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第四百二十八話『崩落する戦場』

 それはリリスの魔術が炎に負けなかった証でもあるが、同時にリリスが怯えてしまっていたことの確たる証左でもある。もう少し男を引き付けてから魔術を展開できていれば、今頃氷柱はその胴体を串刺しにしていただろう。


 リリスが狙っていたのはそれで、生み出されたのは理想とは少し違う結果だ。この鉄火場で決着が長引くことは、こちらだけが一方的に不利になっていくに等しい。


 一秒でも早く、一手でも節約して目の前の敵を叩き潰す。それが今のリリスに与えられた命題で、なんとしてでも完遂しなくてはいけないことだ。たとえどれだけの敵が来ようとも、マルクを助け出すまで足を止めるわけにはいかない――


「――はっ、はははっ」


 決意を固めなおしたその矢先、氷の向こうから笑い声が聞こえてくる。どこか不吉な、聞いているだけで精神を逆撫でされるような。……どこかで聞いたことがあるような、笑い声が。


 それと同時、男の剣が纏っていた炎がふわりと揺らめく。今までよりも高く立ち上った炎は、まるで男の感情の高揚をそのまま外へと出力しているかのようで。


「はははッ、はははははッ‼ そうだよ、それぐらいじゃなきゃ張り合いがねえ‼」


 瞬間、男から感じる魔力の気配が爆発的に膨れ上がったのを感じ取る。仮面による阻害も押しのけて、ただただ暴力的なプレッシャーがビリビリとリリスの首筋を突き刺す。……哄笑を上げながら天を仰ぐその仮面の奥で、赤い光が揺らめいているような気がした。


 リリスの危機意識が生んだ幻覚なのか、それとも現実の光景なのか。それすらも今は定かではないが、それを判断するための材料も時間もここにはない。……その魔力は今にも炎へと変じ、リリスたちへと襲い掛かろうとしているのだから。


「せっかく『都市庁舎をブッ壊していい』って言われてんだ、それに見合う相手じゃなきゃ俺もアガらねえ! ……そら、もっと楽しませてみろ‼」


 氷の壁の向こうがわで、炎の剣が高らかに掲げられる。六メートルほどはあろうかという規模の高い天井にも平気で届くそれは、まともに防ごうと思うだけ無理な代物だ。その剣が振り下ろされた先には、きっと灰か炭しか残らない。


 こうなってしまうと、氷の壁を作ってしまったのはあまりにも大きすぎる失策に変じる。その壁は男の侵入を防ぐ壁であると同時に、リリスたちの退路を制限する障害だ。……氷の壁ごと貫通する攻撃を構えられたとき、もはやそれはこちらの不利益にしか繋がらない。


 かといって氷の壁を消し去ればあの炎がもっと肉迫してくるわけで、結局のところアレをまともなやり方で回避するのは不可能だ。そうなれば自然と真正面からの勝負に選択肢は絞り込まれるが、それもこの状況だと難しい話だった。


 真正面から対抗しようと思えば、ツバキから影を借り受けるのはもはや必須条件だと言ってもいい。――だが、ことこの火事場においてそれは無理な話だった。


 リリスの強化に全力を尽くす時、ツバキは一点から動けなくなる。その隙を狙った攻撃はリリスが刈り取れるからまだいいとしても、問題は迫りくる火の手だ。炎が広がるペースは思っていたよりも遅いが、燃え尽きるまでそう長くないのもまた事実。そんなところでツバキを完全に動けなくするのは明らかにナンセンスだ。


 目の前には大きな炎を従えた仮面の男、周囲には迫りくる火の手。リリスが強引にぶち明けた扉は未だに空いているが、ご丁寧に男は扉を背負う方向に位置取っている。見渡す限り窓もなく、八方塞がりという言葉が今の状況には最も相応しい。


 氷柱の壁ではあの炎は防げない、貫通してリリスたちも消し炭になるのがオチだ。今できるのは手を尽くしてあの炎剣を回避することだけ、どうにかそれを成功させた先に活路がある事を信じることだけだ。……だから、どうにか逃げる方法を考えないと――


「――あ」


 その瞬間、リリスの脳内で天啓が弾ける。今まで積み重ねてきた経験の産物か、それとももっと根源的で野性的な直感なのか。どうでもいい、今はこれが思いつけただけで百点だ。すぐに勝ちには繋げられなくても、まだ勝負を続けることは出来る。


 それに気づいた瞬間、極度の集中によって圧縮されていた時間感覚が正しい流れを思い出す。男の掲げた剣はゆっくりとこちらを見定め、振り下ろされる時を今か今かと待っていた。


 ほどなくして、その時はすぐにやって来る。きっと今までもたくさんの物を燃やし尽くしてきたであろう炎が、その中に三人の命をも呑み込もうとこちらへ振り下ろされる。……もはや炎の柱と呼んだ方が正確なそれが頭上に迫ってくるのを見ながら、リリスは氷の槍を展開して。


「……ツバキ、援護は任せたわよ‼」



 唐突にそう言いながら、大量に展開した氷の槍を黒い床へと叩きつけた。



 足元から伝わる感覚は、この床の材質が硬度を重視したものであると教えてくれている。普段の状態で氷の槍を叩きつけたところで、せいぜい傷を付けるのがいいところだろう。……こんな火事場であれば、話は全く別だが。


 男の付けた炎にじっくりとあぶられたことで脆くなり始めていた床が、氷柱の直撃を受けたことで致命的に損傷する。数発目かの氷柱は床を完全に貫通し、このフロアに大きな穴を開けた。


