第五百十八話『カイルの依頼』
「聞いたことがないとは言うまいな。その存在が帝国とともにあった以上、聖剣の力がなくば滅びていたような事態も貴様は何度も目にしているはずだ」
常人が受ければそれだけで失神してしまいそうな視線を、カイルは一切の遠慮なくこちらに向けてくる。その程度の圧力では倒れないと分かっているのか、それともまだ品定めの途中なのか。……何にせよ、向けられ続けてあまり心地のいいものでないのは同じことだ。
「そう気色ばむでない、最初から答えを偽るつもりなど欠片もないのじゃからな。……貴様の見込み通り、妾は確かに聖剣の事を知っておる。……加えて言うなら、この眼でその閃きを見たことさえあるわ」
初めてこの部屋にフェイを招いた皇帝の頼みが、他でもないその『聖剣』がらみの話だったはずだ。まだ一人の人間に、その人間が継いでいく血脈にここまで執着することになるなどとは思ってもいなかった、自由で無責任な精霊だった頃のこと。……まだ名前のなかった精霊は、時の皇帝からの頼みをあっさりと断った。
当時のフェイからしてみれば、帝国が滅ぶも滅ばないもどうだってよかったのだ。この地は長い人生の暇を少しでも潰すために選んだ仮の宿りで在り、滅んだなら滅んだで巻き込まれる前に他の場所に流れるなりなんなりすればいい。あくまで替えの効く存在でしかないから、守る事にも興味はなかった。
そう思って防寒を選んだ結果、その問題はどうやって解決したのだったか。……覚えているような憶えていないような、曖昧な記憶が脳裏に浮かび上がる。グリンノート家の一人一人を覚えて居ようとした代償なのか、それ以前の記憶はどうも曖昧になってしまっているらしい。
「まあ、今が聖剣を試すに相応しいほどの危機なのは間違いないじゃろうな。……その想いが届くかどうかは、あの剣の気まぐれでしかないようにも思えるがの」
「分かっている、だから早めに試すのだ。――頼れないと早めに判明するのならば、それを織り込んだうえでの策を練って臨むだけよ」
聖剣の威光に依存する気などない――と。
少し忠告じみたフェイの言葉に、さも当然と言った様子の反応が返ってくる。カイルからしてみれば聖剣は奥の手などではなく、使えるならば上等な手段の一つでしかないらしい。
(その様子じゃと――まあ、結果は何となく予想が付くが)
分かっていたことだが、カイル・ヴァルデシリアは強い。武力的な意味だけでなく、皇帝としても。ただ最強を証明して皇帝となった人間だとは思えないほど、彼の目は冷静に物事を見通している。
それでいて最強となった物らしい傲慢さもまた時折顔を覗かせるのだから、カイルのバランス感覚には思わず感服せざるを得ない。傲慢なだけな皇帝も冷静なだけの皇帝も今までにたくさん見てきたが、その二つをここまで両立する存在と対面するのはこれが初めてだった。
だが、こと聖剣に限ってはそれが裏目に出ることになるだろう。――あくまで仮説でしかないが、あの聖剣の本質がフェイには何となく分かっていた。
「……無礼を承知で、一つ意見を述べてもよいかの?」
「そのような許可を取る必要はない、考えがあるなら自由に話せ。もとより助力を求めているのは余の方だ」
しばらく悩んだ末に踏み込んだ一歩に、カイルは予想以上に寛大な答えを返す。やはりこの男は、今までのフェイが知る皇帝とは、そしてそれを志す者とは何かが違うのだ。……この皇帝の下ならば、あるいは。
「分かった、では単刀直入に言わせてもらおう。……今の貴様では、聖剣を抜き放つことはほぼほぼ不可能じゃ」
思わぬ方向にそれかける思考を一旦本筋へと戻し、フェイははっきりと断言する。僅かに見開かれたカイルの目は、何か面白いものを見るかのようだった。
「ほう。……そこまで言うからには、何か根拠があるのだろうな?」
「当然じゃろう。あの聖剣は、貴様が思っているよりも遥かに性格が悪いのじゃからな」
もっと正確に言うならば、聖剣を聖剣たらしめる『何か』がそうだというべきか。救いの剣などともてはやされてはいるが、その本質が慈悲にないことにフェイは薄々勘付いている。……それはきっと、聖剣が絡んだ事件を何度か目にしてきたことによるものだ。
