第四十四話『塵も積もれば』
「リリス、次はアイツを狙おう。ここまで見た限りだと首元を狙えば楽に倒せそうだ」
「そうね。タイミング見て飛び出すから、もしものことがあったらフォローしてちょうだい」
――『プナークの揺り籠』の本格攻略を始めてから約二十分ほど。影の領域に隠れながら、俺たちは次の獲物を見定める。ツバキが延ばした指の先でのんびりと闊歩している四足歩行の魔物は、己がロックオンされたことにも気が付かないままこちらに接近してきていた。
図体だけで見れば俺たちよりも二回りくらい大きいし、緊張感がないというよりは強者としての余裕があるという方が説得力はあるんだけどな。だが、今回ばかりはそれが致命的だ。
「……行くわ」
「ああ、行ってこい!」
その巨躯がリリスの射程距離に踏み込んだが最後、一切の迷いなくリリスは地面を蹴り飛ばす。その次の瞬間、魔物の体には無数の氷の刃が突き刺さっていた。
そのダメージがまるで時間差で伝わったかのように、魔物はゆっくりと地面に崩れ落ちる。首筋に刻まれたひときわ大きな切り傷が紅い断面を晒しており、一目見るだけでそれが致命傷だと理解できた。
これだけの手数を一息で繰り出せるのがリリスの強みであり、魔物相手に全滅することはないとほぼ確信できる理由でもある。影の中から見定められてしまった時点であの魔物の末路は既に決定づけられたようなものだしな。
「……意外と肉質が硬かったわね。思わず追撃を入れちゃったけど、これがなかったら致命傷まではいけなかったかもしれないわ」
即席で作り上げた氷の大剣をふっと消し去りながら、リリスは俺たちの方に向かってくる。一仕事終えたという感じすらない立ち姿は、まさにパーティのエースと呼ぶに相応しい佇まいだ。
探索を開始してから何度か魔物との接敵はあったが、それもすべてリリスの魔術が決め手となっている。追撃が叩きこまれた今回なんて珍しい方で、大体は一発も耐えられずに即死する魔物ばかりだった。
「それにしたって、今のやり方はおしゃれが過ぎると思うけどな……まだまだ戦闘を重ねないといけないんだから、魔術神経をあんまり酷使するようなことはするなよ?」
綺麗だったけども、と付け加えながら、俺はこちらに戻って来たリリスの肩に軽く触れる。そこから読み取れた情報的には、リリスの魔術神経はほぼ無傷と言ってもよかった。
リリスの魔術神経が群を抜いて強靭なのは俺も重々理解しているところなのだが、それでもあの魔術の規模は心配したくもなってしまうのだ。人とエルフの限界は違うとはいっても、あまりにも他の魔術師とスケールが違いすぎるからな。
「普段からマルクがケアしてくれてるし、よほどのことをしない限り大丈夫よ。だらだら戦闘を続けるよりこうやって一瞬でケリを付ける方が消耗も抑えられるし」
「リリスが体を壊した時の労働環境は本当に異常だったからね……。それを思えば今の環境なんて可愛いもんだよ」
心配性を発動させている俺に対して、リリスとツバキは穏やかにそう返す。俺が必要以上に警戒心強めでいるのは二人とも分かってくれているし、それを踏まえたうえで楽観的にいてくれるのがありがたかった。
「そう言ってくれるなら俺も定期的にケアをしてる甲斐があるってもんだ。……でも、何かおかしいと思ったらすぐに報告してくれよ? その点に関して隠し事は厳禁だからな」
「大丈夫、それは肝に銘じてるわ。『一度壊れた魔術神経はクセになる時がある』――だったわよね?」
最後に付け加えられた忠告に、リリスは軽く首をかしげながらそう口にする。その知識に関してはリリスが宿でのんびりしている時にちらっと話しただけの事なのだが、意外にもしっかりと記憶してくれていたようだ。
「そうそう。一度ひねった足首がケガしやすくなったり、抜けた肩が抜けやすくなるのと一緒だな」
『修復』の術式は本来不可能な魔術神経の修復を可能にする魔術ではあるが、完全に損傷前の時とそっくりそのまま同じに戻せるかと言うと少し話が違ってくる。一度修復された術師が再び魔術を失う時、損傷しているのは大体同じ地点だったりするのだ。
「そんな感じでだんだん扱える魔術が少なくなっていって、最後には凡人以下になった魔術師のことを俺は知ってるからな。いちいちうっとうしいと思うかもしれねえけど、定期的なケアだけは欠かさないでくれ」
「あの体の重さは何度も味わいたいものでもないしね。その分野に関しては貴方が一番分かってることだし、そこで意見に背くようなことはしないわよ」
「体とかのことは専門家に任せるのが一番だからね。もちろんボクだって定期的なケアは怠らないとも」
パーティを組んで何回目かもわからない俺の念押しに、二人は素直な頷きを返す。しつこく叱って来る親のようなことをしてしまって申し訳ないと思いつつも、俺の言葉を素直に聞き入れてくれることが嬉しかった。
「そう言ってくれると俺も助かるよ。魔術神経のケアとか何言ってんだ、みたいなノリで無視してくる奴も少なくなかったからさ」
修復術は触れなくちゃ発動できないから、『下心がある』なんて邪推されてもおかしくない――というか、『双頭の獅子』のメンバーはそういう認識をしてたしな。魔術神経というものが存在することは知られていても、それをケアできる方法があるということの認知度はあまりにも低いのだ。
