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第五百二十二話『指令室にて』

――コツ、コツと音を立てながら、秒針は一歩ずつ開戦の時へと向かって歩を進めていく。らしくなく鼓動が昂ぶり始めているのが、自分にもはっきりと分かった。


 一方的な襲撃で蹂躙で略奪だった今までの戦いとは違い、今から始まるのは正面からの戦争だ。正々堂々など柄ではないと分かっていながらも、そうなったことに少しだけ興奮している自分もいる。たとえそこが自分の得意とする領域でないのだとしても、十分に戦えるだけの自信があった。


 この戦いでも自分の役割は同じ、事がつつがなく運んだ後の大詰めだ。序盤は裏方として戦況を操り、最後は主役として堂々とこの戦いの終止符を打つ。……その瞬間を想像しただけで、背筋が震えた。


 アグニを前にしてもあれほど冷静で居られた皇帝が最期を迎える時、その瞳にはいったい何が映るのだろう。絶望だろうか、それとも納得や満足の類の感情だろうか。……一つだけ惜しいことがあるとすれば、その死の瞬間には自分自身しか立ち会えないという事になる。


 大切な存在が目の前で理不尽に奪われる痛みは、己が死に瀕した時に感じる痛みとは全く別の物だ。身体ではなく心が直接刃物で切り取られてどこかへ持ち去られていくような、今まで積み上げてきた日々が否定されていくような。……その痛みを帝国に生きる全ての人間に与えられたのなら、もう少し気も晴れたのだろうけれど。


「……高望みだよね、それは」


 頭の中で描いた計画書を見直し、そこまでやるのは無理があると再び結論を出す。それはあくまで理想に辿り着くまでの副産物でしかなくて、ゴールにたどり着ける可能性を低下させてまでやることではない。……忘れるな、この戦いはただの通過点でしかないのだ。


 全部を取り戻すまで、クライヴには油断も慢心も許されない。必要なことを一つ一つこなして、『その時』が訪れるのを出来る限り早める。その道中でどれだけの命が、心が散ろうとも、それはあくまで必要経費でしかないのだ。それを分かってくれれば、マルクだって大人しく計画に賛同してくれるだろう。


 そういう意味では、マルクにとって大切な存在となっているあの二人には早々に消えてもらった方がありがたい。この世界に未練があったままでは、いざその時が訪れた時にためらいが生まれてしまう。……全てを取り戻すためには、一度マルクもクライヴと同じところまで落ちてきてもらわなければ。


「大丈夫だよ、マルク。……計画が叶えば、いずれ全部が僕たちの下に帰ってくるんだ」


 隔離されたあの部屋にたたずむマルクを想い、クライヴは小さく呟く。世界に復讐することなど、クライヴにとっては通過点の一つでしかない。ゴールに辿り着けば、クライヴが破壊した世界の全ては無かったことになる。――間違った未来として、正しい未来へたどり着くべく『修復』される。


 この世界が続いたままでは、『あの子』はどう足掻いても取り戻すことなどできない。何を以てしても一度起こってしまった死は覆らず、不老不死もその全てが紛い物だ。……死者を救い出そうと思うなら、世界そのものを一度やり直す以外方法はない。


「どうせなかったことにする未来だ。……せっかくなら、派手にやろうじゃないか」


 開戦へと時を刻む時計に写り込む自分の表情を見つめながら、クライヴはくつくつと笑う。……その顔つきは、自分でも驚くぐらいに楽しそうに見えて。


 こんな悪党の才能が今まで眠っていたのかと、自分でもどこか他人事のように驚いてしまう。『あの子』を失ってから今に至るまで全部自分の意志でやってきたことのはずなのに、それがどこか可笑しかった。


 きっと、三人で過ごしたあの日々がクライヴの中に眠る本性を眠ったままにさせていてくれたのだろう。あそこで穏やかに過ごす毎日は、クライヴにとって間違いのない救いだった。……あの日々にずっと身を委ねたまま生きられるならいつ死んでも後悔はないと、そう思っていた。


 だから、取り戻すのだ。たとえこの世界にもう欠片もその可能性が残っていないのだとしても、手を伸ばさずにはいられない。……どれだけ破壊を積み重ねても、あの日々が傍にあるなら再び善人として生きられる、そんな根拠のない確信がある。


「……だから、頼むよ」


 出来る限りの策は張り巡らせた、部下たちの意志も出来るだけ尊重した。何も特別なことが起こらずに戦いが進めば、勝ち残るのは自分たちだ。……どうか、妙な抗いなど見せないでくれ。


