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第三百七十六話『姿なき呼び声』

――気が付けば、俺はどこでもない場所をふわふわと漂っていた。


 あたりのどこを見回しても真っ暗で、光が射してくる気配は微塵もなくて。自分の身体があるという感覚すらもなく、ただただ暗い闇の中で俺の意識だけが頼りなく浮遊している。……不思議と、それに恐怖心は湧いてこなかった。


 ただ、どうしてこんな景色を見ているのだろうという疑問はある。最低でも疑問を出すための脳みそが残っているのは幸いなことだが、脳だけ無事でも生きていけないのが現実と言うものだ。逆説的に言うのならば、ここはそういう法則から外れた『どこか』という事になるのだろう。


 だんだんと状況が鮮明に見えてきて、それに引っ張られるようにして疑問も大きく深くなっていく。この場所への答えを探して過去の記憶を引っ張り出し始めたその時、俺は致命的なことに気づいた。


(……レイチェル、レイチェルはどこだ?)


 さっきまでは確かに俺の隣にいたはずの少女が、今やどこにも見当たらない。なんでそれに気づくのが遅れてしまったのかと自分を責めたくなるほどに、その失態は痛恨が過ぎる。


 もし今の俺が声を発せるのならば、喉が枯れるまで大声で叫び続けていたことだろう。リリスが信じて預けてくれたのに、守れると信じてウーシェライトとの戦いに臨んでくれたはずなのに。それすらもしくじって、俺は今こんな訳の分からないところに漂っている。


 いったいどうしてこうなった。どうしてレイチェルを見失った。……ここに来る直前、俺とレイチェルには確かに何かが起きたはずなんだ。


(思い出せ、思い出せ思い出せ思い出せ……ッ)


 まだぼんやりとしている意識を強引に覚醒させて、俺はこうなる直前の記憶を思い起こそうと試みる。車の暴走、そしてウーシェライトの乱入、引き起こされた残忍な事件。……そして、リリスとの激突。あの戦いは、見ている俺も思わず口を開けざるを得ないほどのものだった。


 二つの魔術を合体させられるようになったとは聞いていたが、あそこまでの威力が出るとは思っていなかった。あれは間違いなく今後もリリスの武器になるし、まだまだ伸びしろも十分だろう。戦線を預ける仲間としてあの二人以上に心強い存在はいない。


 そんな二人の実力でウーシェライトは圧倒され、胸を突き刺されて致命傷を負った。誰が見ても完璧な決着で、相手の作戦を差し挟む隙など微塵もなかった。問題が起きたとすれば、その後だろう。


(確か……確か、あの後)


 距離が離れていたからよく見えなかったが、氷漬けになる直前にウーシェライトは僅かに腕を上へと掲げていた。それがなんだか妙に気になって、指が示す方向を見やって、それで。


(――ああ、そうだ)


 そうだ、ここまで辿ってやっと思い出した。……俺とレイチェルは、いつの間にか配置されていた新手の刺客によって撃ち抜かれたのだ。


 その存在に気づいた時には銃口が向けられていて、回避することは不可能だった。唯一出来たことと言えばレイチェルに覆いかぶさってせめてもの盾となること、それぐらいしかなくて。


(……それじゃあ、俺は)


 俺たちに向かって放たれたのは、狙撃と言うより砲撃と言った方が正しいだろう。体を内側から砕かれるような衝撃と、巻き上がるたくさんの煙。……それに巻かれたところで、俺の記憶は途切れている。


 俺の身体では――いや、あそこに立っていたのが誰であろうと、生身であの砲撃に耐えることなど不可能だ。それぐらいの火力は確かにあったし、俺はそれをもろに食らっている。となれば、その末に辿る結末は一つしかないだろう。


(レイチェルを庇って、死――)


