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第四百六十三話『二人の時間』

――この屋敷は果たしてここまで広かったかと、リリスは初めてそう思った。


 どこを見渡しても空白が目立つし、そこをじいっと見ていると何故だか自分の家にいるとは思えないような感覚が襲ってくる。……こんなこと、マルクが居た時はもちろんフェイやレイチェルが居てくれた時には起きなかったはずなのだが。


 何度目をこすってもその違和感が消えてくれることはなくて、リリスの心の中にわだかまりを作っていく。……それが少し収まってくれたのは、キッチンからトレイを持ったツバキが出てくるのを視界にとらえてからの事だった。


「はい、これ。……思い出話をしろなんていきなり言われても困っちゃうよね」


 紅茶の入ったカップをリリスの目の前に置きながら、ツバキは少し困ったようにはにかんで見せる。その表情はあくまで明るいものだったが、それでもリリスはそこに無理を見出さずにはいられなかった。


 十年以上共に戦ってきてくれた相棒なのだ、感情の機微には聡いつもりではある。……まあ、ツバキが本当に隠そうと思えばリリスはそれを察知することは出来ないのだろうが。


 考えを読むとか察するとか、そう言うのは常にツバキがリリスの一枚も二枚も上を行っていた。そんなツバキにリリスは何度も救われてきたし、きっとこれからも助けられていくのだろう。……けれど、今ばかりは違う。リリスの手で、ツバキの心の奥を掴まねばならないのだ。


 そのためのヒントはフェイが出してくれた。その上でリリスに託してくれたのならば、後は全力でそれを遂行するだけだろう。……フェイのためにもツバキのためにも、そしてリリス自身のためにも。


「ええ、そうね。……最近はずっと誰かしらが一緒にいて、二人だけで落ち着いて話とかできる状況じゃなかったから」


 ツバキからもらった紅茶を一口だけ含みつつ、リリスはツバキの困惑に肯定の意を返す。かつて長い間二人で完結していた世界も、気が付けばずいぶんと騒がしいものになっていた。


「護衛って関係上いろんな人と一緒にいたことはあったけど、それでも寝てる間とかは二人で話しながら野営してたりしてたからね。……それに、そういう人たちとは基本的に一度っきりの付き合いだし」


 リリスに続くようにして紅茶を一口飲み、ツバキはリリスに同調する。その瞳が誰を映しているかは、リリスにも何となく想像がついた。


 護衛として過ごしてきた十年の間、リリスたちはいろいろな護衛対象に出会ってきた。自らが守られる側だという事を笠に着て傲慢に振る舞う者、あくまで護衛を道具として扱う者、無関心を貫く者。そんなのばかりかと思えばひっきりなしに話しかけてくるような者もいたし、どこまでも対等で在ろうとした者もいた。……だが、どんな護衛対象で在ろうと基本的に短い縁であることだけは共通している。


 どれだけ長くても一か月弱、短ければ一週間足らず。それぐらいで切れるのが護衛とその対象と言う関係であり、リリスたちは今までたくさんの人物と縁を結んでは切り離し手を繰り返してきた。たまに手紙を送ったり直接会いに来ようとしてくれる者もいないではなかったが、リリスたちの商会は常にあちこちを移動する根無し草だ。……自然、連絡は途絶えていく。


「……懐かしいわね、色々と」


「ああ、目を瞑ると今でも最近の事のように思い出せるよ。……あの人たちみんな、生きていてくれると良いな」


 二人して目を瞑り、リリスたちはしみじみと感慨に浸る。冒険者としてかけがえのないなかまたちとの安定した生活を手に入れてもなお、その記憶の価値が薄れることはなかった。


 なんだかんだと言いながら、今のリリスの基盤を作り上げてくれたのはツバキとの護衛生活なのだ。何もかもが曖昧で右も左も分からなかったリリスの手をツバキが引いてくれたから、きっとリリスは今も無事に生きていられる。


「ありがとうね、ツバキ。……商会に来たばかりの私の事、否定せずに受け入れてくれて」


 それを思うと、感謝の言葉もごく自然な形で口を突いて出てくる。しかしツバキはいきなりのそれに驚いたのか、少し照れ臭そうな表情を浮かべて頭を掻いた。


「ううん、感謝をするのはボクも一緒だよ。あの時リリスに出会えてなかったら、ボクの心はきっと遠からず擦り切れてた。先輩として君の手を引っ張ってたボクの方が、実はあの時救われてたんだ」


 頬を赤らめながら、しかしリリスの方から視線を逸らすことはなくツバキはまっすぐに返答する。それはきっと、この場に二人しかいないからこそできるより深い二人の昔話だった。


「フェイに『己を大事にしろ』って言われてからさ、色々と考えてみたんだ。自分を大事にするって何だろう、それが魔術とどうつながるんだろう、って。……フェイが言ってることだから、的外れなアドバイスじゃないとは思うんだけど」


