第三十八話『それは決して浪費ではなく』
「……あ、やっと帰って来た。ずいぶん遅かったわね――って」
購入した情報をメモしたり、その対策情報を買うための値段交渉に苦しんだりすること数時間。ようやくの事で宿に帰り着いた俺の表情は随分と疲れ切っていたようだ。出迎えてくれたリリスの表情を見て、俺は初めてそれに気づかされた。
「その顔を見る限り、ずいぶんと無茶なことをしてきたみたいじゃない。ケガとかはしてないみたいだし、明日への影響を心配する必要はなさそうだけど」
「外傷というよりは精神的に色々と疲れることをしてきたんだろうね。――マルク曰く、『食えない奴』とやらと話をしてきたみたいだからさ」
そう言い終わると同時、ツバキは何か言いたげな表情をこちらに向けてくる。やっぱり俺の単独行動には何か思うところがあったようだが、それに対してあれこれと釈明するのもなんだか違うような気がしてならなかった。
「そうだな、大体お前たちの見立て通りだよ。……ああ、疲れる戦いだった」
いつも俺が愛用しているクッションの上に思い切り座り込んで、俺は正直にそう報告する。或る程度覚悟していたことだとはいえ、『情報屋』とサシで対面することの気疲れは半端なものではなかった。
まさか追加料金を請求されることになるとは思わなかったが、当初想定していた出費よりは少なく済んでいるからとりあえずは問題なしだ。俺たちの情報もそれ以上漏らさずに済んだし、俺の疲労感にさえ目を瞑れば交渉はおおむね成功と言ってもいいだろう。疲れた分の成果はちゃんとあった、と言うわけだ
「戦いって……そこまでして手に入れるべきものがあったの?」
完全に脱力した様子で壁にもたれかかる俺を見やって、リリスはどこか呆れたような様子で問いかけてくる。戦闘をしたんでもないし、確かにここまで疲れ切っているのはリリスたちからしたら訳の分からない事だろうな。しばらくアイツの元を訪ねる必要もなくなるだろうし、今なら話しちゃっても大丈夫か。
「……情報だよ。クラウス達が最近どんな動きを見せてるのか、俺たちが直接嗅ぎまわるわけにはいかないだろ? だから、その道のプロに提供してもらった」
「情報屋、ってやつか。それは確かに食えない商売人だね。……この街、クラウス達のパーティが牛耳っているも同然なんだろう?」
「そうだな。だけど、アイツは中立を保ったままいろんなところに情報を売りつけてる。それが唯一出来るのが『情報屋』で、だからこそ手ごわいとも言えるんだけどさ」
クラウスに潰されることもなく、かといってこびへつらうこともなく。アイツにしか築けない立ち位置を獲得したうえで、情報屋は今日も狡猾に生きている。そんなヤツの前に、最初から俺たちの全てを開示した状態で向かうのはリスクでしかない。うっかり大事な情報を漏らしてしまえば、日が変わらないうちにそれは値札が付いて王国の誰かに売り渡されることになるだろうからな。
そうなってしまったが最後、売られている情報をどう使うかは買い手の自由だ。極端な話、『情報屋』に情報を漏らすことは王国全体に自分の秘密を公開することに等しかった。
「だけど、ちゃんと欲しいものは買ってきた。……まあ、代償は決して安くなかったけどな」
「物事には対価が必要、当然の事よね。……どれだけの資金が情報に消えたのか、そこが問題ではあるけど。事情によってはアンタの背中に紅い腫れが出来ることになるかもしれないわ」
「俺の金遣い、そうでもしないと治らないと思われてんのかな……」
ぶんぶんとビンタの素振りを行うリリスの姿に、俺の背中を冷や汗が伝う。……俺、あれ喰らって無傷でいられるのか……?
