第四百八話『力にそぐう振る舞い』
それは、針の穴以下の大きさしかなかった俺たちの突破口が大きく広がった瞬間だった。
事情は分からないがベガの手によって俺たちが殺されることはなく、退屈をしているベガがある程度満足すれば俺たちはここを通り抜けることが出来る。強引に押し通るという唯一の方針が叩き潰されたばかりのこちらからすれば、その提案は明らかに美味しすぎるものだ。
だがしかし、それに対する喜びは俺の中に湧き上がってこない。代わりに湧き上がってくるのは、吐き気すら催しかねないほどのおぞましさ。そして、あまりにも露骨に見下されていることに対する不快感だった。
「……『ここを通り抜けたくば儂を楽しませてみろ』、ってか。そりゃまたずいぶんと上からな要求だな」
「そりゃそうじゃろう、この都市で最も強いのは間違いなく儂じゃ。立場的に優位にある物が下にある物に対して要求を突き付ける、何かおかしなことがあるか?」
俺の嫌味に対しても全く動じることなく、ベガは淡々と強者の在り様を説く。それは緊急事態にあるベルメウにおいて何よりの正論で、それを理解した上で立ち回られているのが腹立たしかった。
ベガの持つ自分への信頼は、もはや慢心だと言っても過言ではないほどまでに過剰に膨れ上がっている。自分が上でそれ以外の全てがした、故に自分の論理がまかり通る。為政者が持っていたら今すぐにでも反乱が起きてしまいそうなぐらいに身勝手な考え方だが、こと実力が状況を定義するこの場面ではそれが絶対的な論理だ。自分の力が高いものだと分かっているからこそ、ベガはその優位を振るう事に一切の迷いがない。
弱者には弱者の論理があるように、強者には強者にしか震えない論理がある。ベガ・イグジスは、今まで出会ってきた誰よりも強者の論理の振りかざし方が上手かった。
「童らの選択肢は二つ、儂と享楽に乗ずるか後退するかの二つじゃ。……九番街に向かいたいのなら、どちらを選ぶべきかは分かるな?」
「――ああ、そうだな。どこまで行っても、俺たちはお前の作った舞台で戦うしかできねえらしい」
対多数の戦いになるかと思えばそうではなく、お互いの命を賭けるという構図すらもベガが持つ事情に否定され。何から何までベガによって定められたルールの中で、俺たちは今ベガと向かい合っている。言うなれば、俺たちはベガがゲームマスターであるゲームの中に閉じ込められているようなものだ。
「……一つだけ聞くぞ。『心が潤ったら退く』ってさっきの宣言、ここから先に覆ることはないな?」
抜け穴を探すことを早々に諦めて、俺はベガに改めて確認する。その前提が揺らいでしまっては俺たちの勝利はなく、このゲームに乗った時点で必敗が確定してしまうからな。俺たちがベガのルールに乗っかるのは、素直にそうするのが突破への最短距離だからと言う理由に過ぎないのだから。
「ああ、儂は嘘も誤魔化しも使わぬさ。そのような小細工は弱者が掲げるべき武器じゃ、強者までもそれを振るっては興が冷めると言うものじゃろう? 儂は誓って嘘はつかんし、手の内を誤魔化すこともせぬ。儂の口からこぼれるもの全て、儂にとっての真実に他ならぬよ」
「それならよかった。……これでようやく、安心してお前の提案に乗れそうだ」
ベガが迷いなく俺の確認に頷いたのを見て、俺は軽く息を吐きながら剣の柄に触れる。……そして、もう片方の手で立ち尽くしているレイチェルの肩をポンと叩いた。
「お前があくまで暇つぶしをお望みなら、俺とレイチェルが付き合ってやるよ。……ああ、うっかり死んでも文句言うなよ?」
「もとより殺すつもりでかかって来いというつもりじゃよ、殺されたとて何の文句もないわ。……童どもにそのような芸当が出来るのなら、じゃがな」
俺の挑発に挑発を返し、ベガは楽しそうに剣を抜き放つ。……その静かな金属音に混じって、レイチェルの不安げな声が俺の耳朶を打った。
「……マルク、本当に大丈夫なの?」
その声はかすかに震え、心細そうに答えを求めている。今まで背負い込んできた多すぎるほどの『責任』がその足を発たせてくれているのだろうが、やはりそれだけじゃ戦いに臨むにはまだ足りないのだろう。……なら、俺が背中を押す以外に方法はねえよな。
「大丈夫だ、俺たちが殺されることは確実にない。アイツは自分の『強さ』にこだわりを持っているタイプのエルフだからな」
どこか決定的な部分が把握しているベガの性格を理解することは不可能だと言っても過言ではないが、その根底にどのような原理が働いているのかを或る程度分析することならどうにか出来る。……特に、自分自身が持つ『強さ』に対するベガのこだわりはとても分かりやすかった。
「アイツは自分が強いって確信してると同時に、強い力を持つ者としての責任を自分自身にきつく課してる。……さっき、嘘や誤魔化しを小細工って呼んで『弱者が振るうべきだ』って言ってただろ? つまり、それをベガ自身が使うのは絶対強者としての振る舞いとして相応しくないってことだ」
『大いなる強さには大いなる責任が伴う』とはよく言ったものだが、ベガはその責任を自分から進んで背負い込んでいる稀有な存在だ。そんなものを一切考慮せずにベガが暴れていたら、俺たちは一秒と経たずして全身をみじん切りにされていたことだろう。