『死んでおらぬわ、この大うつけが』


「は……ッ⁉」


 俺が一つの結論に達しようとしたとき、明らかに俺のものでない、だがどこか聞き覚えのある高慢な声がこの世界に割り込んでくる。それに思わず驚いて声を上げた瞬間、今まで行方不明だった身体の感覚が俺の手元に戻ってきた。


 息も吸えるし手も動く、胸に手を当てれば心臓が動いているのが分かる。視覚と嗅覚はまだ戻っていないが、それでも十分すぎるぐらいだ。自分自身の体がそこにあるという感覚があるだけで、急に生きているという実感が強まっている。


『貴様のような人間風情を救うなど妾の性には合わんが、貴様がレイチェルの盾となろうとしたことは覆しようのない真実だ。妾の身がままならぬ以上、レイチェルの味方を減らすのは愚行としか言えぬからな』


 せいぜい感謝するがよい――と。


 突然聞こえた声の主は、上から目線ではあるが丁寧に事情を説明してくれる。……どうやら死にかけていたところまでは本当のようだが、それを声の主がどうにか繋ぎとめてくれたようだ。


 その情報が加わったことにより、俺の中で一つの推論が確信へと変わる。そんな所業をやってのける可能性があるのは、俺の考える限り一人しかいなかった。


「……ああ、本当に助かったよ。流石は守り手様――ってところか?」


『――やはり見抜いてみせたか。こうして言葉を交わすとなるとますます食えない小僧なことよ』


 俺の結論は正しかったらしく、声の主、すなわち精霊は憎々しげな声で返す。ある程度見抜かれるのは覚悟していたようだが、それでも不愉快なものは不愉快という事なのだろう。


「前にも一度お前の声は聴いたことがあるからな。その時のことを思い出せば、同じ奴だって考えるのはそう難しくもなかったよ」


 どこか幼げな振る舞いに苦笑しながら、俺はそんな風に付け加える。もしもあの森で声を聴いていなければ、声の正体に気づくのはかなり遅れていただろう。そういう意味では、あの出来事にも感謝しなくては――


『――ああ、それだ』


「……え?」


『それだ。その時の振る舞いこそ、貴様を生かすと決めたもう一つの理由に他ならぬ』


 俺の考えを遮って、精霊は一段トーンを落としながらそう告げる。今までの高慢さが抜けたその響きを前にすると、なぜだか背筋が冷たくなるような気がした。


 なんというか、今まであった余裕のようなものがなくなっているのだ。切実に、遊びなしに、精霊はあの時のやり取りに何か特別なものを見ている。……出発前のリリスの警告が、俺の頭をよぎった。


「……レイチェルに触ろうとしたこと、やっぱ直接懲らしめなきゃ気が済まねえか?」


 修復術を使って魔術神経の様子を調べるという大義名分はあったが、それは修復術の事を知っていなきゃ出てこない発想だ。お互いの認識に差がある以上、誤解を与えてしまった俺が歩み寄って謝罪する以外に方法はない。説明は難しいが、納得してもらうまで言葉を重ねるしかないだろう。


 そう、思っていたのだが。


『いいや、アレについて妾が糾弾する気はない。貴様が触れようとしたのは修復術の行使条件を満たすためであると、妾の中ですでに結論が出ているからな』


「そうだったのか、理解してくれてるのならありがてえ――って、はあ⁉」


 あまりにも自然に、世間話のような調子で精霊から修復術の名前が出てきて、俺は少ししてから驚きの叫びをあげてしまう。……なんで、この精霊が修復術の事を知っている?


 あの里にいた時、人間以外に修復術を学んでいる奴はいなかったはずだ。現にエルフであるリリスは修復術の存在を知らなかったわけだし、人間以外の他種族にだったら漏らしていいなんて話もない。だとしたら、どこで修復術のことを……?


