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断章4-2『過ち』

「一応確認しとくけど、身体の調子はどうだい? 僕が手を入れたわけだし、不調なんてまあないとは思うけどさ」


 ほんのりと微笑をたたえながら、主はクラウスに向かって実にフレンドリーな様子で話しかけてくる。目の前で余裕たっぷりの態度を取られることには不快感があったが、しかしそれを押し殺してクラウスは首を縦に振った。


「ああ、見ての通りどこにも異常はねえよ。……お前もまた、修復術師ってことか」


「その通り。……ま、君が修復術の事を知ってたのは驚かされたけどね。まさかあの子と因縁がある人をこうして仲間に迎え入れられるとは、天運もここに来て僕に媚びを売り出したのかもしれないな」


 もっとも、それで僕が何か変わるわけではないのだけれど――と。


 無責任な様子でそう付け加え、主は燃え盛るフロアの中でくるくると回転する。クラウスが形式上だけでもこの男に付き従っているのは、一度はボロボロに損傷したはずの魔術神経を修復してくれたからに他ならなかった。


 交換条件は、『この先自分の理想に付き従う事』。あの時は藁にも縋る思いだったクラウスは一も二もなくその条件を呑まざるを得なかったわけだが、あれから半年がたった今でもその『理想』とやらの全貌はまだ見え切っていない。……ただ一つ確かなのは、この男がマルク・クライベットたち『夜明けの灯』とは敵対関係にあるという事だけだ。


「ああ、俺も自分の運には感謝しなくちゃいけないからな。……まさかこんなにも早くあの生意気な奴らを叩き潰すチャンスが得られるとは思ってなかった」


 クラウスが『最強』へ至るためにも、『夜明けの灯』は跡形もなく完璧に破壊しなければならない。奴らの積み重ねた全てを否定し、踏みにじって叩き落とす。……それで初めて、クラウスはスタートラインに立てるのだ。


「お前も間が悪いな、今からアイツらを追いかけようってところだってのに。早くしないと都市の中をちょこまかと逃げ回られちまう――」


「――ああ、そのことなんだけどさ」


 逸る気持ちを抑え込めなくなりつつあるクラウスに対して、主はあくまでもゆったりとした様子を崩さないままでそれを制止する。濁った瞳を殺意と復讐心で満たしたクラウスが煩わしげに視線を向けても、その態度が揺らぐことはなかった。


「事前の作戦で話した通りだ、マルク・クライベットは殺さないでくれ。残りの二人はどうでもいいと思ってたけど、ここまで生き残ったんだったらその二人も君の手で殺さない方が僕としては好都合だ。……君はただ、僕に与えられた『自爆機構』としての役割を全うすればいい」


「……あ?」


 仮面をつけていたころのままだったら、クラウスもその提案を素直に飲んでいただろう。だが、今ここにいるのは記憶を取り戻し、『最強』に至るための条件を思い出したクラウス・アブソートだ。――彼にとって、その要求が納得できるものなはずはない。


「アイツらは俺の手で殺さねえと意味のない奴らだ。この計画を通じて、お前たちもその面倒さは分かったはずだろ」


「分かってるよ、そんなことは半年前からとっくに分かってる。その上で殺すなって言ってるんだ、君に拒否する権利はない」


 威圧感を漂わせるクラウスに対して、主も少し語気を強める。……その一歩も引かない様子に、マルク・クライベットの面影が重なって見えた。


 クラウスの知る修復術師は、一人では何もできない軟弱な人間だ。魔術神経の修復はできるようだが、ただそれだけ。少なくとも、一対一で武力に訴えられたとき修復術師にできることなど何もない。


 そして、今目の前に立つ主もその本質は修復術師だ。……戦えなどしないはずなのに、どうしてそうも堂々とクラウスの、『最強』の前に立っていられる。


「……お前、そんな言葉で俺を縛ったつもりかよ?」


「そのつもりでいるさ、これでも組織を束ねる主だからね。その僕と契約を交わした以上、最後まで履行してもらわないと困るんだけどな?」


 苛立ちに満ちたクラウスの問いに、主は挑発的な答えを返す。二人の間にある階層構造を、『助けた側』と『助けられた側』というどうやっても覆らない力関係を、あえてクラウスの前にひけらかすように。


「それを分かったうえで僕に逆らおうって言うなら、僕も力づくなやり方で君を従わせるしかなくなっちゃうかな。『繭』を被せた時点で羽化した時のリスクも分かってたし、面倒だけどまあ予想の範疇だ」


「力づくで、だあ?」


 続いて発した言葉が、またもクラウスの逆鱗に触れる。この男は、修復術師風情は、強者たるクラウスを力で御せると考えているのか。……貧弱な手足に細い肩幅、戦いなんて少しも経験していないであろう体つきを隠そうともしないままで。


「ああそうだ、それが一番手っ取り早いやり方だからね。君の得意分野で君を踏みにじれば、嫌でも僕に付き従わなくちゃいけないってことが分かるだろう?」


「……ああ、そうかよ」


 その一言で、クラウスは確信する。今、クラウスは確実に乗せられている。主の目論見通りに、あるいは『予想』していた通りに。触れてはいけない逆鱗がどこにあるか分かった上でなお、主はそれを素手で撫で回している。


 この男が馬鹿ではないことは、繭を付けていた時の記憶が証明している。つまり、今こうすることで何か得があるからこそ今こうして挑発しているのだ。……ならば、それに乗らなければいいだけの事。