「死合い」という形式を重んじるからこそ自らの立ち振る舞いにも責任を持つとか、そういう類の行動原理なのだろうか。その根源的な部分を分析するのは不毛でしかないが、ベガが俺たちに向けて発した言葉に嘘がないことだけは確かだ。俺たちに対して小細工を弄することは、『自分は弱者側の人間です』と大々的に宣言することに他ならないのだから。
「だから、俺たちが多少無茶な攻撃を仕掛けてもアイツが俺たちを殺すことはない。ここを一秒でも早く突破してやりたいなら、あっちの提案に乗るのがきっと最適だ」
どこまでも上からな態度は不快だが、ベガが考える力関係が正しいものであることも事実だ。アイツがとことん俺たちを『弱者だが気骨のある相手』として見てくるのなら、俺たちにしか振るえない弱者の小細工を使って寝首を掻いてやろうじゃないか。
不安を感じさせないようにはっきりとそう言い切ったのち、頭の中で思い描いていた立ち回りをレイチェルと共有する。初めは『信じられない』とでも言いたげな様子で目を見開いていたが、やがてゆっくりとだが首を縦に振った。
「……うん、分かった。やってみるのが一番の近道、ってことなんだね」
「そういう事だ。……安心しろ、通じなかった時のための切り札もちゃんと取ってある」
不安げにペンダントを握りながらもそう答えたレイチェルに、俺は力強くそう断言する。これはハッタリでも何でもなく、俺の手の中には確かに切り札がちゃんと存在していた。
だが、それが使えるのは一度きりだ。その上俺とレイチェルの身体には凄まじい負担がかかり、使用後に大規模な修復術を使う事はほぼ必須だと言ってもいい。それを使って俺たちが押し切れれば勝ち、相手側がしのぎ切れてしまえば負け。俺の手に託された切り札は、戦いを極限まで簡略化できてしまうほどの性能を持っていた。
「切り札なんて使わないで取っておけるに越したことはねえけど、アイツを前にして出し惜しみをしてる余裕があるとも思えねえ。もしもの時は俺が合図するから、そうしたら俺の動きに従ってくれ」
「分かった。……ガリウスさんの事、助けに行かなくちゃいけないもんね」
「正直まだアイツの事は許せてねえけど、あれでもベルメウにとっては必要な人間らしいからな。……アイツの見立てが全部間違ってたこと、ここを突破して見せつけてやろうぜ」
再び意を決したように口にするレイチェルに、俺は強気に笑みを浮かべながら言葉を返す。レイチェルがこれだけ頑張っているんだから、全部が終わった後に手放しで褒めたたえる人は一人でも多い方がいい。……その中に手のひらを返したガリウスが居たら、きっとそれ以上のことはないよな。
「その顔、作戦会議は終わったようじゃな。知恵を存分に絞るその在り様、儂は嫌いではないぞ?」
「考えて考えて考えて、小細工張り巡らせて勝ちに行くのが弱者のやり方だからな。お前がどこまでも『強者』として振る舞うんなら、こっちだってそれに相応しい振る舞いをするまでだ」
道中で下っ端から奪った剣を引き抜きながら、俺はベガの挑発的な言葉に応える。それと同調するように俺の周囲を小さな風の渦が包み、俺の身体を支えていた。
「……ふむ。今までも弱者の論理を味方につけようとしてきた者はたくさんおったが、ここまで徹底的に『弱者』であることを厭わぬ人間も珍しい。儂らのような『強者』側に立ちたいと、そう思ったことはないのか?」
「ないとは言えねえな。だけど、そんなもんはもうとっくに諦めたよ。生まれ変わらなきゃ――いや、生まれ変わっても追い越せないような奴らの事をここまでたくさん見てきたからさ」
俺が恵まれているのだとすれば、輝かしい才能を持つ存在が周囲にたくさんいてくれたことだ。俺なんかじゃ絶対に届かないような強さを見てきたからこそ、俺はそっち側に至ることを諦められる。何の迷いもなく、弱者でいることを選ぶことが出来る。
ただそれは、いつまでも役立たずでいるという事ではない。弱者には弱者の論理があり、弱者でなくては見えない物がある。……自分よりも弱い相手しか狩ったことのない存在が小細工の本質を理解することなど、決してありえないと断言してもいいのだから。
「断言するよ、俺は今までお前が殺り合ってきた奴らの中で一番弱い。泣きたくなるぐらいに弱い。……だけど、お前のことを楽しませてやれるってな」
半年かけてようやく染みつきつつある騎士剣術の構えを取りながら、俺はベガに向かって迷うことなく宣言する。――そしてどうやらそれは、長い時間を生きてきたベガからしても称賛に値するものであったようで。
「……面白い。儂がどれほど時間を費やしても届かぬ領域を見せてみろ、童ども‼」
「ああ、存分に見せてやるよ‼ ――レイチェル‼」
「うん、支援は任せて――‼」
三つの声が重なり合うと同時、レイチェルの風を存分に受けた俺の身体はまるでカタパルトに乗せられたかのように激しく加速する。――九番街への道を賭けた戦いは、決闘の如き熱量とともに幕を上げた。
次回、ついにベガとの戦闘が始まります! まともに戦っては勝ち目のないこの戦い、いかにして二人は活路を見出していくのか! マルクの振るう弱者なりの論理、ぜひご期待いただければ幸いです!
――では、また次回お会いしましょう!




