第四百八十九話『誤算の根源』
「ううんマルク、僕は徹頭徹尾正気で本気さ。失敗させる気なんかないし、ここを乗り越えるために必要な戦力はあらかじめ用意してある。全部全部想定の範囲内、計画はつつがなく進んでいるよ」
絶句する俺に対してゆるゆると首を振り、クライヴは薄く微笑む。壮大かつ危険な計画を語っているとは思えないほどに穏やかなその表情は、俺の背筋を冷たくするには十分すぎた。
クライヴは本気だ。自棄や勢いの類じゃなく、どこまでも理性的にクライヴは世界の根底を破壊しようとしている。一つ一つ段階を踏んで、未来予想図をしっかりと組み立てながら。――そして今、状況は間違いなくクライヴの思惑通りに展開されつつあるわけで。
「ああ、君とその仲間たちの存在は色々と想定外だったけどね。君とこんなに早く再開できるとは思ってなかったし、今の君があんなにも強い仲間と一緒にいるのも考えてなかった。……ただまあ、それでも僕の計画を否定するにはまだ足りなかったみたいだけど」
何せ今、君は僕の所にいるわけだし――と。
あんぐりと口を開ける俺を量の瞳で見つめたまま、クライヴは一言そう付け加える。……それが狙い通りなのかどうかは分からないが、その言葉は確かに俺の神経を逆撫でした。
「……あの場で俺たちがした何もかもが、お前にとっては無駄だったってことかよ」
「無駄なんかじゃないさ、実際僕たちの計画は変更を余儀なくされてる。ウーシェライトが死んだことも、捕虜が一人出たことも、『精霊の心臓』を捉え損ねたのだって正直痛い失敗だよ。……けど、それはあくまで計画の成功率を上げるオプションでしかない。別になくたって構わないし、現に計画は次の段階に進んでるんだからね」
指折り数えながら想定外を並べ立て、しかし最後の言葉でクライヴはそれらの価値を否定する。俺の肩に手を当てるその表情は、相変わらず穏やかで不気味だった。
こんなに据わった眼をしているクライヴは、俺の記憶のどこを探しても見覚えのないものだ。記憶の中のクライヴ――『アニキ』はいつも好奇心や可能性に心を躍らせるような人間で、今のような落ち着きなんて欠片も持っていなかった。それが俺たちと『あの子』を結び付けてくれたもので、結果として失うことになった原因でもあったんだ。
自分の事を『僕』と名乗るクライヴを俺は知らない。こんなにも理性的で、淡々と計画を進められるクライヴを俺は知らない。――推し量る事すら不可能なぐらいに、クライヴの在り方は歪んでしまっている。
それが『あの子』を失ったことに起因するのか、それとも俺の知らない三年間の出来事が最後の決め手になったのか。それを推し量る資格はないし、他人事だと遠ざけることもできない。……もし仮に記憶を失っていなければ、俺もこうなっていたっておかしくなかったんだから。
「僕はこの手でかつての修復術師が作り上げた都市を崩壊させ、マルクの身柄を確保することにも成功した。だから、あの戦いは僕の勝ちさ。『僕たち』としては敗北してる可能性があったとしても、『僕』とベルメウの戦いは完璧に僕が上回ってる」
「……なら、今回も『お前たち』と『お前』の勝利条件は違うってことかよ」
あの時のアグニは真実を語っていたのだと、俺は今更ながらに確信する。それがクライヴにとっての想定外ではなく、むしろ当然の帰結で言えるものですらあることも。一致団結して同じ目標に向かっていくという意味での『組織力』など、クライヴは端から求めていないのだろう。
「……さあ、どっちだろうね?」
そんな俺の考えを知ってか知らずか、クライヴは穏やかに笑うばかりだ。記憶の中のアニキと今目の前にいるクライヴ・アーゼンハイトがどうしても重ならず、それがやっぱり気持ち悪かった。
「ベルメウで少し悩まされたのは、君と『精霊の心臓』の持ち主――レイチェルさんだっけ? が予想以上に足掻いてきたところだ。仲間たちの支援が届かないところにまで分断するまでは順調だったけど、何があったのかレイチェルさんが想像以上に成長してきた。ベガでさえも止められなかったって聞いた時は流石に耳を疑ったよ」
結局俺の問いに答えを返すことはなく、クライヴは話題をベルメウの街での出来事へと戻す。それは俺に語って見せるというよりも、戦況を裏から手繰って見せた悪辣な黒幕の独白と呼ぶ方がよっぽど自然だった。
