第四十九話『落としどころは』
「……負傷者の容態はどうだ?」
「みんな大ダメージを受けてはいるけど、致命傷に至ってる人はいないわ。全員が冒険者として再起できるかは……まあ、少し微妙だけどね」
未だ気を失っている術師たちに手をかざしながら、リリスは視線を一瞬だけ俺の方に向けてそう答える。あまり役に立つ機会がないと思われていたリリスの医術適性は、意外なところで絶大な効果を発揮していた。
あまりにも戦闘行為に対して慣れすぎているのもあって、基本的に二人は負傷ってものをほとんどしないんだよな……。たまに苦戦こそすれ、その時だって大きな負傷をしないように慎重に立ち回っているのは俺の眼からしても分かる事だし。だからこそ、リリスの治療技術が本領を発揮しているのを見るのはこの場所が初めてだった。
「いつか言ってた治療院の話、冗談じゃなく開けるかもしれねえな」
その手際のいい動きを見つめて、俺は思わずそうこぼす。医療魔術だけではなく、道具を使用した治療もリリスにはお手の物らしい。雰囲気をほぐすための提案かと思っていたが、この腕前なら冒険者御用達の治療院になる事請け合いだろうな。
「ええ、そこら辺の医療術師以上にできるくらいには修練を積んだもの。そうしないと私の体が保たなかったから、必要に駆られて身に着けたようなものだけどね」
「昔のリリス、今よりももっと危なっかしい戦い方をしてたもんね……ボクは治療術に適性がないし、安定した戦い方を編み出してくれるまでずっとヒヤヒヤさせられたものだよ」
俺の賞賛にリリスはどこか懐かしそうにそう呟き、後ろで素材の剥ぎ取りを行っているツバキが苦笑する。あまりにも飛び抜け過ぎていて忘れがちになるが、そういや二人にだって未熟な頃はあったんだもんな……。どんな過程を経て今の圧倒的な戦闘スタイルに行きついたのかはかなり気になるが、それを詳しく問いただすのはまた別の機会にすることにしよう。
「……すごいな、お前さんの仲間たちは。この年にしてもう自分だけの戦い方を見つけ出してるってわけだ」
「だろ? 二人とも俺の自慢の仲間達だよ」
目を瞑ってしみじみと呟く男に、俺は心からの笑みを返す。少し前まで大槌を構えて独り魔物に相対していた男は、壁に力なくもたれて仲間たちと一緒に治療を受けていた。
戦闘直後は意識がもうろうとしていたが、軽い応急処置を受けただけでここまで回復するのだから大したものだ。最早執念の産物と言ってもいいあの耐久力は、しかし日ごろの鍛錬にもしっかりと裏打ちされたものだったようだった。
「いい仲間に恵まれたな、お前さんは。……こいつらを代表して、礼を言わせてもらうよ」
横たわる中俣たちを手で指し示して、男は小さく頭を下げる。その動きだってきっと楽なものではないだろうに、どこまでも律儀な人だ。
「礼なら俺じゃなくてそこで治療してるリリスに言ってやってくれ。実際にアレを何とかしたのは全部アイツの力だからさ」
「……そうだな。あの時飛び出してくれなかったら、俺は間違いなく死んでいたし……っ、と」
ふっと目線でリリスの方を指し示して、俺は男を促す。それに従ってリリスの方に歩み寄ろうとした男だったが、立ち上がろうと力を込めた瞬間にその足元がぐらりと揺らいだ。
「おい、大丈夫か――」
「――はい、まだ動かない。あなただって気を失っておかしくないくらいのダメージを受けてるんだから、負傷者らしく安静にしてなさい」
慌てて俺が支えようと手を伸ばすが、それよりも先にリリスが男の肩をしっかりとつかむ。その言葉選びこそ厳しかったが、口調はまるで教え子を諭す教師のように優しかった。
「……ああ、そうさせてもらうよ。悪いな、何から何まで面倒見させちまって」
「まともに治療しなきゃここからの脱出すら危ういんですもの。せっかく助けた人が静観できないとか、徒労感しか残らないからやめてほしいのよね」
別にあなたのためじゃないわ、とリリスはそっけなく締めくくる。半分くらいはそれも本心なんだろうが、多分素直になり切れないだけなんだろうな……。負傷者一人一人に丁寧に治療を施すあの姿が、全部自分のためだけのことだとはどうしても考えづらかった。
それは男も分かっているのか、リリスの厳しい言葉に気分を害したような様子はない。痛む体をわずかに揺らしながら、男は小さく笑い声をあげた。
「冒険者人生初のダンジョン開き、身の程知らずが蛮勇をさらしただけで終わっちまうかと思ったが……諦めずにしがみついてりゃ、いい事もあるもんだ」
「あなたの場合は諦めが悪すぎるけどね。あなたの体、いつ気絶してもおかしくないくらいにボロボロだったのよ?」
床に横たわる術師たちに視線を戻しながら、リリスは困惑を隠せない様子でそう宣告する。応急処置を施している時も何やら驚いているような様子だったし、俺が把握しているよりもさらに男の体はズタボロなのかもしれない。
