第四百六十話『フェイが見た答え』
「今でこそ妾はこうして貴様らに教えを説く側に回っておるが、始めから魔術に対してこのように考えていたわけではない。妾が貴様らよりも一足先に魔術の常識から抜け出すことが出来たのは、ベルメウを作り上げた修復術師――グラルド・アリアストンとの交流があったからじゃ。全ての力を使い果たした妾がこうして今も存在できているのは、あやつの卓越した魔術があったからに他ならぬ」
どこか遠くを見つめる様にしながら、ぽつぽつとフェイは語り始める。修復術師と言う言葉を聞いて部屋が微かにざわついた辺り、そこらに関する情報はある程度共有が為され始めているのだろう。
「もっと言うなら、妾の魔術に対するイメージはあやつの物をほぼ受け継いでおる。『自分だけの正解を探せ』と言った身が借り物の答えしか持っておらぬと言うのもおかしな話じゃが、それだけあやつの答えは魔力の真髄に迫っておった。……ともすれば、今の妾よりもな」
胸に手を当てる様な仕草をしながら、フェイはグラルドに最高級の評価を与える。その瞬間、部屋を覆うざわめきはその大きさを一気に増した。
フェイが只者ではないことは、共同戦線に臨まんとする者ならだれでも知っていることだ。それと同時に、フェイがお世辞を言うような性格でないことも少し言葉を交わせば分かる。……つまり、フェイは本心からそのグラルドという修復術師を上に見ているという事になるわけで。
もちろん鍛錬である程度覆る部分があるとはいえ、種族ごとの差はこの世界において残酷なものだ。人間が五十年かけてようやくたどり着く様な領域をスタートラインとするエルフもいるし、基盤とする魔術形態からして人間の理解を超えているような精霊だっている。それに比べて寿命も人間の方が遥かに短いとなれば、よほど運命に愛された人間でない限り精霊と並び立つことは不可能だ。――それどころか、背中を負い続けることさえ困難かもしれない。
しかし、いま語られたグラルドはその常識の外側にいる。……どれだけの鍛錬を積めばその領域へ至れるのか、リリスにさえもまるで見当がつかなかった。
「あやつを初めて目にしたのは、妾が自らの全てを賭けてグリンノート家に迫る厄災を退けた後のことじゃ。妾という存在を構成する魔力を使い切り消滅するほかなかった妾の存在を、奴は修復術を用いて繋ぎとめて見せた。……やり取りを重ねるようになったのは、妾が精神のみの存在になってからの事じゃ」
四百年以上も前の事をまるで昨日の事のように思い返しながら、フェイの昔話は進んでいく。休憩の時間であるという事も忘れ、この場に居る全員がフェイの話に聞き入っていた。
「グラルドが魔術を使う様は、当時の妾にとって理解できないものじゃった。まるで目に見えぬ絵筆でも持っているかのような気楽さで魔力を変質させ、あまつさえそれを定着させてシステムとして運用する。……そのような魔術を知らなかった妾は問いかけずにはいられなかったのじゃ。『貴様にとって魔術とは何なのだ』とな」
語っていく中で次第に熱がこもってきたのか、グラルドとのやり取りを語るフェイの身振り手振りはだんだんと大きなものになっていくいく。フェイ自身はどこまでそれを自覚しているか分からないが、当時の思い出を語るその姿はとても楽しそうだった。
「その時に聞いた答えこそ、妾が今も魔術に対して抱いている考え方に他ならぬ。……奴は妾の問いにただ一言、『人の願いを形にしてくれるもの』と答えたのじゃ」
「願いを、形に?」
「ああ、確かにあやつはそう口にしておった。魔術を行使せんとする物には必ず願いがあり、それが魔力と共鳴することで魔術と言う形になって世界に現れる。大事なのはその願いがどんなものなのかを具体的にイメージすることだと、そうも付け加えておったな」
幸せになりたいと願うだけでは何も変わらないのと一緒じゃな、とフェイは独自の見解らしきものを付け加える。それらの言葉は、想像以上にすんなりとリリスの腑に落ちていた。
フェイはきっと、ペンダントの中にいる時もずっとグラルドの言葉を考え続けていたのだろう。そうして何度も何度も反芻された言葉は、受け売りで在りながらまるで自分の物のように自然な言葉としてフェイの中になじんでいる。
