第四百八十話『王国の馬車、帝国の馬車』
しばしの間をおいて二人が頷きを返すと、フェイの表情が僅かに緩む。それと同時に隣に立っていたケラーが身を翻し、「こちらです」とだけ言い残して足早に歩いていった。
その後に続くようにしてフェイも歩き出し、更にその一歩後ろをリリスとツバキは付いていく。そうして歩いて行った先にあったのは、いわゆる王国風の馬車とは違うデザインの馬車だった。
王国側が用意した馬車は大きな客車に装飾がふんだんに施されているのに対し、リリスたちの視線の先にあるそれはいかにも無骨なデザインだ。窓も片側に二つしかついておらず、それ以外に目立った特徴は見当たらない。馬車が果たす役割を想えばそれでも別に支障はないのだろうが、この馬車たちの中に一台混ざることによってそれはより異彩を放つ結果になっていた。
「……貴様ら、あの馬車が気になるか?」
それを見つめつつあれこれと考えを巡らせていると、前を行くフェイが振り返らないままでそんなことを言い当ててくる。驚きのあまり返事を返せずにいる中、フェイはそれを気に留めないまま続けた。
「よく覚えておけ、あの馬車のつくりの違いはそのまま『国』としての在り方の違いに等しい。一度国境を跨いでしまえば、そこにあるのは貴様らに馴染みのない常識じゃ」
それが不都合を生む前に、少しでも覚えておいてもらわねばな――と。
こちらを一切振り返らないままで、しかし真剣な表情をしていると分かるような口調でフェイは二人に語りかける。王国と帝国の狭間を行き来していたフェイだからこそ、その言葉には確かな重みがあった。
「本音を言えば戦線の全員をアレと同じ設計の馬車で運びたかったのじゃが、短時間の作戦でそこまでするのは無理があるからの。……少しいばらの道にはなるが、それは呑み込んでもらうほかあるまい」
「そうですね、寧ろ一台提供できたことを称賛してほしいぐらいです。……それに、よそ者だってことを喧伝しながら走ってくれた方が私としては都合がいいですから」
慣れた手つきで馬車の扉を開きながら、ケラーはフェイのつぶやきに同調する。開かれた扉の中からは温かい光が漏れ出しており、乗客であるリリスたちを歓迎しているようだった。
お先にどうぞと言わんばかりに手で中を指し示すケラーに軽く頭を下げながら、三人は揃って馬車の中へと乗り込む。そこに広がっていたのは、いい意味で外装の無骨な印象とは食い違っている光景だった。
客席の数は少ないがその分横幅は大きめに取られ、背もたれも高く設計されている。後部付近には布団と思しきものもあり、寝転んで過ごすこともできるようだ。窓が少ない上に小さいため外の景色はまともに見られたものではないが、それを補って余りあるほどの快適そうな雰囲気がここには漂っている。
「へえ、これが帝国の馬車か……。外から見ると小さく見えたけど、こう見ると十分設備が整っているように見えるね」
「王国の方々と違い、この馬車は大人数を輸送することを想定してませんから。あんな人数を馬車の中に詰め込もうものなら、帝国ではすぐに暴動が起きるでしょうしね」
最後に乗り込みつつ扉を閉めたケラーが、ツバキの感激に口を挟んでくる。慇懃無礼という表現がこれ以上ないほどに似合う態度だが、ここまでの事を考えるとコミュニケーションを拒んでいるわけではないようだ。
「騎士たちよりもっとひどい詰め込みを経験してきた私たちからすると、馬車の中の空間を広々と使えるなんてことがその時点で衝撃の事実なのよ。……帝国では、これが常識的な事なの?」
「はい、少なくともあの騎士様方のような人数を詰め込むことはほぼありませんね。観光や移住のために奏功している安価な乗合馬車を例に含めていいというならまた話は変わってきますが」
「つまりはそれと並ぶ程度の待遇と言う事じゃな。この馬車に騎士を呼ばずにおいて正解じゃった」
リリスの問いにケラーから忌憚のない答えが返ってきて、それにフェイが苦笑する。そんな評価も知らず今もぎゅうぎゅう詰めになっているであろう騎士たちに想いを馳せていると、ケラーが真っ先に席に着きながらさらに言葉を続けた。
「馬車を使った移動でさえも、帝国では実力で掴み取るべき権利ですから。……裏を返せば、帝国に仕える人間であろうと馬車に乗り込むほどの立場にない人間はたくさんいるという事ですよ」
冷たい青色をした瞳に三人の事を映し出しながら、ケラーは手の動きだけで席に着くように促す。その瞳はただ冷徹なだけでなく、どこかリリスたちを値踏みしているようにも思えた。
