第四百四十五話『災禍の後で』
「……ああ、来てくれたんだね」
「そりゃ来るわよ。『あの事』も話し合うって場をあなたたちだけに任せるわけにはいかないもの」
リリスが会議室の扉を開けるなり、その正面に座っていたガリウスが軽く右手を上げて歓迎の様子を示してくれる。それに澄ました答えを返すと、リリスは空いている席にゆっくりと腰かけた。
狭い部屋に最低限の照明と円卓が置かれているこの場所は、古くから騎士団が重要度の高い会議を行う際に重宝していた空間だという。事前に説明してくれたガリウス曰く『伝統ある場所』だそうだが、リリスにはただ少し古ぼけた場所であるようにしか思えなかった。
それはきっと、リリスの心に全くと言っていいほど余裕がない事も関係しているのだろう。事態はあまりにも急を要しているというのに、落ち着いて会議室の風情を楽しんでいる余裕などがあるはずもない。
「そうだ、ツバキさんの様子はどうだい? ルグからは目覚めて間もないって聞いてるけど……」
「ええ、少し変わった症状を起こしてるみたいでね。『あと二日は安静にしていろ』というのがここにいるフェイからの進言よ」
にわかに声色を曇らせるガリウスにそう答えながら、リリスは先に着席していたフェイのいる方へと視線をやる。その意図をくみ取るかのように、フェイは厳かに頷きを返した。
「そっか、分かった。……それじゃあ改めて、参加者はこれで全員ってことでいいね」
円卓を改めてぐるりと見まわし、ガリウスは真剣な口調で確認する。直前まであったお茶らけた空気は一瞬にして消え失せ、ピリッと引き締まった空気が狭い部屋の中を支配した。
「改めて、大変な中緊急の呼び出しに応じてくれて感謝するよ。その分だけ有益な会議にしたいと思ってるから、出来るだけみんなの知恵を貸してくれると嬉しい」
参加者一人一人の瞳をじいっと見つめながら、ガリウスは改めて頭を下げる。それに応えるかのように、他の参加者もそれぞれ頭を下げ返した。
――『明日にでも緊急の会議を開きたい』とガリウスから直々に要請があったのは、クライヴが姿を消してから六時間と立たないうちの事だった。あれだけの敗北を喫した直後に建設的な話し合いが出来るとも思えなかったが、『今後の方針を決定する』と言われてしまえば多少無理をしてでも参加しないわけにはいかなかった。
この場に居るのはたったの五人、円卓を囲むには少々不足気味の人数だ。だが、参加している面々を見ればそれが手抜きではなく、寧ろ真剣に参加者を吟味した結果であることはすぐにわかった。
レイチェルとフェイの『約定』コンビに、騎士団のトップであるロアルグ。リリスがこの場に呼ばれたのはきっと、『夜明けの灯』のリーダー代理という事なのだろう。こういう議論の場にはツバキの方が適任にも思えるが、今のツバキを病床から引きずり出すわけにもいかない。
いや、そもそもここにいるべきはマルクなのだ。一番頭が切れて視野も広いマルクが、ここで有益に情報交換を行うべきだった。……だが、マルクはもうこの都市にいない。もっと言うのならば、この国にすらすでにいないというべきか。
「議題は……まあ今更言うまでもないよね。この都市を荒らしに荒らした『襲撃者』が何を標的とした集団なのか、そしてこれからの対応をどうしていくのか。アイツらに対抗するためには、僕達が持っている断片的な知識を繋ぎ合わせる必要がある」
今までのいつよりも真剣な様子のガリウスが提示した議題に、参加者一同は頷いて続きを促す。それにガリウスはわずかながらに笑みを浮かべると、手元の資料へ目線を落とした。
「……まず、暫定的な被害状況の話をしよう。襲撃者は約四時間強この都市を侵攻し、ほぼ同じタイミングで撤退した。襲撃者に乗っ取られていた都市システムも、今日になってからいくつか復旧し始めているって報告が上がってきている。フルスペックを取り戻すのはほぼ不可能だけれど、それでも普段の暮らしに必要なものは取り戻せそうとのことだ」
「ああ、それはまだ僥倖と言える部分だな。それとあと一つほどしか前向きな報告が出せないという事が私からすると心残りではあるが」
「そうじゃな。今ここに妾がいることからも確かであるように、古き日に結ばれた約定はレイチェルの手によって正しく果たされた。妾の魂が宿ったペンダントを奪うという奴らの目的は阻止されたという事になるな」
ロアルグに続くようにして、リリスの左側に座るフェイがもう一つの明るい報告を早々と伝え終わる。襲撃者の当初の目標であると思われていたそれが阻止されたことは、確かに喜ばしいことではあった。
だが、明るい報告はここで終わりだ。ここからはこの都市が、そして人々が受けた傷の話になってくる。ガリウスがまだ手を付けていない書類のほとんどが、そういう報告を記したものなのだろう。
処理を終わって隅に置かれた数枚の資料と見比べても、その分厚さは十倍を優に超える。……それほどに大きな爪痕を、襲撃者たちはこの都市に残していた。
「まずは人的被害だけど、捜索や治療が完了していない今の段階で志望者は四ケタに届こうとしているし、全身が潰されているせいで身元の特定ができない死体も半分を超える。まだ見つかっていない人も少なからずいる以上、合計の死者は千人を超えているだろうね」
