第四百四十一話『焔を抜けた先で』
「……マルク、貴方レイチェルに何をしたの?」
「……あー、やっぱバレてたか」
レイチェルの後ろ姿が見えなくなるなりリリスから投げかけられた問いかけに、俺は思わず頭を掻く。気づいたうえで黙っていてくれているのは何となく分かっていたが、ここまでストレートに投げかけられると苦笑せずにはいられなかった。
「え、マルクが何かしていたのかい?」
「そうよ、それもかなり魔力を使うタイプの奴をね。『おまじない』だなんて言葉を使っても、私の感覚を欺くことなんてできないんだから」
驚きを見せるツバキに頷きを返しながら、リリスは強気にそう断言する。魔力を捉える感覚がどれだけ鋭敏なのかは分からないが、リリスが捉える世界は俺たちとは少し違っているのだろう。
「最初から欺くつもりなんてねえよ、レイチェルに気づかれなければそれで十分だからな。……簡単に言えば、アレは限定的にレイチェルと精霊を繋ぐ回路を作ってたんだ」
全身を覆う倦怠感が少しずつマシになってきたのを感じながら、俺は二人に種明かしをする。精霊と意識を繋げた時に『切り札』として言い渡されたそれを、俺は一人で試練へと立ち向かうレイチェルへの保険として使っていた。
「どういうわけかは分からねえけど、アイツは俺が修復術師だってことを知ってた。……多分、俺以外の修復術師にも会ったことがあるんだと思う」
「修復術師と、ねえ……。ボクからすると、レイチェルですら意思疎通できなかった精霊と君が言葉を交わせていることの方が驚きだよ」
「ああ、それは俺も驚いた。……でもな、ヒントは初めてレイチェルにあった時に与えられてたんだよ」
レイチェルに触れようとした俺を撥ねつけるように放たれた魔術と、それに伴って俺にだけ聞こえた厳しい声。あの時俺にだけ声が聞こえたのは、何も俺が触れようとした張本人だからってわけじゃなかった。
「あの精霊は、修復術と決して浅くない関係がある。……それがどんな形なのかも、どうしてそれで俺と意思疎通ができたのかも分かったもんじゃねえけどな」
「けど、意思疎通ができたのは事実……と。ここから先の詳しい事情は、復活した精霊に直接問いただす方が早いかもしれないわね」
はっきりしないことだらけの現状をまとめた俺に、リリスは少しだけ肩を竦めながら返す。モヤモヤさせっぱなしになってしまうのは申し訳ないが、リリスの出した落としどころが一番ちょうど良さそうなのも確かだ。
「そうだな。……どうする、俺たちだけで先に脱出しておくか?」
「それがいいでしょうね、精霊は転移魔術を使えるみたいだし。石の中からだろうと使えたものが復活したら使えないなんて、そんなの皮肉すぎるもの」
「それに、ボクたちがここにいて何かできるってわけでもなさそうだしね。なら先に無事だけ確保しておいて、レイチェルたちが返ってくるのを待ってた方がよさそうだ」
揃って螺旋階段を見つめながら、二人は俺の案に賛同する。その力強い後押しを受けて、俺は長い螺旋階段へと一歩目を踏み出した。
下る時と比べてペースの速い歩みの音が、狭い空間の中で何度も何度も反響する。暗闇の中でそれが三人分重なって聞こえることもあり、俺の心は言い知れぬ不安感に包まれ始めた。
狭いところが苦手と言うわけでもないはずなのだが、ただ階段を上っているだけの俺の心はなぜか穏やかではない。……何か見落としていることがあるような、そんな気がしてならないのだ。
その緊張感が俺だけの物なのかそれともリリスたちも抱いているものなのか、それは分からない。だが、階段を上る間の俺たちは無言だった。誰も一言も発さずに、ただこの暗い空間をさっさと抜けることだけに集中しているかのようだった。
ぐるぐるぐるぐると昇り続けることしばらくして、俺たちの視界の先に小さく光が見えてくる。とりあえず無事に地上へ出られそうなことに内心胸を撫でおろそうとして、気づいた。
(……光り方が、少しおかしい)
都市庁舎を照らした光は、いっそ潔癖すぎるぐらいに白いものだったはずだ。だが、視界の先に見える光はどことなく青白く、そして揺らめいているように見える。……それに気づいたのと、俺の身体を風が包み込んだのはほぼ同時だった。
「マズいわね、炎がもう一階にまで到達してる。……二人とも、歯を食いしばって頂戴」
先頭を行く俺から僅かに遅れて状況を把握したリリスが、剣呑な声を発しながらひときわ強く足を踏み鳴らす。……瞬間、一陣の風が俺たちの背中を力強く押した。
半ば強引な形で加速させられながら、俺たちはなだれ込むようにして螺旋階段から脱出する。突然開けた視界に飛び込んできたのは、フロアの全体を包み込む青白い炎だった。
