第五十二話『僅かな光明』
「リリスッ⁉」
その後ろ姿を見て、ツバキが絶叫にも似た声を上げる。ツバキから見ても、あんなふうに体勢を崩すリリスは明らかにおかしいのだ。必死に伸ばされたその影からは、明らかな焦燥が見て取れた。
「面倒な、ことを……‼」
体勢を崩した勢いそのままに地面に倒れ込んでいくリリスが、顔だけをカレンの方に向けながらそう悪態をつく。それに対して、カレンは口元をわずかに吊り上げた。
「すまないな、アレがボス――クラウス・アブソートという冒険者だ。お前の眼には、ただの人任せ野郎に見えていたかもしれないが」
自慢の速度を失ったリリスに向かって、カレンがすっとレイピアを構える。さっきまでなら脅威でも何でもなかったそれは、今や一撃で致命傷を与えかねない凶刃へと変貌していた。力感のない動きでカレンは腕を引き、最大速度の刺突をリリスに向かって打ち放って――
「……リリス、影を‼」
それが直撃する寸前に、ツバキが伸ばした影がリリスへと絡みつく。ツバキがリリスに影の制御権を委譲するその構えは、かつて『タルタロスの大獄』で見せたのと同じものだ。『出来れば使いたくない』と言わしめていた一手を、俺たちは使わざるを得ない状況にまで追い込まれていた。
「く、うッ‼」
「……へえ?」
リリスに預けられた影は盾へと形を変え、すんでのところで細剣の切っ先を受け止める。この一撃が防がれたことは予想外だったのか、カレンは大きく飛び退ってリリスから距離を取った。
「ボス、私の剣ではあの防護は打ち破れそうにないぞ。……面倒かもしれないが、ボスもこっちに来る必要がありそうだ」
「……ったく、お前はいつまで経っても非力だな……。その器用さが無けりゃすぐにでもどっかの街に捨てて来てるくらいだ」
援護を求めるカレンに対して悪態をつきながらも、クラウスはゆっくりとカレンの横に並ぶ。その手に例の愛剣は握られておらず、代わりに鉄のグローブのようなものが装備されていた。
剣での攻撃に比べたら殺傷能力は高くないだろうが、しっかりとした武装を使えば拳だって立派な武器になりうる。酒場での小競り合いでは拳だけで影を纏ったリリスと打ち合っていたし、即興で編み出した戦い方でないことは事実だった。
「私は器用さと柔軟さが取り柄だからな。ボスの武器と同じ土俵で戦うなど無謀が過ぎる」
「はん、違いねえ。……それじゃ、こっからは処刑の時間だ。カレン、手出ししたらまずお前から殺すからな」
「分かっている。ボスの私怨を阻めばどうなるか、知らない奴はこのパーティにいないさ」
リリスをあざ笑うかのように放たれた宣言に、カレンは微笑を浮かべながら小さく頷く。殺すとまで言われて脅されているのになぜ笑えるのか、俺には理解が出来なかった。
「……見れば見るほど、いい顔立ちしてんじゃねえか。今から殺さなきゃいけないのが惜しいくらいだ」
リリスのもとにまでゆっくりと歩み寄り、地面に片膝をついているその姿を下卑た視線で見つめる。リリスも影の刃を打ち放つなど抵抗はしていたが、そのすべては余裕の表情で躱されていた。
「ギルドでは世話になったな。……今度は、お前がボコられる番だ」
「……今のうちに吠えておきなさい。……私は、まだ負けたわけじゃないわ」
「そうかい。……じゃあ、その生意気な口から聞けなくしてやるよ‼」
クラウスの表情から笑みが消え、動けないリリスの顔面に向かって思い切り拳を振り下ろす。影の盾が直撃の寸前でそれを防いではいたが、そんな事を気にする様子もなくクラウスは二撃目に移っていた。
「……クソ、が……ッ」
何度となく振り下ろされる拳を、俺は見つめることしかできない。一撃でも喰らえば重傷は避けられないそれを、防ぎ続けてくれと祈る事しかできない。……あの場に割り込めない自分の弱さが、悔しかった。ギルドでクラウスに殴り掛かられた時、リリスはそれを代わりに受け止めてくれたというのに。
「何か、何かないのかよ……‼」
リリスの身に起きた以上を解く方法、クラウスの注意を一瞬でもこっちに退く方法、俺たちのペースの戦いに持ち込む方法……とにかく、この状況から脱却できれば何でもいい。このままリリスが傷つけられるのを見ているだけなんて、嫌で嫌で仕方がなかった。
視線を動かし、戦場となっているこの小部屋を見回す。壁の近くには俺たちが助けたパーティ、もう一つの入り口付近には『双頭の獅子』の後衛。カレンも今は自由に動けるし、下手な動きをすれば超高速の刺突が俺に差し向けられることになるだろう。――それでも、逆転の目を探さないと。
