第三百九十九話『見覚え』
――路地裏に身を潜め、息を殺して俺とレイチェルは視線を一瞬交換する。狙うべき標的はここから五メートルほど先、小さなこの通り一帯を監視するかのようにうろうろと動き回っていた。
かなり落ち着きがないタイプなのか、あちこち動き回ることで時々死角を作ってくれるのが幸運だった。万が一にでも見つからないように気を付けて移動すること数分、ようやく仕掛けられるだけのチャンスが巡ってきたというわけだ。
もう少しすればあの男は方向転換し、この通りの別の場所を確認するために動き出す。狙うのはその一瞬、求められるのは正確な奇襲だ。……絶対に、失敗することは許されない。
「……守り手様、お願い」
ペンダントを強く握りしめながら、レイチェルが小声で魔術を展開する。一瞬にして編み上げられた風の衣が俺を覆い、いいとこ中の下程度の俺の身体が随分と身軽になった。
その感覚を少しでも確認しつつ、俺は視線の先の標的をもう一度確認する。黒いローブにすっぽりと体を包んだその男のつま先が別の方向を向く瞬間を、決して見逃さないように――
(――ここだ!)
男の身体が方向転換の兆しを見せた瞬間、俺は低い姿勢から地面を蹴って一気に加速する。レイチェルの支援もあって即座に最高速度に達したことによって、男が奇襲に反応するよりも先に俺は攻撃に移ることが出来ていた。
「……ッ⁉」
「悪いな、こちとら武器にも困ってる身なんだ!」
男の身体が振り向き切る前に取り押さえ、声を上げられないように口を押さえながら男の首を絞める。『殺すよりも無力化することを優先したいときも戦場ではままあることっスから』と言っていたクロアの声が、俺の脳内で響き渡っていた。
男もどうにか拘束を抜け出そうともがくが、人ひとり抑え込めるぐらいにはこの半年間で筋トレに励んできたつもりだ。絞め技の体勢を崩さないように意識しながらしばらく格闘していると、やがて男の身体はぐったりと脱力した。
クロア曰くこの状態が『オチる』というものらしいのだが、それを実際に見るのは初めてだ。もしかしたら行き過ぎてしまったかもしれないという悪い予感は、抑えた口元から感じる男の呼吸が打ち消してくれていた。
まあつまり、作戦は成功したというわけだ。俺が軽く手招きしてレイチェルを呼び寄せると、少し怯えた風に身をかがめながらもレイチェルがこちらに歩み寄ってきた。
「ええと、この人……死んでない、よね?」
「ああ、息はちゃんとしてるからな。まあつまり、早いとこ目的を果たさないとマズいってことでもあるんだけどさ」
俺と同じ心配をするレイチェルにそう答えながら、俺は男の腰元に手を伸ばす。そこに何もめぼしい感触がないのを悟り、今度は背中の方へ。そのまましばらく探ると手の先に硬い感触が伝わってきて、俺は思わず笑みをこぼした。
「ああ、見張りするなら武器の一つぐらい持ってくれてるよな。助かるよ、これがあるとないとじゃ天と地ぐらい違いがあるからな」
ローブと衣服の間から何とかそれを引っこ抜き、俺は男の武装だったと思わしき長剣を拝借する。お出かけモードという事もあって帯剣していなかった俺からすると、この収穫は相当に大きかった。
体術だけでもある程度抗える相手にしか遭遇していないから今のところどうにかなってはいるが、この先のことも考えると少しでも戦力増強はしておきたいからな。そういう意味では、あの土壁を越えた先の地域がすでに襲撃者の監視下に置かれている場所だったのは幸運だったと言えるかもしれない。
襲撃者が何も考えず破壊行動をしようとしているならまだしも、相手は確実な策とともに俺たちを追い詰めようとしているからな。もう優位が確定している場所に強い駒を置く意味はないし、そういう所の安定には下っ端の類を使うだろう。……この地域に入ってみるようになった監視の姿を確かめたことによって、俺のその考えはほぼ確信に近いものへと変わっていた。
襲撃者に対しての奇襲作戦も、ただ武器を奪うだけが目的じゃないからな。ほぼ確定したとはいえ決定的な根拠がないものに、最後の一押しをする役目もしっかりとあった。
(出来るなら、確定してくれない方がいい情報ではあるんだけどな……)
一番の戦利品である長剣を一度わきに置いて、俺はもう一度男の身体を調べる。……さっき触れたのとは逆の腰元へと手を伸ばすと、特徴的な形の硬い感触が手に伝わってきた。
剣の柄よりも冷たくて容赦のないそれは、鉄が使用されているが故の物だ。これの形を見るまでは断言できないが、俺はその派生形と言える物を扱った経験すらある。……まあ、その時にはハッタリにすらならないぐらいの出来でしかなかったわけだが――
「……あー、やっぱりそうだよな」
ローブから引き抜いた俺の目に映ったのは、『魔銃』と呼称される魔道具の一種だ。俺が実際に手にしたものはもっと細長い形をしていたが、これは全体を見ても握りこぶしより少し大きいぐらいに収まっている。……アグニ・クラヴィティアがアネットに突きつけていたのと、よく似た形状だ。
