第四百八十六話『式句に紐づくイメージ』
フェイの下で詰んだ修練を簡単にまとめるならば、今までに培ってきた常識の『枠』を少しばかり広げる練習と表現するのが一番近いだろう。単純に捨て去るでもなく新しいものを作るでもなく、今まで想像すらしたことがなかった範囲にまで思考の射程距離を伸ばす。それこそが、魔術師として次のステップに上るためにフェイが唱えた理論だった。
「さあ、まだまだ行こうぜ。……オイラの槍、受けれるもんなら受けきってみやがれ」
つい昨日の事のようにも、それでいてずっと前の事のようにも思える訓練の記憶に想いを馳せながら、再び泥をうごめかせるカルロへ視線をやる。グチャグチャと音を立てながら泥はゆっくりと練り固められ、宣言通りの槍の形へと変化を遂げていた。
泥の持つ性質も関係しているのだろうが、カルロの魔術も随分と自由度は高いようだ。波となって相手を呑み込むことも出来れば、今しているように先端を尖らせて武具のように扱う事も出来る。これだけ柔軟な運用ができるなら、どんな敵を相手取っても完全に詰むことはなさそうだ。
(――少しだけ、羨ましいわね)
分かっていたことではあるが、リリスの戦い方はあくまで力押しがベースだ。小細工ばかりで戦うのは性に合わないし、そもそも氷魔術自体が単純な攻撃性能の高さをウリにしているところもある。ある程度は搦め手も使えるとはいえ、根本的な柔軟さで泥魔術や影魔術を上回ることは不可能だと言ってもいいだろう。
だがしかし、それに悲観することはない。氷魔術が柔軟性に欠けるのは事実だが、もとより柔軟な戦い方なんてものが性に合っているわけでもないのだ。リリスはリリスらしく、出来ることをとことん押し付けて勝負していけばいい。
「そうよね、フェイ」
攻め込むのに万全な体制を整えていくカルロを前にしながら、リリスはただぼそりと呟く。――大丈夫だ、頭はきっちり冷えている。今の自分が何をするべきかのビジョンは、鮮明に映し出されていた。
「――氷華よ」
密かな確信を胸に抱き、誰にも聞こえないよう小さく呟く。それに応えて生みだされた小さな氷の弾丸は、カルロの背後で磨き上げられた三本の槍にそれぞれ照準を合わせていた。
『良いか小娘、式句と魔術を紐づけるのじゃ。たとえ寝起き一秒であろうと式句を口にすれば正しい魔術を展開できるほど、言葉と結果の繋がりを頭の中に刻み付けよ』
耳にたこが出来るほどに言い聞かされた言葉は、今でも夢に出るほどに強く刻み込まれている。どこまでも感覚派なリリスにとって、同じ魔術を飽きが来るほどに反復練習するというのはあの時が初めての経験だった。
ベルメウでの一件がなければ、リリスはきっと反復練習なんてすることは一生なかっただろう。それをしなくても最強足りえるだけの実力は既に備わっており、それを十二分に振るえるだけの才能だって備わっていた。……それで届かない世界があったからこそ、リリスは視野を広げなくてはならなかったのだ。
リリスが感じ取っていたよりもさらに自由な領域が、魔術の世界には無数に存在する。その世界の存在を肌で直接感じ取ったことこそが、リリスのさらなる進化の引き金となったわけで――
「……さあ、見せてやりましょう」
小さく呟き、腕を振るって氷の弾丸を打ち放つ。リリスに向かって打ち放たれた槍に対抗するべく放たれた三発の弾丸は、しかし一瞬にして泥の槍の中へと取り込まれた。
「……んん?」
その様子はカルロの目にも入ったようで、怪訝そうな声がこちらにまで聞こえてくる。巨大な泥の槍にせいぜい直径一センチほどの氷の弾丸で対抗しようとする構図は、何も知らなければ当然不気味なものに見えるだろう。……それこそがリリスの狙い通りだなどと、疑う余地もないほどに。
「吹雪よ、私の傍に」
小さく式句を呟いて、リリスは吹雪を身に纏う。ベルメウであれだけ細心の注意を払って作り上げた合成魔術も、式句があれば展開まで一秒足らずだ。この短縮技術にこそ、精霊たちが編み出した『式句』の本懐があると言ってもいいだろう。
耳元でごうごうと音を立てながら、吹雪はだんだんとその規模を拡大していく。迫りくる泥の槍が相手でもこれをぶつければ対抗できてしまいそうだが、あくまでこれはその先を見据えた布石だ。槍に対する対策は、とっくのとうに打ち終わっている。
感覚を研ぎ澄まし、この空間に漂う魔力を肌で感じ取る。目標としていた三つの気配がきちんと残存していることを確認して、リリスは内心ガッツポーズを一つ。泥の中に根付いた『種』達を想いながら、冷たい空気を吸い込んで――
「――咲き誇りなさい」
