第四十一話『騒がしい揺り籠』
「……さて」
眼前にある階段を見つめて、俺は軽く息をつく。普段は封鎖されている第二層へと続くそれは、何故だか異様な圧迫感を放っているような気がした。
「慎重にここまで歩いて大体十分くらいか……。ボクたちより絶対ペースは速いだろうし、他の冒険者たちは既にこの先に向かってると見てよさそうだね」
「分かれ道もここまでほとんどなかったものね。この安全さなら第一層だけは常に解放されてるってのもなんとなく納得できるわ」
通路よりも少し広めに作られた小部屋に横並びになって、俺たちは階段を見つめている。俺たちが求めるものはこれを下った先にしかないというのは承知の上だったが、一層を突破したそのままの流れで進んでいくのは危険だという本能的な直感が俺の足を止めさせていた。
「ここまでは不気味なくらいに簡単だったな。……けど、本当にこのダンジョンが安全なら実力者にしか知らせが行かないようになんてする筈がねえ。ヤバいのはきっとこっからだ」
ダンジョンを研究したいという人物がある程度いる以上、安全なダンジョンを無意味に封鎖するなんてことはありえないのだ。ここが封鎖されるには、おそらくそれに至るだけの明確な理由があったはずで。
「階段を下った瞬間全く別の景色、くらいの予想をしておいた方がよさそうだね。ここの安全さとかは一回忘れた方が身のためだ」
「そうね。封鎖されて魔物が増え放題になったダンジョンがここみたいに整然としてるはずがないもの」
階段だけが鎮座している石造りの小部屋をぐるりと見まわして、リリスはどこか緊張した様子でそう呟く。嵐の前の静けさというものがあるとしたら、多分今のような瞬間を指すんだろうな。『このまま終わってくれるはずがない』なんて後ろ向きな信頼を、俺はいつの間にかこのダンジョンに向けてしまっているらしい。
「……一応聞いてみるけどさ、リリスの魔力感知で下がどうなってるかとかって分かるもんなのか?」
「ええ、すぐに分かるわよ。『ここでの魔力感知は意味がない』ってことが、ね」
そんな中でも出来る限りの情報を集めようとした俺の質問に、リリスは肩をすくめて短く答える。『タルタロスの大獄』の本質すらも看破して見せた魔力探知だが、どうやらそれも無敵という訳ではないようだった。
「そりゃ私だってこのダンジョンに踏み込んですぐぐらいに試したわよ? ……でも、下でドンパチやってる魔物や冒険者の量が多すぎてお話にならなかったわ。感じ取れる魔力一つ一つを正確に把握して分類しようとしたら脳がいくつあっても足りないでしょうね」
「リリスの魔力感知は精密だからね。精密だからこそ、情報量がこうまで多いとパンクしてしまうんだ。別に今始まったことでもないってことは、マルクにも知っておいてほしいかな」
愚痴るかのようにこぼすリリスに、隣からツバキがやんわりとフォローを入れてくる。リリスの魔力感知にそんな欠点がある事は初耳だったので、俺としては少し意外だった。
だけど、だからと言って失望することなんて何もありはしない。リリスの失敗だって、一つの事実を示してくれてるしな。
「……ああ、それだけ教えてくれれば大丈夫だ。『下でドンパチやってる』ってことが分かった時点で情報としては十分すぎる」
魔力がそれほどまでに入り乱れているということは、今この瞬間にも冒険者たちは地下で魔物たちと激戦を繰り広げているということだ。……まあ、何らかの事件があって冒険者同士でやり合っている可能性も否定はできないが。
「なんにせよ、状況がごちゃごちゃしている内がチャンスだ。さっさと第二層に潜り込んで、人目のつかないところまでさっさと移動してしまいたい」
「あんまり初めから目立つわけにもいかないものね。そういう意味では今以上におあつらえ向きのタイミングはないと思うわよ」
