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第五百六話『嵐の前の心得』

「結論から言えば、光魔術の小娘が提案した先制攻撃の計画はもう不可能じゃ。何せ『帝位簒奪戦』は四百年以上前、もっと言えば帝国が帝国として成り立ったその時から存在する神聖な物じゃからの」


「それを無視してクライヴ達に攻撃を仕掛ければ、どちらにせよカイルの品位が下がることは避けられない――か。相変わらずいやらしい手を使ってくるね、クライヴも」


 顎に手を当てながらツバキは口を開き、クライヴにストレートな悪態を吐く。ここまで捻りのない罵倒を投げかけるのもツバキにしては珍しかったが、フェイの説明を受けた今ではリリスも納得せざるを得なかった。


 円卓で起きた緊急事態から数時間が経過し、リリスたちは今城内の宿泊室に滞在している。もともとはパーティーなどで使う賓客用の部屋という事もあって、天井から釣り下がるシャンデリアの装飾はいっそやりすぎなぐらいにギラギラと光を反射していた。


 これがカイルの好みだとは何となく思えないが、そんなことを言うならばそもそもパーティーと言う催し自体が彼の印象と合致しない。きっと何代か前の皇帝が作ったものをそのまま放置しているのだろうと、リリスはひとまずそんな結論を出しておく。


 しっかりと配慮も行き届いていて、ロアルグとガリウスは少し距離を置いた別の部屋に通されている。あっちの雰囲気がどうなっているかは心配だが、カルロが部屋を訪ねようとしているのがちらりと見えたから重苦しくなることはないだろう。……もっとも、あの自体の後で朗らかな雰囲気になれと言われても難しい話ではあるのだが。


「転移魔術を利用してこっちの会話を盗み聞くぐらいだし、組織全体にそういう悪趣味なやり方が浸透してるのかもしれないわね。……『落日の天』なんてふざけた名前も、私たちに向けた当て擦りなのが丸分かりだし」


 かくいうリリスも緊張した部屋の雰囲気に引きずられ、アグニたちに向けた負の感情が口から零れだす。あの場で名乗られたクライヴ達の名前は、リリスの神経をこれ以上ないほどに逆撫でしていた。


 あの部屋でのアグニの振る舞いは大概目に余るものだったが、あれ以上にリリスたちを苛立たせたものはない。……三人で話し合って付けた『夜明けの灯』に籠められた想いを、これまでの歩みを、あの男たちは完全なる悪意で踏み躙ったのだから。


「バラック出会った時からそうだったけど、あの時名乗られてもっとはっきりしたわ。……絶対に、あの組織の目的が果たされるなんてあっちゃいけない。たとえどんな背景がそこにあろうと、同情する必要は微塵もないってことがね」


「ええ、あれはわたくしも認められませんわ。たとえどれだけあちらがその名前を強調したとしても、絶対にその呼び方を使うつもりはありませんもの」


 リリスの心の中を荒れ狂う激情に同調して、アネットも力強く拳を握る。少なくともこの部屋にいる仲間たちはその想いを理解してくれていることが、リリスにとってせめてもの救いだった。


 クライヴ達の手元に囚われているはずのマルクも、クライヴ達がこんな最低の名付けをしたことを知っているのだろうか。もし知っているのならば、今のリリスたちと同じように怒ってくれているだろうか。……とても身勝手な願いだが、そうであってくれたらいいと思う。『夜明けの灯』に籠められた想いがマルクにとっても大切な物でありますようにと、そう願わずにはいられなかった。


 軽く目を伏せ、今も遠くにいるであろうマルクを想う。たとえ記憶が戻ったことでその在り方に変化が生じていたのだとしても、リリスが恋をしたマルク・クライベットの面影はきっとまだそこにいるはずだ。……そんな願望にも似た推測へと思考が飛躍していく中で、ふとフェイの視線がこちらに注がれていることに気が付いた。


「……どうしたの、フェイ?」


 やろうと思えばどこまでも深めていけそうな思考を切り上げ、フェイへ視線を合わせる。それが意外だったのか、フェイは驚いたように一瞬体を揺らしてから口を開いた。


「いやなに、別段特別なことを考えていたわけではない。……ただ、貴様のその想いがずっと変わらずに在れれば良いと考えていただけじゃ」


 普段のどこか高飛車な振る舞いは影を潜め、しみじみとした表情でフェイは答えを返す。リリスだけをまっすぐに貫く視線は、その向こう側にあるどこか懐かしいものを捉えているような気がした。


「妾が四百年もの間宝石を依り代としてあり続けたことは、貴様らももう知っていることじゃろう。その経験故、妾はきっとこの世界のどんな存在よりもはっきりと理解しておる。――時が経っても変わることのない想いが、不安定な存在にとってどれだけ救いとなるかをな」


 ゆっくりと目を瞑り、胸元で優しく拳を握り締める。レイチェルが良くやっていたその仕草を真似るフェイの表情は、『帝位簒奪戦』の事を語っていた時とは見違えるほどに穏やかなもので。


