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第四百話『決意の代償』

 土壁を突破した先でこの光景を目にしたとき、俺たちは揃って言葉を失ってしまった。ある程度覚悟していたとはいえ、だからと言って簡単に受け止められるようなものではなかったのだ。


 道のそこら中に転がる亡骸、まるで何か巨大なものに踏み潰されたかのようにひしゃげた建物の数々。ベルメウの日常を形作っていた全てが、襲撃者の手によって粉々に破壊されてしまっている。人だけが消えたあの街並みは不気味な印象が強かったが、破壊の爪痕が色濃く残るこの一帯の景色はただただ凄惨だった。


「……このあたりでもそれは変わらない、か」


 近くに監視がいないことを確認しながら周囲を見渡して、俺はまた一つため息を吐く。この一帯に入って早々最低限の装備が早めに整えられたまではよかったのだが、それからしばらく経った今でもめぼしい成果は得られていなかった。


 いくら戦力が増強されたとはいえ、二人以上で固まって行動している監視に一切声を上げられず奇襲を完遂するのは不可能だからな。一人で浮いている駒しか俺たちは潰せないし、複数で行動されている場合は隠れてどうにかやり過ごすしかない。……倒壊した家屋で路地裏が潰されていないのは、適宜身を隠さなければならない俺たちにとって不幸中の幸いだろう。


「かなり歩いてきたつもりだけど、それでも全然人が居ないね……。もしかして、ここにいる人たちはもう皆……?」


 俺の一歩後ろを歩くレイチェルが、少し声を震わせながらそんなことを口にする。……それは考えうる限り最悪の状態だが、しかし決して否定しきれるものでもない。全滅していてもおかしくないと思えてしまうぐらいに、この一帯は完全に制圧されてしまっているんだから。


『逆襲』とか『打開』とか、そういう言葉が閊える段階さえもここはもう通り過ぎてしまっている。この一帯に残るのは蹂躙の残骸と、その跡地で目的を探し求める襲撃者の仲間たちだけ。ここで起こったのであろう戦いは、俺たちがたどり着くより前に決着してしまっていた。


「……いや、そんなことはねえよ。この街は避難施設もたくさんあるし、全滅なんてことはないはずだ」


 しかし、俺はその考えを表に出すことなく首を横に振る。ここにいた一般人が一人残らず踏み潰されたなど、そんなことはないはずだ。……だってきっと、ここにも暴虐に抗う人たちは確かにいたのだから。


 地面に転がった武器たちが、亡骸に向かって点々と続く血の痕跡が、ここにいた人たちの生きようとする意志を死んでもなお俺たちに伝えている。……その全てが無駄に終わっただなんて、そんなことは決してない。あっちゃいけないと、そう思う。


「大丈夫だ、まだ助けられる命はたくさんある。……だからレイチェル、そんなに背負いすぎるな」


 思いつめたような表情を浮かべるレイチェルに、俺は少し語気を強めてそう付け加える。……あの冒険者を撃破してから頻繁に見るようになったその表情は、どう考えてもいい兆候だとは思えなかった。


 自分のしたことの責任を背負い、そして逃げない。その考え方自体は決して悪いものじゃないし、ガリウスが求めていた『グリンノート家としての自覚』にも近いものなのだろう。実際、レイチェルはこの短時間の間に驚くほど成長しているとは思う。


 だが、それは確かな代償を伴うものだ。今のレイチェルの背中には、まだ十五歳の少女が背負うべきじゃない物までたくさん乗っかってしまっている。……いや、それすらもレイチェルが自分から背負いこんでしまっているという方がより正確かもしれない。


 レイチェルが果たした成長は、とても極端な要素を孕むものだ。レイチェルの目の前で起きた現象に少しでも自分が要因として混ざっているなら、レイチェルは迷わずにその全ての責任を引き受けるだろう。そうして背負って、忘れずに進んでいこうとしている。……今のレイチェルは、ベルメウで起きた犠牲の全てを自分の責任だと思い込んでいる節があった。


 あの時の後ろ姿に見た危うさは見間違いなんかじゃなく、今のレイチェルが色濃く纏っているものだ。……今のレイチェルは、絶対に独りにしてはいけない。その小さな背中に背負うものを、出来る限り軽くしてやらなければいけない。――そうでなければ、レイチェルはいつか確実に壊れてしまう。


「ベルメウはまだ終わってねえ、出来ることだってたくさんある。……だからレイチェル、頼むからそんな顔を――」


 このまま背負わせ続けた先にある結末を幻視して、俺はさらに言葉を重ねる。その終わり方はやけにリアリティに溢れていて、その上俺たちに何の救いもなくて。だが、それを食い止めるための俺の言葉はほかならぬレイチェルに遮られた。


「ありがと、マルク。……心配、してくれてるんだよね?」


「ああ、俺は今のお前が心配で仕方がねえ。どんな経験をしてたってお前はまだ十五歳なんだ、人の生き死にの責任なんて抱え込む必要は、どこにも」


「……でも、マルクたちだって十八歳とかでしょ? あたしと三年しか変わらないよ」


 必死に言葉を重ねる俺の視線が、まっすぐこちらを向くレイチェルの視線とぶつかる。……綺麗な紫紺の瞳は揺らぐことなく俺の表情を映し出していて、俺は思わず言葉を失ってしまった。