騎士団に聞いてもラケルに聞いても、『魔銃』のような形をした魔道具が一般的に流通しているという話はなかった。一般に流通するレベルのものではなかった、と言うのが正しいだろうか。専門家曰く、『魔銃』は現存するすべての魔道具と一線を画すほどに強力なものであるらしい。
見覚えのある黒いローブを目にしてから嫌な予感はしていたが、『魔銃』が見えてしまったことでその予感は核心へと変わる。半年の時を超えて、因縁はまた俺たちの前に現れていた。
「……アグニ」
あの時仕留めそこなった弾丸を、あの男との問答を、俺は今でも覚えている。「また会おうぜ」と不敵に残していったあの狡猾な笑みは、忘れるにはあまりに印象深すぎる物だ。……この襲撃計画も、アグニが練ったものであると考えるのならば段取りの良さにも納得することが出来てしまって。
「……マルク、どうしたの? なんというか、表情がすごく怖いけど……」
あの時のことを思い出して思わず力がこもってしまったのか、レイチェルが俺に心配そうな目線を向けてくる。どちらかと言うと心配するべきなのはレイチェルの精神面なはずなのに、気を遣わせてしまったようだ。
「悪い、ちょっと昔のことを思い出してな。……まさかとは思ったけど、こんなところで因縁とぶつかるなんて思ってなかったんだ」
「因、縁……。それって、さっき『確かめたい』って言ってたことと関係ある?」
「ああ、大アリだ。今までだって許せない相手だったけど、今分かったことのおかげでぶっ飛ばさなきゃいけない相手に変わった。……アイツらは、過去にとんでもないことをやらかそうとしてたんだからな」
そして今この瞬間にも、アグニ達は『精霊の心臓』を奪い取ろうとしている。何が目的でそれを求めているかなんて知らないし知る必要もないが、アイツらの手に渡ればロクでもないことが起きるのだけは間違いない事実だ。……それを許せば、最悪この襲撃とは比較にならないレベルの人死にが起きる。
「レイチェル、これからこれと同じローブを被ってる奴がいたら遠慮するな。大群でいる奴はどうにかやり過ごすとしても、孤立してる駒は少しでも削りたい」
「うん、分かった。それは……その、最期までちゃんと、ってことだよね」
「そうなるな。……正直、こいつもどうしようか迷ってるところだ」
まだ気を失ってくれている男の背中に直剣を突き付けながら、俺は迷うことなくそう答える。本当はそう言いながらこの男の背を貫けたらよかったのだけれど、そうできるだけの度胸はなかった。
脳内に引っかかっているのは、バラックの古城で見た光景だ。ある程度傷を負わせたのだとしてもそいつらは転移魔術によって回収され、その治療が済むまで間を持たせるための戦力がまた転移魔術によって補填される。その循環を防ぐのであれば、転移させるまでもなく殺すのが一番手っ取り早いのは間違いないことだ。
実際リリスもメリアもそうやってあの中庭を突破したわけだし、それが正攻法なのは間違いのないことだ。……なのにそれを躊躇なく選べないのは、くぐってきた死線の数があの三人とは違うからなのだろうか。
「……いや、それよりもこの場を離れることが優先だな。これから戦う相手も『殺すつもりで』容赦なく行くってだけで、本当に殺したかどうかの確認はしなくていい」
しばらくあれこれと考えた末に、俺はどうにか折衷案に見えなくもないような方針を打ち出す。本当なら殲滅できるのが一番いいのだが、どう考えてもそれが出来るだけの戦力はなかった。
それに、ほんの少しだけ頭をよぎった考えもあったのだ。――『今のレイチェルに人死にを見せていいのだろうか』という、どうにも答えを出しづらい自問が。
盲信に支配された一般人たちの包囲を切り抜けた後、レイチェルの精神は一見して安定しているように見える。だが、人の本質はそう簡単に変わらないものだ。今まで『死』に触れてこなかった人間が『死』を簡単に呑み込むなんて、それこそアネットほどの覚悟が備わっていなければ出来ることでもない。
今のレイチェルの精神状況が、もしも何かをトリガーとして決壊したら。――俺が恐れているのは、きっとその時に訪れる手の付けられない状況なのだろう。
『レイチェルはまだ成長途上じゃ。……人間に託すのは癪じゃが、決して目を離すでないぞ』
(……そうだよな、守り手様よ)
「うん、分かった。……少しでも早く、誰かと合流しないとね」
「そうだな。欲を言うなら、そいつが『約定』のことを知ってる味方だったら最高だ」
『忘れるな』と念を押されたあのやり取りを思いだしながら、俺はレイチェルにそう返す。俺の隣に立つ希望の光を少しでも大きくするためにも、味方を増やすのは何にも代えがたい必須事項だ。
改めて目標を再確認しながら、制圧を終えた俺たちは街の中を歩きだす。すでに襲撃者によって、制圧が完了された――生々しい被害の爪痕がそこかしこに転がっている、ベルメウの街中を。
リリスとツバキのコンビに続き、マルクたちもこの襲撃を企てたのが何者であるかに気づきました。その気づきが突破口となるのか、それともさらなる因縁を呼び寄せることになるのか。折り返し地点に差し掛かりつつある第五章、まだまだお楽しみください!
――では、また次回お会いしましょう!