さらに視線を回して、俺はこの部屋にあるすべてを把握しようとする。ツバキの傍にある魔物の素材が入った袋、そしてほとんど分解された魔物の亡骸。地面に突きたてられたまま置いて行かれた、世界に一本しかないと言う話のクラウスの愛剣――
「……ん?」
そこに視線が行って初めて、俺の中に今更な疑問が浮かんでくる。……どうして、クラウスはあの剣ではなく拳でリリスを襲撃しているのか。
あのギルドでの意趣返し? それもあるかもしれないが、もしそれだけなら防がれた瞬間に剣で叩き切るプランに切り替えたっていいはずだ。今こうやって考えている間にもクラウスの拳は寸前で受け止められ続けているんだから、無駄な時間を嫌うなら剣を持って戻って来たっていい筈だろうに。
なら、『剣など使う価値もない』という余裕のアピールか? ……いや、アピールをするだけの群衆がいない。アイツの一番の目的は俺たちを壊滅させることなんだから、そんなまどろっこしい事をしなくていいのだ。何ならさっさと切り伏せた方が、後からつける言い訳の邪魔になる目撃者は少なく済むんだからな。
どう考えても、クラウスがあの剣を使わないのは非合理的が過ぎる。それでも剣を動かす様子を見せないということは、そこに何かの理由があるはずで――
「……あの剣に、何かあるのか?」
カレンが声をかけ、クラウスが剣を突き立てる。リリスの体勢が崩れる前に二人が起こしたアクションと言ったらそれくらいだ。……もしそれのどこかにリリスを動けなくするためからくりがあるとしたら怪しいのはあの剣しかない。
そこまで考えたところで、思い浮かんだのはツバキの魔術だ。ツバキの影は、何らかに覆いかぶせることでその効果を発揮する。言ってしまえば、魔術の効果が適用される空間を創り出しているようなものだ。
クラウス達がリリスに仕掛けたものが、その原理の魔術に基づくものだとしたら。……そして、その魔術を継続させるカギがほかならぬクラウスの愛剣にあるのだとしたら――
「……あの剣を、引き抜けば――‼」
その可能性に気づいた瞬間、俺の体は弾かれたように走り出していた。深々と地面に突きたてられているクラウスの愛剣に向かって、俺のできる全速力で。
もしかしたら俺の推理が全くの的外れで、あの剣を仮に引き抜けてもリリスの調子が戻ることはないかもしれない。もしかしたら、もっと複雑な仕組みで魔術を仕掛けているかもしれない。そうだった場合、俺の全力疾走は無駄に終わることになる。
それでも、俺の足は一切の迷い無く剣に向かって動かされていた。二十メートル先からでもよく見える、きらびやかな装飾が施された剣を、俺はきっと睨みつけて――
「……させるな、カレン‼」
「了解。……あのような無能に、ボスの邪魔はさせないさ」
クラウスの怒号、そして左側からひしひしと感じる殺気。それに気づいて俺がすっと身を引いた瞬間、さっきまで俺が立っていた場所を細剣が猛スピードで通り抜けた。
リリスとの打ち合いでその速度はイヤというほど見せつけられたが、近くで見るとその速度はより印象的だ。あの一撃が命中していたらどうなっていたか、想像するのはあまりにも簡単なことだった。一切の迷い無く、カレンは俺を殺しに来ている。
「……なるほど、図星ってわけだ」
「羽虫が妙な動きをしたら叩き潰す。……そういうものだろう?」
カレンはあくまで冷静を装っているが、それにしてもあの反応は大げさが過ぎる。俺の推論がほぼ確信に変わったことに、俺は内心笑みを浮かべた。
だが、ここからの二十メートルはこの世で一番長く感じられるものになるだろう。……戦闘においてはとんと能がない俺が、『双頭の獅子』の副リーダーであるカレンの剣戟を突破しなければならないのだから。
「ここしばらくのお前の狼藉には私も辟易していたんだ。……ここで仲間ともども消えろ、詐欺術師」
「お断りさせてもらうね。……そこをどけよ、カレン」
銀色の瞳を睨みつけて、俺は体中に隠した魔道具に軽く手を当てる。……修復術師にとって初めての直接戦闘が、幕を開けようとしていた。
次回、マルクにとって過去最大の戦いが幕を上げます!非戦闘員である修復術師の意地、是非見届けていただけると嬉しいです!
ーーでは、また次回お会いいたしましょう!