「『マルクだけは殺すな』ってのは事前に強く言いつけておいたから、レイチェルさんと二人にしてしまえば戦力的にも抗える術はないって思ってたんだ。『精霊の心臓』が手に入ればその持ち主の事はどうでも良かったし、修復術の本質を忘れてる君一人を制圧するのは容易い。……今思えば、それがあの街での一番の油断だったのかもしれないけどね」
「ああ、お前は明らかにあの街で読み違えてる。お前が何でもかんでも見通せるわけじゃねえって分かって安心したよ。……これからだって、お前が読み違いを起こさない保証なんてどこにもねえ」
その独り言に割り込んで、俺ははっきりと断言する。さもなにも失敗していないかのように不遜な振る舞いは傲慢が過ぎるのだと、そう教えてやらなければ気が済まなかった。
「初見殺しで勝ったぐらいで舞い上がるなよ、クライヴ。この国でもきっと、お前は盛大に読み違える」
今度は致命的に、取り返しがつかないほどに。計画を根底から否定するような間違いをクライヴは侵すだろう。その軸になってくれるのはきっと、俺の頼れる仲間たちだ。
俺とレイチェルの成長すらも読み切れなかったクライヴが、それよりも遥かに地力のあるリリスたちの成長を完璧に予測出来るはずもない。二人に初見殺しが二度通用するわけもなし、二度目の衝突があれば戦況は全く違う動き方をすることだろう。――おそらく、リリスたちの優勢になる。
丸まっていた背筋をピンと伸ばし、クライヴの視線を正面から受け止める。不安や不気味さが完全に消えることはなくても、それでもさっきよりずっと気が楽だ。リリスたちならクライヴの悪意に屈することはないと、今ならそう確信出来る――
「……あは、はは、ははははッ‼」
――突如響いた高らかな笑い声が、上向き始めた俺の思考を遮った。
初めて俺から視線を外し、口元に手を当てながら不規則なリズムで笑みをこぼす。その仕草は理性を欠片も感じさせず、俺の本能的な部分が危険信号を発している。アレは、下手に踏み込んだらいけないものだ。
「それは君から僕への宣戦布告かい? それともアドバイス? お人好しなのは変わってないね、マルク。……本気で僕を出し抜こうと思うなら、ただただ怯えるフリをして期を伺ってればいいだけなのにさ」
身をのけぞらせて距離を取ろうとした瞬間、ゆらりと体を起こしたクライヴの視線が俺を再び捉える。朗らかで穏やかな雰囲気とはまるで打って変わった昏い光を瞳に宿して、時折「はははッ」と笑みを浮かべながら俺一人へと焦点を合わせていく。それはきっと、クライヴが制御し続けてきた狂気の断片だった。
「ああ、でも安心してくれ。君が思うような出来事は何一つとして起きないから。僕が読み切れない要素はマルク、君一人だけなんだ。僕と同じ思いをした修復術師である君が近くに居るからこそ、君の仲間たちの動きや成長は読めなくなっていく。全部全部君が原動力なんだよ、マルク」
身を乗り出すようにして俺に接近しながら、羨望やら嘲りやらの無数の感情をないまぜにした声色でクライヴは断言する。……その両手がまっすぐ俺に伸ばされて、遂に俺の肩に触れた。
途轍もない嫌悪感が俺の身体をとっさに動かそうとするが、それを上回る生存本能の警告がすんでのところでその動きを食い止める。『今下手に刺激すれば殺される』と言う確信が、俺の全身を高速で駆け巡っていた。
「そして今、マルクは僕の手中にある。今まで当事者だった君も、この戦いでは傍観者にしかなれない。……ただ見守ることしかできない君に、一体何が変えられるのかな?」
吐息がかかるほどの距離感で、クライヴはうっとりとした調子で告げる。この狂気を押し殺すために、普段のクライヴはどれだけの理性をつぎ込んでいるのか。……想像しただけで、背筋が震えた。
「今から起こる戦いはね、組織にとっても僕にとっても大切な計画の最終段階だ。この戦いが終われば君もきっと僕の計画に賛同してくれるはずさ。強制された物じゃなく、嘘偽りのない自分の意志でね」
まるで芝居の中のワンシーンかのように大仰な振る舞いでそう告げたクライヴは音もなく俺から手を放し、何事もなかったかのようにあっさりと元の姿勢に戻る。そして、その瞳の中にはまた理性の光を宿して――
「じゃあ、僕はやらなくちゃいけないことがあるからそろそろ行くとするよ。……大丈夫、退屈な時間はじきに終わる。それまで大人しく待っててね、マルク」
――穏やかに、笑った。
クライヴの過去についてはまたおいおい明かされることになるとは思いますが、かなり危ういキャラであることは間違いありません。そんな彼の手中に落ちたマルクは何を思うのか、ぜひご注目いただければ幸いです!
――では、また次回お会いしましょう!