 それさえできれば計算は狂い、すました顔をした主に一泡吹かせることが出来る。そうすれば少しはクラウスの評価も上がって、色々と出来るようになるかもしれない。……ああ、分かっている。


 分かっているの、だが――


「『王都最強』によくもまあそこまで舐めた口が利けたもんだな、お前」


――そんな理性で体の内から燃え盛る炎を収めてしまえる人間だったならば、クラウス・アブソートはこんなところまでたどり着いていないのだ。


「情報は正確に伝えてくれ、『元』王都最強だろ? 僕の提案に乗り気でいてくれるのは嬉しいけど、虚偽報告は組織としていただけないな」


 激情を露わにするクラウスに対して、主はまるで子供をたしなめるかのような返事を返す。それと同時にやれやれと肩を竦めるその姿を見て、クラウスの激情は頂点へと達した。


 助けてもらった恩とか契約とか、そんなものすべて関係ない。クラウス・アブソートを軽んじ、踏みにじろうとする者がいるのであればすべて灰にするだけだ。……『最強』を目指すと決めたあの日から、それは何も変わっていない。


 体中にこみあげる熱を蒼い炎へと変換し、主を――いや、焼き尽くすべき敵を一瞥する。本人は自覚していなかったが、その右目は今までで最も濃い紅色の輝きを放っていた。


「うん、その出力にも耐えうる調整にした甲斐があったね。理想が穢されたとあればたとえ目上の人間であろうと噛みつくその姿勢も高評価だ」


 燃え盛るこの部屋の中でもひときわ大きく輝く蒼い炎を見つめながら、主はなおものんきな様子で満足げに呟くだけだ。……明らかに戦いに臨む態度ではないそれに、クラウスのプライドはさらに傷つけられて。


「そうかよ。……なら、その成果に飲まれて消えやがれッ‼」


 床を全力で蹴り飛ばし、右手の先に作り出した火柱を構える。それはクラウスが見せる殺意の証、骨すら残さずに一人の存在を消し飛ばすという意思の現れだ。それに貫かれてしまえば、どんな人間であろうと無事でいることは到底不可能なわけで――


「……だけど、それも直情的すぎるせいで全部マイナスだ。感情のままに突っ込んでくる前にさ、もう少し考えるべきことがあったんじゃないかい?」


 そんな言葉とともに、蒼い炎は刺し貫く。……その魔術の主であったはずの、クラウスの右足を。


「か……は、あ?」


 人の限界を超えた熱を浴びた時に出るのは悲鳴ではなく情けない吐息でしかないのだという事を、クラウスはここに来て初めて思い知る。自分の右手から確かに伸びていたはずの火柱は、なぜかぐにゃりと湾曲してクラウスの足を焼き焦がしていた。


「戦いの最中に割り込むのではなく何故わざわざ仮面が割れた後にここに来たのか、どうして護衛の人間を付けていないのか。……そして、火の手が広がり続けているこの部屋で炎魔術師でもない僕がどうして火の海に飲まれないのか。怒りの感情に飲まれる前に考えることはたくさんあったはずだ。……ところが、それを一つも考慮せずに君はこうして突っ込んできた。単純な暴力の振るいあいなら勝ち目があるなんて、そんな淡い期待を抱いてね」


 呆れをにじませながら口にして、男は指をパチンと鳴らす。……直後、クラウスの生み出していた炎が全て一瞬にして消え去った。


 当然足を貫いていた火柱も消え、太ももに大きく開いた穴だけが残る。……それを視認したが最後、クラウスはなすすべもなく床に崩れ落ちて。


「君は確かに修復術師を知っている。けれど、『修復術』の全てを知っているわけじゃない。君の見た世界だけが全てだと早計な判断を下したことが、君の何よりの過ちだ」


 倒れ伏すクラウスを見つめながら、主はもう一度指を鳴らす。……すると、消えたと思われた炎が主の指先に現れた。――まるで、クラウスが作り上げた魔術を乗っ取ってしまったかのように。


「さて、契約については色々と終わってから改めて結び直すとしよう。僕はまだやることがあるんでね、君は先に帰って治療を受けてくれ」


 手加減したとはいえ、放っておけば死にかねない傷だからね――と。


 いつもと何ら変わらない口調で命じられたと同時、クラウスの身体が淡い光の中に包み込まれていく。それはこの半年間で何度か体験している感覚、転移魔術発動の前兆だ。


「待……て……‼」


「心配しなくてもいいよ、『自爆機構』としての役割は僕が引き継いであげるから。ほら、アグニも言っていただろう? 君の炎には、色々と使い道が残ってるんだ」


 余力を振り絞って伸ばした手にも、男は何ら取り合うことなく笑みを浮かべるだけだ。……そしてその直後、転移魔術はクラウスを強制的に帰還させる準備を完了させて――


「お疲れ様、クラウス。これからの働きにも期待してるよ」


――薄れゆく視界の中で、クラウスが作り上げたはずの炎が活き活きと爆ぜ狂う瞬間が見えたような気がした。

 という事で、次回から第五章は大詰めに入っていきます! 修復術師を名乗る襲撃者の主、乗っ取られたかのように歪んだクラウスの炎。燃え上がる都市庁舎を中心に収束し始めるそれぞれの運命と決断がどんな結末を生むのか、ぜひご注目いただければ幸いです!

――では、また次回お会いしましょう!

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