第四十三話『突入作戦』
「風よ、風よ、風よ――」
リリスが詠唱を重ねるたびに、風など吹かないはずの階段の真ん中に気流が生まれ始める。取り扱いを間違えればすぐにでも暴発してしまいそうなそれを、リリスは丁寧に丁寧にまとめ上げていた。
強行突破の方針を固めた今、攻略のカギを握るのはリリスの魔術だ。今回は俺たちの周囲を渦巻く風へと変わり、リリスの長い金髪を乱暴に揺らしている。今にも全てを吹き飛ばしてしまいそうな暴風が明確な目的をもって解き放たれればどうなるか、そろそろ俺にも察しがつくようになってきていた。
「……マルク、覚悟はできているかい?」
少しずつ風の勢いが増し始めているのを肌で感じていると、おもむろにツバキが声をかけてくる。この手の移動についても経験豊富なようで、その口調は至っていつも通りだった。
「当然だろ。この移動方式にも慣れた……とまでは言えねえけど、まあ悲鳴を上げずにいられるくらいにはなった」
「うん、それは良いことだ。リリスのやり方にいちいち驚いてたら喉が枯れちゃうからね」
精神を集中させているリリスの背中を見つめながら、俺はツバキから投げかけられた問いにこくりと頷く。リリスの魔術に初めて触れた時はとんでもないものだと感じていたが、今ではこれほど便利な移動手段もないと断言できた。
俺の返答に満足げな笑みを返し、ツバキはこちらへ身を寄せてくる。俺を中心にぴたりと身を寄せ合うのは少し気恥ずかしいが、少しでも成功率を上げたい今そんなことも言っていられない。
そうやって割り切ってもなお美少女二人に挟まれるのは緊張するもので、俺は深呼吸を繰り返してどうにか気分を落ち着かせようと試みる。それでもなお浮足立っている様子を、ツバキは黒い瞳でじいっと見つめていた。
流石リリスの相棒と言うべきか、その立ち振る舞いは冷静そのものだ。それなのに、どうしてか俺はツバキの視線に違和感を感じずにはいられない。夜空をそのまま閉じ込めたみたいに艶やかな瞳が、今は悪戯っぽい光を帯びているように思えて――
「でもねマルク、慣れてきたからって油断しちゃいけないよ。……いつも使ってきた速度が、リリスの限界だと思ったら大間違いだからさ」
「……え?」
突如投げかけられたアドバイスに俺の思考はぶった切られ、ぎこちなく首を動かしてツバキの方に視線を合わせる。ツバキはニコリと笑みを浮かべ、驚きに満ちた俺の視線を受け止めていた。
今までの移動だって常識を遥かに超えていたのに、リリスの本気はそれをさらに上回って見せるというのだろうか。――そう言われてみれば確かに、リリスがここまで長々と詠唱を続けているのは『タルタロスの大獄』で見た時以来なような気が――
「……行くわよ、二人とも。舌噛まないように気を付けて、ね‼」
俺の直観が形になる前に、リリスが作戦の開始を宣言する。最後の言葉とともに地面を蹴り飛ばした瞬間、抑え込まれていた風が爆発したかのように吹き荒れた。
「う、おおおおおーーっ⁉」
吹き荒れる風の全てが速度に変換され、俺たちはすさまじい速度で移動していく。俺たちを守ってくれた影と氷の壁は一瞬にして視界の外に消え、まだ見えない階段の突き当りに向けて俺たちは際限なく加速し続けていた。
これだけ速いと間違いなく注目を浴びるだろうが、どれだけ動体視力が良くてもその顔まで確認することは不可能だろう。超高速で移動する何者かのことが噂にはなっても、それが俺たちと結びつかなきゃ潜入成功と言い張っていいわけだしな。そういう意味ではリリスの理屈は確かに間違っていない、何なら理にかなったやり方だとも言えるだろう。
「……問題は、この速度で第二層に飛び込んで事故を巻き起こさないかってところだけどさ――‼」
「大丈夫だ、そのリスクが生まれたらボクとリリスで必死に止める! ほら、階段を抜けるよ!」
力強いツバキの断言の通り、やたらと長かった階段通路にも終わりが見えてくる。相変わらずその先が伺えない通路の終点に向かって、リリスは速度を一つも落とすことなく踏み込んで――
