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第五百九話『ツバキのワガママ』

 ツバキが腕の立つ術師であり戦士であることは、これまでだって分かっていた。リリスの戦い方の根底を作ったのもツバキで、影を纏う戦い方を提案してくれたのもツバキだ。そんな彼女が弱いことなんてあり得ないのだと、間違いなく頭では理解している。


 しかし、今こうして正面に立ってみることで初めて気付いた。……今までしてきた評価でさえ、ツバキの本質からすれば過小評価でしかないのではないかと。急速に早鐘を打ちはじめる鼓動が、目の前に立つ相手がどれだけの強者であるかを必死に伝えてくれていた。


「……本気でってことは、寸止めにするなら何をしてもいいってことよね?」


「当然、それがやりたくてボクはここまで来たんだ。クライヴ達との戦いに向けて、今のボクがどれぐらいできるのかってのは確かめておく必要があるしね」


 声が震えないように気を付けながら発した確認に、リラックスしている時のような声色で答えが返ってくる。手を振るのをやめて小刻みに跳躍し始めるツバキのシルエットは、いかにも臨戦態勢と言ったところだ。当然の話だが、躊躇や遠慮の類は何一つして見当たらない。


 持ち掛けられた提案の中身にも、タイミングにも戸惑いはある。だが、何はともあれそれに何らかの目的がある事は確かだ。……相棒たるもの、それに向き合わないわけにはいかないだろう。


「ごめんねリリス、眠れないってだけなのにこんなことを言いだしちゃって。でもね、君が熟睡で来てても明日の朝にはお願いするつもりだったんだ。……『ワガママ』、少しぐらいなら言ってもいいんだろう?」


「……ッ!」


 そんな決意を後押しするかのようなタイミングで、弾むようなツバキの声がまた聞こえてくる。『ワガママ』の四文字が耳に届いた時に走ったのは、飛び跳ねたくなるような喜びとしみじみとした感慨をないまぜにしたような感情だった。


 その言葉が出てきたとあれば、リリスがそれに応えないのは許されない。ツバキが許そうとも、自分自身がそれを決して許さないだろう。……何せ、ツバキの背中を押したのは他でもない自分自身なのだから。


「そうそう、そんな感じでいいのよ。ワガママの言い方、上手くなってきたじゃない」

 

 手の中に氷の剣を作り上げ、足元に小さな風の球体を作り出す。自分の体内を巡る魔力に意識を集中させ、いつでも外の魔力を染め上げられるようにイメージを整える。手加減も妥協も一切なし、臨戦態勢の完成だ。


「でも、頼まれちゃったからには本気で行くわよ。一瞬で決着がついても恨みっこなしってことで」


「分かってるよ、そうなったらなったで僕の現在地ははっきりするし。……ただ、ボクはそれを知りたいんだ」


 ツバキが魔術を展開したのに応えるかのように、ツバキの全身から影が溶けるように伸び始める。何もかもを呑み込むような黒を従えてリリスと対峙するその姿は、思わず息を呑むぐらいに怜悧な美しさを湛えていた。


 組手はこれまでたくさんしてきたし、自他ともに認められる相棒になってからはお互いにお互いの癖を指摘しあったりする時期なんかもあった。だが、お互いに遠慮なしの本気でぶつかるのはこれが初めてだ。本来なら後ろからリリスを支えてくれる心強い存在が、今は何よりの脅威としてリリスの前に立っている。


「それじゃあ、あの時みたいにゼロになったらスタートにしようか。……さん、に、いち――」


 焚火前での組手を思い出させるようなカウントダウンを聞きながら、リリスは集中を極限まで高めていく。今のツバキ相手にどんな戦術を取るべきか、本能はもうとっくに答えをはじき出していて。


「――ゼロッ‼」


 ツバキの力強い声が聞こえた瞬間、リリスは限界まで身を低くしつつ足元の風を炸裂させる。力強く背中を押す追い風に助けられ、その体は一瞬にして最高速度へと到達した。


 ツバキの影魔術で最も警戒するべきなのは、影魔術の特性を生かした小細工や撹乱の類だ。いくら直接的な殺傷力がなかろうとも、それに搔き乱されてしまえば致命的な一撃を許しかねない。……つまり、時間をかければかけるほど状況はツバキの有利に傾いていくと言っていいだろう。


 故に、最初の一撃で終わらせる。今の自分にできる最高最速、全てのリソースを速度へと特化させた一撃で。ツバキからすれば不本意な決着になるとしても、それを躊躇する気は微塵もない――