「世界が巻き戻れば、君たちも何も知らないままで生き返る。……だから、一度死んでくれよ」


 眼前には、帝都の景色を映した窓がある。戦いが終わるころにはきっと、その街並みも無残な変貌を遂げているのだろう。だが、それだって『修復』が終われば戦いの結果ごとなかったことになる。死も破壊も敗北も、クライヴが勝てばいずれなかったことになる仮初の物だ。


 帝国が手に入れば、『修復』に向けた障害は一気に取り払われる。……ここが、クライヴにとっての正念場だ。


 改めてそんなことを思い、窓の外の景色をじっと見つめる。……背後の扉が開く音がしたのは、それから秒針が三十回ほど音を刻んだ後の事だった。


「邪魔するぜ、大将。言われた通り、各地への転移命令を下し終えた。俺もいつでも行けるし、開戦の準備は万端だ」


「あーしの方も、装備やら魔道具やらの調整は完璧よ。……でも、本当にアイツに『アレ』を預けて良かったわけ?」


 椅子ごと背後を振り返れば、そこにはアグニとセイカが並んで立っている。自分の代わりに部下たちをまとめるのは苦労しただろうが、それでも余裕を持って終わらせてくれたようだ。隣で胸を張っているあたり、セイカも手を貸してくれたと言ったところだろうか。


「大丈夫さ、たとえアレを使う事になっても僕やセイカが居れば制御できる。……それに、君の研究結果を発表するにはいい機会だからね」


 全力を尽くしてくれたことへの礼として、セイカが抱える疑問を一つ拭ってやる。彼女の本質は研究者であり、他の面々のような破壊者ではない。常に全力をいかんなく発揮してもらうためにも、不安要素はこちらで拭い取ってやる必要があった。


「そうね……そうよね、いざとなれば鎮静薬だってあるし。あーしお手製だし、効かない方がおかしな話よ」


「ああ、君は僕たちが誇る立派な専属研究者だからね」


 クライヴがここまで自らの意志を貫き通せたのは、早いうちにアグニやセイカたちと巡り会えたからだ。その才能に支えられ、積み上げてきた先に今がある。……ここからは、今までに得てきた貯金をふんだんに使って成果を出すための時間だ。


「この戦いを制せば、僕たちの戦いは一気に終着点へ近づく。……いつも通り油断なく、計画通りに叩き潰そうじゃないか」


「言われなくともそのつもりだ。常日頃から戦いに慣れてる連中と戦うなんざ、どれだけ警戒したって足りねえぐらいなんだからよ」


 自分自身にも向けた戒めの言葉に、アグニは自嘲気味な笑みを浮かべながら応える。その笑みとともにいくつもの死線を切り抜けてきたこの男が倒れる姿を、クライヴは今でも想像できないままだ。……アグニ以上に強かに生きている存在を、クライヴは知らない。


 話題が交戦に向けた物へと変わったタイミングを見計らったかのように、時計は開戦の時刻まであと一分を切ったことを示す。この秒針が一周したら最後、始まるのは情け無用の正面衝突だ。どちらかが折れるまで、この戦いはきっと終わらない。……その道中で、きっとクライヴ達も何人かの同志を失うことになるのだろう。


「……期待してるよ、アグニ。君たちには、僕が目指した道の果てに辿り着いてもらわないと困るんだ」


 そんなことを考えていると、ほぼ無意識にそんな言葉が口を突いて出てくる。この世界での死など、どうせ後から無かったことにされる一時的なものでしかないはずなのに。……それでも今零れた言葉は、確かに二人の死を恐れているような気がした。


「ほんと、アグニはいつも危なっかしいんだから。あーしはいつも通りひきこもるからいいけど、アンタはちゃんと生き残ってきなさいよ?」


 クライヴに続くようにして、セイカもアグニへと釘を刺す。……その言葉を聞いたアグニは、珍しく虚を突かれたような表情を浮かべていて――


「――そうだな、オッサンだって命は惜しい。……ちゃんとやることやったら、いつも通りこの場所に戻って来るさ」


 その表情を苦笑へと変えながら、アグニははっきりと生還を二人に約束する。……その直後、時計の針は開戦の時刻を機械的に指し示して――


「んじゃ、一仕事果たしてくるぜ。チャンスが来るまで、大将はそこでふんぞり返って待っててくれや」


 気楽な言葉を残し、アグニの姿は一瞬にして虚空に消える。――それぞれの未来をかけた戦いの幕開けを、クライヴは静かに見送っていた。

 次回、遂に『帝位簒奪戦』の幕開けです! 果たして帝国はクライヴ達の挑戦を跳ね返せるのか、そしてマルクはリリスたちの元へと戻れるのか! 様々な思惑が飛び交う戦場になりますので、ぜひぜひご期待いただければ幸いです!

――では、また次回お会いしましょう!

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