、それはクライヴにとって死んでいるも同然なのだから。


 ここで撤退を選んだが最後、クライヴの敵として立つ機会が巡ってくることは永遠にないだろう。そんな興ざめな結末を良しとしてしまえるほど、ベガは利口な性格をしていない。


「生憎じゃが、年寄りを思い通りにできるとは思わないことじゃ。貴様ほどの強者と死合える機会など、五百年以上生きてきた中でもそうそうないのじゃぞ?」


 机に向き直ろうとした椅子の背を掴み、額が触れ合いそうなほどに顔を近づけてベガは笑う。戦いへの考え方は到底認められなくとも、クライヴ・アーゼンハイトが強者であることは疑いようもない事実だ。ベガでさえも、下手を打てば死にかねないと確信できるほどに。


 マルクたちが見せた気迫には確かに心を打たれたが、だからと言って命の危機を感じたわけではない。『死ぬかもしれない』と思える戦場の代わりになる刺激など、この世界のどこを探したってありはしないのだ。そして今、その渇望を満たせるかもしれない相手が目の前にいる。


「貴様があくまで儂を軽んじるつもりならば、儂は貴様を燃やしつくす大火となるのみじゃ。今払いのける方が身のためだと、嘗ての恩義に免じて助言しておいてやるわい」


 クライヴと行動を共にしたことで、死にそうなぐらいの退屈も少しはマシになった。楽しみにできる未来の約束も出来た。後は、今この瞬間に疼いている衝動を満たすだけだ。……どうしてもその気がないなら、その気が起きるまで目障りな存在になり続けることだって厭わない。


 何せ一度餌をやったのだ、執着されるのは覚悟の上だろう。五百年かけてこじれにこじれた老人の願い、甘く見てもらうわけにはいかなかった。


 その意志が表明された後、しばらく指令室には沈黙が満ちる。それを打ち破ったのは、クライヴが深々とついたため息だった。


「――なるほどね。僕が予想していたよりもずっとずっと、君は馬鹿だし捻くれてもなかったってわけだ」


「捻くれるのも知恵を巡らすのも『強者』たる儂には似合わぬからの。そのような姿を見たいのなら、儂が認めた弱者に期待することじゃ」


 マルクは今頃帝都を駆け、仲間との合流を目指しているころだろうか。時間稼ぎをしてやろうなどと殊勝なことを言うつもりはないが、それにしても瞬殺されることは避けなくては。待ち望んだ強者が、ようやく腰を上げる気になったのだから。


「勝手に言ってなよ。今から十分もすれば、『最強』なんてちゃちな称号は地に堕ちる」


 重い腰を上げ、視線がまっすぐ交錯する。互いの殺気が熱となって肌を刺し、部屋の空気が後戻りできないほどに張り詰める。――その中で、クライヴはおもむろに腕を掲げて。


「でも、ここを荒らされるのは迷惑だ。今まで働いてくれたお礼に、君専用の墓場でも用意しようか」


 嘲笑を浮かべ、指が軽く鳴らされる。その合図に世界が従ったかのように、周囲の景色が一瞬にして変容した。

 裏切りの代償は、同時にベガが望んだ強者への挑戦権でもありました。ベガとクライヴ、圧倒的強者同士の戦いがどんなものになるか、ぜひお楽しみにしていただければ幸いです!

――では、また次回お会いしましょう!

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