「ボクもそれに賛成だ。地下の情報はリリスにしか分からないわけだし、リリスが言うならそれ以上に信頼できるものもないからね」
俺の提案にリリスが乗っかり、その方針にツバキも続く。一瞬で意思を一致させた俺たちは、早希が見えない階段に向かって同時に一歩目を踏み出した。
出来るだけ足音は立てないように、しかし足早に俺たちは階段を駆け下りていく。案の定というべきか、目指す第二層まではそこそこの距離があるようだった。
「しっかし、冒険者を招き入れるだけでここまでダンジョンが騒がしい事になるなんてね。ここ、一応『揺り籠』って名称がつけられてるんだろう?」
「ああ、『プナークの揺り籠』ってのが正式な名称だな。そのプナークとやらが何なのかってのも研究のテーマの一つらしいぞ」
だけどその進捗は芳しくない――と教えてくれたのは、確かレインだったか。王都周りのダンジョンや危険地帯について、レインは下手な冒険者よりも詳しいと言ってもよかった。
「その正体が何であれ、今のこの状況で眠れるような生命体はいないって断言できるわね。……この騒ぎがもし何らかのヤバい魔物を呼び覚ましてるなら、私はギルドという組織そのものに失望せざるを得なくなるわ」
「ここでのダンジョン開きは初めてじゃないって話だし、大丈夫だろ……多分」
それにプナークって魔物が実在するって話も聞いたことはないし、まさかそんな緊急事態が起こるとは思いたくもないんだけどな……。リリスがいかにもな感じで話していることも相まって、そんなあり得ない話でもないんじゃないかと思えてしまうのが恐ろしいところだ。
「ま、最悪のことを想定しておくのは護衛の基本だからね。冒険者でもそれは間違っているとは思わないし、リリスが心構えていてくれるのは良い事だよ」
「この中じゃ私が一番戦えるってのはれっきとした事実だしね。魔道具も買い込んだけど、そんなものは使わないでいるに越したことはないし」
「そうだな。リリス無双で切り抜けられるなら、それ以上にありがたいことはねえよ」
なんの気負った様子もなく、ただの事実として放たれた言葉に俺は大きな頷きを返す。そうしてくれていることが俺にとっては嬉しい事で、俺がこの二人を信頼できる理由の一つでもあった。
長い護衛としての経験がそうさせているのか、リリスとツバキの自己認識は相当に正確だ。自分と周りを相対的に比較するのが上手い、とでも言えばいいのだろうか。
傲慢になるでもなく、ただ適切に自分の力を信じられるということが冒険者にとってどれだけ貴重な事なのか、二人は多分気づいていない。無意識のうちにそれが出来ているからこそ、その能力を俺は素直に信じることができるんだろう。
「お前の強さはもっと広まるべきだし、いつか誰もがその背中を追いかけるようになるものだ。多分それは、今日この場所でだって変わんない――」
「……マルク、止まりなさい‼」
これからも変わる物じゃない、という俺の言葉を、真剣なリリスの命令が遮る。普段のリリスからは想像もつかない語調に俺が思わず足を止めると、その一瞬の間にリリスとツバキが俺の前へと進み出て来た。……まるで、二人にしか見えない何かを捉えたかのようだ。
「ツバキ‼」
「ああ、大丈夫だ! ――なんとなく、こうなる予感はしてたからね‼」
リリスの呼びかけに応えたツバキが腕を振るうと、ただでさえ薄暗い階段により深い影が落ちる。それはツバキの体から伸ばされて、俺たちの前に大きな壁を作り出すと――
「氷よ、打ち砕きなさい‼」
その影を丸ごと飲み込むようにして展開された巨大な氷の塊が、突如眼前から猛スピードで飛来した岩塊を受け止めた。
ということで、ダンジョン開きも次回から本格開幕です! いきなり激化する状況に三人はどう対応していくのか、そんな中でマルクたちの目的は達成されるのか! 楽しみにしていただければ幸いです!
――では、また次回お会いしましょう!




