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第四百四十三話『勝負の前提』

「……俺、を?」


 およそ予想だにしていなかったその内容に、俺の思考は完全に停止する。何かの間違いあるいは冗談だったのならまだマシだが、クライヴの表情にとてもそんな色があるようには見えなかった。


「そうさ、僕は君の身柄を要求する。何のために君を殺さないように骨を折って根回しをしたか、これで分かってくれたかい?」


 その困惑すらも想定内だと言わんばかりに、クライヴはすぐに言葉を付け加える。それにどんな言葉を返せばいいのか、ここからどんな交渉に持っていけばいいのか。思考を遮る痛みがなかったとて、方策が考え付けるとはとても思えなかった。


 今までぼんやりと考えていた最悪の可能性が、今の発言で完璧に確定してしまったのだ。――少なくともコイツは、こういう状況を目指して今まで戦況を動かしていた。『精霊の心臓』奪取の影に隠れて、もう一つの本命は確かに動き出していたというわけだ。


「……一応聞いておくけど、私たちが断ったら?」


「その時は強引にでも連れて行くよ。やりようはいくらでもあるからね」


 言葉に詰まった俺に変わって、明らかに怒気を纏ったリリスがクライヴに問いかける。然しそれにも古むことはなく、どこまでも想定通りだと言わんばかりの態度が返ってくるばかりだった。


「強引に、ね。――ずいぶんと私たちも舐められたものだわ」


「正当な評価さ、君たちじゃ僕は倒せない。無茶な戦いなんてしない方が身のためだよ?」


 強気な言動に挑発を返し、クライヴはだらりと腕を頭の後方で組む。そのまま二人に視線をやると、その口調のままでさらに続けた。


「安心してよ、君たちが思っている以上にマルクの事は丁重に扱うさ。もちろん死なせなんかしないし、部下たちにも無下な扱いをしないように約束する。君たちが大人しく身柄を引き渡してくれるならそこに都市の安全もくっついてくるんだ、悪い話じゃないだろう?」


 身振り手振りを多分に交えながら、クライヴは自らの出した条件が以下に譲歩に満ちたものであるかを説明する。その言葉通り、俺一人の身柄で都市全体の被害を食い止められるなら確かに破格の条件だろう。ここにいるのが俺とは何の関係もない二人の戦士だったのならば、その条件を呑んでいてもおかしくなかったかもしれない。


 だが、俺の目の前に立っているのはリリスとツバキだ。……だから、この条件は決して通らない。


「その程度で譲歩したつもりなら、残念としか言いようがないわね。……どれだけ身の安全が保障されようと、私たちの傍からいなくなるなら意味がないのよ」


 私、大切な人とは出来るだけ近くに居たいタイプだから――と。


 氷の剣を改めて構えながら、リリスは堂々とその条件を跳ねのける。『大切な人』と迷いなく断言された事実が、俺の頭痛を少しだけ遠ざけてくれた。


「当然、ボクもリリスと同意見だ。……君みたいな人間の出す条件を大人しく呑めるほど、ボクたちも素直で利口に生きてきたわけじゃないからね」


 リリスの身体に影が絡みつき、やがてその色はどんどんと濃くなっていく。……ツバキの持つ影が、一時的にリリスへと移譲されているのだ。


 それは出力のみに全てを捧げた、殲滅特化の体勢。もうこれ以上話すことは何もないと、リリスたちはクライヴに冷徹な評価を下していた。


「……ああ、やっぱりこうなるか。いくら似た者同士でも、見据える方向が違えば分かり合う事なんてできないってことだね」


「端から分かり合おうだなんて思ってないわよ。……私たちのマルクを奪おうとするなら、それは倒すべき敵でしかないもの」


 辛辣な言葉を投げかけながら、リリスは影をうごめかせる。今まで多くの物を切り裂いてきた影が、今度は襲撃者のリーダーをも照準の内に収めた。


「死になさい、クライヴ・アーゼンハイト。マルクに手を出そうとした罪は重いわ」


「お断りだね、まだ死ぬには早すぎる。……君たちの方こそ、気安くマルクを語るんじゃない」


 まるで最後通牒のように、二人の言葉が交錯する。……瞬間、破裂音を伴った踏み込みとともにリリスの姿が一瞬にして掻き消えた。交渉は決裂し、止まっていた殺し合いが再開される。


「影よ、呑み込みなさい‼」


 一瞬にしてクライヴの頭上まで移動し、巨大な影の塊を構える。リリスの何倍も大きなその塊は、一歩で回避しきるのは間違いなく不可能だ。……かといって、影を防ぐのは容易なことではない。


 並の魔術師ならば、この影になすすべなく慄くことしかできないだろう。……だがしかし、影に向かって手を伸ばすクライヴの姿はとても並大抵の物とは思えなくて――


「……影魔術か。さっきも見たとはいえ、難儀な魔術だね」


 そんな言葉を発したと同時、リリスの叩きつけた影の塊に穴が空く。……まるで影の方からクライヴの事を避けでもしたのかのように、クライヴには傷一つ付いていなかった。


「けどまあ、魔術である以上防御は出来る。……それさえ分かれば、十分かな」


「余裕ぶった面、してんじゃないわよ――‼」


 散っていく影の中で満足げな表情を浮かべるクライヴに、いら立ちの声を上げながらリリスは氷の槍を打ち放つ。影を一切纏わせていないのは、リリスなりのクライブ対策という事なのだろう。


 しかし、それもクライヴが軽く手をかざしただけであっけなく砕け散る。クライヴの手と氷の槍の間に何か見えない壁でもあるかのように、リリスの攻撃がクライヴへと到達することはなかった。