「……巻き込まれても、悪く思わないでね‼」
吹き荒れる風に包まれた俺たちが、超スピードで第二層へと侵入する。一瞬で駆け抜けた俺たちの背後から、その勢いに巻き込まれた魔物の断末魔らしきものがわずかに聞こえて来た。
「な、なんだあれは⁉」
「冒険者……いやでも、あれほどに早く移動できる手段なんてあるのか⁉」
「獲物を横取りされなきゃ何でもいい、アレの気が変わらないうちに素材を剥ぎ取るぞ!」
その魔物と戦っていた冒険者たちのものだろうか、俺たちの姿を見て驚愕しているような声も一呼吸遅れて俺の耳に届く。案の定度肝を抜かれているような反応ではあるものの、その正体に対して好奇心を抱く者は一人としていないようだ。
「リリスの作戦、実は最適解だった説があるな!」
「当たり前よ、今までだってこれで切り抜けてきたんだもの。……ほら、まだまだ加速するわよ」
俺の賞賛にリリスはすました声で応え、地面を一蹴りして宣言通り加速していく。このダンジョンがが通路と広間で構成されているのも味方して、俺たちは一度も足を止めることなく第二層の奥深くへと突き進んでいった。
その道中で何体か魔物を吹き飛ばしていたような気もするが、冒険者を巻き込んでいないだけ幸運と言っていいだろう。それで被害者を出して恨まれたりなんかしたらさらに状況がややこしくなるからな。
駆け抜けた時間は正直二分にも満たないくらいだろうが、リリスの生み出した速度が凄まじすぎてそれだけでも移動距離としては十分だ。リリスもその認識は同じだったようで、魔物も冒険者もいない空間にたどり着いた瞬間にリリスは鋭く叫んだ。
「二人とも、ここで止まるわ。ツバキ、後始末お願いね!」
後始末という何とも穏やかじゃない言葉に、俺の背中を冷や汗が伝う。一瞬よぎったイヤな予感が形になるよりも先に、リリスが次の一手を打つ声の方が広間中に響き渡った。
「――風よ、その役目を終えなさい!」
「う、おおおおおおッ⁉」
リリスの一声で魔術が解除され、俺たちの体は宙に投げ出される。そりゃそうだ、あれほどまでに速度が付いたものが急に止まれるはずがないんだから。
すっぽ抜けたボールのような山なりの軌道を描いて、俺たちの体は壁に向かって突き進んでいく。それを止める手段もなく、衝突すれば少なからずの負傷は避けられない。数秒後にはやって来る痛みに備えて俺は目を瞑り、少しでも衝撃を軽減できるような姿勢を取って――
「ああ、任せておいてくれ。相棒の無茶をカバーするのはいつだってボクの役目だからね!」
――その衝撃がいつまで経っても来ないことに、俺は目を見開いた。
気が付けば俺は水のような何かに包み込まれ、緩やかに地面へと落下している。黒くしなやかなそれが優しく受け止めてくれたためか、俺の体には傷一つついていなかった。
「……これ、ツバキの影か?」
「その通り。リリスほど力強くはないけど、こういうことにかけてはリリスよりも優れてるって自信があるよ」
暗闇に向かって声をかけると、どこからともなくツバキの自慢げな声が返ってくる。上下左右も分からない上に視界も不十分な状況ではあったが、この空間は不思議な安心感に満ち溢れていた。
「リリス、君も無事だよね?」
「ええ、おかげさまでね。やっぱりツバキがいると安心感が違うわ」
俺たちを宙へ投げ出した張本人はというと、最初からこうなることがわかっていたかのようにのんびりとした声を上げている。的確なフォローが飛んでくる前提で突破作戦を立ててる辺り、この二人の絆の強さに感嘆せずにはいられないが――
「称賛は全部終わってから、だな。どうなるにしろ気張っていかねえと」
優しい影に包まれながら、俺は思考を切り替える。ここまではあくまで前段階、今から始まる勝負こそがダンジョン開きの本番だった。
ということで、次回からがダンジョン開きの本番となります!そこで三人を待ち受けるのは一体なんなのか、真に恐ろしいのは人なのか魔物なのか! ぜひお楽しみにしていただければ幸いです!
ーーでは、また次回お会いしましょう!