「リリスのことを治してくれた時点でマルクの腕を疑う理由はどこにもないからね。話にも筋が通っているし、ボクたちのコンディションについてはマルクに一任してるようなものだよ」
「ツバキの言う通りね。……というか、完全に元通りにできるなら定期的なケアとか言い出す理由がないもの」
魔物から取れる素材の剥ぎ取りに入りながら、二人はなんてことないようにそう返す。その手慣れた手つきに遅れないように、俺も二人の横にかがみこんでナイフを魔物の亡骸に突き立てた。
近くで見ると筋肉が発達していることがよく分かり、誰もが易々と倒せるような魔物じゃなかったのだと改めて思い知らされる。それを軽々と倒してみせるのだから、やはりリリスたちは冒険者として規格外の存在だ。
「……そう言えばなんだけどさ、『双頭の獅子』にいたころもその定期ケアはしていたのかい? 話を聞く限り、マルクの能力は理解されていないように思えるんだけど」
リリスが言っていた通り硬い肉質に苦戦しながらも剥ぎ取りを続けていると、隣からツバキがふと問いかけてくる。下心を疑われた苦い経験を思い出しつつ、俺ははっきりと頷いた。
「ああ、一応はな。クラウスにバレるとろくでもないことになりそうだったから、『慢性的な負傷の治療だ』なんて言って誤魔化してたけどさ」
ペースとしては三日に一度ほどではあったが、それでも受け入れてくれたのは三分の二くらいだっただろうか。不用意に体に触れられるのが嫌な人も当然いるだろうし、目に見えた結果が出ない治療を皆が皆信じてくれるわけでもないしな。修復術は積み重なるマイナスを取り除くだけで、プラスの効果を与えることは出来ないし。
「クラウスの野郎、魔術師の扱い方が滅茶苦茶雑だからさ。三日に一度見るだけでもそこそこ疲弊してる奴とかもいたんだよ。そいつは効果を実感してくれたみたいで、素直に修復術を受け入れてくれてたけど」
「あれ、ただ魔術が使えなくなるってだけが全てじゃないものね。血の巡りが極端に悪くなるみたいなあの感覚、出来るなら二度と味わいたくないわ」
思い出しただけで気分が悪くなったのか、さくさくと剥ぎ取りを進めるリリスの眉間にはしわが寄せられている。あの時もまず体が軽くなったことに驚いていたし、日常生活にはそっちの方が支障をきたす場面は多いのかもしれないな。
「リリスの場合は魔力量も多いから、それが上手く巡らないことの弊害が人よりも大きかったのはあると思うけどな。……だけど、味わいたくない感覚だってのは間違ってないと思うぞ」
人の体を絶え間なく血が巡っているのと同じで、安静にしている時でも魔力はゆっくりと体内を循環している。それが出来なくなるとなれば、ある程度の弊害はどうしたって避けられないものなのだ。
そんなやり取りを交わしていると、ツバキの方からじいっと視線が向けられているのを感じる。ふと振り返った先には、剥ぎ取りの手を止めて何事か考えこんでいるツバキの姿があった。
「……ツバキ、どうかしたのか?」
「……いや、マルクはここまで考えてたのかなって思ってさ。もし想定してたんなら凄い事だけど、ただの考えすぎって可能性も大いにあるから何とも言えないんだ」
「さあ、どっちだろうな……。ツバキが考えたことを聞いてないから、俺としては何とも言えねえよ」
普段のツバキからは珍しく、どうにも答えを出しかねているような口調だ。今の話を聞いていて、何か思いついたことは間違いないようだが――
「……今までの話を聞く限りだと、クラウスについて行っている魔術師は結構酷使されているんだろう? それが今まで成立していたのってさ、マルクの修復術式が定期的にケアをしてくれていたからってのが一つ要因としてあると思うんだけど」
「……まあ、そうだな」
俺のケアを嫌がるのは大体近接職の奴らで、魔術師の面々は『体が軽くなった』なんて言ってくれることも多かったしな。クラウス自身が近接メインなこともあって、その恩恵がアイツに報告されることはなかったようだが。
頷きを返す俺から視線を逸らすことなく、ツバキはなおも口元に手を当てて何事か考えているようだ。そのままさらに深く首をかしげて、ツバキはゆっくりと口を開いた。
「そんな感じで陰から魔術師のことを支えてくれたマルクがあのパーティを去って、もう二週間が経つわけだろう? ボクたちをケアしてくれるペースと同じくらいと考えても、もう五回か六回はそのケアをすっぽかしているような状況にあるわけでさ」
そこで言葉を切り、ツバキはごくりとのどを鳴らす。そこまでくれば、ツバキの言いたいことは俺にも流石に予想がついて――
「……そこにこのダンジョン開きだ。『双頭の獅子』の魔術師は実力者ぞろいと言えど、ケアが不十分な状態であまりに雑な使い方をすれば壊れてしまうんじゃないのかい?」
「二週間後」とか「少ししたら」みたいなワードは初期からちょこちょこ出てきていたのですが、その回収がようやく少し進みそうです。マルクの存在がどんな影響を及ぼしているのか、楽しみにしていただければと思います!
ーーでは、また次回お会いしましょう!




