第四百五十九話『根本にあるイメージ』
自分はどの様に氷の槍を作り上げ、そして敵へと打ち放っているのか。リリスたちの機動力を支える風はどの様にして生み出しているものなのか。どちらも普段から当たり前のように行使している魔術ではあるが、その過程を説明するとなるとその難度は大きく跳ねあがってくる。魔術を行使する過程を分解して考えるなど、今まで生きてきた中で初めての経験だった。
ツバキをはじめとした周囲の面々もそれは同じことなのか、しばらく部屋の中には沈黙が落ち続ける。自分の中にあるイメージを今一つ掴み切れず首を捻っていたその時、フェイの声が響き渡った。
「焦って掴もうとせずともよいぞ、寧ろ簡単に掴めないものである方が正常じゃ。貴様らにとって魔術はそれほど当たり前の概念であり、それを当たり前に使う事を貴様らは無意識に癖としておる。……それを克服せよとは言わぬ、しかしただ自覚せよ。普段の貴様らが、どれだけ『常識』という胡乱な枠に寄りかかって魔術を行使しておったかをな」
最初からこうなることを、フェイはきっと予想していたのだろう。沈黙の中においてもフェイに焦りや苛立ちの色はなく、ただゆったりとした様子でリリスたちに呼びかけている。その言葉が浸透していくと同時、自分の中にあった焦りが霧散していくような気がした。
呼吸を落ち着けながら、瞼の裏に今まで経験してきた戦いの記憶を映し出す。今までの自分はどの様に魔術を扱い、そして死地を切り抜けてきたのか。その経験の中で思い描いていた形こそが、きっとリリスにとっての魔術の根本なのだ。
そもそもリリスにとって、魔力とは目に見えないものではなかった。形は分からずとも確かにそこら中に存在して、外部から干渉されることによって初めてその本質は変わっていく。リリスの場合は、それが風や氷という形に魔力を変化させているわけで――
「――あ」
そんなところにまで思考がたどり着いた時、リリスの口からふと声が漏れる。今頭に思い浮かんだ考え方は、なぜだかとても懐かしく感じられた。護衛仕事の中でダメになってしまった服と同じものをたまたま別の街で見つけ出せた時のような、そんな感覚。もう自分の物ではなくなっているはずなのに、その考えがひどく手になじんで仕方ない。
その感覚に引っ張られるようにして、リリスの脳内に改めて明確なイメージが描き出される。……リリスにとっての魔力とは、何色にでも染まる純白の布のような存在だった。
その考えが正しいのか試してみたくなって、リリスは人差し指をピンと伸ばす。……その指先からあふれるリリスの魔力がまだ何者でもない魔力に浸透し、その本質を氷へと変えていく。そして、やがてリリスの意志に従う弾丸になるのだ。
「……氷よ」
そのイメージに合わせて、リリスは今までに何度も口にしてきた式句を呟く。……瞬間、指先にひんやりとした感覚が触れた。
目を開けてみれば、人差し指から少し浮くようにして小さな氷の球体が完成している。それを見つけたフェイは少し驚いたように目を丸くしながら、教壇を下りてリリスの元へと歩み寄ってきた。
「ほう、やはり一番乗りは貴様であったか。魔力を捉える感覚を持つものはやはり呑み込みが早いな」
「ええ、おかげさまで懐かしい感覚を思い出せたわ。これが私にとっての魔術の根本なんだなって、何となく分かる」
フェイの称賛に答えながら、リリスは指先の球体の形をあれこれといじくりまわす。三角にしてみたり四角にしてみたり、はたまた縦に長く伸ばしてみたり。その変化の応答速度は、間違いなく以前よりも向上しているように思える。
「いい変化じゃ、やはり貴様には才覚がある。……そのイメージ、忘れるでないぞ」
リリスの返答に今度は目を細め、頭に軽く手を当てる。そのままわしゃわしゃと優しく撫で回すと、フェイは再び教壇の上へと戻っていった。
「何度想像に失敗しても良い、大事なのは自分にとって最も自然な形を見つけ出すことじゃ。模範解答などない、自らの正解を探せ。他者との比較は最も不要じゃからな、ただ自らのみに集中せよ」
リリスの成功をきっかけに焚きつけるようなこともなく、ただフェイは悠然と生徒たちのイメージが完成するのを待つ。ふと気になって後ろを振り返れば、そこにいる全員が目を瞑って想像に集中していた。
