第四百四十七話『ベルメウの原点』
マルクに修復術を叩きこんだ師匠がいるという話は、生活を共にする中で何度か聞いたことがある。だが、その話をするたびに必ず付け加えられる言葉がある事もまた、リリスははっきりと憶えているのだ。
『あの人たちは、きっと何があっても修復術師として人に頼ることはない。それが里のしきたりだからな』
悲しんでいるのか諦めているのか、よく分からない感情が入り乱れたその声。……彼が幼い頃を過ごした里には、一体どんな記憶が眠っているというのだろうか。
マルクはそこを語りたがっていなかったし、リリスとツバキもそれを深堀りしようとはしなかった。だが、再開できたらとことん時間をかけて聞かせてもらわなければならないだろう。
(……貴方は一体、どんな過去を抱えているって言うの?)
「この問題を説明するには、この都市の成り立ちから語らねばならぬな。……もっと詳しく言うのであれば、妾と二つの国を巻き込んで『約定』を作り上げた『設計者』と呼ばれる人物の事を」
そんなリリスの想いをよそに、フェイの話は進んでいく。マルクにしか語れない物語があるように、フェイにしか語ることのできない物語が、この狭い部屋で明かされようとしていた。
「ベルメウの住民も知っているように、この都市に張り巡らされたシステムはたった一人の魔術師によって作られたものだった。あの男は間違いなく天才じゃ、あの時から今に至るまでの間、一度も問題を引き起こすことなく駆動し続けるシステムを短時間で作り上げていたのじゃからな」
「ああ、凄まじいことだよ。……だからこそ、今回の襲撃は衝撃的だった。ベルメウの住民にとって絶対的だったシステムが、翻って僕達に牙を剥いたんだから」
フェイの言葉に続くようにして、ガリウスがベルメウの住民の総意を代弁するようにそう口にする。都市で見てきた人々の反応を見れば、それが真実であることは疑いようがなかった。
ベルメウの都市に住む人々は、どこの誰が作ったとも知れないシステムを無垢に信じ続けていた。それが出来たのは、設計者が誰かなど関係がないぐらいに圧倒的で絶対的なものだったからだ。……だからこそ、それに付け込んで見せたクライヴの事が余計に危険人物に見えてきて。
「ああ、事情を知らぬものからすればそういう考えになっても不思議ではないな。じゃが、妾からすると此度のシステムへの干渉は必然的なものに他ならぬ。――クライヴ・アーゼンハイトは、かつて設計者が用いたものと同じ手段を活用してこの都市を掌握したのじゃから」
「……え?」
リリスの考えを先回りしたかのようなフェイの言葉に、リリスは思わず口を開ける。言わんとしていることを理解することとそれに納得することが全くの別問題であることを、リリスは今の一瞬で思い知っていた。
クライヴが修復術師で間違いないのならば、彼はそれを用いることでこの都市のシステムに干渉したことになる。……それが四百年以上前に設計者が使ったのと同じ技術ならば、それすなわち設計者も修復術師でなければおかしくなってしまうわけで。
「四百年以上もの間誤作動を起こさずに稼働し続けたのは間違いなくあ奴の才能じゃが、その間誰もシステムに手出しできなかった理由は別にある。……単純に言えば、修復術師の所業に手を出せるのは修復術師だけであるという事じゃ」
リリスの気づきを肯定するかのように、フェイはこの都市の根幹にまつわる真実をあっさりと明かす。……この都市の根幹を作り上げたのもまた、マルクと同じ修復術師だった。
「……成程な、それなら確かに納得がいく。修復術なんて体系がある事、僕もマルクに出会うまで知らなかったわけだし」
「ああ、修復術は基本的に外部に漏れぬよう秘匿されるものじゃ。よほどの幸運が無ければ研究者とてその存在に気づくことはなく、その知識がなければこの都市の根幹は理解できぬ。そのようにしてこの都市は、原理は分からぬがつつがなく稼働し続ける『魔構都市』と相成ったわけじゃな」
頭の中に作り上げられた原稿を読み上げるかのようにすらすらと結論までたどり着き、フェイはこの都市の秘密を看破する。……それにガリウスとロアルグはただ感嘆しているばかりだったが、リリスが抱く感情は少し違っていた。
「……フェイ、一つ質問をしていい? この話の本筋と繋がるかは分からないのだけれど」
「よいぞ小娘、もとより会議とはそういう場じゃ。結果的に有用になるにせよそうでないにせよ、疑問が生まれることにこそ意義がある」