「成程、道理で口数が少なかったわけね。凹み切ってたわけじゃなくて安心したわ」


 ほとんど言葉を交わすことなく過ぎて行った屋敷への帰路を思い返しながら、リリスは安堵したように呟く。そんなリリスの予想を否定するかのように、ツバキは顔の前で手をぶんぶんと左右に振っていた。


「そんなことはないよ、むしろ少し安心してた。ボクが失敗してるのには明確な原因があるんだって、少なくともフェイにはそれが見えてるんだって。……どうしようもない才能の問題だったらどうしようとか、この二日間ずっと思ってたからさ」


「……ッ」


 付け加えられた最後の一言が切実で、リリスは思わず息を呑む。その感情は、二日間闘い続けるにはあまりに恐ろしいものだ。


「君一人が先にクリアしただけならボクだってまだ焦らずにいられたさ。けれど、その後に続いて騎士たちも続々と君の居る領域へと足を踏み入れていく。誰かと比べちゃいけないって言われたのは覚えてたけど、それでも比べずにはいられなかった。……君の隣に立つには、そもそも才能からして足りてないんじゃないかって」


「そんなことあるわけないでしょう。私の相棒に相応しいのはこの世界のどこを見回しても貴女一人しかいない。たとえ貴女より強い人が居ようとと才能がある人が居ようと、私は『貴女の』相棒で居ることを選ぶわ」


 その悲壮感に溢れた言葉を打ち消すように、リリスは語気を強めて身を乗り出す。……今度は、ツバキが思わず息を呑む番だった。


「私が貴女と一緒に居たいって思えるのは、ただ戦闘の時に呼吸を合わせられるからじゃない。普段の何気ない生活でも、ちょっとした特別な場面でも、そういう日々の一瞬一瞬に貴女がいてほしいって、そう思うからなの。……もしも貴女が他の誰かとコンビを組もうとしたら、私は縋りついてでも引き留めに行くわ」


 リリスがツバキに抱く想いは、マルクに向ける想いと似ている様で違う想いだ。だけどどっちも特別で、絶対に手放したくない大切な存在。たとえ厳しい障害が待っていることになろうとも、二人とともにいるためならばリリスは迷いなくその道を進むだろう。かつて『タルタロスの大獄』に挑んだように、そして今帝国を目指して修行を重ねているように。


 誰かに期待されたからとか今までの恩義がどうこうとか、そういう話では全くない。誰に強制された物でもない自分の意思で、リリスは手を伸ばすのだ。……大切な人たちといつだって共に居ることが、リリスの思い描く理想なのだから。


「……はは。本当に敵わないなあ、リリスには」


 その言葉を聞いて、ツバキは再び頭を掻く。けれどそこにあったのは照れではなく、深い親愛と尊敬の念だった。


「救われてた、じゃなかったな。今もボクは、君に救われ続けてる。君がそう言って手を引っ張ってくれるから、今もボクは君の隣にいられるんだ」


 リリスをまっすぐ見つめるツバキの眼は、さっきよりどことなく晴れやかな色をしているように思える。何か靄が晴れたような、今までその眼を澱ませていた感情が消え去ったかのような。――少なくとも、悪い変化じゃないのは確かだろう。


「ねえ、リリス。……君は、ボクの弱いところを知っても失望せずにいてくれるかい?」


 その上で、ツバキは改めてリリスにそう問いかけてくる。少し不安げな声色とは裏腹に、帰ってくる答えに対する信頼の念を向けながら。……当然、リリスが返す答えは一つだった。


「今更失望なんてしないわよ、何年一緒にいたと思ってるの。強いところも弱いところも、特異なことも苦手なことも私は知ってる。……その上で、私は貴女と一緒に居たいと思ったんだから」


 十年かけた信頼が、今更隠し事の一つや二つで砕けるものか。そう確信して、リリスはツバキに手を伸ばす。それに感化されるように身を震わせたあと、ツバキは大きく息を吸いこんで続けた。


「うん、ありがとう。……それじゃあ、遠慮なく頼ませてもらうね」


「ええ、何だってどんとこいって奴よ」


 少し控えめに宣言するツバキに、リリスは軽く胸を叩いて続ける。それに微かな笑みを見せると、ツバキは自分の胸へと手を当てて――


「……どうしたらボクは自分自身を大事にできるのか、考えても考えても分からなかったんだ。だからリリス、君の力を貸してほしい。ボクが本当の意味でボク自身と向き合うためには、君の力がなくちゃダメな気がしてるんだ」


 ――思い詰めたように目を伏せさせながら、ツバキはそんな頼みを口にした。

 次回、リリスはツバキの力になることができるのか! ここまで相棒としてやってきた二人が目指す新たな境地、ぜひぜひご期待いただければ幸いです!

――では、また次回お会いしましょう!

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