第五百二十四話『蹂躙する者たち』
「……ふう」
散り散りになった氷の結晶が石畳へと落ちては溶けていくのを見届けながら、一つ小さく息を吐く。命を奪ったことへの罪悪感が今更湧いてくるわけもなく、心に去来するのは一仕事終えた達成感にも似た感情だけだ。クライヴの下に就いているというただ一点だけで慈悲をかける気が一切なくなってしまうのだから、つくづく自分も現金な奴だと思う。
少し何かが違ってあの下っ端たちがこちらの味方に付いてくれていたならば、リリスは出来る限りその命を守ろうとしていただろう。つまるところ生死の分かれ目なんてそんなもので、敵になるか味方になるかの分岐点は一つしかない。……そこで敵になることを選ばれてしまった以上、殺す以外の選択肢は現れないのだ。
少なくとも、マルクの命をクライヴが握っている限りは。リリスの大切な物を侵す可能性があるのなら、そいつらは問答無用でリリスの敵だ。たとえ今の十倍の敵を氷の華へ変えて散らせたとしても、この心は微塵も痛まずにいられる自信があった。
となれば、自然と心配になるのは相棒の事だ。リリスはこれまでに何度だって命を奪ってきたし、リリスの手で再起不能になった魔術師だって両手の指では足りないほどにいる。今ほどの覚悟は決まっていないにしても、リリスが殺すことに慣れているのは間違いない事実だ。
だが、ツバキは違う。搦め手や支援でリリスの戦いに絡んだ経験は数多くあれど、今のように一人で敵と向き合う経験に関しては決して豊富であるとは言えない。それ故の迷いが出てしまう事があるならば、そこはリリスがカバーしなければいけない部分と言う事になるわけで――
「――なんて、ちょっと心配しすぎてたかもしれないわね」
そんなことを考えながら振り向いた瞬間、眼前に広がった景色にリリスは苦笑しながらくるりと掌を返す。大きな帯のように展開された影に呑まれて倒れ伏す下っ端たちの姿は、脳裏によぎった懸念が全くの杞憂であると証明するには十分すぎた。
未だに何が起きたのか分からないままで目をしきりに開閉させている者もいれば、感覚を奪われたことに耐え切れず泡を吹いて失禁している者もいる。感覚を影に『喰われる』体験は、ともすれば氷の檻よりも下っ端たちの人間的な本質を如実に暴き出しているような気がして。
「……あ、もう終わったんだ。流石リリス、制圧から排除までの速度が段違いだね」
揃って呆然としている下っ端たちに一人一人とどめの一刺しを叩きこんでいたツバキが、リリスの視線に気づいてひょいと地面を一蹴りする。影の助けを受けて軽くなった身のこなしは、名だたる魔術師たちに勝るとも劣らないレベルにまで成長していた。
もともと素の身体能力ならリリスをも上回る逸材だった以上、自分への支援のかけかたが上手くなれば大化けするのは分かっていた。いたのだが、流石にここまでの成長曲線を描くのは予想外だ。リリスの予想をもはるかに飛び越えて、ツバキ・グローザは魔術師として『伸びて』いる。
「ツバキこそ、もう制圧までは終わってるじゃない。後はもうとどめを刺すだけでしょ?」
「まあね。けど、その段階になると手間がかかっちゃうのが良くないところでさ。手足の感覚を奪ったり口封じをしたりするのはある程度簡単だけど、命にかかわるような感覚を奪い取るのはまだ難しくって。……今の所、ボクが直接とどめを入れた方がまだ手早いぐらいなんだ」
ところどころに返り血が付いたナイフを軽く揺らしながら、ツバキは軽く息を一つ吐く。そこに少しとして殺すことへの嫌悪がないことは、その表情を見ればすぐに分かった。
その一方で、成長したことへの高揚感もツバキにはない。今目の前にいるのはいつも通りのツバキ、ずっと肩を並べてきた時と同じような相棒の姿だ。……それ以上でも以下でもないことに、どこか安堵している自分が居て。
「ま、それはメリアとの繋がりみたいなものだから仕方がないわよ。貴女がそこまでできるようになってるのを見たら、きっとあの子はまた傷ついちゃうわ」
「……ははっ、確かにそうかもしれないね。そう思うと――うん、少しだけ億劫じゃなくなったかもしれないや」