ピンと手を伸ばしてアピールするリリスに、フェイは満足げな笑みを浮かべて続きを促す。こちらを捉える緑色の瞳をまっすぐ見つめ返しながら、リリスは胸の中に残る違和感を言葉に変えた。
「……私もマルクと半年間一緒に居て、この中ならあなたの次には修復術に関する知識を持っているつもりだわ。けれど、マルクの修復は傷ついた魔術神経にのみ使われていた。……あなたが言う設計者やクライヴが使っているような修復術と同じだとは、どうしても思えないの」
マルクにとって修復術はただそれだけの存在だったし、だからこそ戦闘力を鍛える時に彼は体術を身に着けることを選んだ。……仮にクライヴが修復術を戦闘に転用しているならば、マルクにだってその発想があってもおかしくはないはずだ。
マルクの魔力操作は繊細で、術師として未熟だったとも思えない。……ならば、どうしてその二人とマルクの間には違いが生まれているのか――
「おお、良い指摘じゃ小娘。……それに関しては、妾も気になっていたところではあったからの」
リリスの吐露した問いかけに手を打ち、フェイは言葉を弾ませる。リリスの期待していた反応ではなかったが、こちらの疑問に乗ってきてくれるだけでありがたい話ではあった。
「詳しくは割愛するが、『約定』にまつわることもあって妾は修復術師との縁が深い。それもあって妾は魂だけの状態であの小僧と接触し、意思疎通を試みることが出来たのじゃが――あ奴の状態は、確かに妙な物ではあった」
「妙、ね」
「ああ。奴の修復術師としての腕には間違いのないものがあった。妾が一度教えただけの応用術もすぐに習得して見せたからの。……じゃが、奴の思考にはどこか空白があった」
接触の時を思い出すかのように天井を見上げ、怪訝そうな口調でフェイは呟く。精霊とマルクの接触という言葉を聞いて、リリスの脳裏にはレイチェルを初めて見つけた時のやり取りがよぎっていた。
マルクだけが聞いたという声は、フェイが緊急時に当たって発した物なのだろう。フェイが言う所の『縁』があったことによって、それはマルクだけへと的確に届けられたというわけだ。
フェイの存在が、そして経歴が語られていくとともに、リリスの中にあった小さな引っ掛かりは次々と解消されていく。それ自体は喜ばしいことだが、疑問が減っていくにつれ残ったものが不気味に強調されていくのもまた事実だった。
考え込むリリスと同じようにフェイもあれこれと呟きながら思索を進めており、その様子を残った三人はどことなく圧倒されたような様子で見つめている。騎士団でもトップクラスの人間二人が議論に加われないあたり、本当に修復術師と言うのは稀有な存在であるのだろう。
そのまましばらく無言が続き、それが長引くたびに部屋の空気は張り詰めたものとなっていく。それを破ってフェイが口を開いたのは、緊張がある種の臨界点を迎える直前になっての事だった。
「小娘、よく記憶を探って答えてくれ。……修復術を説明するとき、小僧はどんな言葉を使っておった?」
真剣な目線でリリスを射抜きながら、低い口調でフェイは問いかける。それこそがフェイの考えをまとめるカギになると、そう告げているかのように。
それを受け、リリスは記憶の箱を改めてひっくり返す。マルクと過ごした六か月間、その最初の最初。――ツバキとリリスに改めて自分の手の内を明かしてくれた、あの時の事を。
もうあり得ないと思っていた再会を果たした二人を前にして、マルクは少し声を潜めながらも誇らしげに語っていた物だ。……そう、マルクは確かあの時――
「『本来なら治せない魔術神経を治すことのできる唯一の魔術』――そう、言ってた気がするわね」
ツバキと一緒に驚きながらそれを聞いたことを、リリスは今でも鮮明に覚えている。……それを聞いたフェイの口元は、満足そうににやりと吊り上がっていて。
「……お手柄じゃ小娘、それを聞いてようやく合点がいった。あの小僧、相当難儀な事情を抱えておる」
行き詰まっていた分の鬱憤を晴らすかのように高らかに告げ、フェイはぐるりと一同を見回し、最後にリリスへと視線を戻してくる。そして溜めるかのように一呼吸置き、また口を開くと――
「あの小僧、どうも認識を書き換えられているようじゃ。……小僧の語っていた修復術とは、あくまでその一側面でしかない」
指を一本すらりと伸ばしながら、自信満々にそう断言した。
どんどん謎が深まっていく修復術、その一端は次回も明かされていくことになります! フェイの結論がいったい何を意味するのか、どうぞお楽しみにしていただければ幸いです!
――では、また次回お会いしましょう!