客と職員を隔てていたカウンターも、地面に転がっていた無数の亡骸も、その全てが青白い炎に巻かれて等しく燃えている。まだギリギリ火の手が広がっていないところもあるが、そこも火の海に飲まれるのは時間の問題だろう。一階がこの惨状ならば、その上がどうなっているかは推して知るべしだ。
「風よ、吹き散らしなさい‼」
「影よ、リリスを支えてくれ――‼」
二人にとっても予想以上の状況だったのか、声が張り上げられると同時に魔術の規模が一回り大きくなる。影と風に覆われたことによって、俺たちは炎の中を突っ切ることに成功していた。
風と影では遮りきれない熱が肌を焼くが、この程度ならば耐えられる範囲だ。息も吸えるし、足も普段からは考えられないペースで動く。それだけあれば、ここを脱出するには十分すぎる。
「脱出口は私が開くわ、マルクはまっすぐ突っ込んで!」
炎に巻かれて崩れ落ちた瓦礫が出口を塞いでいるのを見つけて、リリスは声高に叫ぶ。それに無言のまま頷きを返し、俺は脱出への最短ルートに向かってもう一段ギアを上げた。
半ば灰になりかけている床を蹴り飛ばすたびに俺たちはぐんぐんと加速し、その度に燃え盛る瓦礫が眼前に近づいてくる。その炎が放つ熱がチリチリと俺の肌を焼き始めた時、リリスの凛とした詠唱が背後から聞こえてきて――
「切り開きなさい」
リリスの代名詞と言ってもいい氷の槍が次々と瓦礫の山に直撃し、燃え盛る瓦礫を一瞬にして吹き飛ばす。飛び散る氷の結晶が風のベールに絡めとられ、キラキラと輝きながら俺たちの周囲を巡り始めた。
瓦礫もろとも入り口のドアが破壊されたことにより、外の景色がより鮮明に見えてくる。氷の槍が遺したひんやりとした感触を心地よく思いながら、俺たちは出口へと飛び込んだ。
「……はあっ、はあ、はあッ……」
膝に手をつき、思っていた以上に乱れていた呼吸を整える。何でもない外の空気がこれほどまでに澄んでいると感じられるのは、今まで生きていて初めての事だ。
ふと後方へ視線をやれば、ぐしゃあと言う音とともに都市庁舎の上部が崩れ落ちるのが見える。三階がほぼ燃え尽きていることを思えば、都市庁舎が丸ごと消え失せるまであと五分もかからないだろう。何か一つ間違えたり手間取ったりしていれば、俺たちも灰になっていたっておかしくなかった。
「……どうにか、なったみたいね……」
「ああ、拾うべきものは拾いきれた。……後は、レイチェルたちが無事に返ってきてくれることを願うばかりだよ」
風のベールをほどきながら、リリスも荒い息を吐く。その肩をさりげなく支えながら、ツバキもこっそりと呼吸を整えていた。
俺たちが上ってきた螺旋階段にも火が回るまで、あとどれぐらいかかるだろうか。レイチェルを待ち受ける『試練』とやらがどれだけの時間を要するか分からないが、あまりのんびりと構えていられないのも間違いないはずだ。
(……あとはお前たちだけだからな、レイチェル)
精霊と交わした言葉を思い出しながら、俺は内心でレイチェルに呼びかける。精霊が望む形だったかは分からないが、俺は俺なりに託された役割を全うしたつもりだ。後はそれが正しいものであったと、そう信じて待つことしかできないわけで。
「……ああよかった、死んでなかった。都市庁舎を焼くのは既定路線としても、君たちを巻き込まないかどうかだけが気がかりだったんだよ」
――そんな考え方をしていたのが、背後から迫る一人の男に気づけなかった一番の要因だった。
パチパチと嬉しそうに拍手をしながら、その男は俺たち三人に向かって近づいてくる。……真っ先に警戒の意志を示したのは、氷の剣を構えたリリスだった。
「……何者よ、あなた」
その低く冷たい声色は、目の前の存在を完全に敵だと認識している。剣だけではなく空中に槍を装填していることからも、リリスが男を危険視しているのは明らかだ。
「ああそうか、自己紹介がまだだったね。僕は君たちの事を知ってるからさ、君たちも僕の事を知ってると勘違いしてたよ」
だが、男はその威圧を気にも留めることなく軽く肩を竦める。そのまま芝居がかった様子で頭を下げるその所作は、どうにも俺たちの神経を逆なでしているようにしか思えなくて――
「改めまして、僕はクライヴ・アーゼンハイト。――君たちが言う所の『襲撃者』って奴のボスを務めさせてもらってる人間だ」
どうぞよろしくね、と。
気さくな様子でそう名乗った瞬間、周囲の空気が一瞬にして凍り付く。……都市を襲った悪意を裏で手繰っていたであろう人間が、今俺たちの前に悠然と立っていた。
都市庁舎を脱出したマルクたち、しかし山場はまだまだ終わりません! 明らかにただものではない手合いを前に三人はどう動くのか、最終局面を迎えた第五章をぜひお楽しみにしていただければと思います!
――では、また次回お会いしましょう!




