第四百四十六話『貴方が教えてくれたこと』
これからの事を語るにあたって外せない一つの取り決めが無事完了したことに、リリスは内心軽く息を吐く。その一方で、ガリウスはすぐさまフェイとレイチェルの方へと視線を向けていた。
「……精霊様、敵はひどく強大だ。約定を果たして目覚めたばかりでの提案になって申し訳ないけれど、僕達は精霊様とも共同戦線を張りたい。……どうだろう、提案に乗ってくれる?」
いつものガリウスの口調と同じようで少し違う緊張したような口調が、この提案がベルメウを統べる人間として重大なものかをリリスにも理解させる。ベルメウを作り上げた人間との取り決めでずっとこの街の地下で眠っていた存在をまたしても自分たちの計画の中に巻き込むと考えれば、そうなるのも確かにあり得なくはない話だ。
童話と言う形で伝わっているからある程度の顛末は分かるものの、そもそも『約定』がどのような感情の下でなされたかもまだまだ謎が多いところだ。力を借りられるならそれ以上にありがたいことはないが、だからと言って期待しすぎるわけにもいかないか――
「ああ、それほどかしこまらんでも妾は最初からそのつもりじゃ。この会議がそういう方向に進まないのなら、妾からでも提案して強引に共同戦線を張らせるつもりじゃったからな」
ガリウスの緊張とリリスの思索をよそに、フェイはすんなりとガリウスの提案を承諾する。レイチェルもそれは分かっていたことなのか、緊張した様子ながらもこくこくと首を縦に振っていた。
「ああ、それと妾の事はフェイと呼ぶがよい。『精霊様』などともてはやされるよりも『フェイ』という一存在として扱われる方がよほど快い故な」
尊大な様子で椅子にもたれかかりながらも、フェイの口から出てくるのは賛同と譲歩の言葉ばかりだあまりに予想外だったのかガリウスはあんぐりと口を開けていたが、しばらくすると首をぶんぶんと横に振りながら言葉を続けた。
「分かった。……フェイ様、君が僕達の提案に乗ってくれることをありがたく思うよ。君が力を貸してくれるのであればルグの交渉も多少は楽になりそうだ」
「ああ、帝国に乗り込むにも色々と形と言うものはあるからな。マルク殿を奪還するとは言っても、私たちまでもが侵入者として帝国と敵対するわけにはいかない」
「ああ、紛うことなき正論じゃの。手綱の切れた馬の如く無闇に帝国へ乗り込まんとする輩ばかりでなくて安心したわ」
ルグの言葉に頷きながら、フェイはこちらへもの言いたげな視線を向ける。……それが数時間前のリリスに対する当てつけであることは、その遠回しな言い方だけでも明らかだった。
フェイの制止が無ければ、リリスはどんな手を使ってでも即座にマルクを取り返すために動いていただろう。たとえ侵入者になったとしても、それで帝国と敵対することになったのだとしてもどうでもよかった。ただ一秒でも早くマルクを取り戻さなければ、心が不安で塗りつぶされてしまいそうだった。
いや、現に今もリリスの心には不安が巣食っている。こうやって話をしている間にもマルクには危機が迫っているのではないか、こうして話し合っている間に取り返しのつかないことになるんじゃないか。……そんな考えは消えないし、合流するまで永遠に拭いきれないものだ。それが表に出る度に、リリスの身体は疼いて居ても立っても居られなくなる。
『冷静に考えろ、小娘。今の貴様があ奴と相対しても惨たらしく殺されるのが関の山じゃ』
そんなリリスが今辛うじて落ち着けているのは、フェイがリリスの無力さを改めて叩きつけてくれたからだ。実力的な面での無理を指摘したうえで、リリスが抱える不安を理論的に否定してくれたからだ。その二重のケアがあったからこそ、リリスは余裕がないながらも話し合いの道を選べている。
「もう独断専行する気はないわよ、足並みはちゃんと揃えるわ。……少なくとも、私一人でマルクを救おうだなんてもう思ってないし」
「それならよい、妾てずから現実を見せた甲斐があったというものよ。安心せい小娘、あの小僧を――マルク・クライベットを救いたいと考える人間は何も貴様一人ではない。貴様が『夜明けの灯』とやらのリーダーとして小僧を求めるように、ここにいる全員に小僧を取り戻さなければいけない理由がある。そうじゃろう?」