「――あ、え?」


 揺るがぬ意思をも推進力にしながら、リリスは一発の弾丸となったかのようにツバキへと突進する。吹雪をも纏ってさらに威力を向上させたその一撃は、しかし後二、三歩の所で急速に失速した。


 唐突に、右足の感覚が消失したのだ。痛みも衝撃もなく、ただ唐突に膝から下の感覚が一切なくなった。……そんな中で今までと同じように力を込めるのは、流石のリリスでも無理のある話で。


「つっ、く、と……ッ!」


 唐突な脱力によってつんのめった体をあえてさらに前へと傾けることで両手を使った受け身を取り、リリスはどうにか隙を最小限にしながら体勢を立て直すことに成功する。無事に地面に着地した時には、消失したはずの右足の感覚はなぜか取り戻されていた。


 少し考えるまでもなく、一連の現象はツバキの魔術によって実現されたものだ。何かしらの影の影響によって右足の感覚は一時的に死に、リリスの攻め手はあっという間に奪われた。……そこまで分かっているのならば、残る問題はどこでそれを仕込まれたかだ。


 影魔術本来の性質とツバキの魔力量の多さが合わさることで、影魔術はリリスですら全貌を把握しきれないほどの柔軟性を有するに至った。その中で今リリスに使われたのが何かを見抜くことが出来ない限り、対策を立てることすら一苦労なわけだが――


「……次はボクの番でいいよね、リリス?」


 一息入れて考える暇など当然与えてくれるはずもなく、影を纏ったツバキが猛然と突進してくる。全身からあふれ出す影に隠れて、鋭利な短剣のシルエットが一瞬だけ視界に入った。


 とっさに飛び退いて一撃目を交わし、流れるように続いた二撃目も体を捻ってどうにか躱す。風魔術で一度距離を取って仕切り直したいのが本音だが、短剣両手持ちが実現する手数の多さがそれを許してはくれなかった。


 どうにか距離が取れるものは足を必死に動かして躱し、その着地際を狙うような斬撃には氷の剣を軌道上に置くことで対処する。避けるか受けるかの判断を見誤れば、それだけで決着にまで追い込まれてしまうだけの圧力が今のツバキにはあった。


 様々な方向から躍るように襲い掛かってくる斬撃の嵐を、今まで培ってきた経験則と反射神経だけでどうにかしのぐ。反撃の芽を見出させない密度の高さは流石としか言いようがないが、リリスとてこれまでずっと前衛として戦ってきたのだ。その積み上げの高さにおいては、ツバキを前にしても負けることはないと断言できる。


 好機があるとすれば少し大きめに回避した後の一撃、そこが一番狙い目だろう。普段ならば斬撃に氷の剣を合わせるので手一杯だが、もしそこでもう一歩踏み込めるなら話は変わってくる。一度流れを奪ってしまえば、物量による押し込みはリリスも得意とするところだ。


 体を捻り身をのけぞらせ、虎視眈々と勝機を待つ。その狙いを悟られぬよう、いかにも劣勢が続いている風を装いながら。……一度の交錯で、瞬く間に主導権を奪うのが理想だ。


「……ふっ、やあッ‼」


 リリスが切り下ろしの構えを作ったのを見て、リリスは迷うことなく後ろへと飛び退く。あの構えは踏み込みが大きい分射程も長く、嫌でも大きく距離を取ることを強制される。つまり、リリスが布石を仕込もうともそれは不自然さを伴わない行為へと化けるという事だ。


 狙うのは次の一撃、着地際を狙い撃つような踏み込み切り。体重が乗っている分威力は高いが、それ故にはじき返した時のリターンも他の一撃とは一線を画する。盤面を覆すために、これ以上ない状況は整った。


「……逃がさないよ、リリス――‼」


 今までもそうしてきたように、大きく距離を取ったリリスに対してツバキはすかさず身を低くしてこちらに突っ込んでくる。そこから体を大きく動かして斜め切りの体勢を作ったことを確認してから、リリスは反撃の一歩を力強く踏み込んで、そして。


「……やっぱり、君ならそうするって信じてたよ」


「……は?」


 どこか愛おしげなツバキの声が響いて、氷の剣を握り締めた右腕を一瞬にして影が包み込む。……その瞬間、一秒前にはあったはずの感覚が何の前触れもなく消失して。


――カランと音を立てて氷の剣が地面に落下した瞬間、自分に迫る敗北の危機をリリスは直感した。

 リリスと共にフェイの手ほどきを受けたことで、ツバキの影魔術もまた一段と進化を遂げています。それを目の当たりにしたリリスがどう動いていくのか、二人の真剣勝負をぜひお楽しみいただければ幸いです!

――では、また次回お会いしましょう!

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