第四十話『使えるものは貪欲に』
「……意外と、中は明るいのね」
「研究者がフィールドワークのために立ち入ったりしてるって話だしな。研究しようにも辺りが見えなきゃ話にならねえし、色々と整備はされてるんだろ」
整備されたダンジョンに踏み込むのは初めてなのか、所々にランタンが置かれた通路をリリスは物珍しげに見つめている。石造りのそれはお世辞にも横幅が広いとは言えないが、そのおかげでランタンのぼんやりとした光だけでも視界が十分に確保できた。三人並んで歩けないのは少し厳しいものがあるが、そこに関しては他のパーティも同じことだ。
ちなみに言うと、『タルタロスの大獄』は間違ってもまともなダンジョンの部類には入らない。あそこはあまりに危険すぎてギルドも騎士団も下手に手出しできなくて、結果的に野放しになってるって状態だからな。
「なんというか、こういうものを見てると人間のたくましさを感じるね……。使える物は何でも使おうとしてるというか、あくまで利用する側に立とうとしてる感じがするよ」
「街の名物や冒険者の訓練所として使われてるのもあるにはあるからな。それに関しては俺も同感だよ」
危険なものでも訳の分からないものでも、使えるならすべて利用してやろうというその気概にはただただ脱帽するばかりだ。その好奇心があるからこそ人間は強くなっていけるのだろうが、ダンジョンを研究しようと思い至った第一人者が常人離れしている事だけは間違いなさそうだった。
「情報によれば、普段封鎖されてるのは第二層からなのよね。ここはもうあまり人気がないけど、全員最短距離でそこを目指してるのかしら」
「どうだろうな。第一層自体はいつも解放されてるみたいだし、報酬狙いの冒険者がわざわざここにとどまってる理由もねえとは思うけど……」
「すでに気配を消して動いてる可能性もなくはないよね。この行事は冒険者同士の戦いでもあるみたいだし、のっけから競合相手を出し抜こうと動いてる冒険者が居ても不思議じゃない」
ツバキが声を潜めて指摘した可能性に、リリスの表情がわずかにこわばる。功績争いの本番である第二層からしか妨害はしてこないと思いたいが、ツバキの声色も相まってその予想はやけに現実味を帯びているように思えた。
「ここがいつでも解放されてる以上、襲撃にぴったりなポイントがないか事前に下見することだってできるわけだからね。決してボクたちの存在を気取られないように動いてきたけど、クラウスも何も関係のないパーティによる無差別な妨害に巻き込まれる可能性は十分にあり得るよ」
思わず足を止めた俺たちの周囲に影の領域を展開しながら、ツバキは剣呑な口調で続ける。最低限の規模で展開されたそれが話し声を殺すための工夫だと気付いて、俺はツバキの用心深さに思わず舌を巻いた。
影の領域を展開しながら移動することは残念ながら不可能だが、その制約があったとしても便利な魔術なのは間違いない。ツバキ自身は搦め手にしか使えないそれを未熟なものだと感じているようだが、それが今までどれだけ助けになってきたことか。
「……ほんと、ツバキの視野の広さには恐れ入るよ」
「まるで未来を見て来たかのような想定の仕方だったわね。そこまで具体的なのは、やっぱりそういうことなの?」
すっかり感服した俺が苦笑を浮かべる横で、リリスは何らかの確信を抱いてツバキに質問を投げかける。まさに阿吽の呼吸というべきか、ツバキはあまりに抽象的なその指摘に迷うことなく頷いた。
「ああ、ボクが襲撃者の側なら間違いなくそうするからだよ。第二層からが本番だからこそ、この場ではわずかに緊張が緩む。そのことが事前に分かっているなら、そこを狙うのが奇襲の基本ってやつだからさ」
「…………どこまでも、お前の考えの深さには恐れ入るよ……」
ついさっきかけたのと同じ言葉を、しかし俺はさらに深い感慨を込めてツバキに贈る。……もしかして、最初からツバキに戦略を任せた方が俺たちにとってもよかったんじゃないか……?