「貴様らの中には、その考え方を子供の想像だと思った者もおるやもしれん。それは決して間違っておらぬし、ある種正解の一つともいえることじゃ。……何を隠そう、妾も最初はその言葉に憤ったウチの一人じゃからな」
聴衆たちの雰囲気を見てのことなのか、フェイは少しバツが悪そうに頭を掻きながら続ける。その言葉に騎士たちの中からは少し意外そうな声が上がっていたが、リリスからそれはイメージ通りの行動だと言ってもよかった。
フェイは自らの実力を客観的に評価しているが故に、それに対してプライドを持っている。そこに全く新しい魔術の概念を持ち出されたら、いくらなんでも見過ごすことなどできないはずだ。……これは仮定の話でしかないが、もしリリスがそこに居たとしても同じような態度を取っていただろう。
「当時の妾は、魔術とは魔力を支配することで行うものだと思っておった。何という事はない、精霊たちにとっての常識のようなものじゃ。……あやつと出会っていなければ、妾もまだその枠の中に囚われていたじゃろうな。じゃが、やつは『魔術はもっと自由でいい』と言い放ちおった。人間よりも魔力の真髄に触れ得る、精霊たるこの妾にじゃ。……今思い返しても、不遜にもほどがある物言いよ」
どんな偏見や拒絶もこの衝撃を勝ることはないじゃろうな――と。
当時のやり取りを噛み締めるように呟くフェイの瞳は、この部屋の中のどこでもない場所に焦点を合わせている。……まるで、リリスには見えないグラルドの姿を見つめているかのように。
そして、同時に確信する。……フェイがここまで人間に協力的であることの根源は、グラルドと交わしたやり取りの中にもあるのだと。リリスが抱くマルクへの想いをことあるごとに囃し立てることにも、ちゃんと意味があったのだと。
今までどこか腑に落ちなかったフェイの一面が、グラルドとの間にあったやり取りを、そしてフェイが秘めた思いを知ることによってすとんとリリスの中で納得に変わっていく。リリスたちを教え導く今のフェイ・グリンノートを形作ったのは、グリンノート家の人物だけではなかったようだ。
「あやつは妾が限界を超えた魔術を行使し、その反動によって消滅しかかったことを知っておる。故にな、納得できなかった妾にこう付け加えて見せたのじゃ。『あの緊急事態において貴女が限界を超えられたのは、そうしてでもグリンノートの皆さんを守りたいという思いがあったからじゃないですか?』とな。……何の反論も出来ず、見事に言い負かされたわ」
苦笑は晴れやかな笑顔に変わり、緑色の瞳が再び弟子たちに向けられる。自らを変えたやり取りを今もはっきりと胸に抱いて、フェイは教壇においてあった眼鏡を再びかけ直した。
「その日から、妾にとっての魔術は『願いの具現化』であると定められておる。これもまた魔術の真髄を掴んでおるとは言えぬが、妾の中でそれが確かなら十分じゃ。……他の誰がどうであろうとも、妾の魔術にとっての正解はこれ以外にあり得ぬからな」
支配などとんだ的外れなことを言う精霊もいたものじゃよ、とすました顔をしてフェイは自らの過去を棚に上げる。納得できる答えが自分の中にあれば常識などどうでもいいのだと、座学に励む弟子たちの事をそう励ましているようだった。
「さて、休憩はそろそろ十分じゃな。では、それぞれまた集中して想像に取り組むがよい。……貴様らにとっての答えは貴様ら自身にしか定められぬこと、努々忘れるでないぞ」
休憩の文字を消しながらそう言ったのを最後に、フェイはまた椅子にどっかりと座りこんで弟子たちを見守る体勢に入る。目を閉じて自らの魔術を思い描く皆に倣い、リリスもまた目を閉じて大きな一枚の布を思い描いた。
フェイが積み重ねてきた過去は巡り巡ってリリスたちへと伝授され、それぞれの目的に向かう彼ら彼女らの力となっていきます。果たして座学はどれだけの効果を生めるのか、そして一足先にきっかけをつかんだリリスの成長やいかに! ぜひお楽しみにしていただければ幸いです!
――では、また次回お会いしましょう!