 初対面の時は『年齢より幼く見える』だなんて思ったはずなのに、今のレイチェルにその気配は全くない。年相応さえも通り越して、とても大人びた表情を浮かべている。……呆気にとられながらレイチェルを見つめていると、やがてにこりと微笑みながらレイチェルは続けた。


「あたしね、ガリウスさんの言ってたことが何となく分かったの。マルクもリリスもツバキも、皆自分のやるべきこととかやりたいことが分かってて、その上でどうしたらいいかを考えて行動できてる。どうしたら前に進めるかを教えてくれたのは、『夜明けの灯』の皆なんだよ?」


「……レイ、チェル」


 とても嬉しそうに、晴れやかな表情でそう言われて、俺は思わず沈黙するしかない。……レイチェル・グリンノートに後ろ姿を見せていたのは、他でもない俺たちだった。俺たちが手を取って引っ張っていった先に、今のレイチェルはいるんだ。


「大丈夫だよ、全部あたしだけで解決できるなんて思ってないから。足りないところは皆の力を借りればいいと思うし、借りた上であたしに何ができるかはずっと考え続けるつもり。……だけどね、そうした先に残った結果の責任は全部あたしが持っていきたいんだ」


 言葉を失う俺をよそに、レイチェルは純粋な表情で自分なりの結論を俺に伝えてくれる。……『そこが一番の問題なんだ』なんてことは、間違っても口にできそうになかった。


 レイチェルは多分、この事件の原因を自分だと考えている。帝国にあるグリンノート家が襲撃されたことも、今こうやってベルメウが破壊されていることも。全部は『精霊の心臓』の持ち主であるレイチェル自身に発端があると、そんな結論が自分の中では出ているのだろう。


 だが、厳密に言うならその考え方は大きな間違いだ。『約定』の再始動、そして『精霊の心臓』を狙うものの行動はいつか必ず起こっていたことで、その『いつか』にたまたまレイチェルの世代がぶち当たってしまったに過ぎない。俺たちと同じで、レイチェルだって『巻き込まれた側』であると言っても何も間違いじゃないんだ。


 だが、レイチェルはそのことに気づこうとしていない。出来事の責任を他の誰かに問うという選択肢が、今のレイチェルには存在していない。思考停止――と言うと少し悪し様にはなってしまうが、今レイチェルがやっているのは思考停止でなんでもかんでも自分へと責任を集約させているのとほぼ同じだ。……その一つ一つにだって、追及していけばもっと根本的な原因があるはずなのに。


 その現象が何によって引き起こされているかには、俺も昔そうだったから心当たりがある。ここに来るまでにいくつもの難局を乗り越えたというのに、レイチェルの自己肯定感は全く上がっていなかった。

 

 あの土壁の冒険者を打ち破れたのは、他でもないレイチェルの判断があったからだ。だが本人にそれを言えば、ほぼ間違いなく『守り手様がいてくれたからだよ』と答えが返ってくるだろう。自分のおかげで窮地を脱出できたなんて、レイチェルは一ミリたりとも思っちゃいないのだ。


「それがあたしのしたいことだし、しなくちゃならないことなんだよ。……あたしにできることは、多分それぐらいしかないと思うから」


 一切迷いを見せることがないまま、レイチェルはそんな風に言葉を結ぶ。その様子に返すべき言葉が浮かばなくて、俺はただその表情をまじまじと見つめることしかできなかった。


 ここにいるのが俺ではなくて精霊だったなら、その悲壮な決意にどんな言葉を返していたのだろう。もしかしたら、もっとレイチェルの心を解きほぐすための何かがあったかもしれない。……だけれど、それに俺が気づくことはどうしてもできそうになくて。


(少し、早すぎるかもしれねえけど)


『一度きりだ』とくぎを刺された切り札を思い、俺は目を瞑る。この先もっと必要になる時が来るかもしれないが、今ここでレイチェルの決意を黙認するのも間違っているような気がして仕方がない。この場に他の味方がいない以上、頼れるのはもうそれしか――


――タァン、と。


 最終手段を行使すべく踏ん切りをつけようとした俺の思考を、突如響き渡った高らかな破裂音が寸前で中断させる。その音を聞くのは随分と久しぶりだったが、その正体を見誤ることは絶対になかった。こんな特徴的な音、どうやっても聞き間違えるはずはない。


「……マルク、今のって」


「ああ、間違いねえ。……この近くで、誰かが襲撃者たちと戦ってる」


 目を丸くしながら放たれた問いに、俺はゆっくりと頷きながら答える。……それは、この一帯でとっくに終わったはずの『戦闘』が何者かの手によって再び発生したことの確固たる証だった。

 『自覚』とともに大きな一歩を踏み出したレイチェルですが、その一歩はもしかしたら崖の下へと続いているものなのかもしれません。それを危惧するマルクとあくまで頑張り続けようとするレイチェル、その構図がどう変わっていくのかぜひご注目いただければ幸いです!

――では、また次回お会いしましょう!

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