「リリスに並び立つためには、たくさんたくさん考えるしかなかったからね。ボクの作戦を凄いと思うなら、それはきっと年季の差だよ」
「商会にいた時も、私は大体ツバキの作戦に従って動いてたからね。正直な話、読みが鋭すぎて寒気がするときすらあったわ」
今のマルクみたいにね、とリリスはどこか懐かしむように付け加える。このレベルの読みをリリスが慣れてしまうレベルで毎回毎回繰り出せるのは、たとえ研鑽の結果だとしても異次元だとしか言いようがなかった。
当人は謙遜していても、ツバキだってリリスに勝るとも劣らない才能の持ち主だ。違う方向に特化した二人が互いに引っ張り合ってきたからこそ、その連携は他の追随を許さないレベルにまで到達している。二人が予想している以上に、俺は二人の存在を心強く思っていた。
「まあ、今持ち出したのはあくまでボクたちにとって一番効率がいいやり方だけどね。ここに参加してるのはもっと大きなパーティがほとんどだろうし、奇襲の可能性は低いと見ていいとは思うけど」
「警戒する態度だけは忘れちゃいけない、ってことだな。しっかり肝に銘じておくよ」
ツバキの言葉を引き継いでそうまとめると、満足そうな頷きが返ってくる。このダンジョンにいる以上、緊張を解いていい場所なんて一つもないと言ってもよさそうだった。
「色々対策をしてきたとはいえ、予想外の出来事は起こる物だろうからな。……ちゃんと、気は張っておかねえと」
「目いっぱいの準備をして、ボクたちが出来る最大限をやってはじめて対策は生きるものだからね。目立つリスクばかりを潰したくなる気持ちは分かるけど、そればかりじゃ立ち行かないことだって結構あるんだ」
「遠くの影に怯えるあまり、近くの段差で躓くなんてよくある事だもの。特にあの商会では、ね」
「……その商会、お前たちが居なきゃもっと早くに潰れてたんだろうな……」
遠い目をしながらしみじみとつぶやく二人に、俺は思わずねぎらいの言葉を投げかけざるを得ない。リリスたちの話とか考え方を聞けば聞くほど、二人が護衛としてついていた商会はザル同然の注意力しかないことがどんどん明らかになってきていた。そんなところに十年も居たとなれば、そりゃここまで注意深くもなるというものだ。
「だけど、積み重ねた経験がここで生きるならそれだって無駄じゃない。それを今活かせれば、苦労してきた十年もきっと報われるよな」
「ええ、そうなってくれると信じてるわ。貴方までとぼけたリーダーだったら、私たちは人の縁に恵まれていないと言わざるを得なくなってしまうから」
「だとしても、マルクとアレを比較するのは失礼極まりない話ではあるけどね。……まあ、細かいところまで警戒しないと気が済まないのは職業病みたいなものだ。ほどほどに聞き流してくれればいいよ」
「いいや、しっかり聞き入れさせてもらうぞ。俺たちはまだまだ駆け出しパーティだし、出来ることなら一つの失敗だってしたくないからな」
二人からの視線を受け止めながら、俺はしっかりと宣言する。二人が経験してきた十年間を、俺が馬鹿なせいで無駄にするわけにもいかないからな。無事に目標を達成するべく、取り入れるべきことは何でも取り入れていかなければ。
止めていた歩みを再開しながらそう決意する俺に続きながら、なおも二人はじいっと俺の方を見つめている。何か背中についているのかと俺が困惑していると、ツバキの呟きがふと背後から聞こえてきた。
「……さっき、ダンジョンを研究する人たちをたくましいなんて言ったろう? それに、マルクも共感してくれたと思うんだけどさ」
「ああ、そうだな。あの貪欲さはすごいと思うよ」
何せダンジョンすらも発展に利用しようと思う奴らだもんな。何を食べたらそんな思考にたどり着けるのか、一度は話を聞いてみたいものだ。
そんな風に考えていると、背後に投げかけられる視線の質が少し変わったような感覚に襲われる。それに気が付いてふと首だけで振り向くと、二人からの視線がほんの少し呆れたようなものに変わっていた。
「……今のマルクも、本質は彼らと変わらないような気もするけどね。ボクの経験も含め、使えるようなものは何でも使っていくんだろう?」
「というか、奴隷の私を戦力にしようとする時点で貪欲なのは間違いないわよ。何度も繰り返し言っている事ではあるけど」
「それは褒め言葉……ってことで、いいんだよな?」
ジト目でこちらを見つめてくる二人に恐る恐る問いかけるも、それに関しての答えは返ってこないままでうやむやに話は流れていく。その評価を誉め言葉として受け止めるには、この先で結果を出していくしかないらしかった。
警戒心は緩めず、さりとてチャンスは逃さずに。ダンジョンの中へと踏み込んで行った三人は相応の成果を持ち帰れるのか、緊張しながら見守っていただければと思います!
ーーでは、また次回お会いしましょう!