 目を白黒させながら必死に考え続けていると、精霊のご機嫌そうな笑い声が空間に響き渡る。普段も結構幼く聞こえる声色が、今はもっと幼い子供のように聞こえた。


『かっかっか、ようやく貴様を出し抜くことが出来たわ! 長命種たる精霊の前ですべて見抜いているかのような面をするなど、何百年も早すぎるというものじゃからな!』


「……精霊と言うより、お前自身がそれを気に入らないだけじゃねえのか?」


『何を言う、精霊は長い時を漂う種族じゃぞ? どれだけ努力したとて百年と保たぬ人間がその知恵を上回ろうなどと、傲慢にもほどがあるじゃろうが』


「……そういうものなのかねえ」


 あまりにも自然に返ってきたその答えに、俺は思わずため息を吐いてしまう。そこらへんは精霊と言うよりコイツの気質に由来する考え方な気がしないでもないのだが、他の精霊とコンタクトを取ったことがない以上何とも言えないラインだった。


 参考になるとしたらリリスとノアだが、別種族としてカウントされるほどに人間への接し方を変えた種族の答えが精霊にも適用できるとは思えない。だからこそ、この質問はただの突っ込みの域を出ることが出来ないのだが――


『そうじゃ、人間の蓄えられる知識には限界がある。何せ寿命があるのじゃからな。――どれだけ足掻こうと願おうと寿命という宿命に抗えぬことは、精霊でありながらただ見守ることしかできなかった妾が最もよく知っておる』


 何度も何度も、当主の死を看取ってきた故な――と。


 突如しんみりとした調子でそう呟いた精霊に、俺は返す言葉を失ってしまう。……それは確かに、数百年を生きた精霊の声だった。どれだけ声色が幼くても、子供っぽいなどと揶揄はできなかった。


『妾は今依り代に頼って存在する身、故に意思疎通は至難の技じゃ。時折勘が鋭い世代もいるにはいたが、それでも妾の声を完全に聞き取るには至らなかった。……そうして年月が経っていくうちに、依り代を媒介とする妾の権能もだんだんと弱まり始めてな』


「ますます声が届く道理はなくなっていった――ってことか」


『左様じゃ。じゃが、どうやら貴様はその道理から外れた存在であるらしい。修復術師であることがその条件であると、妾はそう見ておる』


 さらに真剣さを増した声で、精霊は現状をそう推測する。精霊の存在と修復術に何の因果があるのかは謎だらけだが、精霊の中ではどうも論理が繋がっているらしい。……ならば、今はそれを深く掘り下げる必要もないだろう。


「つまり俺は、お前の声を聞くことが出来るちょっと特別な存在なわけだ。……んで、それが俺を死なせなかった理由の二つ目ってことなんだな」


『その通りじゃ。グリンノート家以外の人間がどうなろうと知ったことではないが、貴様ばかりは死なせるわけにはいかん。……貴様には、頼まねばならぬことがある』


「頼み……か。分かった、俺にできることならさせてくれ。レイチェルを傷つけたくないのは、きっと俺もお前もおんなじだ」


 もちろん約定に関わることもあるが、それ以前にレイチェルは『夜明けの灯』の一員だからな。それを傷つけようという奴がいるのであれば、その存在を許すわけにはいかない。……そういう意味では、精霊と俺たちの利害はこれ以上なく一致しているのだ。


『ああ、良い返事だ。その意気を見込んで、妾から貴様に重大な役割を与える』


 俺の宣言に精霊は即座にそう答えると、まるで深呼吸をするかのようにワンテンポの沈黙を挟む。……そして、俺にこう伝えた。


『今から妾が伝えることを、目覚めても決して忘れずに記憶しておけ。この惨状を乗り越えるために、必ずそれらが必要になる時が来る』 

 精霊がなぜ修復術のことを知っているのか、そして修復術師にのみ声を届けることが出来るのかについては、読者の皆様には推理するだけの材料が揃っています。その反面マルクは絶対に正解にたどり着けない、と言うのもまた一つヒントではありますね。分断されてなおさら混迷していく状況の中で精霊から思いを託されたマルクはどう動いていくのか、この先もぜひご注目いただければ幸いです!

――では、また次回お会いしましょう!

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