「妾が存在を保ち続けていられたのは、もちろん修復術の恩恵も多分にある。じゃが、一番の支えになったのはグリンノート家が変わることなく妾への想いを抱き続けてくれたことに他ならぬ。――妾に向けられる想いが変わらないからこそ、妾も妾自身の在り方を見失わずにいられたのじゃからな」


 温かい声色で語られるのは、四百年以上もの時を経て積み重なり続けた感謝の念だ。宝石の中から伝えようとして、だけど叶わずに終わり続けてきた言葉。……それを、リリスたちは今目の当たりにしている。


 フェイにとってレイチェルが特別な存在であることは、今までだって十分に理解してきたつもりだ。だが、その認識ですらまだ完全ではなかったとリリスは思い直す。フェイがレイチェルに向ける思いは、もっとずっと深く温かいものだった。


「肉体なき存在にとって、自らの存在を定義し続けるのは存外骨が折れることじゃ。……じゃが、グリンノート家のおかげで妾はそれに苦労した記憶がほとんど残っておらぬ。あの者らがそうであったように妾も己の在り方を貫こうと、そう誓う事が出来たからの」


「己の在り方を貫く――わたくしにとっても、忘れずにいなければならない言葉ですわね」


 フェイの独白に感化されたアネットは部屋の隅へと歩き、荷物の山の中から騎士剣の収まった鞘を拾い上げてくる。彼女の目指す先を想えば、その剣は歩むべき先を目指す道しるべのようなものなのだろう。


 どれだけの想いを貫いてアネットがバラックの事件に挑んでいたのか、その一部始終をリリスたちは傍で目にしている。その歩みが愚直で、されど弛まぬ物だと知っているからこそ、『夜明けの灯』はアネットを心から信じることができていた。


 あの日古城で抱いた尊敬の念は、今日ここに至るまで何一つ変わっていない。……それもきっと、その想いの持ち主であるアネットが変わっていないからに他ならないのだろう。


「貴様だけではない、この場にいる全員に言えることじゃ。……貴様らは揃いも揃って、大切にしたいと感じる一本の軸を確かに見つけ出しているのじゃからな」


 どこか他人事のようにアネットの事を思っていると、フェイの視線がいきなり三人を射抜く。その口調と振る舞いは、王都で受けた座学を思い出させるようなものだった。


「途中で少し話が逸れたが、妾から貴様らに伝えておかねばならぬ心得がある。『帝位簒奪戦』はきっと、この都市に凄まじい混乱をもたらすじゃろうからな。……いや、もう都市は混乱の中にあると言っても良かろう」


 そう言いながら、フェイは小窓へと視線を投げる。ほんの申し訳程度に取り付けられたそれは、夜の暗さも相まって外の景色を映し出してはくれない。この城の外で何が起こっているのかを知りたいのなら、実際に足を向けてみるほかないのだろう。


「挑んだ側と挑まれた側はもちろん、その争いに直接関与しない有力者たちにとってもこの戦いは重要な物じゃ。帝国に恩を売りたいものはここぞとばかりにすり寄り、逆に今の皇帝へ反感を抱く者はどうにか簒奪を成功させようと挑戦者へ近づこうとする。あの男が『帝位簒奪戦』の開幕を告げたことによって、この帝国全土が様々な思惑に呑み込まれた形じゃ」


 どこまで狙ってそれをやっているのかは知る由もないがの、とフェイは苦々しい表情とともに付け加える。各々が違うやり方で自分の利益を追求することがある種帝国の正しい在り方であるのを、リリスは半ば直感的に理解していた。


 挑戦者の勝利を願って動き出す勢力の事を、きっと帝国では『裏切り』とは呼ばないのだろう。それはただ、自分が勝つと思った勢力に賭けているだけだ。……自分の手で生活を良くしていくのが美徳とされる国の中で、どうしてその行為を身勝手だとなじる道理があるだろうか。


「この戦いに巻き込まれたものの全てが、よりよい明日を掴み取ろうとするために戦うじゃろう。神聖な戦いを大義名分として、きっと二日後には数えきれないほどの下衆な思いが帝都でぶつかり合うはずじゃ。……故にこそ、貴様らが今抱いている思いを決して見失うな」


 その気づきでかすかに動揺した心を、フェイの力強い声が一瞬にして引き戻す。胸元で拳を強く握りしめるその態度が、リリスたちにどうあるべきかを示してくれていた。


「二日後になれば、この都市は数多の血と犠牲に塗れることじゃろう。その中で散っていく思いも、貴様らの手で直接否定せねばならぬ願いもあろう。……じゃが、それに揺らぐ必要などない。貴様らの抱く想いは間違いなく尊いものであると、この妾が保証してやる」


 少しだけ表情を和らげて、フェイは堂々と宣言する。四百年以上もの時を生きてきた精霊に肯定されたとなれば、自分が抱く想いもより誇らしく思えてくるというもので。


――胸の奥でほのかに存在を主張する熱の感覚が強まったのを、リリスは確かに感じ取っていた。

 帝位簒奪戦の開幕まであと二日、各人はそれぞれの準備を進めることとなります。どこまでの長さになるかはまだ分かりませんが、開戦前の水面下の動きもぜひお楽しみいただければ幸いです!

――では、また次回お会いしましょう!

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