そもそも救いの剣であるならば、困っている人間に対して平等にその刃を貸せばよいだろう。だが現実はそうでなく、聖剣の力を望んだ人間のほとんどは拒絶を受けて剣を持ちあげることすらできない。何かの法則性が、聖剣を握るに相応しい相手を選別していると考えるのは至極自然な事だった。
「その法則性が何かと言う所まで掴めておらぬ故、妾もあまり踏み込んだことは言えぬのじゃがな。少なくとも、貴様が握ってどうこうなる物ではないことだけは確かじゃろうて」
時折言葉を止めて己の考えをまとめながら、出来る限り手短にフェイは自らの考えを披露する。……其後に流れた少しの沈黙が、いつになく重苦しく感じられた。
この話を聞いたことで、カイルのプランにはどんな変化が起きるのだろうか。政権を完全に切り捨てるのか、それとも別のアプローチから利用しにかかるのか。そんなことを考える中で、カイルはようやく口を開いて――
「……推論はそこまでか?」
こちらを見下ろして放った言葉は、そこはかとない落胆の色を含んでフェイの耳に届く。やがてその視線をフェイからその隣に立つ存在へと移すと、カイルはようやくその玉座から腰を上げた。
「かような事実、余もとうにたどり着いておる。どんな推論を立ててみたところで、余が聖剣に的確な人間だとは思えぬからな。……安心しろ、その問題に対する策は既に打たれている故」
立ち上がってこちらに歩み寄りながら、カイルはおもむろに手を伸ばす。……その手は、フェイの隣に立っていたカルロの肩をがっちりと掴んで。
「貴様の考え通り、余が聖剣を握ることなど生まれ変わらぬ限りあり得ぬことだろう。ならば、この男ならどうだ?」
「……悪いな、精霊様。もうちょっといい割込みどころがあったかもしれねえけど、聞き入ってるうちに見失っちまった」
カイルの問いに続くようにして、カルロが申し訳なさそうに両手を合わせる。そんな二人の姿を、フェイは驚きとともに見つめていた。
カルロがずっと黙っていたことへの驚き、ではない。カイルの聖剣に対する分析が予想以上に進んでいたことが、フェイを心底驚かせた。……どんな経験と考察を積み重ねれば、まだ若いその身でフェイと同じ仮説に辿り着けると言うのか。
「剣の性格が云々の話は我も知らぬが、聖剣が帝国の危機を何度となく打破したことは事実として残っておる。つまり、聖剣は何らかの法則に従って慈悲を与える存在だと仮定できる。……しかし余は、そのような訳の分からぬ存在からの『慈悲』など求めるつもりはない。余が期待するのは、たった一振りで危機を容易に打ち破り得るその『戦力』だけだ」
故に聖剣の使い手は余ではない――と、カイルは淡々とした様子で自分が辿りついた結論を口にする。それはどこまでも現実主義的で、聖剣を単なる選択肢の一つとしか見ていない人間の在りかただ。それを自覚していることがまた、フェイの驚きをさらに加速させていた。
目の前に立つ皇帝は、本当に三十年か四十年かしか生きていないただの人間なのだろうか。フェイの同族たちのような長命種が受肉したのがカイルだと言われても、フェイはそれを否定しきれないだろう。……それほどの圧力が、確かにカイルには存在する。
「王国にいる時も、貴様は共同戦線の面々に魔術の手ほどきをしたと聞いている。余よりも遥かに政権を知る貴様の教えならば、この行き詰まった状況を打破できるやもしれぬ。……故に、この場で改めて依頼させてもらおう」
視線を上げ、その圧力の全てがフェイに向けられる。ゾワリと鳥肌が立ち、足が僅かに震えを訴える。……そのような感覚を覚える相手と出会うのは、一体いつぶりの事だろうか。
「フェイ・グリンノート、貴様にはカルロの指南役となってもらいたい。――少しでも、カルロを聖剣の振るい手に相応しい存在へと近付けるために。確実に成功するわけでなくとも、確率が少しでも上がるなら儲けものだ」
淡々と告げられるカイルの依頼――いや、その形だけを取った『命令』を、フェイはただ粛々と聞き届ける。……それに対する答えなど、どれだけ探しても一つしか見つかるわけがなかった。
聖剣を知るフェイと振るい手になることを望まれたカルロ、二人の交流は一体何をもたらすのか! 省のタイトルにもそのままつながる部分でもあるので、ぜひ楽しんでいただければ幸いです!
――では、また次回お会いしましょう!




