第四百二話『後悔のぬぐい方』
「……そうですか。自分たちだけではなく、他の地域でも襲撃が……」
「ああ、リリスたちは今頃四番街あたりにいるはずだ。……悪いな、期待するほどの戦力にはなれなくて」
俺たちの事情を聞いて沈痛な表情を浮かべるユノに、俺は謝罪の言葉を繰り返す。合流を指示したガリウスをはじめ騎士団が期待していたであろう『夜明けの灯』としての役目を果たすのは、今の状況ではあまりにも困難だった。
ユノが合流したことで戦力の補強ができたとはいえ、リリスとツバキという規格外レベルの二人が抜けた穴はあまりにも大きい。潜在能力だけならレイチェルも負けてはいないが、今のレイチェルに負担をかけることには言い知れない怖さがあった。
過保護だと思われるかもしれないが、レイチェルを無事に精霊と引き合わせるのは俺の義務でもある。……言ってしまえば、あの空間で精霊と交わしたのだって小さな『約定』だからな。
だんだんと自分のポテンシャルを引き出すことに慣れつつあるとはいえ、そこに寄りかかりすぎるのはご法度だ。……そうなれば、俺たちが取れる行動は必然的に限られてくるわけで。
「あっちの男、多分もう少ししたら俺たちの横を通り過ぎるな。……行けるか、ユノ?」
「はい。自分も騎士として修練を積んできた身であるという事、お見せします」
視線の先にある黒いシルエットを示した俺に、ユノは少し肩に力が入った様子ではあるがはっきりと頷く。結局のところ、隠密と奇襲が俺たちの主戦術なのは変わらなかった。
相手が単独で行動してくる限りは、おそらくこれが一番手っ取り早いやり方だ。この周辺を監視している下っ端をあらかた撃破したら全速力で移動し、次の敵の姿が見えたらまた身を隠して撃破のタイミングを失う。急がば回れと言う言葉があるように、おそらくこれが九番街へたどり着くための最短ルートだ。
撃破の役割をユノに任せた俺たちは、その気配を気取られないように路地裏の更に奥へと引っ込む。……息を殺して期を伺うその姿は、何度見ても今年配属されたてだとは思えない。
騎士団を志す者の半分以上は途中で挫折するなんてことをクロアがこぼしていたことがあったが、それだけ厳しくふるい落とす分残った騎士たちは即戦力という事になるのだろうか。入隊してからすぐに活躍してるって考えるとアネットの事が浮かぶが、アレはあまりにも例外だからな。
「……来る」
そんなことを考えている間にも段々と近づいてくる足音を聞きながら、俺は小声でつぶやく。自分が危険な場所へと飛び出していくわけでもないのに、不思議な緊張感が俺を覆った。
足音はだんだんと大きくなっていき、やがてその影が路地裏の入り口に落ちる。そのすぐ後に、踏み込んできた下っ端の影が路地裏に差し込む光のほとんどを遮って――
「……い、まぁ‼」
それとほぼ同時にユノが地面を蹴り飛ばし、男の身体に綺麗な正拳突きを叩きこむ。もろに食らった下っ端の身体は不自然な方向へと折れ曲がり、やがてドサリという大きな音を立てて石畳の上へと倒れ込んだ。
倒れ伏した身体は痙攣したまま動かず、立ち上がってくる様子もない。構えた拳の一撃だけで、ユノは完璧に下っ端の意識を狩り取って見せたというわけだ。
「制圧完了、ですね」
パンパンと両手を払いながら、ユノは俺たちの方を振り向いてにこりと笑う。……俺たちは想像以上に大きな戦力を手に入れたのだと、改めて実感させられた。
決して筋骨隆々という体形でもないはずなのだが、そこから放たれる拳の威力は俺のそれを軽々と上回っているはずだ。……もしかしたら、俺が何らかの鈍器を振り回してもユノの拳には敵わないかもしれない。
俺たちが救援に入ったことでうやむやにはなってしまったが、それだけの筋力があるなら下っ端二人ぐらい倒せててもおかしくはないよな……。魔銃の音が聞こえたのもあってかなり焦っていたが、よく考えたら追いつめられていたのは魔銃を使わざるを得ないところまで追い込まれた下っ端たちの方だったんじゃないだろうか。
「……ユノさん、一体どんな鍛え方してるの……?」
レイチェルにもその火力の異常さは伝わったらしく、一周回って呆れた様な表情が浮かんでいる。その問いにユノは苦笑すると、握り拳を軽く掲げながら答えた。
「トレーニングは普通の物ですよ、それを欠かさなければ必要な筋力は付いてきます。……多分お二人が驚いてらっしゃるのは、自分が使う魔術によって引き起こされている現象です」
「魔術……? 俺の眼には、ただ殴ってるだけに見えたけどな」
「ええ、やったこととしては単純な正拳突きですから。……ですが、自分のそれにはちょっとした仕掛けがありまして」
続く俺の疑問にもはきはきと答えると、ユノは倒れ込む下っ端の身体を指し示す。……そして、まるで子供にするかのように軽く手招きをした。
「少し抵抗があるかもしれませんが、もしよければこちらの方の腕などを持ち上げていただければ。そうすれば自分の拳の工夫が分かると思うので」
「持ち上げる……。マルク、任せてもいい?」
気絶している人に触れるのはまだ少し抵抗があるのか、レイチェルが少し申し訳なさそうにこちらを見上げてくる。それに俺は頷きを返すと、ユノの手招きに従って男の傍らに立った。