そう言ってフェイがこの場全体に水を向けると、すぐさま全員の頷きが返ってくる。……その光景を、リリスは感慨とともに見つめていた。
マルクと初めて出会った頃、マルクに向けられる視線は疑念やら敵意を含んだものばかりだった。それから半年がたった今、こんなにも立場や力がある人間がマルクの事を必要としている。それはかつてマルクがクラウスへと叩きつけた、『人徳で頂点に立つ』という目標が体現されているようで。
「……ええ、そうよね。ほんと、私としたことが完全に視野が狭まってたみたいだわ」
その事実に気づき、リリスは自嘲気味の微笑を浮かべる。マルクを助けたいがあまり最も効果的でない方向へと動き出そうとしていたとは、十年後時の経験ではやはりまだまだ足りない部分も数多くあるらしい。
よくよく考えてみれば、リリスはこの場に居る中で二番目に経験が浅い人間なわけだ。ロアルグとガリウスが騎士団として積み重ねてきた経験もさることながら、精霊であるフェイの経験値は比べ物にならないぐらいに高い。上には上がいるとはきっとこういう時のことを指すのだろうなと、そう思う。
「よい気づきじゃ、自らの視野の狭さを実感した物はこれから伸びていくからの。まだ通用しないと言っても小娘が最高級な戦力であることには変わりない、貴様の力を頼りにする場面は間違いなく来る。……故に、それまでは妾たちの知恵を頼ることじゃな」
「ああ、僕とルグなら帝国にもコンタクトが取れるからね。そこにグリンノート家のレイチェルさんと『約定』の精霊であるフェイの存在があれば、あっちも流石に僕達の要求を無視することは出来ないはずだ」
フェイの言葉を証明するかのように、ガリウスが少し悪い表情をしながら交渉材料を一つ二つと並べ立てていく。……そう言えば、ツバキ以外の誰かに頼ることもマルクが教えてくれたのだったか。
マルクと出会ったことで学んだたくさんの事を、リリスはどうやら忘れかけてしまっていたらしい。あまりの緊急事態で気が急いていたとは言えど、マルクと出会う前の護衛時代に思考が戻ってしまうのは流石に精彩を欠いていると言わざるを得なかった。
あの時は何が何でも一本立ちしなくてはいけなかったし、頼れる存在なんてそうそう現れる物ではなかった。けれど、今はもう違うのだ。『夜明けの灯』には、リリスの想いを後押ししてくれる協力者がたくさんいる。
「国家同士の決め事ともなれば多少の時間はかかるだろうが、これだけの材料があれば帝国入りはほぼ確実に達成できると見ていいだろう。……そうなれば見据えるべきはその先、つまり襲撃者との差異接敵だ」
「ああ、ちょうど妾もそのことについて語らなければなるまいと思っていた。話が早くて助かるぞ、騎士団長の男よ」
顎に手を当てながら次の議題へと話を進めたロアルグに勝算の言葉を投げかけ、フェイは改めて部屋全体をぐるりと見まわす。それがスイッチとなったかのように、部屋全体がピリリとした緊張感に包まれた。
『あの男については妾が説明せねばならぬ。……自然あの小僧の修復術にも触れねばならぬが、異論はないな?』
会議の前に個人的に投げかけられた確認を、リリスは今一度思い返す。あの一瞬の交戦を経て、フェイはリリスに見えない繋がりをマルクとクライヴの間に見出したのだろう。フェイよりも長く接触してもなおそれを見出せないことは、多少悔しさがあるのだけれど――
「皆、覚悟はできておる様じゃな。よい、それでは語るとしよう。此度の襲撃で『魔構都市』のシステムを完全に掌握し、一時的とはいえ都市のほぼ全てを手中に収めた襲撃者の首魁――クライヴ・アーゼンハイトと名乗った『修復術師』についての」
「……ッ⁉」
フェイが重々しく発したその肩書に、リリスは思わず息を呑む。……それを名乗ることが許される人間がマルクの他に存在することを、リリスは今初めて知った。
登場から撤退まで謎に包まれていたクライヴですが、その力の一端が次回明かされます。リリスたちを圧倒したあの力がいったい何によるものなのか、そして修復術師であることの意義とはいかに! 次回もぜひお楽しみにしていただければ幸いです!
――では、また次回お会いしましょう!