 その穴が起点となり、オペレートルームの一画は急速に崩壊し始める。今まで均等に体重を支えていた物がその一部を失い、不均衡となって上乗せされた重量が他の地点にも更なる負荷を掛ける。いとど始まれば止めようのないその連鎖は、一瞬にしてリリスたちの周囲の床の半分を削り取るに至って――


「――なるほど、そういう事か!」


 グシャリ、と不吉な音を挙げて、リリスたちの立っていた床がとうとうその支えを失う。足元が崩れたリリスたちは重力に従って落下していき、結果的に男の太刀筋から逃れる形となった。


 落下していく視界の中に、リリスが生み出した氷の壁があっさりと切り裂かれていく光景がちらりと映りこむ。やはり男の魔力は強大で、正面からやりあうには荷が重すぎる相手だ。……どうにかしてこちらの盤面に引きずり込まなければ、リリスたちの勝ち筋は乏しい。


 そんなことを考えながら自由落下していくリリスの身体を、少し粘性のある水のような感覚が包み込む。ずいぶんと抽象的な指示になってしまったが、ツバキはこちらの狙いに気づいてくれたようだ。


 体を起こして影の中から顔を出し、大きく息を吸いこむ。上階で燃え盛る火の影響か少し焼けつくような感覚はあるが、オペレートルームのそれと比べればよっぽどマシだった。


「……とりあえず、一発で詰みの状況からは逃れられたわね。……まあ、あっちがそれに気づかないわけもないんだけど」


「ああ、あっちが手を緩めるなんてことはないだろうね。自爆機構なんて言っちゃいるけど、アレの本質はそうじゃない。暴れまわった結果としてその場所の全部が燃え尽きるだけだ」


 荒くなった息を深呼吸で整えながら、二人は早口で男に対する認識を共有する。リリスたちが抱いていた印象は、どうやらぴったりと一致するらしい。


「逆に言えば、それを制御してあのオペレートルームで待機させられる『あの方』とやらは何者かって話なんだけど――まあ、アグニではないでしょうね」


「ああ、アグニもアグニで誰かに従っているみたいだからね。……つまり、襲撃者達にはもっと上の立場の人間がいるわけだけど……」


 顎に手を当てて『あの方』の輪郭を捕まえようと試みるが、ツバキの表情を見る限り結果は芳しくないのだろう。今までも襲撃者たちのトップに何者かが居座っているのは何度か察せられる場面があったが、それが何者かを判別する材料はゼロに等しかった。


 唯一分かっていることがあるとすれば、その人物があまりにも異質なカリスマを有しているという事だろうか。アグニをはじめとした無数の危険人物を従えられるなど、何かしらの絶対的な要素がなければ成り立ちえない前提だ。ともすれば、今まで交戦してきた誰よりも強いという事だって容易に想像しうるわけで――


「――なんだなんだ、お前たちも『あの方』に興味があんのか?」


 崩落音とともに仮面の男の声が聞こえてきたのは、そんな思索を巡らせているときの事だった。


 落ち着きこそすれ切らしていなかった警戒が、リリスたちをとっさに後ろへと飛び退かせる。オペレートルームの残骸たちがばらばらと床に転がり、火の手はこの階をも呑み込む準備に入っていた。


「逃げ道は完全に塞いだと思ってたんだけどな、まさか床をぶち壊してくるとは思わなかった。仮面をつけてるとどうも視野が狭くなっていけねえや」


「なら仮面を外せばいいじゃない。あなたは視野が広がるし、私たちはあなたの正体を知れる。どっちにも利益がある事だと思うのだけど」


「何言ってんだ、利益の量が釣り合っちゃいねえよ。それにあの方から『命令されるまで外すな』って指示されちまってるからな、俺はしばらくこのままだ」


 段々慣れてきちまってる自分が怖いぜ――と。


 軽く肩を竦めながら、仮面の男はくつくつと笑う。剣にまとわりついている炎も、それにつられるかのようにふらふらと揺らめいていた。


「あの方のことに興味があんなら、条件次第で教えてやらねえこともないぞ? ……まあ、あの方が掲げる計画に従ってもらうってのが必須条件だが」


「じゃあ交渉決裂ね、話す余地もないわ。……どうやら、強引にでも聞き出すしかないみたい」


 明らかにふざけている男の提案に怒気を交えながら返し、リリスは氷の剣を改めて構え直す。まるでそれを待っていたかのように、男もまた構えを作った。


「ああ、そう来なくっちゃな。なんせこちとら不完全燃焼なんだ、こんな状況じゃ終われねえ」


 燃え移った炎がチリチリと音を立て始め、またこの場所も火の手に支配され始める。相手が炎を操る以上、屋内戦で火の手から完全に逃げ切ることは出来ないのだろう。ここは既に、男が作り上げた戦場だ。


 だが、それはあくまで男の魔術が偶発的に生み出したというだけの状況だ。この都市庁舎の全てを知っているわけもないし、この戦場の何たるかを理解しているわけでもない。……それならば、オペレートルームでやりあっていた時よりもまだ勝ち目は計算できる。


「ええ。……その仮面の下、存分に拝ませてもらうわ」


 視界の端に穴の開いた天井を捉えながら、リリスも改めて宣戦布告する。……その脳裏に、つい少し前に目を通した薄っぺらいファイルの情報を留め置きながら。

 都市庁舎を火の手で包みながら、二人の戦いはなおも続いていきます。その果てに掴むものは何か、仮面の下には何が眠っているのか! 激戦続く都市庁舎、ぜひぜひお楽しみください!

――では、また次回お会いしましょう!

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