その様子はまるで瞑想しているかのようにも映るが、一人一人の脳内では無数の思索が展開されているのだろう。今まで意識することなく使ってきた魔術が自分にとってどのような物であったのか、その根本を探し出すために。
それに倣うようにして、リリスもイメージをより明確なものにするべく目を瞑る。明確なイメージを手にしたうえで今までの戦いを振り返るのは、なんだか妙にくすぐったいような感覚がした。
そんな風にしてから、どれだけの時間が経っただろうか。長い間沈黙が続いていた部屋の中に、「先生」とフェイを呼ぶ声が響く。……どことなく幼く聞こえるその声は、騎士たちが座れる席の中でもっとも最前列に位置していたガリウスのものだ。
「ほほう、貴様が早いとは意外じゃの。……して、貴様にとっての魔術とはなんじゃ?」
「僕の偽装魔術は、ペンや絵筆を使って外の世界を好き勝手に塗り替える様な感じだ。役名を与えれば紙切れだって剣になれるし、絵の具を使って色を塗れば見た目も変わる。僕の魔力は、世界を塗りつぶすためのインクや絵の具みたいなものだね」
だからそれが切れると魔術は使えなくなるってわけだ――と、今までにないほどに晴れやかな口調でガリウスはフェイに自らのイメージを語る。ガリウスの持つ物に対して上塗りするようなイメージは、リリスの中では重い月すらしないようなものだった。
「塗り替えるか、それはまた興味深いイメージじゃな。貴様の中で納得もできているようじゃし、貴様にとっての正解はそうなのじゃろう」
「ああ、なんだか自分の原点に戻ってきたような気がするよ。昔から戦うのは好きだったけど、絵を描くのもそれと同じぐらい好きだったからね」
フェイの言葉にそう応え、ガリウスは再び目を瞑る。一度自分の中でイメージがつかめてしまえば、後はどれだけ細部のイメージを克明にできるかの勝負だった。
ふと思い至って、リリスは合成魔術のイメージを改めて思い描いてみる。本来あれは二つの魔術が相殺し合わないように細心の注意を払っていたが、それはきっとリリスが持つイメージとは異なるやり方だ。
頭の中に一枚の大きな布を思い描き、自分の中にある魔力をそれを染めるための染料に見立てる。そうであるとするならば、一度に何色もの染料を流すのは決して悪いことではないだろう。二つの色は混じり合い時に重なり合いながら、布の中に一色では見られない柄を作り上げてくれるはずだ。
流石に室内で吹雪を巻き起こすことは出来ないが、魔術の行使一歩手前まで行ったにしては悪くない感覚がリリスを包んでいる。このままのイメージで行けば、本来なら乱発できないはずの合成魔術を同時に展開することだって不可能ではないだろう。
確かな手ごたえを想像の中に感じたその直後、フェイが教壇を少し強めに叩く。それにつられて一同が目を開けると、『想像』と書いたその隣にいつの間にか『休憩』という文字が書きこまれていた。
「貴様ら、ここで一度休憩じゃ。集中と言うのはさほど長く続かないようにできている故な、一度気を緩めるがよい。集中を切らしている状態で出た答えが万全なことなどあるはずもないからの」
そう言った直後、それを体現するかのようにフェイは近場の椅子に座り込んで眼鏡を外す。それによってスイッチが切り替わったのか、背もたれに大きく体重を預けるその姿はお世辞にも師匠らしく見えるものではなかった。
それに引きずられるようにしてなのか、騎士団の面々も、そして隣に座っていたツバキも少し脱力して椅子に座り直す。そうして部屋全体の空気が弛緩し始めてきたその時、フェイはまるで世間話をするかのように口を開いた。
「休憩とは言ったが、しかし何もせぬのは手ほどきの時間として見過ごせない物じゃ。……故に、話半分に聞いておけ。妾がどのようなイメージを魔力に抱いているのか、そしてそれをどこで掴んだのか」
言ってしまえば昔話のようなものじゃな――と。
そんな前置きをしながら、フェイは返事を待つことなく語り始める。……それはイメージについての講義で在りながらも、フェイという精霊を理解するうえで欠かせない過去の物語だった。
フェイの口から語られる言葉は、そして彼女の持つイメージとは一体何なのか! まだステップアップの途中にあるリリスたちが向き合うフェイの過去、ぜひお楽しみいただければなと思います!
――では、また次回お会いしましょう!