リリスの返答に弾けるような笑みを見せた後、ツバキは改めて影に囚われた下っ端たちへと視線を向ける。まだ生きている者たちの身体には傷一つ付いていないはずなのだが、その誰もが地面に崩れ落ちたまま動けない。……いや、動こうという発想すら出てきていないというのが正確だろうか。
影に囚われた者たちにとって、今自分の四肢はないも同然なのだ。今まで当たり前にあって使ってきたものを奪われた今、まともに行動するイメージを瞬時に描けるものなどそうはいない。リリスの氷を打ち破れるものが居ないのと同じように、ツバキがかけた影の呪縛を打ち破れる器を持つ者も下っ端には誰一人としていない、と言う事なのだろう。
「リリス、右から制圧を頼めるかい? 反対側から行くからさ」
「ええ、任せて。一人でも多くの敵を倒すのが、私たちに割り振られた役割だしね」
リリスたちの想いを汲んだのかは知らないが、カイルは具体的な指示をこちらに寄越してこなかった。それらしいものと言えばスピリオの同行と、『目一杯暴れてこい』と言う言葉ぐらいの物だろう。……意図はどうあれ、その心遣いには全力で応えるのが筋と言うものだ。
氷の剣を手の中に生み出し、ツバキと同時に左右に分かれる。動きを止めるだけだった影の呪縛は今この時を持って処刑台へと変わり、囚われた者たちの首に躊躇なく氷の剣を振り下ろし続ける。さっきは一滴たりとも飛び散らなかった返り血が、リリスの服や頬を赤く染めた。
ツバキのようにうなじ辺りを一刺しで仕留められればもう少し手際よく進められるのだろうが、同じ一点を何度も突き刺し続けられるだけの技術がリリスにあるとは思えない。細かいことができない以上、リリスにできるのは大ナタを構えては振り下ろし続けることだけだ。
ツバキの影が口をも侵しているせいか、悲鳴の一つも上がることなく下っ端たちはその命を散らしていく。一分も立たない頃には、影の帯の半ばほどで二人は顔を合わせていた。
「うん、やっぱり二人でやると話が早いね。これでひとまずは全部片付いたし、次の事を考える余裕も出来そうだ」
「そうね。結局のところ私たちもしらみつぶしに敵を探していくしかないし、出来る限り手早く行きましょ」
そんな言葉を交換する傍らで、ツバキの展開した影が音もなく揺らめいて消滅する。抵抗する気配もなく一突きで、あるいは一太刀で命を奪われた下っ端たちの姿は、後から見た者からすれば多くの謎を残すことだろう。戦いの痕跡すらも残さないリリスとは形を異にしているとはいえ、それが圧倒的な蹂躙であることに変わりはない。
「……となるとまずは、スピリオに出てきてもらう所からかしら。あの子、『自分は偵察兵だから』って言ってどこかに隠れちゃったしね」
「なんというか、見れば見るほど帝国らしさが薄くなってく子だよね。それが悪いこととは言わないし、寧ろ褒められるべきところではあると思うんだけどさ」
既に跡地となった戦場でお互い言葉を交わしながら、リリスは目を瞑って魔力の感覚を研ぎ澄ます。周囲で展開されている戦闘の気配があちこちから痺れるような感覚を伝えてくるが、今用があるのはそれではない。主張を強めてくる激しい気配をあえてシャットアウトしつつ探り続けること十秒、遂にリリスは小さく息をひそめるような魔力の気配を建物の中に見つけ出した。
「あっちの三階にいるみたいね。帝都の人たちはもう避難を済ませてるから、遠慮なく隠れ場所に使わせてもらってるって感じかしら」
宿屋と思しき看板を掲げた一軒の建物を目で示しながら、リリスはツバキに向かって右手を差し出す。それだけでリリスが何をするつもりか察しが付いたようで、苦笑しながらツバキはそっと手を取った。
「人を驚かせるのが好きだね、君も」
「違うわよ、ちまちま上るのが時間の無駄だと思っただけ。……それじゃ、早速合流と行きましょうか」
見え透いていたらしい魂胆を笑みではぐらかしながら、リリスは軽く地面を蹴り飛ばす。それと同時に生まれた風の球体は、リリスたちの身体を軽やかに宙へと浮かび上がらせた。
進化してよりしなやかに、そして何より強くなったリリスたちの戦い、いかがでしたでしょうか! 滑り出しはとても順調ですが、盤面はここからさらに動くこととなっていきます。果たしてリリスたちの目的は達成されるのか、帝国は生き残ることができるのか! ぜひご注目ください!
――では、また次回お会いしましょう!