 外から見ている分には結界魔術なんじゃないかと思うのだが、それならリリスの感覚がすでにそうだと看破しているはずだ。……リリスですら気づけない何かを、クライヴはまだ隠し持ったうえで戦っている。


「うん、威勢が良くていいことだ。……まあ、交渉下手な事だけが惜しいけど」


「そこを補ってくれるのが『夜明けの灯』よ。細かいことを考えるのは私には向いてないから」


 半ば独り言のようなクライヴの評価に、リリスは影の刃をいくつも生やしながら答える。重たい一撃が届かないならば、手数で貫通してしまえばいいという事なのだろう。細かい思考は苦手だと言いつつも、戦いの中で策を練れるだけの鋭さがリリスにはある。


 背中や肩口から伸ばされる影の一本一本がリリスの意志を忠実に体現する刃であり、掠めるだけで相手を傷つける強大な武装だ。もしもクライヴに慢心があろうものなら、それをきっかけとして影はクライヴの全てを奪い取っていくだろう。


「……細切れになりなさい」


 リリスの指示が影に下り、それと同時にリリスはまたまっすぐクライヴへと突っ込んでいく。小細工を全て捨てた、単純な物量押しの構えだ。背後から見つめるその姿は、いつも頼りにしてきた俺たちの最高戦力の姿そのもので――


「それも却下だ。そもそも、君と僕じゃ最初から勝負になってない」


――だからこそ、俺はその数秒後に広がった景色を信じることが出来なかった。


 リリスの両足に黒い刃が突き刺さり、たらたらと赤い血が地面に垂れる。影に守られることにより並大抵でない防御力を誇っているはずのそれを貫通しているのは、どう見てもリリスが操っていたはずの影の刃で。


「……か、う」


 影の刃が引き抜かれると同時、リリスの身体はゆっくりと地面に崩れ落ちる。……あまりにも残酷な、敗北の瞬間だった。


「細かいことを考えるのが苦手なんだとしても、考えること自体を放棄しちゃいけないよ。全てを感覚に頼ってしまえば、僕みたいなタイプに欺かれるだけだ」


 倒れ伏すリリスから影がゆっくりとほどけていくのを確認しながら、クライヴはゆっくり俺の方へと歩み寄ってくる。……いつの間にか、ツバキも地面に倒れ込んでいた。


 攻撃を仕掛けられた様子もなく、血もこぼれていない。……だが、明らかに気絶しているであろうその様子は何かがおかしい。――俺の知らない、何なら二人ですら知らない何かが、『夜明けの灯』の最高戦力を一瞬にして制圧している。


「保有者の少ない影魔術を他の人に託して、単独の術者ではありえない出力を出すって発想も面白かった。……だけど、それを逆利用される可能性に気づけないのはまだまだ未熟だね」


 弟子を指導しているかのような口調で二人の敗因を指摘しながら、クライヴは俺へと肉薄する。……逃げられるとは、到底思えなかった。


「だから僕は交渉で済ませたかったんだ、勝負になんて最初からならないんだから。……勝負ってのは、どっちが勝つか分からないような両者が戦うときに使う言葉でしょ?」


 この戦いの勝ち負けは、最初から全部決まっている。


 言外にそう宣言しているクライヴの姿に、思わずか細い息がこぼれる。理性も本能も、こいつに対する恐怖で埋め尽くされている。……こいつは、一体何なんだ。


「……さあ、行こうかマルク。君についている枷を、僕が全部取り払ってあげるよ」


 何も理解できることがないまま、俺はクライヴにゆっくりと触れられる。まるで慈しむかのように、壊れ物を扱うかのように。……襲撃者と言う名乗りとちぐはぐなその態度が、とても気持ち悪い。


「さあ、思い出して。僕たちの――いいや、俺たちの大切な記憶を。そうすれば、マルクもきっとこの計画に賛同してくれるはずだからね」


 そんな言葉をかけられた次の瞬間、クライヴに触れられた部位が熱を帯び始める。それはだんだんと体中に広がっていって、脳にも回っていって、それで。


「が……っ、あっ、あああああああッ⁉」


 今までに体験したことがないような痛みが脳を苛み、俺は喉が枯れるのも構わず絶叫する。そうやってどこかへと意識を逸らしていないと、すぐにでも気が狂ってしまいそうだった。


 その痛みの中に混じるようにして、まるで走馬灯のようにいろんな景色が浮かび上がってくる。そのほとんどは里の中の風景で、俺がまだ修行をしているときの光景で。――今まで思い出そうとするたびに痛みに苛まれてきた、失われたはずの記憶だった。


 楽しかったこと、辛かったこと、それも二人で乗り越えたこと。出会ったこと、助けたこと、裏切られたこと、助けられなかったこと。――そして見限ったこと。いろんな映像が、声が、記憶が頭の中を駆けぬけて、そして情報として俺の中に改めて定着していく。俺の意志なんて関係なく、脳内に次々記憶が刻み付けられていく。……それは、あまりにも残酷な拷問だった。


 脳に直接焼けた鉄を押しあてられるかのような苦痛が絶え間なく苛み、俺は絶叫しながらのたうち回る。それでどうにか心を守ろうとしたが、その足掻きにも限界はあった。――人間の精神力は、何年分もの記憶を一瞬にして受け止められるようにはできていないのだ。


「……なん、なんだよ、これぇ……」


 鼻血が両方からだらりと垂れているのを自覚して、俺はぱったりと地面に倒れ込む。……意識が途切れるその刹那、『よかった』という安堵の声がどこからか聞こえてきたような気がした。

 クライヴに完全敗北を喫した『夜明けの灯』ですが、果たして再起の芽はあるのか! 急転しながら決着へ向かって行く第五章、ぜひぜひ追いかけていただければ幸いです!

――では、また次回お会いしましょう!

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