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ダ・カーポ『記憶の激流』

――思い出すという事がこれだけの苦痛を伴う事を、俺は初めて理解した。


 とめどなく流れ込み続ける記憶の激流に呑まれながら、俺は必死に思考を回し続ける。目の前に流れる映像をしっかりと理解しながら、『これは俺の過去の記憶だ』と自分に言い聞かせ続ける。そうやって今の自分と記憶の中の自分を切り離さなければ、自我までもがこの激流の中に呑み込まれてしまいそうで。――そうなったが最後、二度と取り戻すことは出来ないような気がして。


 映し出される無数の記憶は時系列も長さも色合いも全てが適当で、その無秩序さも俺の認識をさらに困難なものにさせる。これがいつの記憶で、その時にどんな思いを抱いて、それをどれだけ自分は大切にしていたのか。それがちゃんと整理できなければ、たとえ思い出せたとしても無意味だ。……記憶とは、正しく繋ぎ合わせて初めて意味を持つのだから。


(俺はマルク・クライベット、修復術師で冒険者、『夜明けの灯』ってパーティを組んでいて、その依頼の一環でベルメウに向かってた)


『そら、思い出せ』とでも言いたげに迫ってくる記憶を前にして、俺は自らのプロフィールを無限に反芻し続ける。ショッキングな印象を伴って迫ってくる記憶に、今まで抱いていた記憶が押し流されないように。忘れていた間にも刻んでいた記憶が、激流を前に軽んじられないように。


 忘れないように必死に抱きかかえる。故郷を離れた後のことを、王都に流れ着くその前の事を、王都に来て早々に『双頭の獅子』へと連れ込まれたときのことを。その時の苦しかった記憶を。……出来るなら思い出したくないとさえ思っていた物さえも、ことこの状況の中ではあまりに愛おしく感じられる。


 封じ込められていた記憶が取り戻されたからといって、忘れていた間に生きていた『俺』が偽物になるわけじゃない。その足跡が嘘になるわけはない。……どんな記憶も、他の記憶を否定することなんてできない。


 あの修復術でさえも、記憶を無にすることは出来なかった。厳重に鍵をかけた箱に放り込むことしかできなかった。……なら、俺が記憶達に優劣をつけるわけにはいかないのだ。少なくとも、全ての記憶が整理されて俺の中に落ち着くまでは。


 そんな俺の決意が面白くないのか、記憶の激流はその勢いをさらに増していく。……その中でふと浮かび上がってきた一つの光景に、俺の抵抗はいとも容易く打ち砕かれた。


 俺と兄弟子の前に立つ無数の大人たち、そしてそれらに囚われた一人の少女。俺たちが力を尽くして繋ぎとめたはずのその子が、あっけなく大人たちによって命の糸を切り落とされる。悲鳴すら上げることなく、まるで最初からそれが自然だったかのように、その子の身体は力なく崩れ落ちる。その命が器から零れ落ちていることは、誰の目から見ても明らかだ。


「……してやる」


 その光景を目の当たりにして、今まで溺れることしかできなかった俺の口が言葉を紡ぐ。必死に保とうとしていた自我が、どす黒いものに染め上げられていく。……それほどに、目の前で起きた光景は俺たちにとって絶望的なもので。


「……殺す、殺す殺す殺す殺す殺してやる……ッ‼」


 その記憶の中に映し出されるすべての大人たちに、俺はどうしようもない殺意を抱く。こいつらの全てを否定して打ち砕いて終わらせてやらない限り決して消えることのない憎悪の火が、激流の中でもがく俺の身体を焼き尽くす。なんでこんな感情を今まで忘れられていたのだろうと、そう思わずにはいられなかった。


 ふと景色は切り替わり、クソッタレな大人どもが俺たちの前に立ちはだかるのが分かる。殺したくて殺したくて仕方がない奴らのはずなのに、俺たちは見えない壁に阻まれてその懐に潜り込めない。……どうにかして触れることさえできれば、俺の修復術でどんな風にもぐちゃぐちゃにしてやれるのに。


(……もしも、今の俺なら)


 ふと、そんな考えが脳裏をよぎる。今の俺ならば体術もある程度修得しているし、身体も大きくなった。今の俺があそこにいたならば、全滅とはいかずとも一人は殺せたんじゃないか。……いいや、殺せるはずだ。今からでも殺させてくれ。……目の前に映る不快を人の形の凝集させたような存在を、少しでも。