一応周囲に不審な人影がないかを確認してから、俺は言われたとおりに下っ端の腕を握る。……それを持ち上げようとした瞬間、俺はユノの言わんとすることを理解した。
「なんだこれ、重たっ……⁉」
まるで腕の素材が鉄塊か何かに置き換えられてしまったかのように、男の腕はとても重たくなっている。俺も全力で持ち上げようとはしているが、数十センチ浮き上がらせるのが精一杯と言ったところだ。
たまらず手を離すと、腕は重たい音を立てて石畳に叩きつけられる。……その一部始終を見つめていたユノは、少しだけ誇らしげな笑みを浮かべていた。
「なるほどな。……物の重さに干渉する魔術とか、俺の知る限りでは初めてだぞ」
「ええ、自分も師匠以外の使い手を見たことがありませんから。むしろこれで『見たことがある』って言われた方がびっくりするぐらいですよ」
師匠と面識があるってことですからね――と、ユノはどこか冗談めかして笑う。……その態度とは裏腹に、ユノが操る魔術は冗談ではないレベルで強力なものだった。
これだけ身体を重くされてしまえば、いくら拳を受けて気絶しなかったとしても立ち上がることがそもそも困難だ。ユノの魔術を受けたこの下っ端は今、自重というどうしようもない要素によって囚われの身になっている。
「正確に言うと、『触れたものに付与した魔力を媒介として物体の重量に干渉する』って感じです。それを自分に適用することで身軽にしたり、あえて拳の質量を上げて威力を増大させたり。重くするにも軽くするにも限界があったり自分以外の対象には直接触ってからじゃないと使えなかったりするのは少々面倒ですが、色々と使い勝手はいいんですよ」
「使い勝手がいいなんてもんじゃねえよ……これを制限なしで操れたらもうとんでもねえって」
触れることをトリガーにして発動する魔術はこれまでにも目にしてきたが、その中でもアグニの魔術は間違いなくトップクラスだ。限界があるとはいえこれだけ重くできればほとんどの人間は自重で動けなくなるし、そもそも重量を増幅させた拳を受けきれる人間がどれだけいるかと言う話でもある。近接戦闘に持ち込むことさえできれば、どんな相手にでも勝ち筋を見出すことが出来るだろう。
俺たちの所に歩み寄りながら話を聞いていたレイチェルも、ユノが明かした魔術にあんぐりと口を開けている。初めてユノの魔術を知った人は大体こんな感じになるのだろうなと、そう思った。
「自分の魔術を初めてガリウス支部長に伝えた時、あの方は『素晴らしい才能だ』と称賛してくださいました。自分は騎士として周りより未熟な身ですから、そう言って認めてくださることが何よりもう嬉しかった。……だからこそ、その言葉を頂いたにもかかわらず逃げることにしか魔術を使えなかった自分が恨めしいんです」
しかし誇らしげな表情は長く続かず、ユノは強く拳を握り締めながら絞り出すように呟く。……その言葉一つ一つが、一人の騎士としての懺悔であるように聞こえた。
「……確か、ユノさんがガリウスさんに『襲撃者が来てる』ってことを伝えたんだよね。それなら、魔術を鍛えてきた意味だってちゃんとあったってことになると思うよ?」
「ええ、確かにそうかもしれません。自分とともにレストラン周辺を見回っていた仲間たちは、私を除いて全員切り伏せられた。……こうして奇襲で倒れていく、黒ローブの男たちのように」
眼前の下っ端を見つめて、ユノは僅かに声を震わせる。それは悔しさからくるものなのか、それともあの空間で感じた恐怖が蘇っての物なのか。……どちらにせよ、それが負の感情となってユノを取り巻いているのは間違いない。
俺たちからしたら驚くほどに強いユノでさえも、自分の弱さを悔いながらここにいる。……それを拭い去るためには失敗以上の成功をするしかないことを、俺はよく知っていた。
「そして今、その襲撃者の事を支部長はたった一人で食い止めている。それを見てしまったからこそ、自分は絶対に支部長の意志を無駄にすることは出来ない。……絶対に貴方たちを無事に連れて戻り、仲間を殺した襲撃者――アグニ・クラヴィティアに、この拳を叩きこんでみせる」
「……ッ」
なにも迷うことなくそう言い切ったユノを見て、俺は思わず息を呑む。その鬼気迫る態度に――と言うのも間違いないのだが、本質はそっちじゃない。……いずれ聞くことになるだろうと思っていた名前が、想像以上に早いタイミングで出てきてしまったからだ。
「ユノ。……今お前、アグニ・クラヴィティアって言ったか?」
この襲撃を企てた組織の中心人物であり、リリスとツバキの二人を単独で相手できるほどの手練れ。……そして、半年前に切っても切れない縁を繋いでしまった相手。その名前がユノの口から出てきてしまっては、そう聞き返さないわけにはいかなかった。
アグニ・クラヴィティアと言う名前がマルクたちに残した印象は、他の物よりひときわ強く目立つ形になっていきます。一つに集約し始めた物語は果たしてどう流れていくのか、ぜひお楽しみにしていただければ幸いです!
――では、また次回お会いしましょう!