「それでも立ってたことがこの出会いを生んでんだから不思議なもんだよな……。リリスも、そういうことには心当たりがあるんじゃないか?」
リリスに視線をやりながら、俺は少し思わせぶりにそう問いかける。その瞬間、淡々と治療作業を進めていたリリスの背中がわずかにぴくりと跳ねた気がした。
傷ついたのが体の外側か内側かという違いこそあれど、その心だけが折れていなかったところは二人とも共通している。その在り方を貫いたからこそ俺と出会ったリリスが今度は同じような人をこうして助ける側に回ってるんだから、縁の巡りというのはつくづく不思議なものだ。
「そうね、ちょうど二週間前くらいにもこんな構図を見た気がするわ。こういう出会いは当たり前に起こる物じゃないし、これに懲りたら無茶な戦闘なんてしてほしくないものだけど」
俺の問いかけにワンテンポ遅れつつも、リリスはこくりと頷きを返す。しかし、その後にしっかりと戒めの言葉を付け加えているのがいかにもリリスらしかった。
「……肝に銘じるよ。長い時間かけて力を付けてきたつもりだったが、俺たちはまだまだ実力が足りてねえみたいだからな」
少し伏し目がちになって、男はリリスの忠告を素直に受け入れる。見た目的にもエピソード的にも俺たちよりはるかにベテランだろうに、素直にアドバイスを受け入れられるのは間違いなく美徳と言えるものだ。……俺も、これくらい柔軟に居続けたいと思った。
「まあ、そこら辺に関してはあなた一人で決めることじゃないと思うわ。……これからも目標にしがみ続けるなら、きっとまた挑戦するチャンスは巡って来るでしょ」
治療の手を止めないまま、リリスは淡々と告げる。治療術を受けた術師たちの呼吸がゆっくりと穏やかになっていくのが、少し離れたところから見ている俺にもはっきりと分かった。
「……ということは、あいつらは……」
「ええ、しばらくしたら目を覚ますと思うわ。……あとは、この人たちがあなたと同じようにしがみつくことをやめずにいられるかどうかね」
目を輝かせて問いかける男にリリスはゆっくりと頷き、一仕事終えたと言わんばかりに汗をぬぐう。リリスが話していた『再起できるか分からない』というのは、どうやら術師たちのメンタル面に起因するものらしかった。
まあ、魔術を粉砕されたうえで貫通されたわけだからな……。魔術師としての心理は推測するしかできないが、自分が長年磨いてきたものを軽々と粉砕されるというのは決して穏やかではいられない事だろう。それがずっとトラウマとして染みついてしまったとしても、俺は当事者たちのことを責める気にはなれないな。
だが、男からするとそこは心配要素ではないようだ。穏やかに横たわる仲間たちの姿を一人一人じっくりと見やる男の顔には、何かが吹っ切れたような笑みが浮かんできていた。そして、最後にリリスの姿をまっすぐ見やると――
「ああ、それなら大丈夫だ! 俺の仲間たちは、みんな揃って夢を捨てきれないような奴だからな!」
「そう。……なら、こんどは私が助けなくてもいいように力を付けてからいらっしゃい」
目に光る物を浮かべながら、男は軽く胸を叩いて大きく頷く。それと対照的にリリスの返答は澄ましたものだったが、その口元にはささやかな微笑が生まれていた。
最初にリリスが飛び出していったときはどうなる事かと思ったが、どうやら全部うまい具合に進んでくれたようだ。誰も犠牲者は出ていないし、これにて晴れて一件落着――
「……クソが、もう戦闘終わってんのかよ……。あれほどの衝撃を起こせるような魔物、金にならないはずがないんだが」
――だと思っていた俺の思考は、俺たちがいる方と反対側の通路から聞こえてきた声に粉砕された。傲慢さがはっきりとわかるそのトーン、隙あらば獲物をかすめ取ってやろうというゲスな意図が漏れ出しているようなその言葉。……今俺たちが絶対に遭遇したくなかった相手の登場に、俺の背中を寒気が走った。
「まあいいや、少し『お話』すれば誰だって……って、ああん?」
その人物がこちらを認識し、その表情が遠目からでも分かるくらいにはっきりと歪む。……憎悪と嘲りと、一体どちらが強く含まれているのだろう。
いや、そんな疑問はどうでもいいのだ。全てがいい落としどころで終わるはずだったこの戦いは、アイツが現れたことで台無しになった。……プラン変更は、絶対に避けられない。
「これはこれは、魔物以上のめっけもんがいるじゃねえか。……二週間ぶりだなあ、マルク・クライベット?」
ほかでもない今回の仮想敵――クラウスに、俺たちの姿は早くも捕捉されてしまったのだから。
ということで、まだまだ状況は急転していきます! この遭遇が果たして何を生み出すか、楽しみにしていただければ幸いです!
――では、また次回お会いしましょう!