「まあまあ、どれだけのルネが飛んでいったかはこの際気にしないことにしよう。その情報を得てスムーズにダンジョン開きをこなせれば、使っただけの資金は取り返せるかもしれないからね」
「……そうね。貴方の背中が紅くなるかは、ダンジョン開きが終わった後に審判を下すとしましょう」
想像するだけで痛いリリスの一撃は、ツバキの仲裁によってひとまず先送りにされる。ダンジョン開きを意地でも無事に、そして首尾よく帰らなきゃいけない理由がまた一つ増えたな……。紅い腫れで済んだら幸運なもので、最悪の場合は背骨まで折れかねないし。
「うん、それがいいさ。……それじゃあマルク、そろそろ戦利品の話に映ってもいいかな?」
「ああ、任せてくれ。それを共有したら、後は明日に向けて体を休めるだけだからな」
司会役を務めるツバキの進行に応じ、俺は二人に手招きをする。三人で宿の床に腰を下ろし、円を作るような形で行われるというのが、いつの間にか出来上がった作戦会議の陣形だった。
「いくら最強パーティの『双頭の獅子』とはいえ、その全戦力をダンジョン開きに送るわけじゃない。十五、六人いるメンバーの中でも出てくるのは前衛四人、後衛三人、治癒術師一人の八人組だろう――ってのが、情報屋の見立てだ」
「大体半分しか出てこないのね。せっかくの行事なんだし、パーティの総力をつぎ込んだっていいでしょうに」
「そこはダンジョンの作り上の問題もあるだろうな。今回のダンジョン開きで解放されるエリアは横幅が狭いから、あんまりに多人数で動くと逆に動きづらくなるんだよ。魔物の一体や二体を仕留めるなら八人でも過剰戦力なくらいだし、余ったメンバーは他のクエストにでも回すんだろ」
ダンジョン開きがあったとしても、それ以外のクエストは普通に張り出されてるしな。『フルメンバーなど使わずとも余裕』なんていうポーズも取れるし、一番効率がいいやり方とも言えるだろう。
「なるほど、そういうことには頭が回るんだね。ボクたちが知ってるクラウスなら、全員の力を使って力任せに、暴力的に魔物も他の冒険者も制圧しに来るだろうと思ってたんだけど」
「ああ、今のところは思ったより真面目に向き合ってるみたいだな。俺たちがダンジョン開きに出るなんて話は誰も知らないだろうし、その行事が始まってすぐ集中砲火を喰らうなんてことはないと思うぞ」
活躍しようと思えばどうしても誰かの不満を買うことにはなるだろうし、最後まで穏便に魔物とだけ戦っていればいいという訳にはいかないのが難しいところではあるんだけどな。最初から目を付けられてスタートしなければならないよりはマシ、位の認識がちょうどいいだろう。
「……それは確かに有益な情報だけど、まさか金を払ってまでいた情報がそれで終わりじゃないでしょうね? ――もしそうなら、私の手が動くことになるけど」
「んなことないない、安心してくれって……俺もそこまで浪費家じゃねえよ」
リリスの方から『どの口が言う』と言いたげな視線が飛んできているが、それは一旦無視して話を前に進めていく。せっかく金を出してまで買った情報なんだ、どんなに細かい情報でもしっかり足掛かりにしていかないとな。
「最近のクラウスはどう考えても気が立ってるらしくて、いつもより警戒心も強ければ攻撃性も増してるらしいんだ。これは結構な時間クラウス達にへばりついてた情報屋がこの目で確認したことらしい」
「警戒心が強いのにへばりつかれてるって、普段がどれだけレベルが低いかってのがよく分かる話だけど……。それが誰の影響によるものかは、もう疑いようがないだろうね」
「警戒心と攻撃性が増加するとか、まるで繁殖期の魔物か何かじゃない。それで、その危険な魔物擬きはやっぱり私たちを目の敵にしているわけ?」
「らしいな。俺たちのせいで影響力が弱まったことに相当ご立腹みたいだ」
その程度で弱まる影響力なんざ、もともとあってないようなものな気がするんだけどな。そんなことをつゆほども考えていないクラウスは、そうなってしまった原因を叩き潰すことにご執心らしい。
「以上のことから考えて、ダンジョンの中で俺たちの存在が気取られたらまず間違いなく攻撃対象にされる。どさくさに紛れてレベルの攻撃だったらいいけど、周囲にほかの勢力がいない状況だったら直接攻撃も大いにあり得るだろうな」
「……なんというか、あまりにも穏やかじゃない通告だね。ロクに会話もできないじゃないか」
「そうだな。それはあまりにも現実的じゃないし、俺たちがアイツらに見つからずにダンジョン開きを終えるのもまた無理な話だ」
俺たちの目的を果たすなら、とことんあのダンジョンの中で目立つことをしていくしかない。そうする以上、『双頭の獅子』との衝突はどう頑張っても避けられないものだと言って良かった。
「つまり、明日は事実上の『双頭の獅子』攻略作戦になるってことね。いつかぶつかることは覚悟してたけど、ここまで早くそんな展開になるとは思ってなかったわ」
「それに関しては心から同意するよ。……だけど、それを知れたことが俺たちが持ってる一番のアドバンテージだ」
先に覚悟が出来ているだけでも、明日に向けての心構えは相当変わってくるものだ。……おまけに、俺にはまだとっておきの情報が残されていた。
「……二人とも、これを見てくれ」
思わせぶりにそう口にして、俺は懐から一枚のメモを取り出す。追加料金を払ってまで情報屋に直接書きつけてもらったそれには、本来だったら世に出てくることもないような情報が所狭しと書き並べられていて――
「……これは、面白い事になりそうね」
「ああ。……マルク、君はとんでもない買い物上手かもしれないな」
それを見たリリスが獰猛な笑みを浮かべ、浪費家から買い物上手へとツバキの評価が大逆転を見せる。……そこに刻まれた情報たちは、文字通り切り札と言ってもいいものだった。
割とホイホイ大金を投げ打ちがちなマルクですが、今回ばかりはいい買い物ができたご様子です。果たしてそれがどう生きるのか、次回からのダンジョン開き開幕を楽しみにしていただければと思います!
ーーでは、また次回お会いいたしましょう!




