第四十二話『緊急会議』
第二層へ続く方角から凄まじい速度で飛来した岩塊はリリスが展開した氷の壁にめり込み、ガラスが割れるような音が狭い空間を反響する。それでもなお完全に停止することなく俺たちを押し潰さんとしてくる岩を見て、ツバキが一歩前に進み出た。
「……絡め取れ」
ツバキの詠唱とともにしなやかな影が岩塊に何本も絡みつき、氷を突き破って進んでいた岩塊の速度を確実にそぎ落としていく。まるで水の中にでも突っ込んだかのような失速ぶりを見せ、岩塊は氷の障壁を突き破ることなくその運動を停止させた。
「……助かった、か」
「ええ、ひとまずはね。予期せぬ方向からの流れ弾に被弾して全滅、なんてあっけない終わり方にならなくてよかったわ」
「そうだな……。リリスが気づいてくれなかったら、俺たちは今頃ぺちゃんこになっててもおかしくねえ」
俺たちを一掃せんとした岩塊を改めて見やって、リリスは額の汗を手の甲で拭っている。あれほどまでに鋭い声が飛んできたのは初めてだし、感知した時には動かないと間に合わないような位置関係だったんだろう。
そこからの動きに一切の無駄がなかったあたり、リリスたちは今までに何度もこういう危機を乗り越えてきたんだろうけどな。事実俺は何の反応も出来なかったし、二人と比べれば経験の差はあまりにも歴然としていた。
「まさか第二層に到着しないうちからあんなにも殺意に満ちた一撃が飛んでくるとはね……リリスとは長い付き合いだから大丈夫だったけど、ボク一人だったら絶対に対応できなかったな」
「昔から一秒を争う判断には私の方が強かったものね。持ちつ持たれつ、ってことよ」
賞賛に対して誇らしげに胸を張りつつも、リリスの視線は岩塊が飛来してきた方向に向けられている。階段にはやはり特殊な魔術でも施されているのか、どれだけ耳を澄ませても階下からは戦闘音一つ聞こえてくることはなかった。
おそらくあの岩は何らかの流れ弾なんだろうが、その推論が当たっているかどうかすらも今は確かめる方法がない。この階段を下りきらない限り、第二層の様子を確認する手段は皆無に等しかった。
逆に言えば、ここで行った会話や詠唱なんかも第二層には聞こえていないんだろうけどな。俺たちの手札が割れる可能性がないのは安心材料だが、そんなメリットよりも先が見えないことのリスクの方がよっぽど大きく思えて仕方がない。どれだけ凶暴な魔物が出口に潜んでいようと冒険者たちが罠を張っていようと、俺たちはそれに気づけないのだから。
「ツバキの言ってたこと、少しばかり現実味を帯びて来たな……」
階段を抜けたらそこは熾烈な戦場でした。そんなことを口に出したり想像してみたりするのは簡単だが、実際に遭遇したらたまったものではない。仮に俺たちに対する悪意がなかったんだとして階段を挟んで冒険者と魔物がやり合っていたりしたらそれだけで大問題だしな。そんな理不尽な偶然が現実にありえるなら、ダンジョン開きによる事故の半分くらいはそれが原因になってるんじゃないだろうか。
「多少目についたとしても、最速でダンジョンに潜り込んだ方が正解だったか……。こればかりは俺の経験不足だ、すまねえ」
「対策できなかったことに対してあれやこれや言っても仕方ないわよ。それよりも、そんな第二層の中でどうやって安全を確保するかを考える方がよっぽど重要性は高いわ」
「そうだね。反省も大事だけど、今考えるべきはここから何ができるかって所だよ」
もう一度作り直された氷の壁の陰に身を潜めながら、リリスとツバキが作戦の修正を促す。後ろを向いている暇はないと言わんばかりの二人に引っ張られて、階段での緊急会議が敢行された。
「ある程度の混乱は予想していたけど、状況は思ったよりも面倒になってるみたいね。クラウスがどうのこうのとか言う前に、名前すら知らない冒険者からの飛び火で負傷する可能性の方が遥かに高いなんて事態になってるのはさすがに予想外だったわ」
「いろいろ経験を積んできたとはいえ、ダンジョン開きに関しては俺たちみんなド素人だもんな……。情報をかき集めるにもリスクは付いて回るわけだし」
そうしようと考えるならば、あの情報屋に『俺たちがダンジョン開きに照準を定めている』という情報を渡す必要がある。それが情報屋を通じてクラウス達に漏れるリスクを考えれば、これはしょうがない事と割り切るしかなかった。それこそツバキが言うところの『過去にできたかもしれない事』だしな。
「取り返しのつかないことになる前にそのことを肌で実感できたことだけは僥倖、ってところかな。まあ、気づけたからと言っていつどこから飛んでくるかもわからない流れ弾が躱しやすくなるわけでもないけど――」