リリスたちが座る席を選ぶ間にも、ケラーの視線はこちらを捉え続けている。どことなくむず痒さを覚えながら席に着いたその後、ツバキが思い切り背もたれに体重を預けながら口を開いた。
「権利――か。君のその表現に則るなら、帝国の人たちはみんな揃って盛大な椅子取りゲームをしてることになるね。それに自分の生活や立場がかかってるってなれば、ゲームだなんてのんきなことは言ってらんないんだろうけどさ」
天井に取り付けられた照明の方に視線をやりながら、ツバキは素直な、それでいてどこか皮肉めいたような感想を発する。……それを受けて、初めてケラーの表情が僅かにだがほころんだ。
「椅子取りゲームですか、言い得て妙ですね。帝国で良い暮らしを送ろうと思うならば、誰かを引きずり落してその座を奪い取るよりほかはない。皆揃って仲良く成り上がるなんて夢のまた夢、一つの椅子を分け合う事も出来ない。――何より、最終的な勝者は一人しか生まれないのが実にそっくりです」
口にする中で興が乗ってきたのか、ケラーの笑みはだんだんと深くなっていく。然しそれは純粋な物ではなく、皮肉を多分に含んでいた。
「王国との国境に立つ者として言わせてもらいますと、王国は実に平和な国です。内乱もなく、大々的な対外戦争の経験だってもう遠い昔の事ですから。そんな国で生きてきた方々が帝国と対等な立場で共闘などできるのかと、失礼ながらそう考えていたのですが――ええ、中々素養のある方もいらっしゃるじゃないですか」
「そうじゃろうそうじゃろう、何せ妾が目をかけた者たちじゃからな。……大切な物を守るにはそれ相応の力が居ることを、こやつらはもうとっくに理解しておる」
「いいですね、その心構えは重要です。……それを知らずに足を踏み入れたが最後、毛の一本までむしり取られて野垂れ死にするのが帝国という場所ですから」
ツバキを真似るように椅子の背にもたれかかりながら、ケラーは淡々と穏やかでないことを口にする。それを冗談だと断定できないことが、今は何よりも恐ろしかった。
「貴女たちの実力は私の仕事の出来にも関わるんです、これぐらい全員が承知してくれていないと困るという話ではあるんですがね。……最悪の場合、全員を国境侵犯者として当局に引き渡せば損はしないと思いますが」
「それは困るな、ボクたちの目的が達成できなくなる。……一応確認だけど、君がそういうそぶりを見せたらボクたちは思う存分抵抗していいんだよね?」
そのまま淡々と、しかし半ば愚痴るようにボソリと続けたケラーの言葉を見逃さず、ツバキは剣呑な口調で問いかける。……それがしばらくの沈黙を生んだ後、ケラーは大きく両手を横に広げながら肩を竦めた。
「……冗談ですよ、戦線の方々がいらっしゃることは帝国側ももう了承していますから。……それに、いくら何でもこの人数差で戦いを挑むほど私も馬鹿じゃありません」
冗談っぽさの欠片もない表情でそう呟き、ケラーの視線が一瞬だけフェイの方を向く。そのあとすぐにリリスとツバキへ視線を戻すと、そのままゆっくりと瞑目しつつ口を開いた。
「とにかく、貴女たちが綺麗事を抱いていないならそれで十分です。王国ではどうだか知りませんが、帝国で何かを手に入れようと思うなら何かを犠牲にしなくてはならない、何かを蹴落とす覚悟無くして望みを叶えることなどできない。――『全てを救う』なんて英雄の考え方は、帝国じゃ自分の身を犠牲にするだけです」
その声にも態度にも濃い諦念をにじませながら、ケラーはリリスたちに帝国の現実を突き付ける。それに何と声をかければいいのか、リリスもツバキも分からなかった。……きっとこの場にいる誰よりも帝国の冷たさを味わっているケラーの前では、どんな言葉も軽くなってしまうような気がしたのだ。
「……さて、そろそろ出発しましょうか。『帝国の事を色々と話して聞かせてやってほしい』と、フェイ様からも事前に頼まれていますからね」
利害が一致している以上、少なくとも貴女たちとはいい協力関係が築けそうですから。
口をつぐんだままの二人へ一方的にそう告げて、ケラーは懐から取り出した鈴を一二度軽く鳴らす。……その次の瞬間、馬車が動き出す時の振動がリリスたちの身体を大きく揺らして。
――異様な雰囲気が漂う中、国境へ向けた旅はついに幕を開けた。
ケラーも何やら含みのあるキャラですが、その全容が見えてくるのはもう少し先の事になるかと思います。今までの常識とは違う場所に踏み込んでいくリリスたちに待ち受けるのは果たして何なのか、ぜひお楽しみにしていただければ幸いです!
――では、また次回お会いしましょう!