小さく口を動かし、そして足の裏で軽やかに地面を叩く。……それが、反復練習の果てに身に着けた『芽吹き』の合図だった。
パキリと何かが割れるような音が聞こえたその直後、泥の槍が内側から食い破られるかのような形で凍り付く。突如空中で柔軟性を失った泥の槍はほどなくして根元から折れ、地面に墜落して細かい氷の粒へと変じた。
宙を舞う結晶が生み出す幻想的な光景の中で目を凝らせば、あんぐりと口を開けるカルロの姿が目に映る。一見して通用すると思っていた魔術が直前で打ち破られたその反応は、リリスがクライヴに抱いたのと同質のものだ。
しかし、これはあくまで序の口に過ぎない。ここまではあくまでリリスが新しく身に着けたほんの少しの小細工、本当の強みはこれからだ。……『王都最強』を名乗るに至った力押しを、カルロはまだ目にしていないのだから。
カルロの困惑が収まるより前に地面を蹴り飛ばし、それと同時に足元で渦巻いていた風が一気に炸裂する。馴染みの氷剣を手の中に作り出しながら、リリスは地面を滑るようにして一気にカルロの懐へと潜り込んだ。
「く……っ、おおおッ‼」
突如肉迫してきた脅威にカルロは泥の壁を生み出しながら跳び退るが、それらは全てリリスが振るった氷の剣によってあっさりと打ち破られる。泥が水分を含んでいる以上、どうやっても氷魔術師とは相性が悪いと言わざるを得なかった。
だが、もし仮にカルロが泥以外の魔術を扱えたとしても結果は変わっていなかっただろう。フェイの手ほどきを経て明確なイメージを得たリリスの力押しは、生半可な物ならば炎ですらも凍り付かせる強引さを手に入れている。今までに見せてきた小細工は、リリスの強みを伸ばす道中で生まれた副産物でしかないのだ。
「くそッ、時間稼ぎも出来ねえってのか……‼」
悪態を吐きながらもカルロは必死に障壁を展開するが、その悉くを打ち落としながらリリスは確実に距離を詰めてくる。急速に、そして確実に迫ってくるそれは、帝国で生きてきたカルロの背筋にすら冷たい物を走らせるほどの威圧感を放っていて。
「……そろそろ、終わりにしてもいいかもしれないわね」
必死な様子のカルロを見つめ、リリスは小さく呟く。どうやらここから反撃の策は出てこない様だし、このまま行っても順当に決着が付くだけだろう。……それが分かってしまえば、懸命に繰り出される防御行動に一つ一つ馬鹿正直に向き合う理由も見つからなかった。
軽く息を吐き、意識的に足の裏の全体を地面に触れさせる。準備はそれだけで十分、そう断言するために何度も何度も反復練習を積み重ねてきたのだ。『式句』を口にした先に何が起きるのかなど、見るまでもなくわかり切っていることで――
「――氷よ」
たった四文字の言葉を口にしたその直後、リリスの周囲の地面が一瞬にして凍り付く。その浸食は可能な限りリリスから距離を取ろうと試みていたカルロにまで及び、地面を蹴ろうとしていたその足元を完璧に救い上げた。
ただでさえ逃げるのに精一杯だったカルロがそのような隙を見せてしまえば、抵抗する余地など残っているはずもない。氷漬けの地面を乱暴に蹴り飛ばし、風に支えられながら一瞬にして距離を詰める。そのまま宙を舞っていたカルロの胸ぐらをつかみ、リリスはその背中を思い切り氷漬けの地面へと叩きつけた。
「が、はッ……」
カルロの目が見開かれ、口からは不規則な呼吸が漏れる。その表情を見て半ば決着を予見しながらも、リリスはあえて氷の武装を背後へと装填した。
「……さて、ここから返す手はある? このまま氷像にするなり蜂の巣にするなり串刺しにするなり、私はいくらでもやりようがあるのだけれど」
氷の剣が、槍が、そして弾丸が、宙を浮きながらカルロの心臓へと照準を合わせる。これが実戦だったのならば、こんな脅しなど受ける間もなく全身を穴だらけにされていただろう。……その状況を前にしてまで戦いを続けるほど、帝国の人間も血気盛んなわけではない様で。
「そこまで!――勝者、リリス・アーガスト‼」
凍った地面に苦戦しながらもこちらに駆け寄ってきたケラーが発した一言によって、模擬戦は正式な決着を迎える。誰が見ても文句のつけようがない、リリスの完全勝利だった。
本編の世界観とは合わないので表現として使えなかったのですが、式句は言ってしまえばショートカットキーのような役割です。今までリリスが使ってきた魔術にもいちいち式句を使うのではなく、むしろ今まで苦手としてきた搦め手や複雑な魔力のコントロールが必要な魔術を楽に展開するための補助として『式句』があるんだよと言う感じですね。それを会得したことでまた一つ強くなったリリスの強さ、お楽しみいただけていれば幸いです!
――では、また次回お会いしましょう!