悲痛な表情を浮かべながら、ガリウスは資料を隅に送っていく。その資料には死者たちの名前が刻まれているのか、それとも犠牲者が数字となって羅列されているのか。どちらにせよ、直視するだけで精神が削られていく物であることには間違いない。誰よりもベルメウを思っているであろうガリウスが見るのならばなおさらだ。
「それ以上にひどいのが建築の被害でさ、区画によってはほとんどの建物が全壊してる。騎士団の施設が無事で仮の避難所にできてるのは不幸中の幸いだけど、とてもそれを喜ぶなんてできないような状況だ」
ガリウスが挙げた二つ目の損害に、全員首を縦に振る。リリスたちが滞在している仮説の診療所からここに向かうまでにも、潰れたりひしゃげたりした建物は無数にあった。
あれ全てを立て直そうと思えば途方もない時間になるのはもはや想像に難くないし、費用と言う現実的な面を考えても困難だ。……だがしかし、それが実現しなければ元の暮らしを取り戻すためのスタート地点にすら立つことは出来ないわけで。
「王都からの応援人員や臨時の支援金などの要請は既に王都に送付済みだ。だが、何せここは帝国との国境に面する都市。すぐに支援が来るという希望的観測はしない方がいいだろう」
「分かってるよ、このあたりの問題はもう少し時間をかけないと根本的な解決にはならない。過ぎたことを悔やんでも死んだ人が戻ってくるわけじゃない。……だから、力を入れて話し合いたいのは残るあと一つの問題だ」
これを話し合いたいから人は最小限にとどめたんだよ――と。
ロアルグの指摘を前もって予想していたかのような口ぶりで返し、ガリウスは改めて四人を見回す。……これだけの少人数でなければ話せないことが何なのか、言うまでもなく全員が勘付いていた。
「此処にいる皆はベルメウが持つ最高戦力だ、できれば二次被害とかを防ぐためにしばらくはこの都市に残っていてほしい。……だけど、そうは言ってられないほどの事情が出たんだよね」
分かっていながらも確認を取るガリウスに、リリスは首をせわしなく縦に振る。リリスが治療されたばかりの身体を押してわざわざここに来たのは、その議論がリリス抜きで行われることを防ぐためだ。極端な話をしてしまえば、それ以外の報告を聞く意義はほぼないと言ってもいい。
いつも通りのリリスだったら、その犠牲や被害にもう少し心を痛めることもできただろう。自分たちにももっと守れたんじゃないかと、やりようはあったんじゃないかと、そんな風に思う事も出来たはずだ。……だが、今のリリスにそんな余裕はなかった。
本題に入る前にワンクッション置きたがるガリウスのやり方が、今だけは憎らしいほどにじれったくて仕方がない。……その苛立ちはガリウスにも伝わったのか、ガリウスは再び口を開いた。
「一応、都市の皆には『襲撃者の狙いは頓挫した』って伝えてある。約定は果たされ、襲撃者たちの計画は失敗した。だから大丈夫だ、これ以上の悲劇は起きない……って。それは間違っちゃいないけど、真実を伝えた言葉でもない。襲撃者の狙いは、ある意味では達成されていると言える」
「ええ、その通りよ。……襲撃者全体としての狙いが失敗したとしても、それらを統べるリーダーの彼岸は達成されている。これ以上の緊急事態はないわ、断言してもいい」
ガリウスの言葉を食い気味に肯定しながら、リリスはガリウスがそうしていたように他の参加者を見つめる。……少なくとも、この部屋にいる人物の中で事態を軽視している人物はいなかった。
会議室の空気は先にもましてピンと張り詰め、沈痛な雰囲気が漂う。……それを打ち破ったのは、この場の主催者であるガリウスだった。
「後で騎士団にも改めて進言するつもりだけど、あの襲撃者たちは相当な危険集団だ。――だからこそ、僕達は考えなくちゃいけない。そのリーダーがわざわざ自らの姿を晒してまで、マルク・クライベットを誘拐したことを」
ガリウスが決定的な一言を発した瞬間、レイチェルの脳裏に屈辱的な敗北の記憶がフラッシュバックする。勝負にすらなっていないと一蹴され、大切な存在を奪われたあの瞬間。何度味わっても、その屈辱が、自分に対する怒りが収まってくれる気配はない。
それが収まることがあるとすれば、クライヴの手からマルクを取り戻した時だけだ。それが出来て初めて、リリスは自分の失態を許すことが出来る――
「――前置きが長くなったけれど、そろそろ本題に入ろうか。……王国騎士団は、襲撃者によって攫われたマルク・クライベットを奪還するための全面協力を行うつもりだよ。散々僕たちの大切な領域を踏み荒らしてくれたんだ、僕達も好き勝手やらせてもらおうじゃないか」
「ええ、そう来てくれなくちゃ困るわ。……余裕たっぷりに宣戦布告してくれたこと、心の底から後悔させなくちゃ」
期待通りの申し出に、リリスはひときわ大きく首を縦に振る。――このやり取りを以て、『夜明けの灯』と王国騎士団の共同戦線はより強固なものとなった。
次回、物語は第六章へ向かって進行していきます! 目標新たに共同戦線を再構築したリリスたち、帝国に向かったクライヴ達を追撃することは出来るのか! まだまだ盛り上げていきますので、ぜひ応援していただければと思います!
――では、また次回お会いしましょう!