 その願いが、俺の自我の境界を曖昧なものにしていく。激流に呑まれまいと必死に保っていた自我を、俺は今自ら記憶の激流の中へと躍らせようとしている。それが愚かな考えだと理性では分かっていても、本能が目の前の存在を放置しておくことを拒んでいた。


 過去の記憶と、今の自分が溶け合う。本当の自分がどこに居るのか、だんだんと分からなくなり始める。過去から今に至るまで封じられず積み重ねられていたはずの記憶が、思い出された憎悪によって真っ黒に塗りつぶされて見えなくなる。真っ黒になったその中に残るのは、目の前の奴ら――俺に修復術を叩きこんだ里の大人たちへのあまりに根深い殺意だけで。


「……お前たちだけは、絶対に……‼」


 半ば無意識に口が呪詛の言葉をこぼし、俺の意識が記憶の中へと没入していく。その中に飛び込めば容易には戻って来られないと分かっていても、その衝動を止めることなどできるわけもなく――


『――こういうアクセサリーに想いを込めるの、いいなって思ったのよ』


「……う、あ?」


 自我が完全に記憶の中へ潜っていく直前、聞こえるはずのない声が俺の道行きを引き留める。……それと同時、俺の胸元で淡い熱を放つものがあった。


 その熱はだんだんと強くなっていき、憎悪の炎にも負けないほどの勢力へと膨れ上がっていく。それが俺にまとわりついていた記憶を振り払ってくれていると気づいたのは、少し後になってからの事だった。


 もちろん、それで憎悪が俺の中から完全になくなったわけではない。だが、それでも自分を抑え込めるだけの理性は確かに取り戻すことが出来ている。あのまま激情に身を任せていたら、本当に復讐を果たすための機会を俺は永遠に取りこぼすことになっていただろう。


 だが、きっとこの熱の根源はそもそも復讐することからして望んでいないのかもしれない。すんでのところで俺を助けてくれたそれ――細いチェーンの先にひし形の宝石が施されたネックレスを見ながら、そう思った。


 リリスから贈られたそれは、リリスの想いが目一杯詰め込まれたものだ。『あのペンダントほどじゃないかもしれないけど』なんて謙遜して、少し照れくさそうにしながらくれたものだ。……それが放つ熱は、いつかリリスが膝枕をしていてくれた時に感じたそれとよく似ていて。


「……そう、だよな」


 自分の全てを呑み込もうとしていた憎悪がだんだんと収まっていくのを感じながら、俺は激流の中で呟く。その間にもいろいろな光景が俺の目の前を通り過ぎて行ったが、もう憎悪に身を委ねることはない。あるのは人並み以上の嫌悪感、ただそれだけだ。


 封じられていた過去の記憶も、封じられていることに気づかないまま歩んできた記憶も、それぞれ優劣なく同等に価値があるものだ。頭では理解できていたはずなのに、実際に記憶を前にしたときその認識は完全に消えていた。……ネックレスの存在が俺を繋ぎとめてくれていなければ、俺はただ過去の妄執に囚われるだけの廃人になっていてもおかしくなかっただろう。


 取り戻された記憶がどれだけ衝撃的な物であろうとも、それが生み出す感情だけに全てを任せてはいけない。どんな結論を下すにしろ、まずは理性的に向き合わなければ。……常に頭を回して打開策を探すのが、『夜明けの灯』における俺の役割なのだから。


「……そうだよな、皆」


 ネックレスをグッと握りこみながら、俺は目の前を流れ去っていく記憶と再び相対する。――そんな俺の想いに応えるかのように、激流の映し出す記憶はさらに明瞭な物へと変化していった。

 ということで、第六章『主なき聖剣』これより開幕です! ダ・カーポには「頭から」と言う意味もあるようで、マルクは封じられていた自らの記憶にまた「頭から」向き合っていくことになります。果たしてクライヴの思惑をリリスたちの共同戦線は上回ることが出来るのか、そして記憶を取り戻したマルクはどう変わっていくのか! 激動の第六章、ぜひお楽しみいただければと思います!

――では、また次回お会いしましょう!

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