「でも、私たちに向かってくる脅威に対してだけは魔力感知が有効に使えるってことは分かったわ。ちょっと頭は痛くなるけど、警戒だけは切らないでおく必要がありそうね」
「ああ、そうしてくれると助かる。……悪いな、お前ばかりに負担をかけることになっちまって」
「貴方ほどの負担じゃないわ。それでも申し訳なく思うなら――そうね、後でおいしいスイーツでもご馳走してちょうだい」
チョーカーに付けられた鈴を手でもてあそびながら、リリスは少し冗談めかしてそんな取引を持ち掛ける。リリスがそれで喜んでくれるなら、俺もそこに金を惜しむ理由は何もなかった。
「分かった、それじゃあ候補を見繕っててくれ。……それとも、また観光街を巡ってみるか?」
「ええ、甘いものは自分の眼で見て注文するに限るもの。今度は混じりけのない観光目的だけでお願いね」
「リリスってば、観光があれだけに終わっちゃったことが少しご不満だったみたいだからね。すました感じだけど、可愛いところもあるだろう?」
つんと澄ました様子でうまくまとめたリリスだったが、その後に続いてツバキが補足したことで台無しになる。これにはさすがのリリスも調子を崩されたのか、不満げにツバキの方を見つめていた。
「……ツバキ、私のイメージをどうしたいわけ?」
「いつまでもそんなに気張ってちゃ疲れるかもしれないよな、なんて思ってさ。今でもずいぶん素に近いとは思うけど、もう少し踏み込んだっていいんじゃないのかい?」
せっかく仲間になったわけだし――と。
リリスの抗議を受けてもなお、ツバキは楽しそうな笑顔を浮かべたままでそう付け加える。あくまで余裕を失わないその姿を見つめて、リリスは仕方がないと言いたげにため息をついた。
「……この冒険が終わったら、考えてみることにするわ」
「うんうん、それだけでも大きな進歩だよ」
そう呟いたリリスの頬は、少しだけ赤くなっているような気もする。商会でも友達はリリスだけって言ってたし、コミュニケーションをとる機会ももしかしたらあまり多くなかったのかもしれないな……。
「それじゃ、三人揃って無事に帰らなくちゃな。平手回避もしなくちゃいけねえし、リリスがもう少し砕けた姿になるのも見てみたいし」
「考えてみるだけよ。まだそうするなんて一言も言っていないから」
「そうだな。……でも、それだって今日を無事に切り抜けなきゃできないことだ」
クラウスに一泡吹かせるという目的がきっかけとはいえ、俺にとっても二人の存在はとても大きいものだ。もっと歩み寄っていけたらいいと、そう思う。
「――うん、そのためにもとりあえず方策を出さないとね。第二層に安全に降り立つことがここまで難しいとはのは流石に予想外だったけど、決して乗り越えられない壁じゃないはずだ」
「目立たずに入り込めるならそれが理想だけど、そんな事ももう言ってられないわね。多少派手な形になったんだとしても、第二層の奥深くまでしっかり入り込む必要があるわ。……そのために、私から一つ提案があるの」
ツバキの手慣れた司会進行を受けて、リリスが小さく挙手する。俺たち二人の視線がリリスに集中したのを確認すると、リリスは俺たちに向けて小さく手を差し出した。ほんの小さな動作ではあるが、それが指し示していることはもはや明らかだ。少し離れた位置の依頼を受ける度に、俺たちはそれに頼っているのだから。
「……結局、俺たちに潜入なんて似合わないってことなのかね……」
「ボク一人なら、マルクが考えていたようなこともできたんだろうけどね。リリスがいるならきっと今の最善手はこれだと思うよ」
隠密性という条件を取り去った瞬間に出てくるその選択肢に、俺は思わず苦笑するしかない。だがしかし、いつだって俺たちを支えてきたのはその方法だったのもまた事実なわけで。……だから、俺は差し出された手をしっかりと握り返した。
「一応聞いとくけど、勝算はあるんだな?」
「当然よ。どれだけ注目されようと、正体がバレないようにすればいいんでしょう?」
「はははっ、やっぱりリリスはそうでなくちゃね。ボクはあの時、君のそういうところに憧れたんだ」
自信ありげに答えるリリスの姿を見て、ツバキは笑いながらその手をリリスに重ねる。俺たち二人の同意を受け、リリスはくるりと第二層へと続く方を向き直って――
「誰の目にも止まらないくらい速く、それでいて苛烈に。……さあ、強行突破と行きましょうか」
――やっぱり脳筋な突入作戦の開始を、不敵な笑みとともに宣言したのだった。
次回、三人の強行突破策は果たしてうまくいくのか!リリスが魅せる華麗で苛烈な突入撃、ぜひお楽しみにしていただければ幸いです!
――では、また次回お会いしましょう!